8,1 逆パワースポット Vortex・破


「逆パワースポット、ね。運気とかいかにも女子が好きそうだよな、こういう話」


 先輩は電車に揺られながら大あくびをして、いかにも興味なさげに呟いた。

 ぼくはムッっとして言い返す。


「女子がどうとか偏見じゃないですか? 21世紀初頭にスピリチュアルブームが勃発してから、全世界的にパワースポットへの旅行が流行ったんですよ。男女問わず、知ってる人は知ってる話です」

「そうなのか? 詳しいな」

「オカルトはぼくの分野ですから、下調べは万全ですよ」


 ふんすっ、とぼくは胸を張った。


「パワースポットというのは、そもそも修験道しゅげんどうや密教、風水における”龍穴りゅうけつ”を一般人に伝わりやすく言い換えた言葉です。龍穴は土地の力が流れる”龍脈りゅうみゃく”が集まる場所で、そこに立っている建物は災害に強かったり不幸に合わなかったりと、”土地の力が強い場所”とされているみたいです。龍穴に建てられているのは主に神社で、だから一時期パワースポットとして神社を訪れて土地の力を浴びる、みたいなのが流行ったみたいですね」

「ほう。神社なんだな。寺なんかはないのか?」

「ないことはないと思いますけど、どちらかというとお寺は鬼門を塞いで街全体を守るために、あえて”悪い立地に””建てられている場合が多いようです。だから神社と違ってパワースポットには該当しない……らしい、です。ネットの受け売りですけど

「ふム……聞いてみるとなかなか面白い話だな」

「それで、逆パワースポットというのも調べてみたんですが。川の近くや、もともと川だった土地、あるいは三角州さんかくす。墓地の近く。処刑場があった場所……などなど、いろいろな説があるみたいです」

「”死”や、俗に霊が集まるっていう”水気”に近い場所ってワケか。ありそうな話だ」


 先輩はいかにもやる気なさげな目でぼくを一瞥する。


「にしても俺はもうやる気をなくしてるぞ。なにせこの湿度……」

「ええ、まあ……ジメジメしてますよね。今日は特に」

「このあたりは低湿地だからな。もともと川が通っていたり、川より低い場所に住宅が建っていたり……本来、住むには適していなかった場所だ。確かにお前の言う通り、逆パワースポットの条件は満たしているようだな」

「水はけの悪い土地、ですよね」

「関東平野は全体的にそういう土地が多い。江戸時代に治水技術が進み、川の流れを曲げたりなんやかんやで……首都圏と呼ばれるまで発展した。人類の英知ってヤツだが。しかしここは最悪だ。俺なら絶対住みたくない。オカルト的な理由がなくともな」


 目的の駅に着いて、電車を降りながら先輩が言った。

 襟を掴んでパタパタと熱を逃がすしぐさをする。

 ちらりと、汗ばんだ胸元が見えた。

 さ、鎖骨……。

 陰キャでイケてない男の代表格みたいな先輩の妙に無防備な姿を目の当たりにして、ついぼくはドキリとしてしまう。

 い、いかんいかん……湿度と暑さで頭が正常に動いてない……。

 オタクでモテない先輩を”そういう目”で見てしまいそうになるなんて――まるでぼくが変態みたいじゃん!


「――こほん」


 ぼくは咳払いをしてから続けた。なるべく平静を装いながら。


「せ、せんぱいもそれなりに下調べしてきたみたいですね?」

「まあな。なんと解決すれば学食の食券10枚だ。こいつはデカいだろ」

「現金な人ですね、報酬そのものは目的じゃないって言ってたじゃないですか」

「金に困ってるわけじゃあないからな。だが報酬が高いってのは俺たちの仕事に依頼人が価値を感じている証明になるだろう?」

「そう考えると、悪くないカモしれないですけど」


 言われてみれば。

 先輩の言う通り、入学してから夏までの活動でぼくらの知名度は上がっていた。

 でも報酬に目がくらむのってやっぱり不純じゃない? なんて思ってしまう。

 今まさに先輩を不純な目で見ようとしていたぼくが言えたコトじゃないけど……。

 ……気持ちを切り替えて、本題に戻ろう。


「せ、先輩もこの土地が低湿地であることに注目しているみたいですね。できれば理由もお聞かせ願いたいですわよ?」

「そのテンション何? まあいいか。そいつはだな――おっと、着いたぞ」


 駅から出て話しながら歩いていたぼくたち。

 先輩と話しているとつい脱線や雑談が挟まってしまって、いつのまにか長くなってしまう。夏休みだっていうのに無限に会話ができそうに感じた。だけど今回は話の途中で到着してしまったから、会話の終わりを探すのは難しくなかった。

 依頼人の家は建てられてからそれなりに経っているであろう、木造の一軒家だった。

 ぼくらの姿を窓から確認したのか、すぐに江原さんが玄関から現れた。


「なるほど、鬼門に玄関ってワケか」


 先輩は納得したように頷いた。

 コンパスを取り出して確認すると、たしかに玄関は北東向きだった。先輩はなんで方向がわかったんだろう。鳥みたいに磁場を感じる能力でもあるんだろうか?

 あるかもしれない。鳥の巣みたいなボサボサ頭だし。

 さて”鬼門”の話だけど、北東向きの玄関は地相学的に言えばよくない間取りに該当する。鬼の出入り口を開けてしまっているかららしい。でもその程度の理由でこの現代社会で簡単に霊障が起こるモノなのだろうか?


「あーちゃん、ホンマに来てくれたんやね。先輩さんも、今日は両親がおらんから、くまなく調査してってや」


 ほんわかした関西弁のゆるふわ女子、江原さんに案内されて敷居をまたいだ。

 ピシリ――。


「っ――?」


 玄関を通り、靴を脱いで上がったその時だった。

 ギターの弦が切れた時の音みたいな。なにかが急激に張り詰めたような気配を感じてぼくは一瞬立ち止まる。


「どうした?」

「いえ、なんだか……わからないですけど」 


 考えてみてもよくわからなかった。気のせいかもしれない。

 それ以上は追求せずにぼくと先輩は江原さんの部屋に案内された。

 よく冷えたアイスティーがすぐに出され、ぼくらは飛びついて飲み始める。


「キンキンに冷えてやがるっ……!」

「え、先輩なんですか急にそのテンション。怖っ」

「やめろ、俺をスベった感じにするな。今のは『賭博破戒録カイジ』で班長から缶ビールを奢られた時のカイジのモノマネだ。鉄板ネタだろうが」

「ネタを説明してる時点でスベってるんですよ、往生際が悪いですね」

「お前今日なんか俺への当たりキツくない?」


 ぼくたちの軽口を見て、くすくすと江原さんが笑った。


「あははっ、先輩さんってちょっと怖そうと思っとったんやけど、おもろい人やったんやねぇ。安心したわぁ、あーちゃんと先輩さんが仲良さそうで」

「このアニオタのどこが怖いんですか。ぼっちで人と話した経験が少ないから変なタイミングでアニメネタを持ち出してどスベりする哀れな陰キャにすぎませんよ」

「最近のお前、俺への罵倒の語彙が豊富すぎないか?」

「あはははははっ! やっぱり仲良しさんやね!」

「これは仲良しってことじゃねェんだが……」


 スベったことをひたすらイジられた先輩はバツが悪そうにお茶を飲みきった。グラスをさっさと置くと先輩は言った。


「そろそろ本題に入ろうぜ」


 目つきが変わる。眼鏡越しでもわかる鋭い眼光。

 先輩がただのオタクから『学園一の頭脳』へモードチェンジする時のサインだった。

 彼はまず江原さんに向かってこう訊いた。


「電化製品が故障すると言ったな。率直に聞くが、そこにこういうモノは含まれていないか? 掃除機、洗濯機、冷蔵庫、電子レンジなどだ」

「そ、そう! 真っ先に壊れたんはそれやねん!」

「やはりな」


 先輩は依頼メールの時点で何か掴んでいるみたいだった。

 彼は説明を続ける。


「江原さんは関西から引っ越して来たんだよな?」

「え、何でわかったん? もしかして先輩さん……名探偵!? 身体は大人、頭脳は子ども的な……?」

「コ○ン君じゃねぇよ。だとしても逆だ。ていうか名探偵じゃなくてもわかるだろ。依頼メールに書かれていたあんたの父親の口調も、あんた自身も明らかに関西弁だろうが」


 江原さんの天然っぷりに先輩も少し困惑気味だった。

 ペースを狂わされながらも先輩は続ける。


「家庭用電気に使われる”交流”の周波数は関東と関西で違う。関東は50Hz、関西は60Hzだ。これは明治時代に輸入した発電機が東京がドイツ製、大坂がアメリカ製だったことに由来する」

「はえー、初めて知りました。今でもドイツは50Hz、アメリカは60Hzなんですか?」

「その通りだ。日本のように一つの国で二種類の周波数を使っている国は珍しい。とはいえそれは本題ではない。問題は、周波数の違いが一部の電化製品の動作に影響するということだ」

「それが先輩がさっき言ったラインナップなんですね」

「そう。国内で販売しているほとんどの電化製品は50Hz/60Hz両対応だが、モーターで動作するモノはそうはいかないからな。性能が変化したり、正常動作しなかったりすることは珍しくない」


 先輩の説明は腑に落ちるモノだった。

 もしかしてこの依頼はこれで解決? とまで思ってしまうほどに。

 だけど江原さんはうつむいて何かを考えていた。


「……確かにその製品たちは真っ先に壊れたんやけどな。うちらもメーカーの人とかに電話して聞いて、周波数が違うから壊れたのかもしれないと思って買い替えたんや。関東で売ってるモノなら問題ないやろって」

「それで、どうなったんですか?」

「買い替えたモノもノイズが入ったり、誤作動を起こしたりするんや。別の新品に交換しても変わらへんかった。メーカーに見てもらっても、製品に不具合はないって……」

「ふム。依頼に書かれていたテレビや電球はそもそも周波数の違いによる不具合の考えにくい製品群だ。やはり周波数の違いだけでは説明できないようだな。しかし――」 


 先輩は何かに納得したように頷いた。


「女の声とか霊が見えるだとかのオカルトは俺の専門外だが。電化製品の故障についてはいくつか周波数以外の原因について思い当たる節はある。検証させてもらうぞ」


 先輩は背負っていたリュックから、何やら電極付きのメーターみたいなモノを取り出した。


「なんですか、それ?」

「テスターだ」


 ゴム手袋をすると、先輩は唐突に電極を部屋のコンセントに突っ込んで何か操作し始めた。


「やはりな」


 一人で納得する先輩に、ぼくも江原さんもついていけなかった。


「何一人で納得してるんですかぁー! 説明してください!」

「ああ、すまない。こいつは電気設備の電圧や電流量を調べる装置だ。今はコンセントの電圧を調べていた」

「電圧?」

「予想通り電圧降下が起こっている。このコンセントは概ね20Vボルトから40V程度の低電圧しか出ていない。出力がかなり不安定のようだな」

「そ、その……20Vとか40Vじゃダメなんですか?」

「ダメだな。日本の一般家庭で使われるコンセントの電圧は100V。もちろんある程度上下するのは珍しくないから、日本で販売している一般的な電化製品は90Vから110V程度の電圧で使われることを想定して設計されている。メーカーはその程度の誤差を想定して、不安定な電圧でも動作するよう余裕を持たせていると思うが。それにしたって低電圧すぎる。電化製品が安定動作しないのは当然だろう」


 彼の理路整然とした説明に、ぼくも江原さんも黙り込んでしまった。

 先輩は依頼メールの文面だけでここまでの推論を導き出したということ?

 いつもながら、彼の鋭さには舌を巻くしかない。

 圧倒される女子二人のうち、なんとか先に口を開いたのはぼくだった。


「つ、つまりテレビの画面が乱れたり、電灯が点滅したりするのはそれが原因ってコトですか……?」

「だろうな。それだけで完全に壊れてしまうワケじゃあないだろうが。一般的に機械類全般が高温多湿に弱い性質を持つ。精密な電子回路を持っているモノならなおさら、結露によって内部が酸化したり、錆が生じたりすることで故障しやすくなるだろう。製品そのものに不具合がなかったのは当然だ。不安定になっていたのは電源が原因だったんだからな。完全に壊れてしまった製品は、高温多湿の環境で不安定な動作を続けさせられて耐えられなくなったんだろう」

「不安定な電圧と高温多湿の環境……二つの要素が合わさった結果ということですか」

「あくまで仮説だがな。この家のコンセントの電圧が正常じゃないってのは、テスターで測定したから事実だろう」


 「あとはあんたとあんたの家族がどう思うかだ、江原さん」先輩はそう締めくくった。

 江原さんはしばし考え込んでから、やっと言葉を絞り出した。


「うちも……先輩さんの言う通りやと思う。これなら迷信とか全然信じひんうちの親かてわかってくれるかも」

「親が信じたとして、どうやって対策する? 引っ越すか?」

「うーん……うちとしてはこの家には居たくないんやけど。怖い思いしてるわけやし」


 そこまで江原さんが言って、やっと思い出した。

 依頼はまだ解決していない!


「そうだ、謎の声の正体! これはまだ解決してません! 江原さんが感じる、家族以外の人の気配も!」


 ぼくが指摘すると、先輩は「確かにな」と頷いた。


「そいつは俺には皆目検討がつかない。オカルトは専門外だし、お前の分野だろう」

「ぼくですか? そうですね……やっぱりこの家で気になるのは”鬼門”ですかね」

「鬼門、ね。この家の玄関は北東に開く形だったからな。霊を呼び込む間取り――そういうワケだな?」

「はい。そういえば江原さんのメールには、両親にはあまり”声”が聞こえていないって書いてありましたよね? もしかしたら原因は間取りなのでは?」

「え?」

「鬼門が玄関で、この部屋が裏鬼門に位置するとしたら……? ここが南西に位置するとしたら、幽霊の行き着く先はこの部屋です」


 ぼくはコンパスを取り出した。

 すると――ぐるぐるとその場で回転して、方位が定まらない。


「あ、あれ? なにコレ?」

「磁気がおかしい……! ネットで見た、やっぱり”逆パワースポット”なんや……!」


 女子二人、怪現象に焦り始めるけど唯一の男子は冷静だった。


「この場所は地磁気が不安定なようだな。あるいは、近場で何らかの磁界が発生しているのか」

「磁界?」

「電気が流れればそこに磁界は発生する。仮にこの土地が何らかの強力な磁界の影響下にあるとしたらコンパスが正常動作しないことはありうる。あるいは、電化製品にも何らかの悪影響が出ているかもな。依頼文に書かれていた『スピーカーがノイズを拾う』現象と無関係とも言い切れないぞ」

「これも科学的に説明がつくと……?」

「当たり前だ。コンパスで測る方角ってのは鬼門だとか裏鬼門だとか言う前に、地磁気を基準にしてるもんだろ? だったら正常だろうが異常だろうが科学的な理屈があると考えるほうが自然だ」


 先輩はとにかく冷静だった。

 なのにぼくはなぜか、不穏な気配を感じていた。江原さんも同じだろう。

 先輩が謎を解き明かしていっている、客観的にはそういう状況なのになぜだろう。

 正解から遠ざかっている・・・・・・・・・・・気がする。

 理由はない。根拠もない。ただ「感じるんだ」。何かの気配を。

 ぼくでもない、先輩でもない、江原さんでもない。別の誰かが、ぼくらを視ている。

 たぶんこの場でそれを感じていないのは、先輩だけだ。

 このままじゃだめだ。先輩の言っていることは正論だ。論理的だ。科学的だ。客観的だ。

 だけど――だからこそ、それだけじゃ視えない真実がある気がする。


 その真実を見極めるためには……踏み込むしかない。真相に続く道の、さらなる”深淵”へ。


 ごくり、つばを飲み込む。

 ぼくは意を決して言った。

 

「この家の間取りを見せてください」

 

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