第弐蒐”INIQUITY OF ΦATHERS”
0,2 死化粧 Makeup(第弐蒐・始)
雨粒が頬を濡らしていた。
肩を震わせ立ち尽くす幼いぼくを、お父さんは優しく抱きしめてくれた。
「どうして泣いているんだい、あーちゃん」
なんでだろう。その時のぼくはどうして泣いていたんだっけ?
わからない。もうずっと昔のことで、忘れてしまった。
もしかしたらたいした理由じゃなかったのかもしれない。
だけどこの後のことは覚えてる。
お父さんはぼくが泣いていた理由を聞くと、笑ったんだ。
「どうして笑うの? こんなに悲しいのに、苦しいのに」
「悲しくても、笑ってたら楽しくなるかもしれないからさ。あーちゃんも笑おう」
「笑えないよ。楽しくないのに」
「そうでもないさ」
お父さんは笑顔で続けた「こんな話がある」。
「かつてある心理学者はこう言った、『人は悲しいから泣くんだ』ってね」
「当たり前だよ。わたしもそうだもん」
「でもね、別の心理学者はこう言った、『悲しいから泣くんじゃない。泣くから悲しいんだ』ってね」
「え……真逆だよ? どっちも学者さんが言ったんだよね。どっちが本当なの?」
「わからないさ。人の心はいつまでも解き明かせない謎なんだ。だけどね、あーちゃん。答えが分からなくても、選ぶことはできる。何かを信じ、選ぶこと。それだけが人間にできる唯一のことなんだ」
「……」
「あーちゃん、きみはどっちを信じる?」
どっちなんだろう?
その時のぼくは、どうしたんだろう?
幼い頃の記憶。おぼろげな追憶。
きっとぼくは、その時――。
☆ ☆ ☆
笑っていた。
死体安置所で久々の再会を果たした、行方不明だった父の亡骸の前で……ぼくは。
ぼくは笑っていたんだ。
「お嬢ちゃん……どうして笑ってる……?」
付き添ってくれた刑事さんが困惑して訊いた。
「悲しくないのか? 親父さんが、こんな風になって……」
「仕事に行く」といって戻ってこなかったお父さんは、街中で死体となって発見された。
落下死だった。死体の損傷がひどく、死化粧もしていないから顔を見るのはオススメしないと刑事さんに言われた。だけどぼくはお父さんの顔を視た。目をそらさずに直視した。
原型を留めていなかった。
すでに父の面影なんてものは失われていて、形のない肉の塊と化していた。ここまで変貌していたら肉親というよりはむしろ、どこか遠い存在として観察することすら出来た。
ぼくは刑事さんの質問に答える。
「悲しいですよ……きっと、人生で一番苦しいです。でもお父さんが教えてくれたから。悲しいから泣くんじゃなくて、泣くから悲しいって考え方もあるんだって」
「……」
「だから今、泣いてるときじゃないって思ったんです」
「父親が死んだんだぞ。今泣かなきゃ、いつ泣くってんだよ?」
刑事さんは至極真っ当な質問をぶつけた。
ぼくは冷静に返答する。なぜだか頭は明晰に働いていた。
「お父さんの死因は街中での落下死。おかしいですよね」
「お、おかしかないだろ。ビルからの飛び降り自殺なんて珍しくもない」
「
ぼくは断言した。
「お父さんの遺体が発見された場所を調べましたが、開けた平地で落下死できるような高さの建物は周囲に一つもありませんでした」
「だが飛行機から落ちた可能性だって――」
「加えて――死亡推定時刻にその周辺を飛行機が飛んでいたという記録も見つかりませんでした。これは警察の調査結果です、当然刑事さんも知っていたハズですよね?」
「っ……お嬢ちゃん、あんたは……」
「お父さんの遺体から周囲に血痕と分離した肉片が飛び散っていたと記録にあります。このことから落下死体を別の場所から持ってきたのではなく、お父さんは間違いなく発見現場で落下死したことになります。つまり、『落下不可能な場所での落下死』です」
ぼくは刑事さんの目をまっすぐ見て言った。
「お父さんの死は謎だらけなんです。だから今はまだ泣いてる時じゃないんです。今はお父さんが
「……本気、なのか」
「もちろん。生前、お父さんがいつも言っていました。諦めるなって。世界が謎だらけでも、それを解き明かそうとすることはやめないで欲しいって。だからわたしは――」
「――ううん」ぼくは首を振って、言い直した。
「
「そうか、本気なんだな」
刑事さんは「はぁ」とため息をつくと声を潜めて言った。
「実は……俺もお嬢ちゃんと同じ疑問を持っていてな。いろいろ探ってみたんだが……結論から言おう、俺はこの事件の担当から外された」
「え……?」
「かなり
刑事さんも言い慣れていなかったのだろう、ぼくも彼が言ったその聞き慣れないFから始まる組織名を聞き取ることができなかった。
聞き返そうとしたけれど、刑事さんは何かを恐れているようで早口で話を続ける。
「この事件、かなりやべェ闇が絡んでるってことは確かだ。俺はもう降りる。若い頃は無茶したモンだがよ、今は家庭も持っちまった。藪をつついて蛇を出すなんてことァしたくねェ。弱ェ俺を赦してくれよ、お嬢ちゃん」
「いえ、いいんです。今まで捜査ありがとうございました。ご家族を……大切にしてくださいね」
「……ちっ、出来た娘だ。ったく、親父さんが羨ましいぜ」
刑事さんは最後にこう言った。
「お嬢ちゃん。警察署内の噂で聞いたんだがな、
そこまで言って、刑事さんは。
「なにも、ないかもしれねェけどよ」
と、ぼくの肩をそっと叩いて去っていった。
☆ ☆ ☆
ぱしゃり、と顔に水をかけた。
朝、洗面所の鏡の前。高校生になったぼくがそこにいた。
いまでも時々、あの日のことを夢に視る。昨晩もそうだった。
お父さんの遺体と再会した日。
死体安置所で刑事さんと話したこと。
ぼくの謎解きが始まった日のことだ。
「そういえば――」
顔を拭いて、ぼくは軽くメイクをしながら一人呟いた。
「刑事さんが言ってたあのFから始まる組織名……」
なんとなく”FBI”だと思っていた。該当しそうな単語をそれしか知らなかったからだ。
だけどよくよく考えればFBI=連邦調査局はアメリカ国内の事件を捜査する組織。
わざわざ日本の警察にちょっかいをかけるとは思えない。
ぼくは思い出す。先日遭遇した『呪いのビデオ事件』のことを。
視聴覚室で先輩とビデオの中身を視た時、映像に登場した『Φの仮面』の人たちの白衣にこう印字されていたんだ。
「”F.A.B.”……刑事さんが言ってたのは、このことなの?」
これが組織名だとしたら、超常現象と何か関係している? 改造人間を製造していた機関を示している?
今のところ、情報はまったくない。呪いのビデオは先輩が完全に消滅させてしまったし。
だけどこれは、手がかりかもしれない。
あの刑事さんは言っていたんだ。
「謎を追いかけ続けろ」って。その先に――きっとお父さんの死の真実が隠されてる。
「うん……メイクばっちり! かわいいかわいい!」
ニッコリ。ぼくは鏡の前で笑顔の練習をする。
「悲しくってもさ、笑ってたら楽しくなるかもしれないじゃん。そうだよね……お父さん」
お父さんの遺影に手を合わせて家を出た。
今日から夏休み。
だけどぼくは朝から顔を洗って歯を磨いてメイクまでして、制服をばっちり着込んでいた。
だってぼくの”謎解き活動”に休みなんてないんだから。
ぼくらの学園では部活動が活発だ。部や同好会に所属する学生たちは今日も学園の部室棟で練習に勤しむだろう。
ぼくだって負けてられない。
夏までの先輩との活動で、数々の謎を解いてきた。
その中でやっと得られた、お父さんにつながるかもしれない手がかり。
先輩と一緒にいれば、もっと先に進めるかもしれない。
そんな予感があった。
何より……。
何より多少は登校が遅れてもよくなったからって、メイクをばっちりキメちゃったんだ。
夏休みじゃクラスで集まることとかないし、時間かけてメイクしても見せる相手とか……一人くらいしかいないし。ちゃんと会って見せつけなきゃもったいないじゃん。
「誰に」って?
そんなの、答えは決まってる。さあ今日も――。
「先輩に会いに行こう!」
ファウンダリ(foundry)
1.
2.半導体産業において、半導体デバイスを生産する企業及び工場を指す。
3.転じて製造工場(fabrication facility)、略してFABと呼ばれる。
ΦOLKLORE:第弐蒐”INIQUITY OF ΦATHERS”
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