7,4 呪いのビデオ HD-DVD・過
スクリーンから這い出てくる”白い女”。
徐々にぼくらに手を伸ばし、近づいてくる。もはや絶体絶命のピンチだった。
「ここは俺に任せろ」
逃げたほうがいい。逃げたほうがいい。そうとしか思えなかった。
なのに先輩は立ち上がって、女に近づいてくる。
な、なにやってんの!?
もうワケがわからない。完全に混乱していた。
先輩は何か考えがあるようで、徐々に鮮明になってくる女の輪郭に話しかける。
「お前、そんなに人を殺したいのか?」
『オオ゛……コ゛ロ゛ス゛……コ゛ロ゛ス゛……』
「さっきの映像が本物で、あんたがその被害者で怪しい改造手術の実験台になり苦しめられただとか、動機はいくらでも想像できるが。どういう事情があるにせよ無関係な人間を無差別に殺害して赦される理由にはなり得ない。だから俺はあんたに一切同情する気はない」
『コ゛ロ゛ス゛……コ゛ロ゛ス゛……』
問答しているうちに白い霧の輪郭が明確になってゆく。
枯れ枝のようなしおれた女の手が実体化して、先輩の首に向かって伸びた。
まずい、先輩を絞め殺す気だ!
助けなきゃ! ぼくは思わず走り出そうとする。
先輩は手のひらをぼくに向けて「任せろと言ったろ」と静止した。
「まだ話は終わっていないぜ。『呪いのビデオ』の目的は『視られること』。それが”呪殺”の発動条件であり、視られない限り誰も殺せなくなる。だとしたら、なあ……”呪いの女”さんよ。あんたにもう
先輩は不可解なことを口にした。
だけどなぜだか、女の枯れた手が先輩の首に手をかけたまま止まったんだ。
「その様子だと薄々感づいているようだな。やはり、あんたがより新しい映像記録媒体に乗り換えていっているのはそういうワケかよ」
『……ウゥ』
女はうめき声をあげるだけであとは何も言わず、先輩の話に耳を傾けていた。
先輩はなにか、女の存在に関する核心をついているらしかった。
その反応も予想通りだったようで、先輩は平然と話を続ける。
「”HD-DVD”なんてマイナーな媒体に入れられていた理由が最初から気になっていたんだ。おそらくあんたは『より新しく容量の大きなメディア』に乗り換える性質がある。そのほうがより『呪いのビデオ』としての寿命が伸ばせるからだ。昨日、あんたは”HD-DVD”からより容量が大きく普及率の高い”Blu-ray Disc”への入れ替えを受け入れ、同時に古いメディアである”HD-DVD”の破壊を受け入れた。それがあんたの性質に対する推理が正しいという根拠だ。違うか?
『……』
「沈黙は肯定と受け取る。さっきの映像を見るに、アスペクト比からして元々の『呪いのビデオ』はVHSかそれ以前の時代の産物だろう。様々な記録媒体を乗り換えた結果、DVDそしてHD-DVDとより新しいメディアへと乗り換えてきた。だがそこで誤算が生じた。山﨑の祖父の手に渡ったことだ」
「え……?」以外な名前が出てきて、呪いの女だけじゃなくてぼくも困惑する。
「あんたの性質を見抜いた山﨑の祖父は、あえて廃れゆくメディアである”HD-DVD”にコピーしてあんたを”封印”したんだ。最終的に山﨑の祖父は呪殺されたが、廃れたディスクが孫のもとへ渡ったとしても”HD-DVD”に記録されている限り再生はされず、誰も殺せない。その、ハズだった。間接的にではあるが、山﨑に再生方法を教えてあんたの封印を問いちまったのは、俺なんだろ?」
『……ソウ、ダ』
「だろうな。あんたが山﨑のディスクに生前触れた二人のうち、俺を次のターゲットに定めず、
『……ナ゛ニガ、イイ゛タイ』
「その反応、俺を殺さないってことは全て図星なんだろう? だったら俺の話は最初に言ったセンテンスに戻ってくる。『あんたにもう先はない』ってな」
『ナニヲ……』
「ブルーレイの次の規格は”UHD-BD”だが、その次は何だ? ネットストリーミングでの動画配信が普及した今の時代、物理メディアはそう遠くない将来に廃れてゆく運命だ。そうなれば、あんたは誰にも再生されないまま、誰も殺せないまま人々に忘れさられるだけだろう。それは視られることによって発動する『呪いのビデオ』にとっての死を意味する」
そこまで言ってから、先輩は耳を疑うような提案を始めたのだ。
「そこで、だ。俺があんたをインターネットにアップロードしてやる。そうすれば物理メディアがなくともあんたの呪いは半永久的に存続できる。交換条件に、俺たちの命は見逃してくれ。あんたは呪殺対象を選ぶことができるんだろ? だったら俺たち二人を呪殺しないことも可能なハズだ」
「えぇ!?」
驚いたのは”呪いの女”ではなく、ぼくのほうだった。
「そ、そんなコトしたら世界中の人たちが『呪いのビデオ』を視て死んじゃいますよ!」
「知るか。まずは俺たちが生き残るのが最優先だ」
「そんな……」
先輩がそんなこと言うなんて。世界を犠牲にしようだなんて。
どうしていいのかわからずまごついているうちに、先輩は”呪いの女”に向き直った。
「どうだ、魅力的な提案だろう? 俺はPCで『呪いのビデオ』のコピーとメディアの入れ替えにすでに成功している。インターネット動画サイトへのアップロードなど朝飯前だ。今ここで俺たち二人を殺すよりも、長期的にみて良い結果が得られると思うが?」
”白い女”はしばし静止する。
だけど、最終的には先輩の提案を飲むことにしたらしい。
『ヤ゛レ゛』
しわがれた声で、無機質に呟いた。
ぼくはその瞬間――先輩がニヤリ、と口角を釣り上げたのを見逃さなかった。
何か……何か先輩には考えがあるに違いない。
今はそれを信じるしかなかった。
先輩はディスクをプロジェクターにつながっているプレーヤーから取り出して、視聴覚室のPC前に座ると、PCのドライブにディスクを挿入した。
何かカタカタと操作する。予めインストールしていたソフトウェアを立ち上げて、ディスクから動画ファイルをコピーしているみたいだった。
「世界で一番大手の動画サイトにアップロードしてやるからな。どうなるか楽しみにしてろよ」
そう言って、先輩はPC内の動画ファイルをインターネットを通じて動画サイトのサーバーにアップロードし始めた。
緑のバーがアップロードの進捗を示す。徐々に右端へと伸びてゆく。
「サーバーへのアップロードはもうすぐ完了する。もう古い物理メディアは必要ないだろう」
先輩はPCのドライブからブルーレイディスクを取り出して、パキリと割った。
さらにアップロード元となったPC内のファイルも全て消去したのだった。
「さあ『呪いのビデオ』を全世界に公開するとしよう」
先輩はさらにパソコンを操作し、サーバーにアップロードした動画を公開設定に――。
ま、まずいよ先輩! このままじゃ、世界が……!
「完了、だ」
した――その瞬間のことだった。
動画が強制的に非公開にされたのだ。
「え……?」
「く、くくくっ、くくく……くっふっ」
「せ、せんぱい、これは一体!?」
「くっはっ! あはははははははは! クククッ、くははははははははははっ!!」
先輩が声をあげて笑い始めた。こんな先輩を見るのは初めてだ。
いつも先輩は冷静だった。笑うときは冷静に、シニカルな笑いを浮かべるだけだったのに。今は無邪気な子どもみたいに声を上げて笑っていたんだ。
『ナ゛ゼ゛ダ……ドウ゛イウコ゛トダ……!』
PCの画面から女の声が聞こえる。
画面内でマウスカーソルがぐるぐるとひっきりなしに動き、何度も何度も動画を公開設定に変えようとしていた。
PCからインターネット上にアップロードされた”呪いの女”の仕業だろう。
だけど無駄だった。
どうしても動画は非公開設定に変えられてしまう。
『キ゛サ゛マ゛ァ゛!! ナ゛ニ゛ヲ゛シ゛タ゛ァ゛!!』
「何って……俺は何もしてないが?」
先輩は
「自動的に非公開設定に変えられてんだよ。大手動画サイトのアルゴリズムによってな」
『ナ゛……ッ゛』
「当たり前だろ? 女の裸に、内臓。エロとグロ。解体、スナッフビデオ。こんなアングラな
先輩が邪悪な笑みを浮かべるのを、ぼくはポカンと口を開けて見守るしかなかった。
完全に、想像を超える事態が起こっていた。
先輩は笑みをこらえながら続ける。
「いや失敬。陰キャがテンション上がってるのはキモいよな。すまない、落ち着こう。ただ、こうも見事に罠にハマってくれるとは思わなかったぜ。”呪いの女”さんよ、あんたの本体である『呪いのビデオ』のデータは大手動画サイトのサーバーに確かにアップロードされたんだ。その点では俺は嘘をついていない。より容量が大きく、新しい規格に本体を移し替える性質を持つあんたからすれば、さぞ居心地がいい場所だろう? だがそのサイトに限らず、イマドキの動画サイトは不適切な内容の動画をAIで自動解析して排除する仕組みになっているんだ。人の目に全く触れることなく、あんたはAIによって自動的に非公開設定にされたんだよ。この意味がわかるか?」
「つまり――」先輩は残酷にもこう宣言した。
「『呪いのビデオ』はもう二度と人の目に触れることはない」
『ナ゛ン゛……タ゛ト゛……』
「おいおい、言ってるうちにアカウント凍結されちまったぜ。不適切動画を何度も公開しようとするからだ。こういうことを繰り返しているうちにあんたのアカウントは悪質ユーザーとして認定され、永久凍結されるだろう。永久凍結されたユーザーのアップロードした動画は、やがてサーバーの容量圧縮のタイミングで完全に消去される。そう、全部自動的なんだ。人の手は絡まず自動的が故に、確実に起こる未来なんだ。誰にも視られることはなく……あとはただ静かに、消えゆくのを待つだけだ」
『ア、アア゛ア゛……』
そして。
先輩は限りなく冷たい視線を画面に向けながら、とどめの言葉を突きつけた。
「消滅するまでに、せいぜい今まで殺した人々が味わってきた”死の恐怖”でも感じることだな」
『ウ゛アアアアアアア゛アアアアアアアアアアアアアアアアア゛!!!! コ゛ロ゛ス゛ウウウウ゛ウウウウウウウゥ!!! コ゛ロ゛ス゛ウウウウウウウウウ゛ウウウウウウウウウウウ!!!』
その瞬間――画面から白い手が伸びて来て、先輩の首に絡みついた。
まずい、最期の力で先輩だけでも道連れにしようとしてる!
ぼくが身構えると、先輩は不敵な笑みを浮かべて言った。
「無駄だ。”呪い”の本体は
『ウウ、ウウウウウ゛ウ……』
「わかったら、その惨めな姿をさっさと俺の前から消――」
「――先輩!!」
ぼくは先輩の言葉を遮った。
「もう、いいじゃないですか」
「……」
「その女の人、もう人は殺せないんですよね。そうなったらただ、可哀想なだけです。だからそれ以上はもう……」
「……そう、だな。すまない。頭に血がのぼった」
先輩の首にまとわりついていた白い手は薄ぼんやりと徐々に輪郭を失い……。
やがて霧となって、消えた。
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