7,3 呪いのビデオ HD-DVD・叙


 ぼくらは視聴覚室の鍵を閉め、外から入れないようにした。

 電気を消し、窓のカーテンを閉め、ブルーレイディスクをプレーヤーに挿入。

 プロジェクターでスクリーンに映像を投影する。


「再生するぞ」

「はい」


 ごくり。つばを飲み込む。

 先輩が再生ボタンを押すと、ジリジリとノイズまみれの白黒映像が映し出された。

 映像は今の16:9のアスペクト比ではなくて、4:3の古いアスペクト比だった。

 記録されていた光景には、見覚えがあった。

 夢の中で見た、あの部屋――手術室だ。

 手術台の上で両手足を拘束されている女性。それは夢の中でぼくに『ビデオを見ろ』と囁きかけてきた、白い服の女性だった。

 彼女は裸のまま何か喚き散らし、暴れていたが拘束を解くことはできない。

 手術台の周りを取り囲んでいたのは、白装束の集団だった。手術着なのだろうか、そろとも防護服なのだろうか。体型も顔も誰一人わからない人々。

 彼らは皆、奇妙な電子回路サーキットのような幾何学模様が描かれた仮面を身につけていている。その中心には大きな丸に縦線を引いたような図形が描かれていた。


「あの仮面は、ギリシャ文字の”Φファイ”か、それとも空集合を表す記号か?」


 先輩が呟いた。

 確かに、空集合の記号”∅”もあんな感じだったっけ。数学で習った気がする。

 ”Φの仮面”をつけた彼らは何かブツブツと日本語ではなさそうな言葉を呪文のように唱えて、各々が見慣れない器具を構え始めた。

 何をするんだろう、そう思った次の瞬間――。


『ぎあ゛あああああああ゛あああ゛あ゛ああああああああああ!! う゛ごっ゛っ、お゛ごあ゛ぁ゛あ!! っ゛がっがあああああ゛ぎああ゛!! ゔああ゛ぎゃ゛ばぁ゛あああああああ゛だ゛あああああ゛!!! や゛め゛っ゛ええええ゛あああ゛う゛うううう゛――!!!!』


 悲鳴。

 耳をつんざく。それが白い服の女が発したモノだと気づくのは、一瞬後になってからだった。

 それは”開腹かいふく”だった。

 そうとしか表現できなかった。

 およそ治療器具には見えない、いびつな形状をした刃物を用いて彼女の腹部は容赦なく切り裂かれた。

 目的は、拷問とも手術ともつかない、もしかしたら無目的なのかもしれない。

 映像からは感情的なものは何一つ読み取れない。

 ただ女性の痛みや苦しみだけが薄暗い手術室に満ちていた。


「うっ……」


 ぼくは吐き気を催し、口を手で覆った。

 その後に始まったのは――”解体’だった。

 白装束の人々、”Φの仮面”の彼らは医師なのか、拷問官なのか。

 それとも狂気に駆られた科学者なのか。

 無機質に、無感情に、淡々と、ただ作業的に、しかし同時に儀式的に内臓をえぐり出し、丁寧に切り分けて何か呪術的文様の描かれた壺に封入してゆく。

 一瞬、古代エジプトにおけるミイラの製造方法が頭をよぎった。そういえば、ファラオの亡骸を保存するために内臓を一つ一つ壺に入れたんだっけ?

 そんな今は無関係な知識を思い出さざるを得なかった。そうじゃなきゃ、目の前の光景に耐えられなかった。


『う゛あ゛あああああああ゛あああ゛あああああああ!!!! ごごっ゛、ごあ゛ぁ゛あ!!!!! がっががが゛ぎぐぐぐぐ゛!! ゔああ゛ぎゃ゛ばぁ゛あああああああ゛゛あああああ゛!!! ごろ゛ずうううううう゛う゛う゛うううう゛!! ごろ゛ず!! ごろ゛じでや゛る゛う゛うううぅ゛うう゛う゛!!!!』


 女の悲鳴は止まない。

 麻酔も何もされていないのだろう。だけどなぜか、これほど傷つけられているのに彼女は死ななかった。ただただ拘束されて動かせない手足をガタガタと動かしながら、周囲の人間への呪詛じゅそを口から振りまいていた。

 しかし白装束の人々は表情一つ変えず――仮面で覆われていて、変わる表情などもともとないのだけど――作業を続けてゆく。

 取り出した内臓の代わりに、水槽から取り出した”何か”に詰め替えてゆく。

 女性の体内に、”電子回路サーキット”のようでありつつも呪術的に入り組んでいるようにも見える不可思議な文様に覆われた、「内臓のようにも機械の部品のようにも見える何か」がどんどん組み込まれてゆく。

 なぜだろう。

 ぼくには一見意味のわからないこの拷問のような行為が――まるで”改造手術”のように思えた。


「”F.A.B.”だと……?」


 やがて先輩がそう呟いた。

 何を言っているのかわからなかったけど、よく画面を見ると確かに、白装束たちの服には小さく”F.A.B.”という印字があった。

 だけど聞いたことのない略語だ。ぼくにはその意味はわからなかった。

 何にせよ、ホラーやスプラッターを見慣れていてグロ耐性のあるぼくでもさすがに、こんなリアルなスナッフビデオを見続けると吐き気を催す。

 そう、スナッフビデオだ。これは精巧なスナッフビデオに違いない。

 人体を解体するような残虐な映像で、特殊な趣味の人達を喜ばせるための、下卑た映像作品なんだ……。

 思いたくない。信じたくない。嘘だ。作り物だ。偽物だ。


 これが実際にあったことだなんて――絶対に思いたくなかった。


「う、うぅ……」


 冷や汗が額に滲んでくる。寒気がしてきた。

 ぼくは薄暗闇の中で手探りに、先輩の手に上から手のひらを重ねた。

 意図を察してくれた先輩は、ぼくの手を握り返してくれた。

 それでわかった。先輩の手にもまた、汗が滲んでいたのだった。

 ああ――いつも冷静な先輩も平常心じゃ居られないんだ。同じ不安を感じているんだ。

 そう思うと、少しだけ気が楽になったような気がした。


 5分か10分くらいかもしれないし、1時間経ったのかもしれない。

 なんなら一生分くらいに感じた”改造手術”の映像は終わった。

 白装束の人々は去り、映像に写っているのは手術台と女性だけになった。

 ”手術痕ツギハギ”だらけになり、内臓を不気味な代替物に入れ替えられた異形の女性は、上から白い服を着せられて手術台の上に寝そべっていた。


『ア゛、アアア゛ァ゛……オ゛オオォ゛』


 そんな彼女は、悲鳴を上げ続け枯れ果てた喉からおぞましい声をあげて起き上がった。

 手術台から立ち上がり、一歩一歩、録画しているカメラに近づいてくるのだ。

 いや、一歩一歩という表現は間違いかもしれない。

 脚を動かしている様子がない。そもそも、脚に相当する器官はとっくに切除されていて、今彼女にあるのは甲殻類のような不気味な多関節の脚だ。

 とっくに人間ではない、彼女は”異形バケモノ”と化していた。


『コ゛ロ゛ス゛……コ゛ロ゛ス゛……コ゛ロ゛ス゛……コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛コ゛ロ゛ス゛』


 殺意だ。

 全ての人間への憎悪と復讐心。それだけがビリビリと伝わってくる。

 同じことを繰り返すだけの枯れ果てた声。

 そしてゆっくりと近づいてくる白い服の怪物。

 どこか、悪夢で見た光景に似ていた。

 まずい、殺される。

 ぼくはそう直感した。

 映像越しだけど、そんなの関係ない。


 あの女は画面から出てきて今からぼくらを殺す。

 そんな確信が確かにぼくの中に芽生えていた。


「せ、先輩……近づいてきちゃいますよ……もしかして、もしかしなくても! 画面の中から出てきちゃう系のヤツじゃないですか!」

「かもな。だったら存分に出てきてもらおうじゃねえか」

「えぇ!? そんな、ヤバいですって! 殺されちゃいます! ほら、コロスコロスって連呼してるしぃ!」

「その通り、コイツは俺たちを殺す気だ。いいや、できるだけ数多くの人間を殺し続けるつもりなのだろう。自らが受けた痛みを消えない恨みに、そして無差別の殺意に変換した。これが”呪い・・”の正体か」

「なぁに一人で納得してんですかぁー! ああ、もうカメラに手を触れて――」


 女なのか怪物なのかもはやわからないその存在がカメラのレンズに手を触れる。

 すると、プロジェクターが投影されたスクリーンからゆっくりと白い霧のようなものが立ち上り始めた。

 その霧が女の映像の正面に集まって、徐々に形をつくってゆく。


「う、うそ……ホントに出てきちゃうの、画面から……!?」

「そのようだ」

「先輩、逃げましょう!」


 画面の中の存在だった”白い女”は、いまにも画面の外に実体を持ち始めようとしていた。ホントにヤバいのがわかる。

 このまま女が出てきたら、ぼくたちは100%殺されちゃう!

 そんなぼくの危機感を尻目に、先輩は至極冷静に画面を見つめてこう断言した。


「逃げ場はない。さっき鍵を閉めて退路を塞いである。他の人間がビデオを見ないようにするためにな。俺たちがここで決着をつけるしかない」


 かくしてぼくと先輩と、『呪いのビデオ』から出てきた”白い女”との戦いが始まった。

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