7,2 呪いのビデオ HD-DVD・鋪


 その夜のことだった。

 『見たら死ぬ呪いのビデオ』のディスクは先輩の手に渡ったはず。

 なのに、ぼくはまた悪夢にうなされていた。

 暗闇の中。だけど前よりも少し闇が晴れて、薄ぼんやりと視界が開けた気がする。


『ミ゛ロ……ビデオヲ゛ミロ』


 ひたすら無機質に囁く声が、頭の中をグルグルと揺らした。

 上下左右もわからない空間の中を、女の囁き声が満たした。


『ビデオヲミ゛ロ゛……ビデオ゛ヲミ゛ロ……』


 その繰り返しだ。手足は拘束帯で縛られている。

 たぶん、固くて白いベッドの上に寝かされているんだと思う。

 ぼくには直感的に、そこが”手術台”のように思えた。


『ビデオ゛ヲミロ゛……ビデオヲ゛ミ゛ロ゛……』


 やがて視界が徐々に明るくなり、白いモヤのような何かが視え始めた。

 まだとても小さい、いいや、遠いのかな。それとぼんやりとしている。

 だけどなんとなく、白い服を着た女のシルエットのように見えた。


『ビデオ゛ヲミロ゛……ビデオヲ゛ミ゛ロ゛……』


 何かが視えても結局言うことは同じだ。

 壊れたラジオのようにガサガサした音声を繰り返し続けていた。

 いい加減同じ言葉を聞き続けることがストレスで――叫んだのは、夢の中のぼくか、それとも現実のぼくか。


「あーもう! 見たくてもHD-DVDなんて古い規格、イマドキ再生できるワケないじゃないですかぁー! 無茶ブリやめてください!」


 叫びながら起き上がると、すでに朝になっていた。

 体じゅうがびっしょりと濡れていて、シーツにシミができている。

 うぅ……おもらししたみたいで恥ずかしい……。


「さいあく……」


 愚痴りながら制服に着替えていると、スマホの着信音が鳴った。

 『遊星からの物体X』のサントラ。先輩からだ。

 電話に出るなり、先輩は突然意味不明なことを言った。


『届いているか?』

「え、何がですか?」

『郵便受けを確認してくれ』


 言われるがままに、ぼくは寝間着のまま郵便受けまで出ていった。

 すると透明なケースに入った、例の”ディスク”がそこにあった。


「ありました。どういうことですか? コレ、先輩が昨日持って帰ったんじゃ」

『寝て起きたら俺の部屋から無くなっていた。戸締まりはかなり用心したハズなんだがな。部屋に監視カメラを仕掛けて録画していたが侵入者の形跡はなかった。突如消えたとしか説明しようがない』

「そんな……」

『そうだ、ディスクを調べてくれ。ラベルの上に白い修正液で印がついていないか?』

「ええと……ありました。バツ印です」

『やはりな。俺が昨晩持ち帰ったモノと同一のようだ。念の為、印をつけておいたんだ。中身と外見が同じだけの別の”ディスク”にすり替わっているという説は否定された』

「もしかして先輩、それを検証するためにわざわざ持って帰ったんですか!?」

『重要なコトだからな。続きは今日の放課後に話そう』


 そしてその日の放課後になった。

 先輩は昨晩何をしたのか詳しく説明してくれた。


「まずはディスクの物理的破壊を試みた」

「割ったってことですか?」

「そうだ」

「えぇ……一応コレ、呪いのディスクなんですけど。呪いが怖くないんですか?」

「『割ったら呪われる』などとはどこにも書いていない。『見たら死ぬ呪いのビデオ』と書いてあるだけだ。見なければ害はないと考えていいだろう」

「で、結果は……」

「見てのとおりだ。破壊しても目を離すと元に戻っていた。最終的にはお前の家に勝手に戻っていたというわけだ。物理的破壊は効果がないということだ」


 先輩はさらりとそう言った。

 ぼくが昨日「危ないことはしないでくださいね」と釘を刺しておいたのに、この男ときたら……可愛い後輩の心配をなんだと思ってるんだ?

 イライラしかけたけれど、たぶん先輩の中では危険のうちにすら入らないということなのだろう。先輩はあくまで、「仮に呪いが存在したとしても、発動条件を満たしていない」と確信しているみたいだった。


「先輩は昨晩、悪夢を見たんですか?」

「いいや、全く」

「……ディスクが先輩の手に渡っても、悪夢を見るのはぼくだけ、ですか」


 ぼくは夜中に見た悪夢に、声の主であろう”白い女”が出てきたことを話した。

 「ふム」先輩は少し考え込んでから、言った。


「ここからは”呪い”などという非科学的なモノが実在すると仮定して考える。だとすると、呪いの対象はお前で間違いない。俺は効果対象外だ。昨日お前自身が言ったように、ディスク自体が意思を持ってお前に『見られたがっている』ようなふるまいをしていると言わざるを得ない。呪いの発動には、『見られること』が強く関わっていると考えて良さそうだな」


 オカルト否定派の先輩にしてはずいぶん飛躍した発想だった。

 だけどなんだか、その言葉はぼくにも腑に落ちた。

 先輩は続ける。


「もしも、以前の”呪い”の対象者が山﨑とその祖父だったとしたら。彼らも同じようにディスクに悪夢を見せられていた可能性がある。ディスクを手放そうとしても必ず戻ってきて、夜中にはその”白い女”とやらに『ビデオを見ろ』と何度も囁かれる。そんな状況に陥っていたとしたら――最終的には、ノイローゼになって中身を見てしまうかもしれないな」

「ぼくは亡くなった二人の追体験をしている……というコトですか?」

「二人どころじゃあないかもしれない。もっと前からこの『呪いのビデオ』は人を殺し、所有者を移してまた心臓発作で殺す。そんなことを繰り返してきたのかもしれない」

「ぼ、ぼくはどうすれば」

「一番は、ビデオを見ないことだ。ビデオを見せるために干渉してくるということは、『ビデオを見てほしい』という目的があるということだ。それこそが呪い殺すために必須の手順だと推測できる。逆に言えば、その目的を果たさせなければお前が死ぬことはない」

「確かに、確かにそうかもしれませんけど」


 先輩の言うことは、なんとなく正しいとぼくも思った。

 ”白い女”はディスクをターゲットに何度も送ったり、夢の中で「ビデオを見ろ」と囁く程度の力しかないんじゃないかと思う。

 ”呪い”の力の大半はディスクに記録された映像側にあって、それを視なければ呪殺は成功しない。したがって、中身を見ない限りぼくは死なずに済む。

 それがわかっていてもなお、もう耐えられそうになかった。ぼくは情けないことに、先輩の身体にすがりついていた。


「せんぱいぃ! あのディスク、何回捨てても帰ってきて、夢の中まで変な女が出てきて……そんな不気味な生活を死ぬまで過ごせっていうんですか!? 頭がおかしくなっちゃいそうですよ!」


 本当に、情けなくてひどい姿をしていたと思う。だけど冷静さを保てる状況じゃなかったんだ。

 人を殺せる呪いのビデオと一緒に生活しなきゃならないなんて。見なければ死なないってわかっていたとしても絶対に嫌だった。

 先輩はぼくのひどく醜いであろう表情をじっと見つめて、いつものように無機質な、だけどどこか柔らかな表情で言った。


「そうだな、すまない。簡単に言ってしまって」

「ぁ……っ」


 そこまできてやっと、ぼくは自分の言っていることがひどくワガママであることに気づいた。


「ご、ごめんなさい。ワガママばっかり言って。我慢すればいいだけの話なのに、先輩にばっかり頼っちゃって。巻き込んでるの、ぼくのほうですよね。下手すれば、先輩だって危険にまきこまれちゃうし――」

「そいつは違うな」


 先輩はぼくの言葉を遮り、はっきりと否定した。


「お前が俺を巻き込んだんじゃあない。この事件、俺は無関係ではないんだ」

「え、なんで……?」

「俺は山﨑の依頼を解いた。解いちまった・・・・・・。簡単な依頼だと思って、軽率にな。依頼文は平静を装っていたが、山﨑も既に例の声に囁かれていたんだろう。精神的に追い詰められ、ビデオを見なければならないという強迫観念にとらわれていた。最終的には俺の助言通りHD-DVDの再生機器を手に入れてしまい、その結果がコレだ。山﨑は呪殺され、次はお前に危険が迫っている。この状況は、俺が招いたことだ」

「そんな! 先輩のせいなんかじゃな――」

「――『危険に飛び込むなら二人で』だ。」


 まただ。先輩が昨日、「お前が言った」と引用した言葉。

 ぼくには言った覚えがない。先輩も「記憶違い」だと言っていた。

 なのになんでだろう。

 ぼくが言いそうな言葉だし、先輩は言いそうにない言葉だった。

 その言葉を先輩がぼくからの受け売りとして使うのは、確かにしっくり来た。だけど記憶にはない。この言葉は、いったい――。

 考え込んでいるうちに、先輩は顎に手を当ててこう結論を出した。


「あと一晩だけ我慢してくれ。検証したいことがある。明日――”呪い”に決着をつけよう」



   ☆   ☆   ☆



 その夜もまた、同じ悪夢を見た。

 知らない天井。視界は前よりも開けていて、そこが白く殺風景な部屋であることがわかった。

 ぼくが簡素な白いベッド、やっぱり手術台のような場所に手足を縛られ拘束されている。


『ビデオ゛ヲミロ゛……ビデオ゛ヲ゛ミロ……』


 暗闇の中から、白い服を着た長い黒髪の女が這い出てくるのが視えた。

 ゆっくりと、ゆっくりとこちらへ近づいてくるようだった。

 ぼんやりとした輪郭が、すこしずつはっきりしてくる。

 いや、逆だろうか。ぼくが近づいているのか?


『ビデオヲ゛ミ゛ロ゛……ビデオヲミロ゛……』


 壊れたビデオテープみたいに何度も同じことを繰り返している。

 違う言葉は何一つ言わない。もしかしたら、言えないのかもしれない。

 ディスクの中の映像が”呪い”の本体で、夢の中の声は干渉力が低いのだろう。

 だからこういうふうに一種類の言葉で惑わすことしかできない。

 最初こそ怖かったものの、先輩との考察の中で性質がわかってしまえば怖くなかった。むしろイライラし始めて、ぼくは、


「だから規格が古くて見られないんですってばぁー!!」


 と叫んだ。同時に夢から覚めて、ぼくはベッドから起き上がった。

 もう怖くなかった。いや、悪夢はもちろん怖いけど。

 先輩の予想通りにコトが運んでいたからだ。

 立ち上がり、小走りで郵便受けを見に行くとそこには、


「うわ、ホントに届いてる……」


 先輩の言う通りだった。逆に気味が悪いほどに。

 昨日の夕方、先輩は「俺の考えが正しければ、また翌朝お前のもとにディスクが届くはずだ」と言ってディスクを持って帰った。

 ここまでは昨日と同じ。

 だけど、この先も先輩の言う通りなら。希望はあるかもしれない。

 ぼくはケースの中からディスクを取り出し、裏返して日光に当てた。

 すると、読み取り面が青く・・きらめいたのだった。

 昨日までの銀色ではなく、煌めく新品の青さで。


「先輩の言う通りだ!」


 ぼくはいそいそと制服に着替えると、学園に向かった。

 今度はディスクを捨てたりしない。

 ”裏面が青く光るディスク”こそが『呪いのビデオ』に対抗する鍵になる。

 先輩はそう言っていた。

 ぼくは先輩を信じて、そのディスクを学園に持っていくことにしたのだった。



   ☆   ☆   ☆



「やはりな」


 先輩は言った。

 放課後、ぼくと先輩は学園内の視聴覚室に集合していた。

 視聴覚室って最近廃れてるらしいし、実際一般的な学生からしても馴染みのない部屋だけれど、カメラやビデオを扱うぼくのような人間にはありがたい場所だった。

 パソコンや映像機材がこれでもかというほど集められていて、業務用のお高いモノも揃っている。さすがに、HD−DVDのプレーヤーは無いけど。


「昨晩もとのディスク”HD-DVD”から手持ちの”Blu-ray Discブルーレイ・ディスク”にデータをコピーした。わざわざHD-DVD対応の外付けドライブをネットオークションで購入してな。そしてもとのディスクはといえば――」


 「この通りだ」と鞄から取り出したのは、ディスクの残骸だった。

 昨晩、先輩はぼくから再びディスクを預かると家のパソコンで中身の映像データをブルーレイディスクにコピーしたのだという。

 そして元のディスクはこうして残骸になっている。昨晩は、物理的に破壊してもすぐに元に戻っていたというのに。

 これが示すのは……。


「仮説は当たっていた。中のデータが同じならば、メディアを入れ替えることは可能だ。この『呪いのビデオ』の本体は、あくまで映像データそのものでディスクは入れ物に過ぎないようだ。一枚分だけでも映像データが残っていれば、その他は破壊しても戻ってきたりはしないということだ。だからこの残骸はお前のもとに戻らなかった」


 先輩はそう言うとHD-DVDだったディスクの残骸をゴミ箱に捨てた。


「コイツの処理は完了だ。通常、物理的破壊はできないが、『器を移し換えた後は前のディスクは抜けがらとなる』ことがわかった。そうなれば破壊できる。あとはブルーレイディスクのほうだが……」

「そうですよ、こっちのディスクがぼくの家に届いちゃったなら状況は変わりませんよ。いや、むしろうちのプレーヤーでも簡単に見られるようになったぶん危険は増したと思います!」

「そうだな、それが狙いだ」

「え……?」

「今からこのディスクを再生する。この視聴覚室の設備なら、HD-DVDは無理でもブルーレイディスクは再生できるからな」

「そ、そんな! この中身の映像って見たら死んじゃうんじゃ……!?」

「見なくても悪夢にうなされて、いずれは精神的にすり潰されるだろう。そうなる前に手を打つべきだ」

「うっ……」


 先輩の言う通りだ。

 毎晩あんな悪夢を見せられ続けたら精神にどんな悪影響を及ぼすか。

 今はまだ、夢の中の白い女は遠くにいるけれど。どんどん近づいている気がする。

 もしもアイツが間近にまで来たらぼくは……どうなるかわからない。


「先輩を、信じていいんですね?」


 ぼくが意を決してそう聞くと、先輩はケロリとして返した。


「いいや、世の中には必ず信じられるものなんて一つもない。俺の作戦でお前が助かる保証は全く無い。重要なのは、お前が何を信じるか・・・・・・・・・だ。不自由で不確かな世界の中で、それだけが唯一人間に選択できることだからな」


 「ただ」先輩は続けた。


「もしもビデオを見ることでお前が死ぬようなことがあったら、俺も一緒に死ぬだけだ。何故なら今からお前だけではなく、俺も一緒にビデオをみるんだからな」

「先輩……」

「俺も一緒に危険に飛び込む。お前だけに生命なんて懸けさせない」


 そうだ。最初からわかっていたことじゃないか。

 先輩の言葉にはいつだって嘘がない。誠実で、本気なんだ。

 だったらぼくも、それに応えるしかない。


「さあ、俺の作戦を・・・・・信じるか?」

「いいえ」


 ぼくは答えた。


先輩を・・・信じます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る