7,1 呪いのビデオ HD-DVD・承


 一ヶ月前に『呪いのビデオ』に関する依頼を送ってくれた山崎さんが亡くなった。

 死因は心臓発作、自室でひっそりと息を引き取っていたらしい。

 警察の発表では争った形跡など一切なく、事件性は皆無とのことだった。

 多少なりとも関わりを持った人の死には、さすがにぼくもショックを受けた。

 その日の謎解き活動は休みにして、ぼくは放課後すぐに帰宅した。

 先輩が何か心配そうに声をかけてくれていたけど、頭に入ってこなかった。


「はぁ……」


 アパートに着く。ため息が漏れた。

 お父さんを早くに亡くして母子家庭のぼくは、夜は一人で過ごすことが多い。

 お母さんが看護師で、時々夜勤になるからだ。

 べつに、慣れてるから怖いってワケじゃないけど。

 心細いなぁ、なんて思いながら郵便受けを開けた。

 そこには、


「え――?」


 透明のディスクケースが入っていた。

 中のディスクは黒いラベルに、赤い印字がなされている。

 タイトルには明らかに見覚えがあった。


『見たら死ぬ呪いのビデオ』


 一ヶ月前に山﨑さんに送り返したはずのディスクが、確かにぼくの手にあった。


「え、あ……なんで?」


 サーッと血の気が失せた。全身に鳥肌が立つ。

 震える手で、ディスクを手に取る。

 まさか、まさか、まさか。嫌な予感がする。

 今まで忘れていた、一ヶ月前の依頼の記憶が蘇る。


”先日、祖父が心臓発作で亡くなりました。その遺品整理をしていた時、奇妙なディスクを見つけたのです。真っ黒な円盤の表面には、赤文字でこう印刷されていました。『見たら死ぬ呪いのビデオ』と”


 依頼の手紙にはこう書かれていた。

 同じだ。同じ状況なんだ。

 山﨑さんの祖父が心臓発作で亡くなって、山﨑さんはディスクを手に入れた。

 今度は山﨑さん自身が心臓発作で亡くなって、ぼくのもとにディスクが――。


「うっ……うぐっ……」


 吐き気を必死にこらえながら、ディスクをひっつかんで走った。

 アパートの前のゴミ捨て場に投げ入れる。

 なんのゴミの日だったっけ? とか、分別しないと大家さんに怒られるるかも? なんて疑念がよぎったけど今は気にしてられない。

 そうしなきゃまずい・・・と思った。

 まずい、なにがまずいのか具体的にはわからないけど、直感的にかなりまずい状況だと感じていた。

 ぼくはそのまま自宅に駆け込むと、鍵をしっかりとかけてシャワーも夕食もすっとばして制服のまま布団に潜り込んだ。



   ☆   ☆   ☆



 その晩、夢を見た。

 悪夢だった。

 ぼくはどこか、暗闇の中で横たわっている。たぶん、ベッドの上だ。

 手足は抗束帯のようなモノで固く縛られていて、身動きが取れない。

 暗闇の中で、声だけが聞こえるんだ。

 女の人みたいな、枯れ果てて、しわがれた、それでいて平坦な。

 感情の籠もっていない声。

 壊れたラジオみたいに、同じフレーズばかりを繰り返していた。


『ヒ゛テ゛オ゛ヲ゛ミ゛ロ゛』


 って。遠くから、少しずつ、少しずつ近づいてくる。

 やがて声は耳元で囁くほどに近く――。



   ☆   ☆   ☆



「嫌ぁ――!!」


 目が覚める。ちゃんと知ってる天井のままだ。

 次の朝が来た。最悪の気分だった。

 鏡の前で顔を確認する。うぅ、やっぱりクマができてる。洗ってもとれはしない。

 ちゃんと睡眠はとったはずなのに。寝た気がしなかった。

 学園を休みたかったけど、夜勤から帰ったお母さんを心配させたくない。ぼくは髪を整え朝食を食べて家を出ようとする。

 その時、お母さんがぼくを呼び止めた。


「そうそう、さっき郵便受けにこんなのが届いてたわよ。あーちゃん、心当たりはない?」

「ぇ……!?」


 お母さんが持っていたのは、黒のラベルに赤い印字。


「ぁ――っ」


 『見たら死ぬ呪いのビデオ』に違いなかった。なんで? あれはぼくが確かに捨てたはずなのに!

 その時、脳裏によぎったのは昨夜の夢に出てきた女の声だった

 「ビデオヲミロ」、彼女は何度もそう繰り返した。

 このディスクの中身を見せたい、そういうコトなの?

 疑問は尽きない。だけど少なくとも、それが危険なモノであることは本能的にわかっていた。こんなモノをお母さんに持たせておくわけにはいかない。


「あ、ああ……それね。たぶんカメラ仲間から送られたヤツだと思う。もらっとくね」


 ぼくは平静を装いつつ、お母さんからディスクを奪い取ると「いってきまーす!」と逃げるように家を出た。

 ご丁寧に食パンを咥えた定番スタイルで、だ。

 だけどラブコメ漫画みたいに先輩とぶつかるなんてご都合イベントは起こらなかった。先輩だって神様じゃない。どんな時でもぼくを助けてくれるわけじゃない。

 自分でなんとかしよう。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 通学路の途中、川にさしかかるとぼくは思いっきり振りかぶってディスクをケースごと投げ捨てた。

 橋から身を乗り出して、ディスクが川に流されていくのを確認する。


「はぁ、はぁ……やった、コレで……」


 投げ捨てた後になって冷静になる。

 よく考えると、昨晩ゴミ箱に投げ捨てた姿が近隣住民の誰かに見られていたとすれば、不適切なゴミ捨てを咎められて郵便受けに戻されてた……なんてことだってあり得るじゃないか。

 捨てたはずのディスクが戻ってきたなんてオカルトチックな出来事だけど、現実的に解釈することだって現段階では可能。少なくとも、先輩ならそう推測すると思う。


「どっちにせよ、もう捨てちゃったんですけど……はぁ、はぁ……」


 ぼくの勘違いや思い過ごしだったにせよ、ディスクは確かに破棄した。

 また不法投棄だけど、今回は誰も見てないだろう。見ていたとしても、誰かに拾われることはまずないはず。人の手で回収することは不可能。

 ぼくだって不良じゃないんだからポイ捨てなんて本当はしたくないけどさ。こんな不気味な代物しろものはできるだけ遠ざけたいと思うのは普通だよね?

 いつも都市伝説フォークロアを追いかけて無茶なことばかりしてきたぼくだけど、今回ばかりはこれ以上関わるのはゴメンだった。

 これは二人分もの”死”に関わった案件だからだ。

 あのディスクが実際に関わっているのかなんてわからないし、証拠もないけど。人間の生命は重い。むやみに踏み込んじゃいけない領域だってあるから。

 先輩ならこう言うと思う「やめとけ、好奇心は猫を殺すぞ」って。


「……忘れよう」


 そう決めて学園へ向かい再び歩き出した。

 


   ☆   ☆   ☆



 「忘れよう」だなんて決意は、いとも簡単に打ち砕かれた。


「嘘、でしょ」


 いつものように学園に着いて、いつものように席に座った。

 いつものように教科書とノートを机の中に入れて、いつものように授業が始まると取り出す――いつもどおりのルーティーンに埋没しようとしていたその時だった。

 ぼくが教科書の代わりに手に持っていたのは、透明なケースに入った、黒いラベルのディスクだった。

 赤い印字の内容は『見たら死ぬ呪いのビデオ』。

 一字一句、山﨑さんのディスクと相違なかった。


「っ――!?」


 授業中に声を上げそうになるのを必死でこらえた。

 どうして? 川に投げ捨てたのに?

 ぼくの不法投棄を見かけた誰かが回収して机の中に入れた?

 いやいや、学園に来た時点では机の中は空っぽだったじゃん。

 ぼくが教科書を入れてから取り出すまでの間に誰かが机の中に滑り込ませた?

 できるわけがない。今日はまだ一度も離席してないんだ。

 だったら、最初から教科書に紛れてぼくの鞄に入っていたの?

 グルグルと多様な可能性を検討してしまう。授業は全く頭に入ってこなかった。

 なぜだか頭の中では、悪夢で聞いた例の声が反響していた。


『ヒ゛テ゛オ゛ヲ゛ミ゛ロ゛』


 『ビデオを見ろ』か。やっぱり、何か非現実的な意思の働きなのかな。

 謎は解けない。そうこうしているうちに、放課後になった。


「先輩、先輩、先輩……」


 ズキズキと頭が重い。

 ぼくはうわ言のように「先輩」と繰り返しつぶやきながら、図書準備室に向かっていた。最近は文化祭実行委員で忙しいから、来てないかもしれない。

 だけど今回は電話で呼び出してでも先輩の手を借りたい。

 迷惑かもしれない。

 でも今のぼくがすがれる相手は、彼しか思いつかなかったんだ。

 すがるようにドアノブを握り、準備室の扉を開いた。


「よう、遅かったな」


 ソファに寝そべってライトノベルを読む男子がそこにいた。

 白背景に巨乳ヒロインが描かれた、「いかにも」って感じの表紙だ。

 ああ、間違いなく彼は――。


「せ゛んぱぁーい゛!!」


 ソファに飛び乗った。半ば馬乗りのように抱きついてしまう。

 なんだか身体の緊張が一気にとけた感じで、「ぐえぇ」という先輩のうめき声を無視してぼくは一気にまくし立てた。


「ビデオを見ろって言われるんです! 呪いのビデオが! あのディスクだったんです! 赤い印字で、捨てても帰って来て、変な夢も見るし! 山﨑さんは川に捨てても帰ってくるし! もう怖くて、ワケわかんなくて、今日もずっと不安で、怖くて、これも先輩が巨乳ヒロインのラノベなんて読んでるからっ――嫌がらせですか、このキモオタ眼鏡!!」

「な、何いってんだよ。落ち着け、話がぐちゃぐちゃだし、なんなら後半は俺への罵倒にすりかわっているぞ。あと俺の制服で鼻をかむな。お前いちおう女子だろ。恥じらいを持ってくれ、頼む」

「だっでぇ゛~」

「……わかった。怖かったんだな。気の済むまでこうしてくれていいから」


 先輩は観念して、しばらくぼくの頭をなでてくれた。

 はたから見れば、駄々をこねる妹を慰める兄って感じの光景だっただろう。

 どれだけ時間がたったかわからないけれど、やがて冷静さを取り戻したぼくは先輩に馬乗りになって抱きついてる状況に気づいて顔を真っ赤にして飛び退いた。


「はひぃ……と、とんだ失礼をば」

「かまわない。それよりも状況を説明してくれ」


 先輩は何事もなかったかのように冷静に対応してくれた。

 時々冷たいとも感じるくらいのこの感情の平坦さが、今はとてもありがたい。

 ぼくは昨日から今日にかけての不気味な出来事を包み隠さず相談した。 


「ふム。山﨑の訃報ふほうからほどなくして、お前のもとへ例のディスクが届いた、と」

「そうなんです。2回も捨てようとしたのに戻ってきてしまって。夢の中で変な声が『ビデオを見ろ』って連呼してくるし……まるでビデオを強制的に見せたがっているように思えるんです」

「確かに妙だ。ちょっと見せてみろ」

「先輩、危ないですよ!」


 ぼくの制止も聞かず、先輩はディスクを奪い取った。

 ジロジロと光に当てて観察する。


「確かに一ヶ月前にみたものと同じに見える。一見いっけん、な」

「一見?」

「あのディスクはシンプルな外観だっただろう。黒いラベルに赤い印字。それだけだ。特徴は一致しているが、完全に同一だと断定はできない」

「と、いうと?」

「同じ外見のディスクが複数枚作られていた可能性がある。捨てても帰ってきたんじゃあなくて、何度もお前のもとに届いたのかもしれない」

「それって何か違いはあるんですか?」

「大ありだ。捨てても全く同一のディスクが帰ってくるならば、確かに人の手では至難の技だろう。超常的な何かの関与を考慮してもいい。しかし複数のディスクをお前の手元に何度も届けるくらいは人の手でも可能だ。常にお前を付け狙っていればな」


 言われてみれば確かに。

 川に捨てたモノが戻ってくるなんてオカルトだけど、似たモノを何度もぼくに届けてきていると考えればそれは……。


「誰かの嫌がらせ、という線もあり得るってコトだ」


 先輩はそう結論づけた。

 決して不可能ではないというのはわかった。けど――。


「だとしても、動機は何でしょうか?」

「現時点では不明だ。何にせよ身辺には気をつけたほうがいい。ストーカーの仕業という線も考慮して、しばらく登下校は俺がついていくことにする。いいな?」


 その提案を断る理由はなかった。

 先輩の言う通り、その日は先輩が家まで送ってくれた。

 家の前で別れる時、先輩がさらに一本指を立ててこう提案してくれた。


「そのディスク、俺に預からせてくれないか?」

「え?」

「調べたいことがある」


 先輩には、何か考えがあるみたいだった。

 ぼくは最初、素直にディスクを手渡そうとして――手が止まる。


「どうした?」

「……」


 思い出したんだ。以前にも、こういう事件コトがあった。

 『死神事件』。

 怪しげな依頼が原因で、ぼくが悪夢の世界に引き込まれた出来事だった。

 先輩は否定しているけど、あの時ぼくを助けてくれたのは先輩だった。

 彼自身の生命を危険に晒してまで。


「……せんぱい」

「なんだ?」

「危ないコト、やめてください。ぼくを助けるために危険に首突っ込むのは……ぜったいダメですから」

「お前は既に危険に晒されている可能性があるのにか?」

「それでも、です」

「だったら俺からも言わせてもらう。お前一人で抱え込むな」

「え……?」


 先輩の返答は意外なものだった。

 彼はぼくの手からディスクをスッと取り上げると、言った。


「一人じゃない。『危険に飛び込むなら二人で』だろ? お前が言ったんだぜ」

「? そんなコト言いましたっけ」

「……ああ、うっかりしてた。記憶違いだ」


 先輩が「記憶違い」なんて珍しい。

 なんて疑問に思う余地もなく、先輩は恥ずかしそうに頬をかきながら言った。


「とにかく、一人で突っ走ろうとすんな。俺がいる。ヤバそうなときは、ちゃんと頼ってくれよ。頼りないかもしれないが、俺だってお前の先輩・・の自覚はあるつもりだからな。頼むぜ、後輩」

「っ……はぃ」


 それ以上何も言えなかった。

 この時のぼくは、どんな顔をしていたんだろう。

 先輩の言葉に、ダメなのに、危険なのに、受け入れるべきじゃなかったのに、ぼくは――嬉しいって思っちゃったんだ。

 ああ。

 人の心って、謎かも。

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