6,2 学生間闘争 Engage・転
「今回の
現在は一勝一敗の五分と五分。
残り種目の紙は4枚あって、2枚がぼくが指定した種目、2枚が対戦相手の『卓上競技同好会』が指定した種目のはずだ。
今までの対戦では互いが指定した種目を落として、戦績がねじれてしまってはいるけれど、原則は紙に書いた側の種目に決まれば有利になるのがこの勝負。
ぼくは祈った――頼むからぼくが書いた種目を引いてください!
「テテテテン! 『チェス』~!」
某猫型ロボット風の声、しかも旧版の声優を意識したガラガラ声で東風谷会長が宣言した。三戦目はチェス。これは……。
「やれやれ、勝利の女神はぼくに味方するようだ。あるいは、キミがボクにとって勝利の女神なのかな、
笑みを浮かべていたのは『
確認するまでもなく、この種目は彼が指定したものらしい。
くじ運では上回られた。どうやって挽回しよう……。
そう考えているうちに、東風谷会長が指をパチリと鳴らすと殺風景な白い部屋の中央に机が現れた。床下からせり上がってきたらしい。無駄に手が込んでいる。
副会長が一度奥にひっこむと、どこからかチェス盤を持ってきた。机の上にのせて準備完了だ。さすがに学生議会、仕事が早い。
ぼくは一気に不利になった三戦目の作戦を考える暇も与えられず、席につかされてしまった。
「ふふっ、ついに直接対決だね。比良坂さん。キミと遊べるのを楽しみにしていたよ」
「それはどうも」
「つれないね。しかしそういう媚びないところもキミの魅力さ。ますますモノにしたいよ」
チェス盤を挟んで向かい合う。
前山田部長は爽やかイケメンスマイルで言った。
中性的な美しい顔立ちが今は癇に障る。
「先手はキミに譲ろう」
「いいんですか?」
「もちろん」
チェスは小さい頃にお父さんと遊んだことがあるから、ルールは知ってる。
その時教えてもらったっけ。チェスは統計的に先手有利だって。
ぼくはお父さんの打ち方を思い出す。
初手は――白のポーンをeの4へ。
前山田部長は「ほぅ」と息を吐いた「存外、全くの素人でもないらしい」。
彼は黒のポーンをeの5へ。互いのポーンがにらみ合う形になる。
ここは……右隣の白のポーンをfの4へ前進させる。お父さんがよく使っていた定石だ。
名前は確か――。
「”キングズ・ギャンビット”か。可憐な見た目に似合わず積極的なオープニングだね。それもまたギャップがあって素晴らしい」
前山田部長は感心したように呟いた。
☆ ☆ ☆
「勝てねェっすよ、比良坂サンは」
チェスの試合中に第三者が意見することはルール上許されない。
故に残りの三人は距離を取って試合を観戦していた。
『卓上競技同好会』の一年生部員、横尾は戦況を追いながらそう呟いた。
「でしょうね」学生議会副会長も同意した。
「あら、どうして?」
二人の男子の意見に唯一反論した観戦者は、学生議会長の東風谷だ。
「あの子、よくやっているわ。戦況は互角だと思うのだけれど」
「確かに比良坂サンは素人なりに頑張ってるっす。ですが……”キングズ・ギャンビット”は既に古い定石。最善手を打てば黒が有利になることは部長も承知の上っすよ」
「遊ばれていますね、比良坂さんは」
横尾と副会長の意見に東風谷も納得する。
「なるほど、相手を自由にコントロールできる実力差があると見せつけているのですね。目先の確実な勝ちだけではなく、相手の心を完全に屈服させるために。うふふ、前山田くんったら。わたくしの一番嫌いなタイプよ。控えめに申し上げてお排泄物野郎ですわね。おファックですわ」
東風谷は扇子を広げ、心底嬉しそうに言った。
横尾はさらに続ける。
「会長がくじでチェスを引いた時点で勝負は決まってたんすよ。ウチの部長にはジュニア全国大会で三連続優勝の実績がある。国内に太刀打ちできる高校生は存在しねェっす」
「性格最悪でも、さすがに我が校で部長格をやっているだけのことはある、ということですわね」
「その通り。やっぱりウチの部長は――」
☆ ☆ ☆
――強い。
否応なく、力の差を見せつけられていた。
圧倒されてるからじゃない。戦況は互角か、少し不利程度。
だけど全く追いつけないし、逆転なんてイメージすらできない。
戦いが無駄に引き伸ばされている。そうなるようにコントロールされている。
全部、前山田部長の手のひらの上で転がされている感覚だった。
こ、これがこの学園の部長格の実力……!
爽やかな笑みを崩さず、余裕を持って盤面を支配するなんて。
ここまで頑張ったけど、このままじゃ、ぼくと先輩の居場所が……。
奪われちゃう。
嫌だ……嫌だよ。
「先輩……!」
かっこ悪い。
ここまで必死で戦ったけど、最後には泣き言だ。
一人でも戦わなきゃって気を張ったけど、ここまで圧倒的な実力者を目の前にして、ぼくの心は完全に折れかけていた。
『学習性無力感』だ。前山田部長の手が、ぼくのあらゆる手を上回る度に精神が折られてゆくのを感じていた。
やがて戦況は明らかにぼくが不利になり、このまま押し切られる――。
その時だった。
「呼んだか?」
振り返る。聞き覚えのある声だった。
白の”エンゲージ・ルーム”その入り口の扉が開いていた。
そこに立っていたのは――。
「――先輩!!」
☆ ☆ ☆
「悪い、文化祭実行委員で遅れちまった。だいたい俺みたいな陰キャを学生の代表に選出するクラスの民主主義が間違っている。あれは衆愚政治の代表例だ」
漂っていた緊張感をぶちこわすような軽いノリでノコノコ歩いて近づいてくる先輩。
口ぶりはまったくぼくらのピンチをわかっていないようなふざけた雰囲気だった。
「せ、せんぱい! 大変なんです、この勝負で勝たないと図書準備室が! ぼくらの活動場所が無くなっちゃうんです!」
「事情はだいたいわかってる。後は俺に任せろ」
先輩がチェス盤のほうに近づいてくる。
「待つっす」
それを一人の男子学生が阻んだ。
ニット帽がトレードマークの一年、横尾くんだった。
ポーカーフェイスの彼が、今は明確な敵意を先輩に向けている。
「部長と比良坂サンは勝負の最中。割り込みは許されないっす」
「見たところあんたらは二人。俺たちも二人で勝負する権利はあると思うがな。それとも何か、あんたたち元『卓上競技同好会』は一年女子に二人がかりじゃなきゃ勝てないような雑魚の集まりか?」
さらりと先輩は挑発してみせた。
横尾くんはギロリと先輩を睨みつける。
「とにかくここは通せねぇっす」
「『通る』って言ったら?」
「オレに……『じゃんけん』で勝ってみせたら通ってもいいっすよ」
じゃんけん。
横尾くんは得意の心理戦ゲームを仕掛ける気だった。
「ふム」先輩は顎に手を当てて考えてから、すぐに学生議会副会長の方を見て言った。
「こいつの妨害はルールにのっとっているのか?」
その質問に副会長は即答する。
「等価交換です。あなたが途中からチェスの代理をするという要求を通したいならば、同好会側の要求も飲む必要があります」
「なるほど、結局はコイツの要求通り勝負してやって、勝てば通れるってことだな。シンプルだ」
先輩はうなずいて、横尾くんに向きなおる。
「いいぜ、勝負してやるよ。じゃんけん一回でいいんだな?」
「いいっすよ。この勝負――『オレはグーを出す』っす」
せ、宣言! じゃんけん開始前に出す手を宣言する戦術。
これは相手に読み合いを強いて、無理やり運ゲーを心理戦に変えるテクニックだ。
横尾くんは本気だ。先輩を得意分野に引き込もうとしている。
だけど先輩は全く動揺を見せず、さらりとこう返答した。
「そうか、だったら『俺はパーを出す』から俺の勝ちだな。
「なっ……」
あまりに先輩の返答がノータイムかつ自然だったからだろう。
どう反応すればいいのかわからず、横尾くんの身体が固まった。
先輩は悠々と彼の隣を通り抜けた。
「え、あ……オレの、負け……だと……?」
何が起こったのか理解できないという様子で立ち尽くす横尾くん。
ああ、横尾くんよ。ぼくはあなたに同情します。
そんな中途半端な心理戦じゃ、屁理屈の天才である先輩に勝てるわけなかったんだ。
ぼくには――いいや、この場にいる全員が理解できた。
「格が違う」
その言葉を口にしたのは、なんと前山田部長だった。
部長の声にハッと我に返った横尾くんは、取り乱した様子で弁解する。
「い、今のは……まだ、じゃんけんもしてねェっす! オレは負けてな――」
「キミの負けだ――横尾クン。言っただろ、格が違うって。
「……はい」
部長に諭された横尾くんはしゅんとしてうつむいた。
そうしているうちに先輩はぼくの席の後ろまでまで到着した。
「一勝一敗か。ずいぶん頑張ったな」
先輩のねぎらいに、ぼくは申し訳ない気持ちになる。
「でもぼく、このままじゃ負けてました。先輩が来てくれなかったら……」
「見たところ戦況はまだ負け確定ってほどではないようだが。先のことなんて誰にもわからない。ここで俺が交代しなくても、お前が勝っちまう未来もあり得ただろう?」
「先輩……」
「とはいえ、後輩に三戦全部任せっきりなんてのはさすがに年上として恥ずいからな。交代させてくれよ。俺の顔を立てると思って」
「……はい!」
ぼくは喜んで席を譲った。
先輩は横尾くんを瞬殺した。先輩なら、この
先輩が席について、前山田部長と向かい合う。
「白の番だったな。俺から勝負を再開していいか?」
先輩が聞くと、
「いいけど、その前にボクの要求を飲んでもらおうかな」
「要求?」
「等価交換だよ。キミが代理で勝負を引き継ぐなら、ボクの要求を飲んでもらう」
「あの横尾ってヤツのとあわせて要求が2つになると思うが?」
「考え方次第さ。比良坂さんの途中離脱とキミの途中参加、キミたちの要求も2つと捉えることができるだろう?」
「ひでぇ屁理屈だな。いいのかよ、学生議会」
「認めます」副会長が即答した。
先輩はしかめっ面でため息を吐き、
「だ、そうだ。不本意だが要求を聞こう」
「この勝負でボクが勝ったら図書準備室じゃなくて比良坂さんをもらえないかな?」
な、何いってんのあの人!
前山田先輩の突然のむちゃくちゃな要求にぼくは叫び出しそうになって副会長に止められた。もうぼくは観戦者の立場だ。二人の勝負に手出しはできない。
先輩は顔色を全く変えずに答える。
「なるほど、部員が1人増えればメンバーが3人になって同好会の要件を満たす。学生議会から部室を与えられるから、わざわざ図書準備室なんて使う必要がなくなるってワケか」
「その通りさ。個人的に比良坂さんに興味があるしね。彼女、ダイヤの原石さ。ボクの元で磨けばもっと輝くよ。キミのような泥沼ではなく、ね」
「随分な言い様だな。そもそもあいつはモノではないが……」
先輩はぼくのほうをチラリと見た。
ぼくはブンブン強く頷きながら無言で返事を送る。
「先輩、そんな変態キザ野郎ボコボコにしちゃってください!」なんて三下みたいなメッセージを受信したのかどうかはわからないけれど、先輩は前山田部長に向き直るとこう言った。
「いいだろう。要求を飲もう」
「ふふふ、後で後悔しても知らないよ。ボクにはジュニア全国大会優勝の実力がある。キミがいかに優れた頭脳を持っていようと、この盤面から逆転するのは不可能だ」
「随分自信があるようだが、一つ教えておいてやるよ。ありえないなんてことはありえない。この世界では、あらゆることが起こりうる」
先輩は白のキングを手にして言葉を続ける。
「ところであんた、『コードギアス』ってアニメを見たことはあるか?」
「……?」
突然の先輩のアニオタ発言に、「キングだと……?」前山田部長は首を傾げる。
「名作だぞ、見ておくべきだ。第一話で主人公の”ルルーシュ・ランペルージ”はチェスの代打ちとして初登場する」
「な、何を言っているんだ。勝負の最中に、ふざけているのかい?」
「いいや、真剣な話だ。ルルーシュが作中で見せた初手がコイツだ。曰く、『王様から動かないと部下がついてこないだろ?』ってな」
先輩は迷わず白のキングを前に出した。
この盤面では誰も想像しないような常識はずれの手だった。
今まで圧倒的に優勢を演じていた前山田部長が、見るからに混乱の表情を浮かべる。
「うふふふふふ! おハーブですわ!」
あまりの異常事態に、観戦していた東風谷会長も声を上げて爆笑していた。
副会長も、横尾くんも呆気にとられている。
そんな中で、先輩だけが至極真面目な表情でこう断言した。
「残念だったな。あんたの敗因は――『名作アニメを履修していなかったこと』になる」
ふふふ……バカじゃん。期待したぼくがバカだった。
この人、頭がイイだけのただのアニオタじゃないか。
ぼくは心の中で思った。
この勝負――ダメかもしれない。
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