6,3 学生間闘争 Engage・結


「あーちゃん。チェスはね、心で打つんだよ」

「? 100%技術わざじゃないの?」

「それもあるけど、それだけじゃないさ。もっと奥深いんだ」


 ぼくは小さな頃のことを思い出していた。

 お父さんにチェスを教えてもらっていたときの記憶。

 まだお父さんがいた頃の、懐かしい思い出。

 お父さんは言った。


「こうやって対局していると、嫌でも考えるんだ。『相手は何を考えてるんだろう?』って」

「うん。今でも考えてるよ、『お父さんは次にどう打つのかな』って」

「そうさ。僕だって『あーちゃんは何を考えているんだろう』って考えながら対局しているんだ。親子だって他人だ。全てがわかるわけじゃない。他人の考えはわからない。わからないから必死で考える。僕があーちゃんにチェスを教えたのは、それを知って欲しかったからなんだ」

「どういうこと?」

「盤上は一つの世界だけど、白と黒、2つの全く異なる勢力がある。それらがせめぎ合ったり、混ざり合ったり。人の関係も同じなんだよ。白と黒、全く別の考え方がぶつかりあう。必ずしも理解し合えない2つの考えが対立したり、共存したりして一つの世界が成り立っている」

「へー、そうなんだ。すごいね」


 ぼくはお父さんの小難しい話にはさして関心を持たず、厳しい一手を打ったっけ。


「おや、痛いところを。お父さん困っちゃったな」

「わたしが勝ったら今度一緒にお出かけしてね!」

「あはは、お仕事が休みの時にね」

「約束、絶対だよ!」


 忙しくてめったに遊びにつれていってくれないお父さんに、幼いぼくは必死で懇願した。

 そんなぼくをお父さんは優しい眼差しでじっと見つめる。


「この世界もチェスの盤上と同じ……ううん、それ以上に複雑で、謎に満ちている。他人とわかりあうとか、共に生きて行くのはとてもむずかしいことだ。だけど、それでも……あーちゃんは、やめないで欲しい。そうやって他人の気持ちを知ろうとすること。理解しようとすること。世界の謎を解こうとすることを」

「……お父さん……?」

「あーちゃん。僕はこう思うんだ」


 そして、お父さんはこう言ったんだ。


「本当の謎は――」




   ☆   ☆   ☆




「――チェックメイト」


 その宣言にハッと意識が現実に戻ってくる。

 あ、あれ? いつからだっけ。意識が過去に戻っていたような気がする。

 ぼくは焦って今の状況を再認識した。

 今は『卓上競技同好会』との学生間闘争エンゲージとの最中だった。

 三戦目は”チェス”。同好会部長の前山田先輩はチェスのジュニアチャンプ。勝てるはずのない戦いだった。

 案の定ぼくは追い詰められ、代理として先輩が途中参戦。

 その後は――どうなったんだっけ?


「……くっ」


 先輩が何か駒を動かして、前山田部長が何も言わずにうつむいていた。

 そっか。

 あまりにもあっけなく、拍子抜けするほどに状況を理解できた。


「先輩が、勝ったんだ」


 そう、あまりにあっさりと逆転したものだから、この場にいる全員があっけにとられていた。キングから前に出すという奇策で心を乱されたのか、優勢だったはずの前山田部長のリードは一瞬で無に帰したのだ。

 その後は先輩の一方的な蹂躙じゅうりんだった。


「三戦目、『チェス』は前山田君の敗北……つまり、今回の学生間闘争エンゲージは二勝一敗で比良坂さんたちの勝ちとなります」


 学生議会の副会長も、どこか歯切れの悪い様子でそう宣言した。

 こうしてぼくと先輩と元『卓上競技ボードゲーム同好会』との勝負はぼくらの勝ちということで幕を閉じたのだった。


「ブラボー! 楽しい勝負でしたわ、両者の健闘をたたえますわ~!」


 おそらくほぼ全員が微妙な空気に包まれていた中、学生議会長の東風谷こちや先輩だけが大喜びで拍手を始めた。

 今回の催しは彼女を満足させることができたようだ。


「そっか、ぼくたち、勝ったんだ。先輩、ぼくたち勝ったんですよ!」


 ぼくもやっと現実感が出てきて、先輩に駆け寄った。


「先輩のおかげです!」

「俺だけの力じゃあない。お前が一勝とって俺が来るまで粘ってくれたおかげだ」

「だったらぼくたち二人の勝利ですね!」

「だな」

「これで図書準備室も今まで通り使えますね!」


 勝利の喜びを分かち合うぼくたち。

 これからも”謎解き活動”はあの場所で続く。

 一件落着でめでたしめでたし――だったハズなんだけど。


「……認めねェっす」


 そこに異議を唱えた人物が一人、いた。

 『卓上競技同好会』の一年生男子、横尾くんだった。

 彼はぼくらを憎悪の眼差しで睨みつける。


「部長が……前山田部長がてめェなんかに負けるハズねェんすよ! 前山田部長は最強! いずれ頂点に立つ人なんすよ! 何か……何かあんたらが汚い手を使ったに違いねェっす!」

「そんな言いがかり!」

「比良坂サン、あんただってわかってるはずっすよ! 前山田部長の実力をその身で味わったあんたなら……優勢の状況からこんなにあっさり逆転されるハズねェって!」

「それは、そうだけど……」


 確かに横尾くんが言う通り、前山田部長ほどの実力者がこうもあっさり負けるのか? それは疑問ではある。

 とは言っても、相手は学園一の頭脳を持つ先輩だ。さっき横尾くんを瞬殺した実力からして、前山田部長に勝ってもおかしくはないんじゃないか?

 ううん……混乱してきた。

 怒り狂う横尾くんと混乱するぼくを尻目に、あくまで先輩は冷静な表情を崩さなかった。


「これは、勝負の内容とは関係のないただの独り言なんだがな」


 先輩はさらりと言った。


「1997年、『ディープ・ブルー』というスーパーコンピュータがチェスの世界チャンピオンに勝利した」

「え……?」

「現代のチェスAIの実力は人間を既に上回っているって話だ。世界チャンピオンだって負けるんだから、学生チャンピオンが負けたって別に恥ずかしい話じゃあないだろ」

「な、何を……言っている」


 横尾くんはいきなり放たれた先輩の不可解な言葉にさらに混乱していた。


「つ、つまりあんたは……この勝負に『AI』を使って勝ったってコトっすか……!?」

「そうは言っていない。俺はただ、コンピュータ・チェスの歴史を話しただけだ」

「実質的にイカサマを自白したも同然っすよ! 学生議会長、抗議します! コイツは部長との勝負でイカサマをしたっす!」


 横尾くんは大声で東風谷会長に直談判する。

 だけど東風谷会長は扇子で口元を隠し、ピシャリと反論した。


「あら、その男は自白などしていないわ。ただチェスAIは人間より強いと言っただけよ。もしもイカサマだと主張したいならば、横尾くん。あなたがそれを証明しなければ。それが我が校の”実力主義”よ、ご理解いただけて?」

「くっ……! し、身体検査だ!」


 横尾くんは先輩のポケットやカバンを調べ始める。

 「どうぞ、ご自由に」先輩も無抵抗に受け入れていた。

 ポケットからは財布と、チェスソフトなんて動かせそうにない古いガラケー。

 カバンからは教科書やノートすら出てこなくて、ラノベとか漫画が発見された。

 それだけだった。

 どれだけ横尾くんが念入りに捜索しても、先輩のイカサマの証拠なんて発見されなかった。


「くそっ、くそっ、なにか、なにか卑怯な手を……じゃなきゃ部長が負けるわけなんて……!」

「もういいよ、横尾クン」

「ぶ、部長……!」

「ボクらの負けだ。仮に彼がイカサマをしていたとしても、この衆人環視の環境で、証拠も残さずやってのけたんだとしたら……勝負師として、ボクらが完全に負けている。バレないイカサマは、イカサマじゃないんだ。そうだろう?」

「……部長が、そう言うなら」

「出直そう。部室も部員も失ったけれど、まだボクとキミがいるさ。部員を一人見つけて、もう一度同好会に昇格すればいい」

「……はいっす」


 暴走する横尾くんを最後に止めたのは、他でもない前山田部長だった。

 こうして、今度こそ学生間闘争エンゲージは決着した。

 ぼくと先輩の勝利だった。

 失意のもとに去る二人を見送る先輩の表情は――どこか複雑そうだった。


 どうして先輩は、そんな顔をするんだろう?

 せっかく勝ったのに。


 謎だ。先輩のその表情がひっかかって、しばらくぼくの心から離れなかった。




   ☆   ☆   ☆




 数日後、図書準備室を訪れたぼくを出迎えたのは前山田部長だった。


「やあ、お邪魔しているよ」

「ちょわっ!? ま、前山田部長!? またぼくらに嫌がらせしに来たんですか!?」

「しないよ、人聞きの悪い。ただ比良坂さん、キミと話したくてね」


 前山田部長は準備室の机に紅茶をおいて、「まあ座りたまえ」と促した。

 ぼくは素直に着席する。

 彼は優雅な動作で紅茶を飲み、話を始めた。


「あの後、部員の勧誘を再開したんだ。まだ見つかってないけれど、いずれ同好会には返り咲くつもりだよ。大事な後輩――横尾クンのためにもね。ボードゲームには場所が必要だ。これは先輩たるボクの責任だから」

「だからあんなに必死になってぼくらから部屋を奪おうとしていたんですね」

「一年生が練習できないのはかわいそうだからね。平凡な理由で失望したかい?」

「いいえ、むしろ見直しました。前山田部長、優しいんですね」

「……優しいのは、キミさ。そんな風に人を信じられるなんてね」


 前山田先輩は不可解なことを口走りつつ、紅茶をさらに一口飲んだ。


「え?」

「三戦目の『チェス』のことをあのあとずっと考えていたんだ。なぜボクは敗北したんだろうって」

「それはぼくも不思議でしたけど、勝った先輩自身が暗に言ってたじゃないですか。AIを使ったって」

「いいや、あの”エンゲージ・ルーム”で学生議会の監視下……イカサマは不可能だ。実際、横尾クンが身体検査しても何も発見されなかったじゃないか」

「それでも先輩なら不可能を可能にしそうですけど」

「イカサマを可能にした方法が問題なんじゃないよ。問題は、イカサマなんて最初から無かった・・・・・・・・ってコトさ」

「は……? いやいやそんなハズ――!」

「ボクも最初は認めたくなかったけどね、実際に戦ったボクの体感としてあの対局はAIを使ったモノじゃない。戦術がAIの最善手っぽくなかったしね。間違いなく、あの男が自力でボクに勝ったと思う」

「い、いやいや。嘘ですよね? だって前山田部長はチェスの学生チャンピオンで国内では敵なしって……」

「単純に、あの男の頭脳はそんな常識を簡単に壊せる領域にあるってコトさ」

「……」


 紅茶を飲む手が進まなくなった。

 沈黙。二人とも何も言わない。

 紅茶が、冷めた。


「チェスをやっているとね、ほんの少しだけど相手の心がわかるんだ」


 前山田部長は、そんなことを語り始めた。


「だけどあの男の心の中は――空っぽだったよ。完全な虚無。対局中もボクのことは眼中になくて、彼にとっては暇つぶしにすぎないって感じさ。もしかしたら、あの男にとっては生きること全てが死ぬまでの暇つぶしなのかもしれないね」


 そして、彼はこう結論付けた。


「キミもあの男とつきあっていくつもりならば、気をつけたほうがいい。あの男は――怪物バケモノだ」


 ぼくは。

 真実は、わからない。前山田先輩の言う通りなのかもしれない。

 だけど――。


「それは――違います」


 ぼくはこう断言していた。


「先輩が何者なのかは、ぼくにもわかりません。三ヶ月くらいのつきあいでしかないですし……実際に対局した前山田部長のほうが、わかることもあるのかもしれませんけど、それでも。先輩が実力で前山田先輩に勝ったのに、AIを利用したって嘘をついた理由があると思うんです」

「理由? どうせボクへの同情か何かだろう? チェスに自信を持っていたボクがチェスで真正面から負けるなんて屈辱だろうからって、同情ででまかせを言ったんだ。そういう所が……人間らしくない。人の心がわからない、あの男の怪物性なんだよ」

「本当に、そうなんでしょうか?」

「キミは、どう思うんだい?」

「たぶん実際に対局した前山田部長には、AIなんか使ってないってバレることは先輩なら予測できたんじゃないかと思うんです。先輩が騙そうとしたのはきっと――横尾くんです」

「なっ……」

「横尾くんは前山田部長を尊敬していた。ポーカーフェイスな彼があれほど感情剥き出しにするくらいに、部長が最強であることを疑わなかった。先輩が守りたかったのは前山田部長だけじゃなくて、横尾くんから部長への”信頼”だったんじゃないかと思うんです。実力ではなくイカサマで負けたと思えば、部長への信頼は守られますから。ああでもしないと横尾くんの心が耐えられなかったと思います」

「……なぜ、あの男がそんなことをする。横尾クンのことなんてあの時が初対面だろう。どこにそんな義理がある……?」

「義理とかじゃなくて、きっと同じだったからだと思います」

「同じ?」

「後輩の活動場所を守りたいって気持ち、です」

「……!」

「先輩はぼくのために戦ってくれました。部長、あなたと同じなんです」


 その言葉で、前山田部長もハッと気づいたみたいだった。


「ははっ、そうか……そうだったのか。想像もつかなかった。あの男にも、そんな人間的な感情があるなんて……」

「先輩のこと、何だと思ってるんですか?」

「マシーンみたいなヤツさ。ボクたち上級生は一年生の頃の彼を知っているからね。血も涙もない、完全なる虚無。ただ能力だけが常軌を逸している――少なくとも比良坂さん、キミ以外はそう思っているよ」

「案外、上級生の皆さんって人を見る目がないんですね!」


 ぼくは頬を膨らませて反論した。

 あはは、と前山田先輩も表情を和らげた。


「キミだよ」

「え?」

「キミがあの男を変えたんだ。きっと」

「そうですか?」

「そうだよ。キミはどうしてそんなに他人を信じられるんだい? あの空っぽの男の心すらも紐解こうとするモチベーション……興味があるね。できればご教授願いたいな」

「お父さんが言ってたんです」


 ぼくは先輩と部長の対局の時に思い出した言葉を今、自分で口にした。


「本当の謎は、人の心だ」


 って。

 前山田部長はその答えに満足したのか立ち上がる。


「いい答えだ。邪魔したね」

「いえ、また遊びに来てください。都市伝説フォークロア調査ならいつでも受け付けてますから、今度は依頼を持ってきてもらったら嬉しいです」

「あはは、困った時はぜひともお願いするよ」


 そう言って、彼はぼくに近づいてくる。


「それにボクとしても、キミ個人に対して惹かれるモノがあるし――ね」


 ゆっくりと顔を近づけてくる。

 え、え? これ、何? キス、されちゃう?

 美しい唇が今にもぼくの頬に触れそうになって、ぼくは――。


「だ、ダメです――!」


 むにゅん。

 を押しのけようとして、手を出した。

 ハズ、だった。むにゅん? 帰ってきたのは男の人の硬い感触じゃなくて。

 柔らかな肉の感触だった。


「はへ……?」


 ショートヘアに170くらいの身長、「ボク」っていう一人称。

 女好きという横尾くんの証言。それらの情報で勝手に男の人って決めつけてたけど。

 よく見ると中性的な美形の顔立ちに線の細いスタイル……この人は。もしかして。


「フラれちゃったか。残念だ」

「え、あ……えぇ……? 前山田部長、もしかして……?」

「ふふっ、どっちだろうね。ま、こっちの”謎解き”はボクの勝ちだったってコトだね。また会おう、比良坂ちゃん」


 先輩は唇の前に指を立てて、いたずらっぽくウインクした。

 そうして風のように優雅に図書準備室を去る。

 夏休み前の暑い日だった。ジリジリと窓から差し込む日差し。

 バクバクと高鳴る心臓。

 静かな部屋で一人ぼくは呟いた。


「やっぱり人の心は、謎だ」




   ΦOLKLORE: 6 ”学生間闘争 Engage”   END.

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