4,3 死神 Following・叙


「いいのかよ。これ、男女同衾だんじょどうきんって言うんじゃ……?」

「いいんです。今夜はお母さん夜勤でいないし、先輩はぼくのお願い聞いてくれるんですよね? だったらおとなしく添い寝してください」

「……わかった」


 ぼくと先輩は、シングルベッドで隣り合って寝そべっていた。

 ベッドからはみだしそうな先輩を見ていると、男の人の身体の大きさを否応でも意識させられる。

 たぶん……このままベッドに押し倒されたら抵抗できないかも。

 なんて考えて勝手にドキドキしてきたけど、同時に理性はこう訴えていた。「先輩がそんなことをするわけがない」「ていうかヘタレの先輩がそんなこと、できるわけないじゃん」。


「電気、消しますか?」

「ん、お前が安心するほうでいいぞ。ちなみに俺は完全に消す派だ」

「ぼくは豆球派です。じゃあお言葉に甘えて……」


 電気まで消してしまった。豆球独特の暖色で小さな光だけがうすぼんやりとぼくらを照らしていた。

 ここはぼくがお母さんと二人暮らしをしているアパートの一室。

 ぼくの部屋だ。少し散らかっているのは恥ずかしいけど、先輩が来たのは初めてだった。こんな形じゃなかったら良かったんだけど。

 先輩へのお願いは、「今夜眠るのが怖いので先輩が隣で一緒に寝て欲しい」というものだった。

 もしもぼくが本当に今晩死んでしまったら、先輩が第一発見者。つまり容疑者になってしまう可能性もある。そんな懸念はあったけど、それよりも――。

 先輩がそばにいれば、きっとなんとかなる――根拠はないけど、そんな気がしていた。

 それから何時間か先輩ととりとめもない話をして、このままずっと話していたいし眠りたくなかったけど、結局睡魔には勝てず。まぶたが落ちてくる頃合いになった。


「そろそろ……眠りますね。せんぱい、手……握っててくれませんか?」

「ああ、安心して熟睡するといい。大丈夫だ、お前は死なない」

「ありがと、せんぱい……」


 保健室で一眠りできたとは言っても、ここ二週間もの睡眠不足が祟った。

 先輩の手のぬくもりに触れて一気に身体の緊張が解け、意識ごとベッドに吸い込まれるようにすぅーっと眠りに落ちていった。



   ☆   ☆   ☆



 死神レースのルール4、「夢の中の疲労は、夢の中でしか回復しない」。

 夢の中で走り続けることは不可能だ。現実と同じように、どこかで休憩しなければならない。だけど休憩をとっていれば、疲労しない死神は着実に近づいてくる。

 いつか参加者は消耗しきって、”バトン”を渡さない限り死神につかまってしまう。


 たぶん、今がそのときなんだ。


 ぼくが夢に戻ったときには既に、死神が10m以内の距離まで近づいてきていた。

 死神は遅い。この距離ならば走れば逃げ切れる――普段ならそうだったけど、もう遅かった。疲労しきった夢の中のぼくは膝が震えて、走り出すことすらできなかった。

 ああ、ダメだ。第一の脱落者は――ぼくだ!


「せんぱい――!」

「呼んだか?」

「えっ!?」

「とにかく乗れ」


 前の夢の終わり際と同じだ。先輩の声がした。

 振り向くと、まだ夢だった。現実に戻ったわけじゃないらしい。

 無人のはずだった”鏡写しの新宿”に立っていたのは、先輩その人だった。

 しゃがんで背中を向け、「乗れ」とせかしてくる。

 ワケがわからない状況だったけど、もうすぐそこに死神が迫っていた。考えている暇はない。死ぬくらいならたとえ罠だとしても飛び込んでやる!

 そんな気持ちで突然現れた先輩(?)の背中に飛び乗った。


「俺はまだ体力が残っている。とにかくあの死神から逃げるぞ」


 先輩はぼくを背負って走り出した。

 は、速い。さすがに人一人背負えば普通に走るより遅くなるけれど、死神から距離をとるには十分だった。


「先輩……本当に先輩ですか? どうしてぼくの夢の中に?」

「どうしてって、ここはお前の夢の中なんだろ? 夢の中じゃあ、何が起こってもおかしくはない。そもそも夢とは脳が記憶を整理する過程で起こる心理現象だ。知り合いが出現することなど珍しくはないし、むしろ自然だろう」

「つまり先輩は本物の先輩じゃないってことですか? ぼくの脳が作り出した幻?」

「夢の中の登場人物を”本物”と定義するかはお前次第だ」

「ワケわかんないですよ!」

「本物だとか本物じゃないとか、議論するだけ意味がないということだ。それを考え始めると、”現実”の世界でお前の隣にいるはずの”先輩おれ”はそもそも本物なのか? という問題すら生じる。世の中には、本物らしい本物などそもそも存在しない。重要なのは、お前が何を信じるかだ」

「その屁理屈、間違いなく本物の先輩です!」


 夢の中に突然現れた先輩。

 今まで”死神レース”の中に他人が登場することはなかった。

 どうして今更?

 現実世界で手をつないで眠ったから、夢が混線した?

 わからないことだらけだけど、先輩に助けられたことで今回は難を逃れたというのは確かだった。


「ありがとうございます、先輩」

「はぁ、はぁ……つ、疲れた……慣れないことはするもんじゃあないな」

「ごめんなさい。重いですよね」

「い、いや。お前は重くないしむしろ軽すぎる。もっとちゃんと飯は食っとけ。疲れたのは俺の体力不足が原因だ。スポーツってヤツはどうも苦手だからな。オタクって生き物はみんなそんなもんだ」


 死神からかなり離れたところで先輩はぼくをおろし、休憩をとった。


「さて、とりあえず歩きながらこれからどうするかを考えよう。死神のほうが俺たちの徒歩より少し速いが、距離があるぶんそうそう追いつかれることはない」


 ぼくらは歩きながら今後のことを話し合った。


「『どうするかを考える』って、逃げ続ける以外の選択肢はないんじゃないですか?」

「それではいずれジリ貧になる。お前は嫌がっていたが”バトン”を使わなければならない時が必ず来るだろうな」

「それは嫌です!」

「そういうと思った。だから別の解決策を考えるしかない」

「別の……解決策……そんなもの、あるんですか?」

「バトンに書かれていた死神レースのルールには、『二人の人間が一つの夢に登場する』パターンはなかった。そしてルール2『ルール2:死神は一人の夢に一体存在する』。これが突破口になる」

「突破口?」

「ほら、噂話をすれば――おいでなすったぞ」


 先輩が一瞥した進行方向に目を向けると、遠くから小さな影が見えてきた。

 黒いモヤに覆われたそれは、遠目でもわかる――死神だ!


「え、回り込まれた!? いつの間に!?」


 さっきの死神とは逆方向のハズ。振り返ると、なぜか後方から迫る死神が見えた。

 死神が二体!?

 さっきからたいがい理解不能だったけれど、さらに混乱が深まった。

 先輩はぼくの肩に優しく手を触れて言った。


「いいか、後方のはお前の死神。前方のは俺の死神。死神は一人に対して一体というルール2の通りだ」

「先輩はこの状況を予測していたっていうんですか!?」

「さあな。なんにせよこれが唯一のチャンスだ。この不毛な持久走のルール自体をぶち壊す。死神に死神をぶつけんだよ」

「――はぁ!?」


 耳を疑うような提案だった。だけどもう状況は切羽詰まっている。

 まさに『前門の虎、後門の狼』。

 ここは先輩の作戦を聞くしか無い。


「わかりました、話してください」

「簡単なことだ。前方の死神は俺を追いかける。後方の死神はお前を追いかける。この2つを誘導して死神同士で接触させる」

「うまくいけば、同士討ちになるかも……けど」


 とても正気とは思えない作戦だ。

 だけど、なぜだかぼくは心が踊っていた。ワクワクしていたんだ。


「成功するって根拠はないんですよね、先輩」

「ああ、俺たちは神様じゃあない。未来のことなんて誰にもわからない」

「真実よりも、何を信じるかが大切だ。先輩ならそう言うんでしょうね」

「そうだな、お前は何を信じる?」


 ぼくは一瞬うつむいて、すぐに顔をあげる。

 もう迷いはなかった。何を信じるかは、決まっているから。


「先輩を信じます!」


 こうしてぼくらの『前門の虎、後門の狼作戦(命名、先輩)』が実行された。

 わざとゆっくり歩いて、ぼくと先輩はお互い自分を狙ってくる死神を誘導する。

 死神は、追跡対象の背後を一定速度で追いかけてくるだけだ。

 だから誘導は思っていたより簡単だった。

 死神に捕まる直前まで引き付けて、ぼくと先輩が交差した瞬間に左右に逃げれば一定速度で進む死神は急には曲がれずに衝突するハズ――!


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 ぼくの背後を死神が追ってくる。

 近づいてくる。ガリガリの男の顔は無表情で、ギョロリとしたまぶたのない虚ろな眼球がどこまでも不気味だった。

 正面からは、先輩をもう一体の死神が追ってくる姿が見えた。

 もうすぐぼくと先輩が正面から交差する。

 どちらが叫んだかはもうわからない。たぶんぼくらは同時に、


「「いまだ――!」」


 二人が同時に、死神に背中を触られそうなほどギリギリの近距離までひきつけた状態で左右に別れた。

 その瞬間、黒いモヤとモヤが衝突する。

 ムクムクと爆発的に黒いモヤが広がり、ボコボコと膨張して大きな塊になる。


「せ、せんぱい、なんかコレ……!」

「ああ、作戦は――」


 先輩が何かを言い終わる前に、膨張する黒いモヤの塊が一瞬静止したかと思うと。

 次の瞬間、音もなく弾け飛んだ。



   ☆   ☆   ☆



「……はっ!」


 目が覚めた。知ってる天井だった。

 窓から朝日が差し込んできていた。もう朝だった。


「せんぱっ、せんぱいは……!?」


 眠る瞬間までぼくの隣にいたはずの先輩。

 だけど今はいなくなっていて、ぼくはベッドの上で一人だった。


「そんな、先輩……先輩……!」


 目に涙が浮かんでくる。まさか、と思ってしまう。

 先輩は、ぼくを助けるために犠牲になったんじゃ?

 あの時、先輩は逃げるふりをして死神に捕まったんじゃ?

 そんな最悪の想定ばかりが頭に浮かんできた。 

 だってルール7の通りならば、誰か一人が捕まれば全ての参加者の悪夢は終わるのだから。


「呼んだか?」


 そんな予想に反して、普通に先輩の返事が耳に飛び込んできた。

 部屋の外からギィっとドアをあけて、エプロン姿の先輩が何食わぬ顔で入ってくる。


「せ、先輩!?」

「なんだよ、幽霊でも見たような顔しやがって」

「どこに行ってたんですか!?」

「朝メシの準備だよ、悪いが冷蔵庫勝手に開けたし、キッチンも使わせてもらった。ほらよ」


 先輩は机にコトンと茶碗をおいた。

 たまご粥だった。

 無駄に美味しそうだった。


「ぼくより料理上手なのが腹立つ――じゃなくて! 先輩、夢は! 死神はどうなったんですか!?」

「死神? ああ、昨日言ってたことか。結局、お前はぐっすり眠ってちゃんと起きることとができたじゃないか。よかったな、なにもなくて・・・・・・

「え……先輩が、助けてくれたんじゃ……」

「助けるも何も、俺は普通にお前の隣で寝ていただけだ。結局のところ、死神レースなんてものは全部気のせいだったんだろう。集団パニックってヤツだ」


 先輩は優雅にモーニングコーヒーを啜った。

 それ以上何も説明はなかった。

 じゃ、じゃあ夢で出てきた先輩は、やっぱりただの幻だったってこと?

 何もかもがわからない。けれど、なんとか今回の危機は脱出できた。そんな気がする。

 事実だけに目を向ければ、結局ぼくも先輩も無事に済んだんだし。

 だから何もわからなくても、今は――目を閉じて、口を開けてみたりなんかしちゃって。


「あーん」

「は? なんだよその顔」

「んー♡」

「え、マジで何? お前その顔……『あーんして』ってコトか?」


 コクコク、ぼくはうなずく。


「ついでにぼく猫舌なのでフーフーしてほしいでーす♡」

「体調悪いからって調子にのんなよマジで……」


 先輩は額にピキピキと青筋をたてながら、半ギレ気味にお粥をフーフーして食べさせてくれたのだった。

 食べ終えた後、先輩は机の上にぼくのスマホを置いた。


「そうだ、昨日からお前のスマホを借りっぱなしだったよな。返すよ。それと、さっきメールが届いていたぞ。おかげで返し忘れたことに気づけた」


 先輩から返却されたスマホを手に取る。

 見ると、結崎ゆいざきさんのアドレスからメールが届いていた。


『アンタの心の中には、アンタを護ってくれる存在がいたんだね。おめでとう。それと、ごめんなさい』


 その日からぼくは、死神に追いかけられる悪夢を視ることはなくなった。

 ”死神デスレース”は幕を閉じたのだった。




   ΦOLKLORE: 4 ”死神 Following”   END...?

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