4,2 死神 Following・鋪


 学内での聞き込み調査の結果、結崎ゆいざきさんは二週間ほど学園を休んでいるみたいだった。


「二週間か。ちょうど依頼のメールが届いた時期と一致するな」

「学園には体調不良と報告しているみたいですけど、彼女が心療内科に行っていたという目撃証言もあります。心身のバランスを崩したんじゃないでしょうか」

「お前と同じく、悪夢が原因で不調をきたした可能性が高い。やはり結崎がメールの差出人で間違いないだろうな」


 ぼくらはさっそく彼女の自宅へ向かっていた。

 先輩は意気込んでついていくぼくを一瞥すると、


「お前は家に帰って休んでりゃよかったのに」

「そういうワケにはいきません! ぼくが当事者なんだから。それにまとまった睡眠もとれたので、今は体力も戻ってます!」

「くれぐれも無理はするな。結崎への聞き取り調査は俺に任せておけ」


 先輩はそう念押ししつつ、結崎家のインターフォンのボタンを押していた。

 少し待つと、彼女の母親らしき女性が玄関から顔を出す。

 初対面だけどわかる。随分やつれていた。

 ぼくらは顔を見合わせると、予め用意していた「結崎さんのクラスメイトです。お見舞いがてら、プリントを届けに来ました」というでっち上げの理由を口にする。すんなりと彼女の部屋の前まで通してもらえたのだった。

 彼女の母親によると、


「二週間ほど前からだったかしら。娘が眠らなくなったの。『寝たら捕まる』『寝たら捕まる』ってブツブツ呟いて……部屋から出てこなくなってしまって。ご飯も食べられなくなってきて……私も、娘を病院に連れて行ったんだけども、処方された睡眠薬を全然飲んでくれなくて……。娘はいつも明るくて、イジメられてるって話は聞いたことがないし……全然そういう子じゃなかったのに、どうして……」


 とのことだった。

 結崎母の顔を見て、最初はギョっとしてしまった。もしかしたら母親まであの夢を? だなんて考えかけたけれど、それは杞憂だったらしい。

 娘の豹変に対応できず、精神的に疲弊しているだけのようだった。

 先輩は過度に優しくも、突き放すような厳しさも見せずあくまでニュートラルな表情と声色を崩さずに言った。


「とにかく娘さんと話してみます。もしかしたらデリケートな部分に踏み込むかもしれませんから、お母さんは席を外していただけませんか?」


 娘が心配な結崎母は素直に従って、奥へと引っ込んでいった。

 さて、ここからが本番だ。

 先輩はコンコンコンと結崎さんの部屋の扉を3回ノックする。


「結崎さん、中にいるんだろ? 俺たちはあんたと同じ学園から来た。例の”バトン”を受け取った者――と言えばわかるだろ? 話を聞かせてくれないか?」

「話すことなんて無い!」


 扉がビリビリと震えた。

 悲壮な金切り声だ。ぼくらを拒絶しているのは明白だった。


「アタシは死にたくない、死にたくなかったの! そうよ、アタシは悪くない! 誰だって自分が大事でしょう!? 生き残るために”バトン”を渡した、それだけ! アタシだけじゃないじゃん、みんなそうやってるから――!!」


 一人、大声でまくしたてる結崎さんの声。

 やがて疲れたのか「はぁ、はぁ」と息切れし始める。

 先輩はそれまで、無表情でただ彼女の叫びを聞いていた。

 「言いたいことはそれで終わりだな」先輩はため息をついてから、落ち着いた声で話しかける。


「結崎さん。勘違いされては困るが、俺たちはあんたを責めたいわけじゃあない。ただ調査しに来ただけだ。あんたのメールを契機に俺の後輩が変な夢を視るようになった。どうやらあんたも同じ夢を視ているようだ。死神に追われる”悪夢ゆめ”を」


 しばしの沈黙。

 やがて扉越しに、結崎さんの震える声が返ってくる。


「そうよ、あの夢は本物。死神に追いつかれた人間は、本当に魂を持っていかれる・・・・・・・

「魂を持っていかれるとは、現実に死ぬことを意味するのか?」

「ええ」

「なぜそう言い切れる? 根拠はあるのか? あんたは、その夢が原因で死んだ人間を実際に知っているのか?」

「知らないけど、全部ルール通りだから。きっとゴールも、ルール通り」

「ルール? ルールとはなんだ。結崎、あんたは何を知っている?」

「……あんたたち、何も知らないのね。死神デスレースのルールは”バトン”に全部書いてあったじゃない。読んでないの?」

「は……?」

「あの添付ファイル、あれを開くことが参加条件になってたはずでしょ」

「何……?」


 先輩とぼくはそこで顔を見合わせる。

 ハッと気づいた。依頼メールには”バトン.φpeg4”というファイルが添付されていた。だけど破損していて、中身は見られなかった。

 ぼくはいろんなソフトでそのファイルの中身を見ようと試みたけれど、失敗した。ファイル自体が破損していたのか、転送のミスなのか、今ではわからないけれど。


「本来は……”バトン”の中身にルールが書いてあった、そういうことなんですね!」


 ぼくの言葉に、結崎さんは「さっきからそう言ってるでしょ」とそっけなく返した。

 ぼくはしつこく食い下がる。


「あなたから受け取った添付ファイルは破損していたんです。だからぼくはファイルを開きはしたけれど、中に何が書かれているかまでは確認できませんでした」

「そう、ご愁傷さま。けどアタシは関係ない。アンタを助けられるのは、アンタだけでしょ。みんなそうやってる」

「そいつは違うな――」


 先輩が口を挟んだ。


「結崎、あんたは添付ファイルに細工をした。ファイルを開けるが、ルールは読めない……そういう仕掛けにして、こいつを死神デスレースとやらに、情報不足という不利な状態で参加させた。違うか?」

「ち、違うわよ! ゲスな勘ぐりしないで!」

「口では何とでも言える。少なくとも、俺の後輩はお前の不手際で窮地に追い込まれているというのはわかっている。俺たちの視点では、お前は悪意を持って他人を陥れているとしか考えられない。それが事実だ。ゲスはどっちだ、結崎?」

「っ……」


 結崎さんを追い詰めるような言葉をかける先輩。

 その目は冷たかった。

 彼女に対して一切の同情を感じていないのがわかった。


「悪意を持ってファイルを破損させたという疑いを晴らしたいのならば、もう一度”バトン”のファイルを送ってくれ。送信元のあんたのスマホには、破損していないファイルが保存されているはずだ」

「……無理。バトンは同じ人間が2回送ることはできない。たとえ破損していたとしても、死神レースは始まったんでしょ? だったらアタシのバトンは有効だったってコトよ。ルールを破ったらアタシだってどうなるか――」

「ファイルを送るだけだ。いいからやれ。もともとはあんたの不手際だろう。今更自分だけが無事でいられると思っているのか?」


 先輩はどこまでも冷たく、無感情な声で吐き捨てた。


「言っておくが、仮に俺の後輩がこのくだらない死神レースが原因でこれ以上の危害を被った場合――俺は結崎、あんたを”犯人”と見なす。犯罪として立件はできないだろうが、あらゆる手段を講じてあんたを追い詰める。この意味がわかるな?」

「せ、せんぱい……それじゃ脅迫に……」


 先輩は手の合図でぼくの忠告を遮った。

 どこまでも真剣な様子だった。ぼくはそれ以上先輩に何も言えなかった。

 また、しばしの沈黙。先輩はそれ以上何も言わない。

 ただじっと待った。

 結崎さんは迷ったのだろう。数十分経ったかのように思えた長い沈黙が、やっと破られた。


 ヴヴヴヴヴヴヴヴ! 先輩のポケットでバイブレーションが鳴った。

 ぼくが先輩にさっき貸したスマホにメールが届いたのだ。

 結崎さんからだった。先輩は迷わず添付ファイルを開こうとする。


「せ、先輩! 危ないんじゃ……先輩も死神レースに巻き込まれたり……」

「結崎の言葉が正しければ、同じ人間はバトンを2度送れない。結崎から送られた”バトン”は既に無効だろう」

「だけど……先輩になにかあったら」


 先輩が心配なあまり、たぶん情けない顔で彼を見上げていたのだろう。

 先輩は困惑して、折れた。


「わかった。中身を確認してくれ」


 ぼくは先輩が手に持った(貸してるだけで一応ぼくの)スマホの画面を覗き込んだ。

 ”バトン.jpeg”は画像ファイルだった。拡張子も、ぼくに届いたのとは違っていた。やっぱりあれは何か不具合があったらしい。

 画像は何かよくわからない呪術的な紋様と、そして文章。ぼくはそれを読み上げた。



   ☆   ☆   ☆



 死神デスレース 参加要項


 ルール1:”バトン”を受け取った方はその日以降、睡眠時に必ず『死神に追われる夢』を見るようになります。このルールはレース終了まで永続します。

 ルール2:死神は一人の夢に一体存在します。”死神”の速度は一定であり、人間が走る速度より遅いですが、歩く速度より速いです。死神に追いつかれると魂を持っていかれ、現実でも死んでしまいます。

 ルール3:死神と対象者との距離関係は一度目覚めて再度就寝しても保存されます。後に説明するルール5”バトン”を使えば、一度きりですが距離関係をリセットすることができます。

 ルール4:参加者は夢の中でも疲労します。夢の中の疲労度は現実で休息をとっても回復せず、夢の中でのみ回復することができます。後に説明するルール5”バトン”を使えば、一度きりですが疲労度をリセットすることができます。

 ルール5:死神レース参加者は、一度きりですが死神レース未参加の人間に”バトン”を送ることができます。条件は”バトン.jpeg”を添付したメールを未参加者に送り、受け取った人が添付ファイルを開くことです。

 ルール6:あなたが”バトン”を送った人間が、さらに別の人間に送った場合も、あなたがルール3及びルール4の恩恵(距離リセット、疲労回復)を受けることができます。先に参加していた人が不利にならないための救済措置です。

 ルール7:死神がレース参加者に一人でも追いつき、魂を捕獲した時点で死神レースは終了となります。全ての参加者のルール1が終了し、夢から解放されます。



   ☆   ☆   ☆



「つまり――」


 これらのルールを全て聞いた先輩はこう総括した。


「この死神レースは、脱落者一名が死ぬまで続く持久走ってことかよ。参加者が使える一度きりの延命措置が”バトン”。特定の添付ファイルと共にメールを送ることで死神に追いつかれそうな状況をリセットできるが、他人を死の危険に巻き込むことになる」

「やっとわかった? アタシも”バトン”を受け取ったの。彼氏からね。信じてたのに……アイツ、自分が助かりたいからって……恋人の生命を差し出すなんて……!」


 結崎さんは扉越しに苛立った様子でブツブツと呟いていた。

 「ふム」先輩は息を吐き、


「ねずみ算式とまではいかないが、すでに少なくなさそうな数の参加者が既に存在する可能性がある。一度バトンを渡せば、さらにバトンを引き継ぐ人間が出てくる度に……参加者が増える度に、先の参加者が延命できる仕組みになっているからな。しかしこんな大掛かりな仕組みで得られるのが魂一つでは、死神側のコスパが悪すぎる。努力すれば逃げられる範囲に抑えられている死神の移動速度といい、ここから考えられる結論は――」


 「この”死神デスレース”は――人間一人を殺すためではなく不特定多数の人間をただ苦しめるために行われている。極めて悪趣味な催しだってことだ」こう先輩は結論付けた。


「え……?」


 耳を疑うような話に思わず聞き返すと、先輩はさらりと説明を続ける。


「恋人に裏切られ死神に追われることとなった結崎だが、やがて死神との距離が縮まりリタイアしそうな状況まで追い込まれた。自分も誰かにバトンを渡さなければ脱落者となってしまう。だが、このルールでは全くの他人にバトンを渡すのはハードルが高いんだよ。何故かわかるか?」

「えっと……怪しいメールの添付ファイルを開く人なんてめったにいないから、ですか?」

「その通りだ。無差別に送れば迷惑メールとして処理される。バトンを確実に渡せるのは自分を信用してくれる相手……家族や友人、そして恋人だ。おそらく結崎の恋人は、天秤にかけたのだろう。家族、友人、恋人……誰に背負わせるのか」

「それじゃ結崎さんもまきこまれた被害者ってコトじゃないですか……!」

「だが同時に加害者でもある。それがこのレースが人の心を苦しめる目的で行われたという主張の根拠だ。誰かを巻き込まなければ生き残れない。多くは、親しい誰かをな。結崎自身も誰を巻き込むか選んだ。家族や親しい人間を巻き込むわけにはいかないし、既に参加している恋人にバトンを再び送るわけにはいかない。そこで――学園でも有名なオカルトマニアの出番ってワケだ。怪しい添付ファイルでも、”調査依頼”という名目ならば絶対に開いてくれるだろうからな。親しくない他人を犠牲にすれば胸も痛まないって寸法だ――」

「――先輩!!」


 ぼくは先輩の言葉を遮った。


「これ以上、結崎さんを責めないでください。彼女だって死にそうな目にあっているんですから。かわいそうじゃないですか。それに……親しい人をまきこまなかっただけ立派です」

「立派、か。関係のないお前を死ぬかもしれない悪夢に巻き込んでおいてか?」

「それでも、です」


 先輩とぼくの意見が対立した。しばしにらみ合いになる。

 先輩の目は、どこまでも冷たかった。結崎さんに対してほんの1ミリも同情している様子はなかった。きっとその考えを曲げることはないだろう。

 だけどぼくだって同じだ。意思は曲げない。結崎さんはぼくを巻き込んだ、それは事実だけど、彼女はぼくと同じ危険に巻き込まれた被害者なんだ。仲間なんだ。

 やがて先輩は根負けしたのか目をそらし、「俺の負けだ」と小さく漏らした。


「引き上げよう。ここにいてもこれ以上情報は得られない」


 先輩はさっさとその場を立ち去ってしまった。

 いつも冷静な先輩が、今日はかなり苛立っているのが背中を見てわかった。

 ぼくは結崎さんの部屋の扉に向かって、去り際にこう言い残した。


「ぼくは恨んでません。だから結崎さんも……あまり気にしないでください。それと、お大事に」



   ☆   ☆   ☆



「……」


 夜道を並んで歩いていた。

 先輩はぼくを家まで送ってくれていた。

 だけど結崎さんに対してまだ苛立っているのか、一言も発さなかった。


「先輩……?」

「なんだ」

「先輩は、結崎さんの話を全部信じてるんですか? あんな荒唐無稽な話、いつもなら信じたりしませんよね?」

「さぁな、正直言って半信半疑だ。が、確かなのはお前があの女が原因でひどい目にあっているということだ。それに何より、俺自身に腹がたっている」

「え……?」

「悪かった。結崎に話を聞いていても、なんの解決にもならなかった」


 先輩が不機嫌なのは、どうやらぼくを助けられなかったかららしい。

 ぼくはそれを聞いて――嬉しくなった。

 今はヤバい状況だっていうのに。次に眠れば死神はすぐ近くまで来ていて、本当に死んでしまうかもしれないのに。

 いつも冷静で何にも感情を乱されない先輩が、感情剥き出しで必死になってまでぼくを助けようとしてくれていたことが……何より嬉しかったんだ。


「なぁ、罪滅ぼしになるかはわからないが、結崎から送られてきた”バトン”。俺に送ってみないか? お前の夢の中では、死神はもう直前まで来てるんだろ? せめて先延ばしにできたら、レースから抜け出す方法を探し出す時間稼ぎになるかもしれない」


 先輩はそんな提案をした。

 らしくないと思った。信じるはずのないオカルトを信じるようなことまで言って。嫌っているであろう結崎さんの言葉まで信じ切っているようなその態度。

 そこまで必死になって、自分まで犠牲にしようとするだなんて。

 そんな情けない姿、先輩らしくない。そう思った。


 変だよね。先輩が必死で守ってくれるのが嬉しいのに、そんな先輩は見たくないって思っちゃうなんて。

 ワガママだよね。


 だけどぼくは、ひねくれてて、他人のことも自分のことも信じてなくて。

 クールぶってて、無愛想で、だけど時々優しくて、愚直なまでに誠実で。

 そんな先輩らしい先輩のことが――。 


「……先輩」


 ――だから。


「”バトン”なんて送るわけないじゃないですか。悪いと思ってるなら、ぼくのお願いを一つ聞いてください」

「ああ、俺にできることなら」

「今夜、お母さんが夜勤でいないんです。こんな時に独りは不安なので、先輩……」


 ぼくはいったん息を吐いて、そして思いっきり吸い込んで言った。

 最期になるかもしれない「お願い」を。


「ぼくの家……泊まってくれませんか?」

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