4,1 死神 Following・承


 翌朝、ベッドが汗で水没した状態で目が覚めた。

 尋常じゃない疲労感。その朝は立ち上がるのも一苦労だった。

 まさか「悪夢を視た」だけで学園を休むわけにもいかず、その日は制服に無理やり身体をねじ込んで登校した。

 授業中、ぼくは居眠りすることも集中することもできず、昨晩のことをぼんやりと考えていた。


「……」


 夢では”鏡写しの新宿”の中をひたすら走って逃げ続けた。

 ずっと、というのは正確じゃないかもしれない。

 夢の中でも疲労感は現実と変わらなかった。だから時々立ち止まって休憩する必要があったから。

 夢の中といえど、無限に走り続けるなんて非現実的な芸当はできなかった。

 ぼくの走る速さは死神より上だったけれど、死神には休憩は必要ないわけで、一定速度を保って迫り続けてくる。

 いつまでも休憩を続けてられず、すぐに走るのを再開するハメになってしまった。

 既に気づいていた。この状況――昨日ぼくのアドレスに届いた依頼のメールと全く同じだ。 


 いったい――ぼくに何が起こっているの?


 疑問を抱いたまま放課後になった。

 この謎を特には、先輩に相談するのが一番だ。ぼくは教室を飛び出すと、まっさきに図書準備室に飛び込んだ。

 図書準備室は、ぼくと先輩の”謎解き活動”の拠点になっている。

 べつに正式に使用許可をとったわけではないけれど、申請すれば誰でも鍵は借りられるし、普段誰も使っていないからうってつけなのだ。

 いつもなら先輩が先についていて、ソファに転がって巨乳ヒロインが表紙のラノベでも読んでるハズ――。


「――先輩!」


 なんだけど……先輩はいなかった。もちろん、先輩が後から来ることだって珍しいってほどじゃない。けれど、待てども待てども先輩は現れなかった。

 やがてスマートフォンが震えたかと思うと、キャリアメールに先輩からの連絡が届いていた。

 いまどきメッセージアプリじゃなくてキャリアメールを利用するような、高校生らしからぬアナログ感が先輩らしいなぁなんて思いながらメールを開く。


『突然だが、文化祭実行委員をやることになった。誰もやりたがらないからぼっちの俺が推薦されるって、悪い意味で民主的な采配だ。しばらく放課後は忙しくなるだろうから、謎解き活動には参加できない。すまないが、何かあったら遠慮なく連絡してくれ』


 先輩……。

 ぼくはメールに返信しようと画面をタップする。


『助けて』


 最初に表示された文字列がこれだった。

 すぐに思い直した。


「ははっ、なにやってんだろぼく。一晩悪夢を見ただけじゃん。まんまと依頼の内容に影響されちゃってさ……死神? そんなのに夢の中で襲われたからって、現実で死ぬわけないよね。ははは……ホントに、バカだ」


 最初の文面はすべて消去した。

 もう一度、別の言葉を打ち込んで先輩へと送り返した。


『ぼっちの先輩が委員会活動なんてすごいじゃないですか! 友だち作るチャンスですね! もしかしたらカノジョだってできちゃうカモ!? ぼくはひとりでも大丈夫ですから、気にせずがんばってくださいネ、先輩♡』



   ☆   ☆   ☆



 一週間が経った。

 毎晩同じ悪夢ゆめを視る。死神に追われる夢を。

 逃げても逃げても引き離せない。

 ぼくは疲れる。けれど死神は疲れない。

 疲労は蓄積し、休憩時間も増えて、ぼくと死神の差は徐々に狭まってきていた。


 もちろん、一週間の間に何もしなかったわけじゃない。

 ぼくは夢の中の経過時間を測定していた。

 夢の中にスマホを持ち込めたからだ。もちろん夢だからネットやメールが繋がったりはしないけれど、時計機能は使えた。

 夢の中の時間と外の世界の時間は一致しているらしい。夢の中で1時間が経過すれば、現実でも1時間経過する。

 逆に考えれば、睡眠時間=悪夢を視る時間ということになる。

 だったらこの悪夢から逃れるには、眠らないことだ。

 できるだけ眠る時間を短くすれば、死神に追いかけられる時間は短くなるに違いない。それがぼくの頭から必死に絞り出した対策だった。

 

 それからさらに一週間。睡眠時間を削れば死神に追われる時間は確かに減った。

 だけど今度は現実世界で問題が発生した。

 ニ週間近く睡眠不足の身体は既に限界をむかえていて、ぼくは授業中に気を失ったのだ――。




   ☆   ☆   ☆



「まずい」


 夢の中、”鏡写しの新宿”でぼくはひとり呟く。


「アラームをセットせずに寝ちゃったんだ。誰かが起こしてくれないと、このまま夢にしばらく閉じ込められるかもしれない……」


 今までの一週間は睡眠時間をへらすためにアラームを使っていた。

 だけど今回は違う、学園の中で眠ってしまったのだ。

 誰かが起こしてくれたらいいけれど、その確証はない。

 いつ終わるかわからない鬼ごっこが今日も始まった。

 とにかく逃げ続けるしかない。


「はぁ、はぁ……はぁ……!」


 走って走って、ひたすら黒いモヤから逃げ続ける。

 日に日に体力の消耗が進むのを実感していた。

 夢の中での疲労は癒えない。魂そのものが削り取られていくようで、夢の中なのにぼくはげっそりとやつれてゆくのを感じていた。

 しかも今回は寝不足すぎて現実世界のぼくも倒れているからなおさらだろう。

 どんどん脚が重くなって、死神が距離をつめてくる。


「くっ、うう……もぉ、あんな近くに……!」


 気づけば死神の姿が視認できるくらいの距離まで迫られていた。

 遠目には黒いモヤにしか見えなかった”死神”。

 だけど今はその姿をハッキリと捉えることができた。

 よくある黒いローブに骸骨の顔、そして大鎌――みたいなクラシックなスタイルじゃなかった。

 そいつは、黒いボロ布をまとった人間のような姿をしていた。

 骨と皮、比喩表現ではなくまさに贅肉を1ミリグラムも残さず削ぎ落としたような、異常にガリガリの男だ。

 まぶたの無い落ち窪んだ眼球には、ギョロリと丸く血走った眼球が収まっているけれど、極端な外斜視で瞳の焦点は合っておらずどこを見ているのか一切不明。

 鼻にいたっては異様に低い――というか鼻自体が無い。鼻腔の穴が2つ、顔の中心に空いているだけだ。

 唇もなく、ボロボロの歯が剥き出しになっている。恐ろしい容貌だけど、どこか笑っているようにも見えた。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」


 ぼくは逃げる。死神は追う。

 枯れ枝のように細い身体は黒いモヤに覆われてよく見えなかったけど、脚を動かしている様子はない。すぅーっと空中を滑るように移動している。

 その恐ろしい容姿と動きの異常さに圧倒され、ぼくは脚が止まってしまう。

 まずい、動かなきゃ――そう思ってももう脚が前に出ない。

 すぅーっと近づいてくる死神。10m、9m、8m……まずい、追いつかれる――!


「――!!」


 その時だった。聴こえたんだ。

 聞き覚えのある声。どこか安心感のある声。

 ああ、やっと――。

 ぼくは声のするほうへ……振り返った。


「先輩――!! っ……?」


 目が覚めた。知ってる天井だった。


「やっと起きたか。ったく、心配させんな」

「ここは……保健室?」

「そうだ。お前、授業中に倒れたんだって? 幸い、何か身体に異常があるわけではなく疲労と睡眠不足が原因のようだが……放課後まで目を覚まさなかったんだぞ」


 起きた時、ぼくのそばにいたのは先輩だった。

 二週間ぶりに会った先輩。相変わらず冷静で、知的で、どこか気が抜けていて、無防備で……ああ、安心する。

 会えただけで。声を聴いただけで。ぼくはほっと胸をなでおろした。


「先輩、もしかしてずっとぼくのそばにいてくれれたんですか?」

「さあ、どうだろうな。とにかく水分をとれ」


 先輩はぼくにスポーツドリンクを差し出してくれた。

 受け取って、ゴクゴクと一気飲みをする。夢の中とはいえ、限界まで走り続けた後だ、身体――というか魂まで染み渡るのを感じた。

 ふぅー、とぼくが一息ついた後、先輩が切り出した。


「で――何があった?」

「なにって、ぼくはべつに」

「ごまかすな。何かあったんだろ?」


 真剣に見つめてくる先輩の眼光に負けて、ぼくは正直に白状することにした。

 これまでの二週間の出来事を。

 夢の中で”鏡写しの新宿”に毎晩閉じ込められていること。

 死神に追いかけられ続けていること。

 そして、睡眠時間を削ったせいで授業中に倒れてしまったこと。

 すでに死神はすぐ近くまで迫ってきていて、もうすぐ追いつかれてしまいそうなこと。全部、全部打ち明けた。


「で、でも、気のせいですよね! 先輩だって言ってたじゃないですか。ただの夢だって。夢の中で死神につかまっても、現実で死んじゃうなんてコト……あるわけない、ですよね……」

「そうだ。確かに現実で死ぬとは限らない。しかし、既に現実への影響は出てるんだろ。睡眠不足に陥って倒れた時点で、『ただの夢』なんてことはないんだよ」

「……せん、ぱい」

「死神に捕まったらどうなるのか、現時点では不明だ。しかし現実にお前はその夢に怯え、ここまで心身ともに消耗してしまった。解決する必要があるな――」


 先輩はぼくに向かって「ん」と手を出しだした。


「?」


 最初、意図がわからなかった。

 ぼくは反射的に犬の「お手」のようにそっと彼の手の上に手のひらを重ねた。

 先輩は少しバツが悪そうに目をそらし、


「そうじゃあない、スマホを貸してくれ」

「えっ!? あ、ああ、すみません」


 勘違いだった。頬が熱くなるのを感じながら、スマホを手渡した。


「ロックがかかっているな。PINコードは?」

「××××です」

「開けた。お前のメールボックスを確認するが、いいな?」

「はい」

「今回の依頼人、メールアドレスは表示されている。アドレスを検索すればSNSだのブログだののアカウントが出てくるものだ。捨てアドじゃなければ、だがな」

「それってつまり、依頼人を特定するってコトですか?」

「その通り。不可解なメールの真相を確かめる。そうでなくとも手がかりは必要だ。解決にはこれしかない――さっそく引っかかったぞ」


 先輩がポチポチとスマホを操作すると、依頼人と思わしきSNSアカウントを発見した。

 アドレスの持ち主は、この学園の女子学生らしかった。名前は”結崎ゆいざき”さん。


「手がかりは、彼女が持っているんですかね……」

「わからないが、とにかく当たってみるしかない」


 ぼくと先輩は保健室を出て、放課後残っている生徒や先生からこの女子生徒――結崎さんの情報集取を開始するのだった。

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