4,0 死神 Following・起


 毎晩同じ夢を見るの。

 死神が追いかけてくる夢を。

 ゆっくりと、歩くような速さアンダンテで追いかけてくる死神。

 もちろん、アタシが走ったほうが速いからそうそう追いつかれはしない。


 けれど夢の中でも走れば疲れるから、時々休憩をとらなきゃならない。

 そのうち、休まず一定の速度で追いかけてくる死神に距離を詰められて、また走ることになってしまう。

 朝になれば自然に目が覚めるけど、次の夜にも同じ悪夢が始まってしまう。

 前回の夢の最後と、次の日の最初とで死神との位置関係は全く同じ。

 疲労感も引き継いだまま再スタートとなる。

 やっぱり、走れば追いつかれることはないけど、それでもいつまでも逃げ続けられるものでもない。

 疲れて足が遅くなっていくアタシと、常に一定速度で追跡する死神。

 一晩、また一晩。少しずつ差が縮まっている気がする……。

 このままでは、アタシは逃げ切れない。

 死神に捕まったその時、アタシは殺されてしまうだろう。


 アタシはまだ死にたくない。

 だからこのバトンをあんたに託す。

 どうかこのバトンを受け取って欲しい。

 謎を解いて、アタシを助けて。

 

   

   件名:死神

   投稿者:――

   添付ファイル:1件 『バトン.φpeg4』



「妙だな」


 それが依頼文を読んだ先輩の第一声だった。


「妙、ですか?」

「ああ、妙だ。何かひっかかる」

「先輩らしくないですね。いつもなら『ただの夢だろ、くだらない』とか言ってバッサリじゃないですか」

「その通り、今回もただの夢の話でしかない。夢の中で死神と遭遇して、仮に襲われたとしても、現実の人間が死ぬはずがないだろう」


 先輩は至極まっとうなことを言った。

 その考え方に対してはぼくも完全に同意で、悪夢を見たって人は死なない。

 だからこそ、今の先輩が何にひっかかっているのかがわからなくて、ムキになって追求する。


「だったら、何が気に入らないんですか?」

「気に入らないワケじゃあない。ただ、おかしいとは思わないか? この文面。たしかに死神に追いかけられる悪夢を毎晩見続けるというのは奇妙だ。依頼人は怖い思いをして、悩んでいるんだろう。それはいったん認める」


 先輩は顎に手を当てて慎重に考えをまとめる。


「しかし、夢の中で死神に追いつかれることをなぜここまで恐れる? 『アタシはまだ死にたくない』だなんて、まるで死神に追いつかれたら現実でも死ぬと確信しているような文章だ。普通ならな、ただの悪夢でそこまで思いつめることはない」

「依頼人にとってそれだけリアリティのある夢だったんじゃないですか? 毎晩同じ夢を見るなんて確かに不思議ですし」

「そういう悩みから助けて欲しいならば、メンタルクリニックでも精神科にでもどこでも受診してみるべきだ。わざわざ俺たちに依頼することではないし、そもそも依頼人は名前も明かしていない。こいつは本当は――何から助かりたがっているんだ?」

「う……」


 そう言われると確かに、この依頼メールは奇妙な点が多かった。


「確かにおかしいです……特にこの添付ファイル」

「そう、添付ファイルだ」


 先輩が食いついた。


「最後の『バトンを託す』という文面が気になる。添付ファイルの名前がちょうど『バトン』だが、中身は何だったんだ?」

「それが……わかりませんでした。添付ファイル自体はダウンロードできていろいろなソフトで開いてみたんですけど、破損しているみたいで正確に中身が読み取れなかったんです。拡張子かくちょうしも見たことないやつでしたし……お手上げです」

「開けるが読めない、か。ますます奇妙だ。俺たちに”バトン”を受け取らせることがこの依頼を出した目的に見えるが、バトンの中身は俺たちにはわからない。どういう意図があって、依頼人はこのメールを出した……?」


 それきり議論が止まった。

 結局、これ以上の情報はないのだ。依頼人は何者か。添付ファイルの”バトン.φpeg4”の中身とはいったい何だったのか。

 何もわからない。今までの依頼は、依頼人が「謎を解いてください」とか「助けてください」とか明確な目的をもって書いていた文章だった。

 けれど、この依頼はただ自分の見る悪夢の内容と「バトンを託す」という謎の締めくくりだけしかないんだ。

 ”怪文書”と言わざるを得ない。


「イタズラ……かもしれませんね」


 図書準備室にしばしの沈黙が流れた後、ポツリとそう漏らしたのはぼくのほうだった。


「かもな」


 腑に落ちない、という顔で先輩も賛同した。

 そのうち時間が流れて完全下校のチャイムが鳴り、この日の”謎解き活動”は終了となった。

 ここで先輩とはお別れだ。先輩とぼくが一緒にいる時間は、概ねこの活動の時間だけだから。どちらから言い出したワケでもないけれど、ぼくらはプライベートでは基本的に会わないようにしている。

 それがなんとなく、ぼくらにとって丁度いい距離感に思えたからだ。

 先輩がどう考えているのかはわからないけど……。


「なぁ」


 別れ際に先輩はぼくにこう声をかけた。


「くれぐれも、気をつけろよ」


 「気をつけろって、何に?」と思ったけど先輩はそれ以上説明せずに去っていった。

 後になって思えば、この日から始まっていたのだろう。

 ぼくの”悪夢”が。



   ☆   ☆   ☆



 それが夢だというのは、すぐに理解できた。

 ぼくは誰もいない、たぶん”新宿”らしき都市のど真ん中に立っていた。

 たぶん、きっと新宿、だと思うんだけどいくつも奇妙な点があった。

 まず、看板とか道路標示が全部鏡文字かがみもじになっていて全然読めない。

 なにより、日中の大都会だっていうのに誰もいないのだ。

 昼間の新宿に誰もいないなんて、まずあり得ない。

 だからこれは夢に違いない、そう確信できたのだった。

 今は深夜。ぼくの身体はちゃんと自室のベッドで眠っているはず。

 夢を夢だと気づきながらも、夢の中で自由に思考や行動ができる状態――いわゆる”明晰夢めいせきむ”の中にぼくは立っていた。


「これ、どういうこと?」


 疑問を抱えながら、周囲を見回す。

 やっぱり誰もいない。「おーい!」と叫んでみても巨大なビル街に飲み込まれるだけだった。

 徐々に孤独に苛まれ、ジワジワと肌が冷たくなるような気がしてきたそのときだった。


「あれは……?」


 視えた。視えてしまった。

 新宿の大きな交差点の真ん中に立つぼくから、ずっと遠くの道でうごめく”何か”。

 黒いモヤのような”何か”があった。

 人型にも見えるけれど、輪郭がはっきりしない不定形の”何か”はゆっくりと、歩くような速さ・・・・・・・でこちらに近づいてきているようだった。


「ぇ……う、嘘、でしょ……?」


 まだ遠すぎて、姿はハッキリとは視えない。

 けれど徐々に明確になる輪郭。

 ぼくは直感的に理解した。


「死神――!?」


 遠くに視えるあの黒いモヤこそが、依頼文に書かれていた”死神”だと。

 ぼくも、例の”悪夢”を視ているのだと。


「――っ……!!」


 「なぜ」とか「どうして」とか考える前に身体が動いた。

 ぼくはその場から走り出していた。

 ”死神”の少しずつ濃くなる影から、少しでも遠ざかるために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る