3,3 この口は本当に裂けているのか? Identity・結


 完全に混乱していた。

 えっと、どうなってるんだっけ? 夕方になって、下校しようとしたぼくは背後から”何か”に組み付かれていた。

 ”何か”は自身をビデオカメラで撮って世界中に拡散することを要求してきた。

 様子がおかしくなって危害を加えられそうになったその時、先輩が”何か”に体当りして、ぼくを引き剥がし”何か”と対峙している。

 そういう状況だった。


「……」


 ぼくを襲った”何か”を視る。ロングコートに長いボサボサの黒髪。大きな白マスクで顔の大部分を覆っている女性。不自然なまでにひょろ長い体躯。

 まさに都市伝説フォークロアの”口裂け女”そのものの姿だった。

 直感的にわかった。彼女こそが、今回ぼくに依頼を出してきた張本人だったんだ。

 彼女の目的はカメラに映り、その姿を拡散されること。そうすれば再び伝承として人々の記憶に残り、アイデンティティを再獲得できる。そう考えたのだろう。

 最初から、狙いはぼくだった。オカルト話に無警戒に飛びついて、カメラでなんでも記録しようとしているぼくみたいなバカな人間を利用しようとしたんだ。

 今は自身をつきとばした先輩を虚ろな瞳で見つめ、ゆらゆらと身体を揺らしている。

 膠着こうちゃく状態だった。


「せ、先輩……どうすれば。コレ、けっこうヤバい状況なんじゃ……」

「そうだな。報酬の食券だが、全部渡してくれ」

「え、はい……」


 ぼくは”口裂け女”の依頼文が入っていた封筒の中から食券4枚を取り出し、先輩に渡した。先輩は注意深く裏面を観察すると、「やはりな」と呟いた。


「何かはわからないが、裏面に呪術的な紋様が描かれている」

「え? うわっ、ホントだ。赤黒い文字とか記号がびっしり……」

「血だな。受け取った人間を追跡できる機能を付加した呪符ってとこだろう。そんな代物しろものが実在するかは知らないがな」


 そう言って、先輩は食券を手に持ち眼の前の”口裂け女”に向かって差し出した。


「せ、先輩何を――!?」

「返す。この報酬は受け取らない。俺たちは依頼を拒否させてもらう。よって、今回の活動はカメラで記録されない。あんたの目論見もくろみは失敗に終わる」


 先輩はぼくをかばうように立ち、”口裂け女”にゆっくりと近づいてゆく。


『……ア゛ヒャ』


 ”口裂け女”はザラザラとかすれた声を捻り出す。

 近づくとよくわかる。170cm半ばはある先輩よりもさらに長身で、彼女は明らかに2m以上はあった。

 そしてモゴモゴとマスクが動き、くぐもった声でこう言った。


『ワ゛タシ……キレ゛イ?』


 ま、まずい! この言葉は――下手に答えたら惨殺される!

 焦るぼく。先輩は冷静に、「やはり来たか」と言うと。


「――えっ?」


 突然、おもいっきりぼくを抱きしめた。

 ”口裂け女”に背を向けさせ、すっぽりと頭を包み込むように。

 がっしりとホールドされて、これじゃ何も見えない。


「せ、せんぱい!?」

「”三猿”だ。何も視るな、言うな、聞くな。わかったな」

「……わ、わかり、ました……っ!」


 状況がめまぐるしくてもうワケがわからなかった。

 だけどここは先輩の言う通りにするしかない。そんな直感があった。

 だからぼくは抵抗することなく、素直に先輩に抱きしめられていた。

 ドクン、ドクン。高鳴る心音。

 これは、ぼくの音か――それとも、先輩の……?


『ワタシ゛ヲ、ミ゛テ』

「……」

『コレ゛デモ、キレイ゛……?』


 抱きしめられても音はシャットダウンできない。彼女の不気味な声が聴こえる。

 や、やっぱりまずいよ。これは”口裂け女”がマスクを外す時の言葉。

 ということは――見ているのだ・・・・・・

 マスクの下、耳元まで大きく裂けた彼女の口を。


「っ……せんぱいっ――!」


 しばしの静寂。

 先輩も、口裂け女も、何も言わなかった。心音だけが夕暮れ空に響いていた。

 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。

 どれくらい時間が経っただろう。先に口を開いたのは、なんと”彼女”のほうだった。


『ナ゛ンデ……ドウシテ゛、ナ゛ニモイワ゛ナイ……?』


 「愚問だな」はぁ、と先輩はため息をついて答えた。


「女性の容姿にとやかく言うのはマナー違反だろう。加えて、そもそも俺は二次元専門のアニメオタクだ。三次元の女性の容姿に対して何かコメントできるような価値基準はあいにく持ち合わせていないんだよ」

『ワタシ゛ノ゛クチ、サ゛ケ゛テルノヨ゛……ミテ゛ヨ……』

「悪いが、俺は重度の近眼なんだ。乱視も入っている。アニメを見すぎた代償というわけだ。よって、眼鏡がなければ何も見えない。そしてさっきあんたにタックルした時に眼鏡を落とした。あんたの顔だってハッキリと確認できないんだ。だから俺は――あんたが”口裂け女”だと証明することができない」

『……オ゛ネガイ、ダカ゛ラ』

「あんたが仮に本当に耳元まで裂けた大きな傷を負っていたとしても、俺はあんたを”口裂け女”などというバケモノよばわりするつもりはない。顔に傷がある女性をそういう風に言うなんて、最低な男のすることだ」

『ウ゛ゥ……』

前払いの食券ほうしゅうは返す。あんたの重大な悩みを解決できなかったのは本当に申し訳ないと思っているが……今回は、見逃してくれ。頼む。軽率に依頼を受けてしまったのはコイツの落ち度だが、こんなんでも俺の大事な後輩なんだ」

『……』


 それきりもう、声は聴こえなかった。

 コツコツとハイヒールの足音が鳴って、徐々に音は遠ざかっていった。


「もういいぞ」


 先輩はそう言ってぼくを離した。

 周囲を見回すと何事もなかったかのような、いつもと同じ静かな通学路だった。


「先輩、大丈夫だったんですか!?」

「なんともない。危害は加えられなかった。食券を受け渡しただけだ」

「顔、視たんですよね!? ”口裂け女”のマスクの下を! 本当に口は裂けていたんですか!? それとも――」

「あー、それ言っただろ。俺は近眼すぎて顔が見えなかったってな」

「嘘です。確かに眼鏡をかけてませんけど、だからって食券を受け渡せる至近距離で何も視えないほどじゃないハズです!」

「どうかな。お前は近眼と乱視の視界を知らないだろう? 誰も他人が視ている景色なんて知り得ないんだからな」


 先輩はあくまで断言を避けた。

 たぶん、わざとそうやってはぐらかしているのだろうと思った。断言してしまえば、何かを”証明”することになってしまうから。

 彼女の口が本当に裂けていたと断言してしまったら、彼女の新たな”伝承”が生まれる。最初は先輩とぼくの二人からだったとしても、そうやって噂は始まるのだから。

 だから曖昧なままにしておいたほうがいい。

 先輩の意図を汲み取れたかはわからないけれど、きっとそういうことなんだと思って、ぼくも追求はそこで終わることにした。



   ☆   ☆   ☆



 その後、先輩は学園に連絡をとっていた。

 学園の周辺に不審者が出たと報告したようだった。

 先輩曰く「明日、警察からもいろいろ事情聴取されると思うからヨロシク」ということでそのまま先輩に家まで送ってもらうことになった。


 日が落ちてすっかり夜になっていた。

 だけどあまり暗くはない。今夜は満月、月明かりがぼくらの足元を照らしていた。ひどい目にあいかけたけど、もう怖くはなかった。

 なにより今は、先輩が隣にいてくれるから。


「ねぇ、先輩。やっぱりさっきの女性は本物の”口裂け女”だったんですよね? だってカメラに映ってアイデンティティを確保しようだなんて、都市伝説フォークロアの存在である自身を存続させたいからとしか考えられないし……」

「さあな。そうかもしれないし、そうじゃあないかもしれない」


 先輩は肯定も否定もしなかった。

 だけど冷たい感じじゃなくて、どこか優しい声色で話を続けてくれた。


「逆に、あの女性が怪物などではなく普通の人間だったと仮定しよう。何らかの理由で……たとえば、『顔に大きな傷を負った』みたいな理由で精神的に不安定になった女性。もともとは自分の美しい顔に絶対的な自信を持っていて、それがアイデンティティティになっていた女性。そういう人物像ならば、傷を負った後の自分を”口裂け女”と重ね合わせてもおかしくないとは思わないか? 彼女が自身を”口裂け女”と証明したがっていたのは、裏を返せば自分に自信がないからだ。喪失したアイデンティティを、自身の境遇を都市伝説フォークロアになぞらえることで回復しようとしていたのかもしれない」

「つまり、彼女はかつて出現したという”口裂け女”本人ではなく、ぼくを怖らがらせてカメラに撮影され、拡散されることで新たな都市伝説フォークロアになろうとしていた普通の人間……ってコトだったんでしょうか」

「それがもっともらしいストーリーだと思うが、結局真実はわからない。答えはあの女性――自称”口裂け女”の中にしかないんだからな。今更証明しようがないことだ。知り得ない真実なんてのは、存在しないも同じなんだ。だからこれ以上語ることはできないし、俺たちは沈黙するしかない」


 先輩は口もとに指を立ててそう締めくくった。


「……はいっ」


 なんだか嬉しかった。やっぱり、って納得できたんだ。

 先輩は、どこまでもこの事件に誠実に向き合ったとわかったから。

 今回遭遇したあの女性が何者か、先輩が断言しなかった理由。それは彼女が心身に傷を負った女性だとしたら、バケモノよばわりするのは最低だと考えていたからなんだ。

 彼女自身がそう望んでいたとしても。先輩はそうしなかった。

 だから何も語らず、証明せず。ただ沈黙したんだ。

 思わず笑みがこぼれる。


「ふふっ」

「なに笑ってんだよ。あんなヤバい目にあったってのに。怖すぎて逆に笑っちまったか?」

「いいえ、そうじゃないんです。ただ、先輩ってやっぱり――」

「俺がどうした?」

「……ううん、なんでもないです」


 先輩は――誠実な人。ぼくがだけが知っている真実。

 そんなの誰にも見せられないし、証明できるものでもないんだ。

 なによりも、陰キャでぼっちな先輩のいいところなんて、誰にも教えたくない。

 先輩は言った『誰も他人が視ている景色なんて知り得ないんだからな』って。そのとおりだと思った。

 ぼくだけが知っている先輩の一面は、ぼくだけが視た、ぼくにとってだけの真実。それでいいんだ。

 だから――。


「せぇーんぱい♡」


 この嬉しさを独り占めしたいなー、なんてワガママ。

 今日くらいは許されるよね?

 あんなにも怖い目にあったんだからさ、ちょっとくらいいいコトあってもいいじゃん。


「どうした?」

「ぼくの秘密、教えてあげます」


 ぼくは腕を上げて、夏服の短い袖をおもいきりまくり上げた。

 先輩の眼前に見せつけるようにわきさらす。


「視ました? ぼくの腋の下、ホクロがあるんです」

「ぁ……」

「これで先輩とぼくしか知らない秘密がデキちゃいましたね♡」

「――!」


 先輩はごまかすように長い前髪をイジりながら、ちょっと裏返った声で答えた。


「視えなかったよ。眼鏡を落としちまったからな」


 月明かりで先輩の顔がよく視えた。そうやって強がる男の子の顔は、耳まで真っ赤に染まっていたんだ。

 やった、いつもクールぶってる先輩をまんまとからかってやった!

 ぼくはくすくす笑って、


「そうだ、乱視の人って月がたくさんあるように視えるんですよね?」

「あ、ああ。6つくらいに視えるぞ、今も」

「でも、今夜はキレイな満月。それはわかるんじゃないですか?」

「……そうだな。キレイな満月が視えるよ。近視でも、乱視でも、それはわかる」

「ぼくも同じです。今夜の月はキレイ。先輩と同じモノを視てるんですからね」


 二人、夜道を並んで歩く。不安はない。恐怖もない。

 だってぼくも先輩も、確かに同じモノを視ているんだから。

 今宵の満月つきは、キレイだった。


 

   ΦOLKLORE: 3 ”この口は本当に裂けているのか? Identity”   END.

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