3,2 この口は本当に裂けているのか? Identity・転
本格的に始まった”口裂け女”の考察。
重くなってきた空気の中、先に口を開いたのは先輩だった。
「なあ、お前にはあるか? 自分しか知らない秘密、みたいなモノ」
「えっ」
先輩からの問いかけに、ドキンと心臓が高鳴る。
まるでぼくの思考を読み取ったみたいだったからだ。
「先輩のいいトコロは、ぼくだけが知ってるんだ」なんて思い上がった考えを見透かされたみたいで、ちょっと恥ずかしくて。顔が熱くなってくる。
先輩はぼくのドキドキを知ってか知らずか、冷静に話を続けた。
「たとえば、『お前の
「はぁ!?」
突拍子もない発言につい変な声が出る。
けれど、冗談ではないらしい。先輩は真剣な顔で続ける。
「べつに、実際にホクロがあるか否かは問題じゃあない。ホクロがあると仮定しただけだ。お前は、普段から誰か他人に腋の下を見せたりするか?」
「す、するワケないじゃないですか恥ずかしい! 乙女の腋ですよ、安くないんですからね!」
「そいつは好都合だ。つまりお前の腋の下がどうなっているのかは、お前自身しか知らない情報というわけだ。ならばこう聞こう、お前の腋の下にホクロがあることは”真実”なのか?」
「うーん、変な質問ですね。仮にぼくの腋の下にホクロがあるとしたら、ぼく自身がそれを知っているんだからそれは”真実”じゃないんですか? だってぼくがそれを知っているワケですから」
「そうだな。ならば話をさらに進めよう。お前はなんらかの理由があって、腋の下にホクロがあることを証明しなければならない立場になったとする。たとえば殺人事件の容疑者になってしまい、『犯人は腋の下にホクロが一切ない』事実だけが判明している状態だとしたら。お前は当然ながら、自分の腋の下にホクロがあると主張せざるを得ないだろう」
「まあ、そうですね」
「だが『私の腋の下にはホクロがありません』と言葉で主張しても、警察も検察も裁判所も誰も納得しないだろう。物的証拠のない、容疑者一人の証言にすぎないからだ。そんな時、無実を証明したいお前はどうする?」
「腋の下を見せるしか無いです。……恥ずかしいですけど」
「そうだな。”真実”は、本人がそれを知っているだけでは証明できないということだ」
「なるほど」
意味不明すぎるたとえば話につきあわされて正直疲れたけど、言いたいことはなんとなくわかった。
「”口裂け女”さんが自身を”口裂け女”であると証明するためには、彼女自身の”裂けた口”を誰かに見せなければならないということですよね。なのに、新型ウイルスの感染症のせいでそれができなくなってしまった」
「ただの人間ならば、それほど重大な問題でもないだろう。だが”口裂け女”は存在自体が”
「忘れ去られ、誰にも語られず、伝えられず……”伝承”されなくなる。”
「その通りだ。噂から生まれた存在である”口裂け女”にとって、忘れ去られることは死に等しい問題なんだよ。だからこうして”アイデンティティ”の喪失に悩むことは、むしろ自然に感じられる。この依頼文は、人間ではなく本物の”口裂け女”から出されたと考えるほうがつじつまがあっちまっているんだよ」
いつもオカルトを信じない懐疑主義的な先輩が、今回に限っては妙に真剣な面持ちになっていた。ごくり、ぼくは唾を飲み込む。
軽い気持ちで受けたけど、この”謎解き”は、思ったよりずっと根が深い。かなりの強敵なのかもしれない――。
キーンコーンカーンコーン。
その時だった。完全下校時間を告げるチャイムが鳴り響いた。
本日の”謎解き活動”が終わりを告げる合図だった。
「……はは、終わっちゃいましたね」
「続きは明日にしよう。俺も”口裂け女”について調べてみよう」
「はい、ぼくも情報網を辿ってそれらしいマスクの女性の目撃証言が近場でないか調べてみます」
「わかった。俺は図書準備室の鍵を返しにいくから、お前は先に帰ってていいぞ」
「はい」
どこか煮え切らない空気のまま別れたぼくら二人。
先輩の言う通り、ぼくは先に学園を出た。
ちょうど日が傾いて、暗くなりかけていた。
「”
赤く染まった夕焼け雲を見上げて、ぽつりとつぶやいた。
その時のことだった――。
『 ワ゛ タ゛ シ゛ ヲ゛ ミ゛ テ゛ 』
「っ――!?」ゾワリ、と背筋が凍った。
気づいたときにはもう遅かった。背後に何か大きな気配が覆いかぶさっていた。
しゃがれた声と吐息が至近距離から耳を撫でる。
年老いた魔女を思わせる、骨と皮だけの異様に長い指が伸びた巨大な手がぼくの身体を背後から包み込んでいた。
背中の皮膚越しに異様なまでの威圧と重圧を感じていた。
やっと理解した。異様なサイズの”何者か”がぼくを背後から拘束しているのだ。
『カメ゛ラ゛、モ゛ッテル゛デ゛ショ゛?』
まるで紙やすりをかけたみたいに異様なまでにガサついた質感の声。
古いテープで録音したようでいて、機械の合成音声にも思えるような不自然なアクセントとイントネーションで耳元に話しかけてくる。
「カメラ、持ってるんでしょ?」と言ったのか?
確かにそいつが言う通り、ぼくは首から愛用のビデオカメラを下げていた。
『ソ゛レデ、ワタシノ゛カオヲトッテ゛……トッ゛テホシ゛イノ゛……キ゛ロ゛ク……”ショウ゛メイ”がホシ゛イ゛』
「……っ……」
『ワタ゛シノクチ……ミミマ゛デサケテルノ……ダレモシンジテクレナイノ。ミテクレナイノ。デモ、コノカメラデキ゛ロクシテ、セカ゛イゼンブニ゛カクサンスレバ……ワタシノノロイハイツデモドコデモ゛アラワレ゛テ……ミンナ、コロセル、ミナゴロシ、ミナゴロシ、クク、ア゛ギャヒャ゛、ギャ゛ギャ、アヒャヒャヒャ……!!』
カメラに撮られたい? 世界中に拡散されたい?
よく聞き取れなかったけど、「呪いをふりまいて皆殺しにしたい」って言った!?
ガクガクと脚が震える。ぼくの両腕を、異様に長い指が撫でていた。
怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
震えて何もできない。カメラを構えることも、振りほどくことも、言葉を発することも。完全に、恐怖が身体を支配していた。
だけど――頭の方は、先輩との会話を思い出していた。まるで死の直前に視るという走馬灯のように
『お前、楽しんでないか? 一応だが、依頼人がこの資料通りの存在ならば人を惨殺するようなヤバいヤツってコトだ。下駄箱の位置まで特定されてるってのに、どうして冷静でいられる? 怖くはないのか?』
『そりゃあ、怖いっちゃ怖いですけど。でも本当に”口裂け女”さんがいるなら会ってみたいじゃないですか! なんなら、このカメラで激写してみせますよ!』
ああ、ぼくはバカだ。調子に乗ってたんだ。
先輩の懸念は当たっていた。ぼくを襲ってきた
どちらにせよ、ぼくは危機感がなさすぎたんだ。ホラー映画とかで、心霊スポットに突っ込んで呪殺されるモブキャラと同じじゃないか。
ああ、このまま殺されちゃうのかなぁ。
『ハ゛ヤク、ハヤク、ハ゛ヤク、ハヤク! ハヤ゛クシロ、ワタシヲミ゛ロ! ハ゛ヤクハヤクハヤクハヤク゛ハヤクハヤク!! ハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤ゛クハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤ゛ク゛ハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハ゛ヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクヤク゛ハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤク――』
もう、終わりだ。
「おおおおおおおおおおおお!!」
諦めていたその時、誰かの雄叫びと共に衝撃が走った。
後ろに組み付いていた何者かは体勢を崩して、ぼくは開放される。その一瞬の隙をついて誰かに腕を引っ張られた。
そこに立っていたのは、
「……っ、先輩!?」
「はぁ、はぁ……なんとか間に合ったようだな」
そう。
”何者か”を突き飛ばしてぼくを抱き寄せたのは、ほかでもないぼくの”先輩”だったのだ。
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