3,1 この口は本当に裂けているのか? Identity・承
「イタズラだろ」
先輩はバッサリと切り捨てた。
「やっぱりそう思います?」
「そりゃあ、口裂け女を自称する何者かが『私は口裂け女です』なんて率直すぎる書き出しで、ただのオカルトマニアでしかない一般人のお前に手紙をしたためてくるなんてな。あり得ないだろ、常識的に考えて」
「簡単にあり得ないなんて決めつけないでくださいよ! 『あり得ないなんてあり得ない』っていつもキメ顔で言ってるじゃないですかぁー! 先輩の嘘つき! 鬼! 悪魔! ダブスタキモオタク!」
「おそろしく速い
「それに差出人のところに『口裂け女(本物)』って書いてあるじゃないですか。これが動かぬ証拠ですよ、今回の依頼人は本物の口裂け女なんです。はい論破」
「今日のお前のそのテンションなに? 相手すんのまあまあ疲れるんだが?」
「暇! ひ☆ ま☆ なんですよ! 依頼が全然ないから!」
ぼくは机にバン! と手紙を叩きつけて叫んだ。
そう、ここ最近はいっこうに
ぼくと先輩は基本的にプライベートで会話したり遊んだりはしない。
関わるのはこの”謎解き活動”の時くらいだ。学生らしからぬビジネスライクな関係だった。
実際、静かな空間で勉強は捗っているし、前の小テストもバッチリだった。
だからといって、毎日毎日暇なようではぼくのオカルト欲が満足できない。そんな時――。
「下駄箱に入っていたんですよ、口裂け女さんからの手紙が! きっと……彼女にとっても感染症でつらいご時世なのかもしれませんね。
「いや本当になに? そのテンションで今日ずっと行くのか? まあいいが……それで、報酬は?」
「バッチリ入ってましたよ、手紙が入ってた封筒に同封されてました。前払いで、学食の食券4枚」
「ふム……食券、か」
ぼくが4枚の紙切れを取り出すと、先輩は顎に手を当てて少し思案した。
しかしすぐに顔をあげ、
「前払いで受け取っちまったもんは仕方ないな。この依頼を受けよう」
「決まりですね!」
先輩が報酬にこだわる理由を以前聞いたことがある。
曰く、「報酬の伴わない仕事は無責任なモノになる」だそうだ。お金に困っているわけじゃないから、報酬は安いものでも構わない。けれど、自分のやることにあえて責任を負うために報酬は必ず受け取るようにしている、と。
つまり先輩は報酬さえ受け取ってしまえば必ず真面目に謎を解くというワケだ。
「さぁーて、口裂け女さんの依頼を紐解いて行きましょう。オー!」
「お、おー……」
こうしてぼくらの”口裂け女”考察が始まった。
季節は初夏。ジリジリと窓から日差しが照りつける放課後。
改めて紹介しよう。ぼくと先輩の”謎解き活動”の拠点となっているのがこの場所、図書準備室だ。机も椅子も、ちょっと古いけどソファまで完備。
なにより古くてあまり生徒からはないながらも、資料的価値のある書籍が集められたこの部屋はぼくらの活動拠点にうってつけだった。
「まずは”口裂け女”の都市伝説について復習しましょう」
ぼくは人気がなさすぎて図書室から準備室に送られた古い本を机の上に広げた。
反対側のソファにふてぶてしく腰掛ける先輩も、視線を向けてきた。
ぼくは資料の内容を読み上げ始める。
「口裂け女――1979年の日本で流行した
「俺たちの生まれるずっとまえに流行った噂のようだな」
「当時はパトカーが出動したり、小学生が集団下校になったりとまさに社会現象だったみたいですよ」
「マジか……想像もつかねェな。そんな根も葉もない噂話ごときで、子どもだけじゃなく大人までも踊らされるなんて」
先輩はげんなりした顔でヤレヤレ、と首をふった。
「そうとは限りませんよ? 今の世の中だって、不確かな情報で大人がモノの買い占めに走ったり、SNSのデマに簡単に踊らされたり。今も昔も、人間の本質ってあんまり変わってないと思います」
「おォ……お前らしからぬ社会派な発言だな」
「えへへー、それほどでも……あるかも♡」
「調子に乗るな。とにかくその情報から推測できるのは、都市伝説としてはすでに古株になった”口裂け女”さんは知名度の低下に苦しめられているってコトだ。依頼文では、マスクをとって”裂けた口”を他人に見せたがっていた。これは自分自身が伝説の存在であると証明したいという意味だろう」
「なのに新型ウイルスの感染症が流行っちゃったからみんなマスクしちゃってますよね。だから簡単にはマスクの下を見せることはできない……今回の依頼は口裂け女さんの”お悩み相談”ってコトですね」
「伝説になるような存在にも、それなりの悩みってヤツはあるんだな」
先輩は至極真面目な様子で言った。
普通の人なら茶化すような場面だけど、報酬を受けとってからは真剣に依頼に向き合っているようだった。
やっぱり、先輩って――。
ぼくはつい、彼の真剣な表情を見て頬が緩んでしまう。
「おい」
先輩は緩んだ顔のぼくを咎めるように見て、言った。
「お前、楽しんでないか? 一応だが、依頼人がこの資料通りの存在ならば人を惨殺するようなヤバいヤツってコトだ。下駄箱の位置まで特定されてるってのに、どうして冷静でいられる? 怖くはないのか?」
「そりゃあ、怖いっちゃ怖いですけど。でも本当に”口裂け女”さんがいるなら会ってみたいじゃないですか! なんなら、このカメラで激写してみせますよ!」
「……」
先輩は目を細め、何かを考え込んでいる様子だった。
いつもはこういう怪異の存在を信じようとしない先輩が、今回は何か引っかかっているみたいだった。
「先輩、どうかしたんですか?」
「いや……少し、気になってな」
「気になったって、どういうところが?」
「依頼文のここだ、『この問いに連日悩まされていて、夜しか眠れない日々を送っています』って
「普通の人は夜に寝るんだから、夜しか眠れないなんて当たり前ってコトですよね。そんなの、定番のギャグじゃないですか」
「いいや、ギャグではない。普通の人間ならばギャグだが、コイツが本物の”口裂け女”だと仮定すればギャグではなくなるんだ。口裂け女の活動時間と睡眠時間を考えてみろ。俺たち普通の人間とは全く違うハズだぞ」
「ええと、そうですね。口裂け女の主な活動時間は夕方頃ですかね。小学生の下校時だとすると15時半よりあとになります」
「そうだ。お前がよく使う言葉に”
「はい。でも、15時半だとすると、逢魔時と断定するにはまだ明るすぎませんか?」
「いいや」
先輩は顎に手を当てたまま続けた。
「おそらく、下校時間直後は集団下校もあるし人が固まっているから出てこないのだろう。狙い目は下校する小学生がまばらになり、一対一で遭遇できる時間帯だ。部活動などで遅くなった小学生が帰る頃。日が傾いて、夕日が差し込む頃合い――」
「それが逢魔時――というワケですか。でもそれが依頼文となんの関係が?」
「気づかないか? 口裂け女が『夜しか眠れない』というのは異常なんだ。ヤツは逢魔時に現れる化け物であると仮定すると、夕方頃から夜間にかけて活動すると推測できる。大人が遭遇するとしたら、退勤時だからな。逆い、人通りの少ない平日の日中などは活動しても無意味だ。口裂け女の目線で考えれば、そこが通常睡眠をとる時間帯になる」
「平日の日中に眠る”口裂け女”にとっては、『夜しか眠れない』ことこそが異常事態……そういうコトなんですね」
「ああ、何気ない文面だが、この”口裂け女(本物)”を自称する依頼人はかなり真剣に悩んでいるように見受けられる。口裂け女の活動時間まで考慮し、徹底的に口裂け女の目線で文章が書かれているからな。ただのイタズラではこうはいかない」
「と、いうことは」
いままでいい暇つぶしだと思って楽観的にみていたぼくも、先輩の言葉に遅れて冷や汗をかく。
いまさらになって、肌がゾワゾワとした薄ら寒い感覚に襲わる。ぼくはなんとか声を絞り出した。
「この手紙は正真正銘”口裂け女”さんからの依頼文……というコトですか?」
「あるいは、口裂け女をよそおうことに何か意味があるか、だな。少なくとも依頼人は真剣に何かを悩んでいて、俺たちにメッセージを送っているのは間違いない。報酬を前払いで受け取った手前、俺たちも向き合わなければならないようだな」
「い、いったいそれって……?」
「アイデンティティの問題だ。依頼文はこう締めくくられていた、『本当にこの口は裂けているのか?』と。口が裂けていることを証明できない口裂け女は、本当に口裂け女と言えるのか?」
なんだかオカルトとか都市伝説とか関係なく、もっと斜め上の話に発展してきてぼくは混乱しかけていた。
目を閉じた。
ふぅー。
深呼吸する。伸びをしながら、図書準備室に充満する古紙の匂いを吸い込んだ。
そして、目を開けた。
「すみません、先輩。切り替えます」
ぼくも、ここでやっと目が覚めたんだ。
冷静になって考えると、確かに先輩の言うとおりだと思った。
依頼は都市伝説の真偽そのものの考察ではなく、あくまで依頼人である”口裂け女”の悩みの解決だったんだ。
報酬を前払いで受け取った以上、ぼくらがやらなければならないのは依頼人が本物か偽物かとか、依頼がイタズラか否かではなく、彼女の悩みと真剣に向き合うこと。
先輩はとっくに気づいていたんだ。
彼は報酬を受け取ったその瞬間から、誠実に向き合っていた。やっぱり先輩って――本当はとことん誠実な人なんだなぁ。
ぼっちで陰キャで友だちがいない先輩。いつも孤高な彼の、ぼくしか知らない一面を垣間見ることができて、なんだか嬉しくなる……気がした。
「とにかく、謎解きはここからが本番ですね!」
「ああ」
こうしてぼくと先輩による、「口裂け女のアイデンティティ」に関する考察が始まったのだった。
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