【鈴香エンド】聖女、教師になる

 学生の頃はファッション楽だったなあ、と、最近しみじみと思う。

 レディーススーツという便利アイテムはあるけれど、大人の女性に対する女の子の目線というのはなかなかにシビアだ。

 同じスーツばかり着ていたら『ダサい』と思われるし、ローテーションするにしてもスカーフやアクセサリーを上手く使って印象を変えていきたいところ。

 スーツ以外の服を着る場合はより一層難しくて、カジュアルになりすぎず、かといって堅苦しくなりすぎず、もう子供ではないけれど若さも適度にアピールする必要がある。


 なので、毎回少しドキドキしてしまうのだけれど、幸い、今日もからは明るく声をかけられた。


「アリス先生、おはようございます」

「先生、今日もすごく綺麗です」

「おはようございます。それから、ありがとう。今日も一日頑張りましょうね」

「はーい」


 校庭にある桜の木が枯れなくなってから約十年。

 私立萌桜ほうおう学園には今日も女の子たちの元気な声が満ちている。

 適度に補修・改修工事を挟んでいるお陰か、それとも、不死鳥を何度かしばき倒した効果が出ていたりするのか、校舎もまだまだ美しさと風格を保っている。私たちが通っていた頃とはところどころ変わっているものの、全体の雰囲気は「ああ、変わらないなあ」という感じだ。

 通い始めたのは中三の途中からだったものの、ここで過ごした日々はとても長く、そして楽しく感じた。だから、ここにいると自然に心が和む。


 体育祭や文化祭のミスコンが行われたグラウンド。

 クリスマスパーティなどでも訪れた体育館。

 始業式や終業式でお世話になった講堂。もちろん何気ない廊下や教室の風景も、何もかもが愛おしい。


 戻ってきて良かった。

 私は口元に笑みを浮かべ、行き会った生徒たちに挨拶をしながら、職員室の戸を開いた。


「おはようございます、ブライトネス先生」

「おはようございます、吉野先生」


 女性教師が多いお陰か清潔に整えられた職員室。

 中堅どころと言っていい立場になった吉野先生や、学生の頃にもお世話になった先生方、さらにここに来てから初めて会った先生方にも挨拶をする。

 吉野先生、きりっとしているけど少し眠そうだ。自分に厳しい彼女が『そう』だということは、夜更かしする理由が仕事以外にもあったのだろうか。


「吉野先生、疲れた時には栄養ドリンクが効きますよ」

「良く知っています」


 一瞬、じとっとした目を私に向けてから、先生はふっと口元を緩めた。


から特製ドリンクの追加分を受け取っています。いつも通り、部室の冷蔵庫に補充しておきましたので、後で確認してくださいね」

「わかりました。いつもありがとうございます」


 ドリンクの製造責任者である銀髪の美女には私からも別途お礼のメッセージを送っておこう。それでもし、返信として「お礼はキスがいいなー」とか送られてきたら丁重にお断りしなければならない。

 恋人がいるのになかなか落ち着いてくれないあたりはさすがというか、相変わらずで安心するというか。

 吉野先生からも「研究ばかりであまり会いに来てくれない」とときどき愚痴を聞かされる。


「あ、ブライトネス先生。特製といえば、例の肥料の追加をお願いしたいんですが」

「わかりました。私から業者に連絡しておきますね」


 と、これは園芸部の顧問をしている先生から。

 わが校の園芸部は私が入部した頃に比べて部員数が増えており、また、ここの土だといい植物が育つと界隈では話題になっていたりするらしい。

 なかなか熱心な部員も多いようで、私が紹介したとある業者の肥料は大好評である。いやまあ、紹介というのは建前で私が作っているのだけれど。

 女神の祝福を受けているので効果はお墨付きである。


 さて、もうすぐ職員会議。

 朝の職員室というのは結構バタバタしていて忙しい。授業中、かつ自分の授業のない時間なんかは結構のんびりできる時もあるのだが──。


「皆さん、おはようございます」


 そんな時、学年主任と教頭、、それからお洒落かつ高級そうなスーツを着た一人の女性教師が職員室へとやってきた。

 引き締まる教師たちの表情。

 職員会議の開始が告げられるのを聞きながら、私はやってきた若い教師──緋桜ひおう鈴香すずかへさりげなく「お疲れ様」とアイコンタクトを送った。





「お待たせ、アリス。遅れてごめんなさい」

「お疲れ様です、鈴香。大丈夫。そんなに待っていませんよ」


 いくつかある生徒指導室の一つ。

 狭い部屋の中央にあるテーブルにお弁当箱を載せた私は、少し遅れてやってきた鈴香を見て笑顔を浮かべた。

 鈴香もまた私に笑顔を返しながら、手に持った二本の缶を示してくる。その一方──レモンティーに私が手を伸ばすと、冷たい缶がぴと、と頬に押し当てられた。


「もう」


 軽く頬を膨らませ、視線で抗議を示してから缶を受け取る。それから、私たちはどちらからともなく身を寄せ合い、唇を合わせた。


「毎日大変ですね、


 さっきのお返しの意味も込めて言えば、鈴香は椅子に腰かけながら苦笑を浮かべた。


「アリスが世界史の先生じゃなくて、私の秘書になってくれていればもう少し楽だったんだけどね」

「う。それは、何度も話したじゃないですか。未経験同士でコンビを組んだってあんまり意味がないって」

「まあね。アリスがいてくれるお陰で、私も他の先生方と馴染めているわけだし」


 頂戴、とばかりに手を伸ばしてくる鈴香に、私は二つ用意してあるお弁当箱のうち一つを手渡す。

 お嬢様の嗜みとして料理も修得している鈴香だが、「そんな時間はないわ」と自炊をサボり気味。当然、お弁当なんて作っている余裕もないため、代わりに私が二人分作っている。


「こうして、美味しいお弁当にもありつけるわけだしね」

「鈴香だって本気を出せば料理できるじゃないですか」

「ダメよ。私の料理は応用が利かないし、それに、未だに芽愛めいと情報交換しているアリスに追いつけるわけがないでしょう」


 確かに、鈴香の料理は教科書通りというか、料理教室で習うような手順をそのままなぞるところがある。

 良い食材と良い設備で丁寧に仕事をすれば美味しいものを作れるのだが、あり合わせの食材で作るとか手早く美味しいものを作るとかは苦手としている。

 一方、街の定食屋も高級レストランも等しく愛している芽愛の料理は自由自在。そんな芽愛と、家庭用のキッチンを縦横無尽に駆使する凄腕のメイドさん(ノワール)から薫陶を受けた私もそこそこ筆を選ばず料理できる自信がある。

 ここで私はくすりと笑って、


「仕方ないですね。私は鈴香の女房役みたいなものですから」


 これには彼女も素直な答えを返してきた。


「ええ。頼りにしているわ、アリス」


 私と鈴香は同僚であり、上司と部下であり、そして恋人同士でもある。

 進路の最終選択が迫った高校三年生の当時──私は悩んだ末にとある大学の教育学部を志望した。決断する最後の一押しとなったのは、他でもない鈴香の言葉だった。


『ねえ、アリス? 将来、萌桜で教師をする気はない?』


 当時、鈴香もまた人生の岐路にいた。

 偉大な祖母を持ち、その祖母と(漢字こそ違うものの)同じ名前を与えられた彼女は、一族から多大なる期待を寄せられていた。

 一族の持つ会社を継ぐもよし、自分で起業するもよし、医者や弁護士、はたまた国会議員になるのもよし、ただしどの道を選ぶにせよ失敗は許されない──そんな空気のある中、彼女が望んだのは、祖母が愛し、自らも六年間通った萌桜学園を継ぐという道だった。

 大学では教育学と経営を学び、卒業後は教師として経験を積んだ後に学園の経営側につく。言うだけなら簡単だが、そのプランは決して楽なものではない。

 真剣に決めた道であることは、二人きりで私をじっと見つめる彼女の表情から手に取るようにわかった。

 私は一瞬だけ悩み、すぐに頷いた。


『はい。いいですよ』


 実のところ、その時点で私は教師になることをほぼ確定させていた。

 吉野先生と三年かけて仲良くなったこと、友人の弟や妹と触れ合って「子供を教えるのもいいなあ」と思ったこともあって、私の中には教師という選択肢が大きく存在していたのだ。

 悩んでいたのは小中高どれにするか、あるいは少しズレるけれど保育士の資格を取ろうか、それからどの大学に進むのが一番いいかというところだったので、鈴香と一緒の大学に進んで高校教師になる、と一本化できたのはむしろ渡りに船だった。

 けれど、私がほぼ即答したのが意外だったのか、誘った鈴香自身が目を丸くして、


『いいの? アリスなら他の道だって選べるでしょう? 芽愛と料理の道を究めるとか、縫子と専門学校に行くとか、なんならアイドルにだって──』

『いいんです。私が、そうしたいと思って決めたことですから』


 私は、鈴香の言葉をきっぱりとシャットアウトした。


『これからも、あなたの隣を歩かせてください』


 鈴香は飄々としているようで意外と不器用だ。

 鈴香を嫌っている子は少ないが、特に親しい相手というのは数少ない。親友となれば芽愛、縫子、それから私、そこへ後からラペーシュが何食わぬ顔をして滑り込んできた程度で、後は鈴香自身がさりげなく遠ざけ、適度な距離から近づけないようにしていた。

 気の置けない人付き合いというのが苦手な子なのだ。

 だから、私は踏み込んだ。進学に際してこれまでの交友関係がリセットされ、鈴香が一人ぼっちになってしまわないように。

 大切な人が寂しさから壊れてしまわないように。彼女でなければ成し遂げられない大きなことを成し遂げてくれるように。

 じっと見つめ返された鈴香は瞳に涙を溜めながら笑って、言った。


『二言はない? ……決めたからには逃がさないわよ、アリス?』


 私は『望むところです』と返した。


 私たちは同じ大学、同じ学部へと進学。

 共同生活を送りながら、鈴香は経営学部の授業を、私は文学部や国際教養学部の授業を積極的につまみ食いし、今後のための知識を蓄えた。

 鈴香が一人暮らしをするにあたってはひと悶着どころかかなりのやり取りがあったらしい。中でも鈴香のお付きである理緒さんの説得はかなり大変だったようなのだけれど、最終的には無事に許可が下りたらしい。


『アリス様。お嬢様をよろしくお願いします』


 私の存在が決め手となった、という話も聞いたけれど、それがどこまで本当だったのかはわからない。

 私には鈴香の使用人になることはできない。理緒さんやお屋敷のメイドさんと同じ役割なんてできるわけがない。だから、パートナーとして傍にいるのがやっとだったのだが、法改正があって同性婚が認められるようになったという追い風もあって、私は「緋桜鈴香のパートナー」として名実共になんとか認められることができた。


 私たちの大学在学中に、残念ながら鈴香の祖母は亡くなった。


 鈴香は祖母から萌桜学園の所有権を相続し、実質的な学園のオーナーになった。校長の仕事は代行となる人を雇い、そちらに大部分を任せているものの、一教師として働いている現時点で既に「理事会の末席」を有しており、また、学園の「経営」ではなく「教育」に関わる分野では最高権力者として君臨している。

 大学を出て間もない教師でありながら理事の一人であり校長でもある。そんな鈴香の立場に多くの教師は困惑した。当然、風当りも強かったが──鈴香の言った通り、彼女の同期であり古くからの友人であり、プライベートにおける恋人でもある私の存在が矛先を逸らす役に立っている。

 私を通すことでお互い忌憚のない意見を言いやすいし、私が緩衝材となることで仲良くなる切っ掛けも掴みやすい。このまま鈴香が経験を積んでいけば、名実共に頼れる校長先生になれるだろう。

 そうなった時には、私が秘書になってもいい。





 そんな私たちだけれど、今は同居せず別々に暮らしている。

 理由として一番大きいのは、


「アリスは放課後、今日も部活?」

「はい。将来有望だけど危なっかしい一年生の子がいるので、できるだけ見守っていてあげたいんです」


 私が顧問になった『部活動』だ。

 私と同じ『変身者』で構成されたこの部は、変身者たちの受け皿兼、定期的な邪気祓いを行うための組織として機能している。ラペーシュや教授の奮闘により、昔と違って戦闘中は隔離空間を形成できるようになり、死亡や負傷のリスクも低くなった。

 初代顧問である吉野先生から部を引き継いだ私は日々、みんなのメンタルケアや鍛錬に気を配りながら、学園の敷地内に設けられた部室兼生活スペースにて寝泊まりしている。

 鈴香に私の秘密がバレたのは、彼女の祖母の治療を引き受けたのがきっかけだった。

 人は寿命には逆らえない。私が治療してから一年後には結局、亡くなられてしまったのだが、病気ではなく老衰によって亡くなられたお陰で安らかな最後を迎えられたらしい。

 それから、鈴香は私にとっても最大の理解者となっている。将来は学園に小さな神殿を建てたり、選択科目として女神の教えを説く授業を入れる計画もある。


「それじゃあ、お互いに頑張りましょうか、アリス」

「はい。頑張りましょう、鈴香」


 空になったお弁当箱を受け取った私は、最愛の女性に笑顔を返しながら、明るい未来に想いを馳せた。

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