【シルビアエンド】聖女、神殿を建てる
早起きは三文の徳、という言葉がある。
現代のお金に直すと大した金額でないということで「寝てた方がマシだな」とネタにされているけれど、私の意見は少し違っている。
仮に三文=90円とした場合、一年で32,850円。成人してから五十年くらい続けたとしたら164万円ほどになる。五十年間、時間ギリギリまで二度寝できる権利が164万で買えるとしたら、なるほど、確かに買う人は結構いるだろう。
それなら、代わりにその164万円を人助けに使ったらどうだろう?
規則正しい生活を生涯続けるだけでそれだけの金額を費すのと同じくらい善行になる。それは、とても素晴らしいことではないだろうか。
「んっ……今日もいい朝ですね」
大学を卒業して新しい生活を送るようになってから、私は前より早起きしている。
最初は新しいリズムに慣らすためにスマホのアラームが必要だったものの、しばらくすると自然に目が覚めるようになった。
二人が並んで寝られるサイズの広いベッドから身を起こして、ぐっと伸びをひとつ。温かいパジャマを脱いでシャワーを浴び、聖衣を身に付けたら、靴を履いて廊下に出る。
私の生活拠点はとある建物の奥まった場所に位置している。
出た先は石づくりの床になっていて、靴がこつこつと床を鳴らすのが心地いい。天窓から朝日が射し込みきらきらと輝くのも良いものだ。
「あっ。おはようございます、聖女様」
「おはようございます」
道中、二人の見習い聖職者と一緒になった。
私が身に着けているものよりはだいぶ簡素な、けれど、しっかりとした生地を用いた丈夫な衣装を纏い、首からは聖印を下げている。
ちなみに一人は日本人。もう一人はイギリス人だ。
「お祈り、ご一緒してもよろしいですか?」
「もちろんです」
こくりと頷いて、この建物の中である意味最も重要な場所──祭壇の間へと一緒に移動する。
祭壇の間には他にも何人かの見習いがいた。さすがに日本人が多いものの、出身国はバラバラ。髪の色や目の色が違う人もかなりいる。
けれど、集った目的は同じ。私たちは静かに挨拶を交わすと、既に供物の捧げられている祭壇に向かって跪き、祈りを捧げた。
──顔を上げると、周りにいる顔ぶれはさっきとは異なるものになっている。
同じ信仰を持った見習いたちから見ても、私の祈りは「とにかく長い」らしい。そもそもそんなに長く同じ姿勢でいるのが辛い、と言われるのだが、こればかりは慣れとしか言えない。
それに、他のみんながこまごました仕事をしてくれるからこそ、ゆっくり祈りを捧げられるというのもある。
くう、と小さく悲鳴を上げるお腹に苦笑を浮かべると、私は神殿の食堂へと向かった。
「おはようございます、聖女様」
「おはようございます、皆さん」
食堂は数十人がいっぺんに食事を摂れるよう、広く造られている。
調理は食事当番の信者が担当していて、カウンターのような場所でトレイに載せた料理を受け取る形だ。メニューは基本的に一種類。ただし、量はある程度増減してもらえるし、食べられないものを無理に食べろとも言われない。
とは言え、ここの性質上「宗教上の理由でこれが食べられない」という人間は基本的にいないのだけれど。
「いただきます」
食事前の作法はみんなの意思に任せている。
私は神への感謝の祈りを捧げてから「いただきます」を言うスタイル。ただ、別に祈りは省略しても咎めないし、故郷の言葉でいただきますをするのも推奨している。食事中は黙っていないといけない、というルールはないし、聖女だからメニューが違ったりもしない。
私も、みんなと言葉を交わしながら食事を摂ることが多かった。
「ここの食事、美味しいですよね。しかも、どんどん美味しくなっているような」
「みなさんの腕も上がってきていますし、レシピも改良されていっていますからね」
「お米や野菜が美味しいのもありますよ。でないとこの味は出ません」
楽しくお腹いっぱい食べて、食べたら動くのがここでの基本だ。
「では、美味しい食事のためにも、うちの畑を見て来なければいけませんね」
綺麗に平らげて食器だけになったトレイを返却し、私は外出の準備を始めた。
私たちが神殿を構えることになったのは、とある地方都市の一角──山にほど近いエリアだった。
費用は邪気祓いや著名人の治療等々で貯めていたお金でなんとかした。石を多く使っている上に規模が大きいのでかなりの額が飛んで行ったものの、後悔はしていない。
むしろ大変だったのはここを神殿として認めてもらう手続きの方だ。
日本では信教の自由が認められているものの、同時に新興宗教の関係者は煙たがられたり敬遠されたりする傾向がある。私の出自と果たしてきた役割的に政府からの承認自体は得るのが簡単だけれど、一般人からの理解と承認を得るには地道に活動をするしかなかった。
神聖魔法の扱いも問題で、一定のルールのもと、行使が公に許されるようにするのは本当に大変だった。
けれど、その甲斐あって、私は念願だった女神の神殿を実現させることができた。
信仰が知られるようになるにつれて各地から「自分も仲間に入れて欲しい」という人々が集うようになり、今ではかなりの大所帯になっている。彼らのお陰で分担しての共同生活もスムーズに送れている。もちろん、中には「思っていたのと違った」と離れていく人もいるのだけれど、そこは去る者追わず、だ。
ここでは質素倹約がモットー。
できるだけ自分たちで家事をし、神殿で作った田んぼや畑で作物も育てる。早寝早起きは当たり前だし、生活の合間を縫って女神の教えを学ぶ時間もある。
ゆるやかなようでいて決して楽ではないものの、そうした生活を気に入ってくれる人もいる。新興の宗教に過ぎないここが評価されているのはきっと、神聖魔法の存在だけではないはずだ。
それから。
もう一人、ここでの生活に欠かせない人物がいて。
「あ、アリスちゃん。おはよー」
「おはようございます、シルビアさん。……また今日も眠そうですね」
田んぼや畑を自分の目で見て回り、作物に声と魔法をかけ、農作業をしてくれている信者たちも労った後、私は神殿の一角にある薬草園で彼女と出会った。
見慣れた白衣姿。
周りに数人の弟子を連れた銀髪の美女は、私の姿を見るとのんびりとした声を上げた。
「昨夜も徹夜ですか?」
「うん。熱中するとついついねー。最近は薬の注文も増えてきてるし、頑張らないと」
「では、そろそろ薬草畑の拡張も必要そうですね」
「そうだねー。管理は信頼できる人だけに任せたいんだけど」
神殿は私一人で作ったものではなく、シルビアとの共同事業だ。
私の神聖魔法とシルビアのポーションには「人の治療に役立つ」という共通点がある。自然に触れたい私と質の良い薬草を自前で生産したいシルビアの希望も合致したため、神殿と併設する形で研究施設を作る条件で共同出資、共同経営が決まった。
神聖魔法の行使と一緒にポーションの販売も法律的な取り決めをしてもらったため、シルビアとその弟子が作る各種のポーションもまたここの大事な収入源になっている。
他にも、ここで育てた作物は質が良いからと購入したがる人なんかもいて、神殿とは言いつつも十分なお金が入ってきている。私たちの信者や弟子も無償のボランティアなどではなく、一定のお給料は出している。
この辺りは現代社会で暮らす以上は当然というかなんというか。
オフやプライベートの時間に何をするかも厳しく管理していないので、例えばお給料で焼き肉を食べに行こうがスマホゲームのガチャに費やそうがそこは個人の自由だ。私自身、配信は週一くらいで続けていたりするし、毎シーズン気になるアニメは視聴しているのでうるさくは言えない。
もちろん、衣・食・住の大部分を保障していること、給料目当ての人が来ても困ることから支給金額自体は控えめなのだけれど。
「これで何日目でしたっけ?」
私は、あまり目線が変わらなくなった二歳年上の彼女に近づいて、尋ねる。
「えーっと……四日目? でも、昼間に仮眠は取ってるから完徹じゃないし……って、アリスちゃん?」
「そういう問題じゃない、って、わかってて言ってますよね?」
「……あははー、ごめんね」
軽く背伸びをして顔を上げると、優しく笑ったシルビアが唇を重ねてくれる。
数秒。
唇を離すと、インドア生活のせいか細く白い指が私の頭を撫でて、
「アリスちゃんが可愛いからついつい、意地悪しちゃうんだよー」
「嘘です。絶対、研究に気を取られて忘れてるだけです」
「うん、まあ、それもあるけど。ちゃんとアリスちゃんのことも愛してるんだよー?」
「わかってます」
「う」
硬直するシルビア。私はにっこり笑って、
「今日はちゃんと寝に帰ってきてくださいね?」
これに「しょうがないなあ」と苦笑を浮かべた彼女は、
「結婚相手に言われちゃったらしょうがないよね」
と、首から下げた指輪を取り出した。
普段は作業の邪魔になるからと、丈夫なチェーンにつないでいるのだ。ちなみに私はちゃんと指に嵌めている。さすがに農作業する時などは外すようにしているけれど。
これに助手の面々が笑顔を浮かべて、
「ありがとうございます。所長は私たちが言っても全然聞いてくれないので」
「だって自分には残業代とか出さなくていいし」
代わりに基本給を自分で決められるわけなのだけれど。
「いいから、帰ってきてください。どうせご飯だってちゃんと食べていないんでしょう?」
「あ、それは一応ちゃんと食べてるよ。アリスちゃんとこの子達が作って持ってきてくれるし」
「おにぎりとか、食べやすい形にして欲しいというお願いは効果があったみたいですね」
私は「じゃあ、待ってますから」とシルビアに再度念を押す。
「うん。そろそろ子どものこととかも考えたいし」
「え。……いえ、その。それはまだ先でもいいんですが」
すると「だーめ」と額を指でこつん、とされた。
「仮面夫婦とか言われたらまた面倒くさいからねー」
シルビアとの関係がこうなったのは、私が高校三年生、シルビアが大学二年生だった頃のこと。
二学期にさしかかり、そろそろ進路を本決定しないといけない時期に「助けて」と請われたのがきっかけだった。
『あの人のアプローチがやばいんだよ。どうにかして、アリスちゃん』
あの人、というのは吉野先生のことだ。
何の縁か三年間、私の担任を務めてくれており、プライベートで連絡を取り合うくらいに仲良くなった。私にとっても他人とは言えない人物で、結婚に関する愚痴も確かにときどき聞いていたのだけれど、まさかそんなことになっていたとは。
『吉野先生のこと、嫌いなんですか?』
『嫌いじゃないけど、あの人と一緒になったら気ままな研究生活なんて絶対無理なんだよー』
『確かに』
吉野先生はもともと寺の嫁になるはずだった人だ。家柄も良く、礼儀もしっかりしているし、良い学校だって出ている。もちろん容姿もかなりの美人。
その分、自他共に厳しいところがあり、世話好きというか、生活がだらしなくなるのを許せないところがある。生徒相手なら融通もきくものの、結婚相手となったら遠慮なく言うだろう。
『振っちゃうしかないのでは?』
『あの人とのつながり、アリスちゃんも知ってるでしょ? 何年もアプローチされてるくらいには根気強いんだよ。ただ振っても諦めてくれないと思う』
『じゃあ、どうするんですか?』
『アリスちゃんが結婚してくれたら助かるんだけど』
さすがに、私もその申し出には硬直するしかなかった。
『け、結婚って。いきなり過ぎませんか?』
『アリスちゃん、私のこと嫌い? 私が相手じゃ都合が悪い?』
『いえ、まさか嫌いなんて。……それに、シルビアさんと一緒なら、たくさんの人を治したり、ハーブの品種改良をしたりとか楽しそうですけど』
『じゃあ、何が問題?』
その時のシルビアは本当に真剣だったらしい。「瑠璃ちゃん達になびかなかったんならチャンスがあるかなーって」と後に語ってくれた。
じっと見つめられた私は、しどろもどろになりながら答えた。
『……聖職者と結婚するの、嫌じゃないですか?』
彼女は、実家の寺から逃げ出した人間だ。
全然別の宗教とはいえ思うところもあるのではないか。そう思ったのけれど、返ってきたのは優しい笑顔だった。
『嫌なわけないよ。アリスちゃんのことも、女神様のことももう良く知ってるし。……それに、アリスちゃんは私の研究、邪魔したりしないでしょ?』
その笑顔に、私は目を逸らすことができなくなった。
『愛情表現は何度もしてたと思うんだけど、伝わってなかった?』
『いいえ。……私だって、何も思ってなかったわけじゃありません。シルビアさんなら、いいですよ』
まあ、今こうして「たまにはちゃんと眠れ」とお説教しているのもある種「研究の邪魔」なのだろうけれど。
私とシルビアはなんだかんだで上手くやっている。
私の部屋に帰ってきた翌日のシルビアは昼くらいまで寝て肌がつやつやしているし。逆に起きる時間の決まっている私は寝不足になるのだけれど、それくらいは必要経費だ。
『結婚しましょう、シルビアさん』
これからも、私たちは聖女と錬金術師として、多くの人を育て、助けていくだろう。
それが私たちの望んだ道。
彼女と一緒ならどこまでも歩んでいけると、私はそう信じている。
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