【朱華エンド】聖女、超能力者と声優を目指す
「ねえ、アリス? えっちな演技ってどうやったら上手くなると思う?」
引っ越しの際、スララやブランが乗るのも考えて大きめサイズに買い替えた私のベッド。その上にごろん、と寝転がってリラックスモードの朱華が、急にというかいつも通りというか、変なことを言いだした。
長い方が希少価値あるから、という理由で伸ばしている紅の髪が無造作に広がり、さすがはエロゲキャラと言うしかない見事なプロポーションはキャミソールとショートパンツというラフな衣装に包まれている。まあ、当然包み切れていないのだけれど。
ノートPCで音楽編集ソフトを操作していた私は作業の手をいったん止めると顔を上げて答える。
「知りませんよ。どうして私に聞くんですか」
「必要になったからよ。ほら、あんただって声の仕事してるんだし、何かコツとか知ってるかもしれないでしょ?」
「……ああ」
朱華が「必要になった」と口にする理由はすぐに分かった。
私たちは現在、高校三年生。
高校入学あたりからアバターでの動画配信を始め、一年生の夏休みに同人誌即売会へ行ったのを機に同人音声なんかにも出演するようになった私。朱華もそれを追いかけるように、というか私を誘った張本人である千歌さんから誘われる形で同人音声に出るようになったのだけれど……。
音声の仕事がそこそこ順調でファンが増えたこともあって、私たちのところに千歌さんから新しい誘いが来た。
高校を卒業すればアダルト作品に出演できるようになるので、これからはそっちをメインにしてみないか、と。
私はその話をお断りした。
例のシミュレーションRPGのOVA化にあたって主人公の声優をやったり、ノワール(デビュー以降ちょこちょこ声優の仕事が来るようになった)と同じ作品に出させてもらったり、Atuber『キャロル・スターライト』として各種お仕事を依頼されたり、コスプレイヤーとして(健全な)グッズを販売したりと、既に全年齢でかなりの活動をしているからだ。
ただ、朱華は違う考えだったらしい。
「やるんですか、そっちのお仕事?」
「そりゃあやるわよ。だって好きだし。むしろ愛してるし」
真顔でさらりと言われると感心するべきかドン引きするべきか悩むのだけれど。
「朱華さん、エロゲ大好きですもんね……。本当はまだ買っちゃいけない年齢のはずなんですけど」
「本当の歳ならとっくに買えるのよ。っていうか買ってたのよ。……って、それはまあ、どうでもよくて。問題なのは『やりたいかどうか』じゃなくて『ちゃんと務められるかどうか』ってことよ」
それはわかる。
私だってそこは苦労したというか、現在進行形で苦労している。剣道部だった頃の経験もあって発声自体は問題なかったものの、声を張りながら演技をするとなると全く別の技術・センスがいる。素の自分に近いキャラクターから徐々に幅を広げていき、今なお勉強中という感じだ。
アダルト作品の声優となれば猶更だろう。
何しろ経験がない。上手い演技をする手っ取り早い方法は実践してみることだ。その証拠に(?)私たちはバトルの演技で褒められることが多い。
「……そうですね。朱華さん、声はとても良いと思うんですけど」
「エロゲ声優の声だしね。そこは助かってるし、あの人に迷惑がかからないように挨拶しに行くつもりだけど……あたしはあんなエロい演技できないわけ」
「あれだけたくさんプレイしてるのに、ですか?」
「ラノベ千冊読んだだけでラノベ作家になれるのは才能のある奴だけよ」
なるほど。
「じゃあ、千歌さんに聞くのが一番早いんじゃないかと」
「『じゃあ、私と経験してみる?』とか言われたらどうする?」
「瑠璃さんに電話してください」
二人は去年あたりから付き合い始めた。
当初は「断りきれなかったんです……」とか言っていた瑠璃だが、なんだかんだ楽しそうなので、千歌さんが浮気しようとしたら怒るはずだ。というか、恋人にバレるとわかった時点で千歌さんも止めるだろう。
朱華は「むう」と呻りながら、手近にいたブランを抱いてベッドに座り、
「……いっそのこと、シルビアさんにでも試しに抱いてもらうか」
「……そこまでしてエロゲ声優になりたいんですね」
いや、朱華のエロゲ好きは良く知っているのだが。初めてを恋人でもない相手と済ませる理由が「演技のため」というのは面倒臭がりの彼女らしくない。
それとも、シルビアのことが好きだったりするのだろうか。
「朱華さんがそれでいいのなら、私は良いと思います。でも、できればちゃんと告白してお付き合いした方がいいと思います」
話は終わった、ということでPC画面に目を向け直す。
恋人を作るにしてもアダルト方面の声優になるにしても、今までのように朱華とだらだら喋ったりはできなくなるかもしれない。一緒に作品を作るのも楽しかった。けれど、いつまでも昔のままではいられないのだから仕方がない。
今の生活は充実している。後悔はしていないが、こんなことならラペーシュの告白を断ったりしなければ良かったか。いや、今からでも遅くはないのだろうけれど、身体目当てとわかっている誘いに乗るのはあまり良くない。とはいえ、身体目当てでない告白なんてあるのかという問題も、
「あのさ。アリスって意外と面倒くさいわよね」
「……え?」
顔を上げる。
朱華は私をじっと見つめながら、行け、とばかりにブランを離した。促された白いうさぎは真っすぐ私に向けて走ってくると、ぺし、と足を叩いてくる。もちろん痛くはない。でも、一体なんだというのか。
「朱華さんに『面倒臭い』って言われたくないです」
若干むすっとして言えば、朱華は「まあ、そうよね」と苦笑して、
「それは自覚してるわ。でも、あたしは瑠璃とかノワールさんみたいに格好良くないし、シルビアさんみたいに趣味と実益が嚙み合ってもいないじゃない。なかなか自信も持てないでしょ?」
それこそ『趣味と実益を兼ねる』ためのエロゲ声優だと思うが、
「朱華さんは十分、格好いいですよ。それに可愛いです。ナンパとか告白だってされたことありますよね?」
「全部断ったけどね」
「なんでですか?」
「なんでだと思う?」
相変わらず、紅の瞳はこっちを見ている。
正面から見返すと、ああ、綺麗だな、と心の底から思う。私は彼女と話をしている時間が好きだ。作業の邪魔と言えばそうなのだけれど、役に立たない会話だけで一緒にいられるからこそ、朱華とは本当の意味で親しいのだと感じられる。
「ねえ、アリス? あんたはどうして、今まで誰とも付き合わなかったの?」
「……それは」
女の子になってはや数年。男としての感覚はとっくに薄れて、恋に恋するような気持ちも胸の中にはある。友人の恋バナにはしゃいでしまうこともあるし、告白された経験だってある。それなのに、今まで恋人なしで来てしまったのは──。
「好きになった相手以外とは、お付き合いしたくなかったから、でしょうか」
「付き合う前にあんたを惚れさせろってこと? ハードル高すぎじゃない。一緒に旅して世界でも救わない限り無理でしょ」
アリシアの出自であるゲームはシミュレーションRPG。エンディング相手は好感度の高い味方ユニットから選ばれるので、必然的に旅の仲間の誰かになる。
寝食を共にし、協力し合って戦い、笑ったり泣いたりした絆は並大抵のものではないだろう。
「一緒に旅をしたり、戦ったりした仲間なら今の私にもいますよ」
「瑠璃とか?」
だから、どうしてそこで彼女持ちの名前を出すのか。
「面倒臭いのは朱華さんじゃないですか」
「あたしそれ、まだ言われるの?」
「言いますよ。面倒臭い子じゃなかったらヘタレです」
押し倒されたこともあるし、マッサージをしたこともある。耳掃除は今でもお互いにし合っている。初めてのデートは彼女とだった。
気が合うのだろう。
昔は冗談だと思ってスルーしていたけれど、いつからだろう。別にこのまま先に進んでもいいと思うようになったのは。そして、それを態度に出すようになったのは。
「前に『いいですよ』って言ったら逃げましたよね?」
「………」
「私が食べていたプリンが欲しいって言うから『あーん』してあげたら恥ずかしそうにして食べなかったり」
「………」
「二つくらい前の同人作品録った時、これからもこういうのやりたいですね、って言ったら『売れたらね』とか言って誤魔化しました」
「何よ」
ブラン──ではなく、ゲームセンターで取ったうさぎのぬいぐるみが飛んでくる。
「あんたがモテる上に誰にでも優しいからいけないんじゃない」
「ヘタレ」
ジト目で睨むと、朱華は頬を膨らませて私を睨み返してきた。
「あんた、ちょっとこっちに来なさい」
「………」
ノートPCをスリープ状態にしてからベッドまで歩いていく。
すると、ぐいっと腕を引かれた。
勢い余って壁に激突しないよう身体の向きを咄嗟に変えたら──朱華と折り重なるようにしてベッドに倒れ込んでしまった。
柔らかくて、いい匂いがする。
成長するにつれ、朱華はだんだん「女の子の匂い」から「女性の匂い」に変わっている。高校三年生になった今となってはもう、容姿自体はそこまで前と変わっていないはずなのに、ちょっとした仕草や雰囲気も込みで無意識に誘ってくるような色っぽさがある。
整った顔立ちが、綺麗な瞳が、形のいい唇が、私の目の前にある。
お互いの服越しに心臓の鼓動が聞こえてくる。緊張しているのが手に取るまでもなくわかる。
ベッドを押そうとする朱華の手に自分の手を重ねてぎゅっと握りこむ。下半身が暴れようとするのも、同じようにして封じ込めた。
「アリス」
「……いいですよ、って、言ったらどうしますか?」
少女の手に力が籠もる。
「駄目」
なのに、紡がれたのは逆の言葉だった。
「そんなこと言って、実際にしたら『そんなつもりじゃなかった』って言うんでしょ。あたし、そういうの良く知ってるんだから」
全く、この子は本当に素直じゃない。
エロゲのヒロインなんて男に都合のいい子が勢ぞろいだろうに、どうしてそういうところだけ現実を見ようとするのか。
なら、わかりやすくしよう。
意味ありげな態度なんて止めて、好きなようにすればいいのだ。
「好きです、朱華さん」
私は、想いの全てを短い言葉にこめて、彼女に告げた。
「だから、あなたの好きなようにしてください」
「……っ!」
堪えきれなくなったように、少女の唇が私のそれに重ねられる。
甘い。
実際の味はスナック菓子の塩気を感じたけれど──それ以上に、とろけるような心の甘さが、一瞬にして私の心を支配してしまった。
そのせいで、自分が何秒くらい、どんなことをしていたのか記憶にあまり残らなかったけれど、とにかく気づいた時には唇が離れていて、私は呆けたような状態で朱華を見つめていた。
小さなため息。
熱っぽい視線が私に、私だけに注がれる。
「知らないわよ。……あんたがなんて言ったって、もう止まれないから」
「はい。仕方ないので、ぜんぶ、許してあげます」
そして、私たちはもう一度、唇を重ねた。
翌朝。
「……しちゃったじゃない」
「しちゃいましたね」
呆然と呟く朱華に、くすりと笑って答える。
不思議な気分だ。疲れは確かにあるのに、気持ちはとても満たされている。そのせいで今日一日、このまま頑張れてしまいそうな気がする。そもそも女の子というのはそういうところがある。忍耐によって精神の摩耗をギリギリまでそぎ落として動き続けるのが男なら、女は幸せを感じることで気力を補充して動き続ける生き物。
「後悔、してますか、朱華さん?」
「……ううん」
尋ねると、彼女は苦笑しながらそう答えた。
「してない。……どうせなら賢者モードになってくれたら、もう少し冷静になれたんだけどね」
「いいじゃないですか。そんなもの、ない方が楽しいですよ」
「あー、もう、本当。そういうところよ、アリス」
頬を引っ張られそうになったので、その手を取って指を絡めた。
「言っとくけど、あたし、こういうところは超ネガティブだから。他の奴に浮気したりしたらどうなるかわかんないわよ」
「わかってます。浮気なんてしませんよ。……不安なら、何かお揃いの物でも買いましょうか」
ノリで言ってみただけだったけれど、それはとても楽しそうだ。
これからの新しい二人の関係に想いを馳せながら、私は幸せを噛みしめる。
「それはそれとして、朝のお祈りをしてもいいですか、朱華さん?」
「……はいはい。たまにはしっかり付き合ってあげるから、その前にシャワーを浴びましょ、アリス」
こうして、私たちは親友から恋人同士になったのだった。
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