【ノワールエンド】聖女、お嬢様になる
うららかな日差しがカーテンの隙間から射し込んでいる。
幸福な微睡みの中、クイーンサイズのベッドで寝返りを打っていた私は、こんこん、というノックの音にゆっくりと意識を浮上させた。
ドアの開く音を極小にまで抑える、という、大したことないようでありながらとんでもないプロ技を用いながら部屋に入ってきたのは、黒をベースとした豪奢なメイド服に身を包んだ美女だった。
彼女は身を起こした私へにこりと笑いかけると、恭しく一礼する。
「おはようございます、アリシアお嬢様」
柔らかく、そして聞き取りやすい声。
声をかけられただけでつい微笑みを返したくなってしまうけれど──私は、彼女の声と視線を敢えて無視した。
「………」
「え」
小さく、女性が呟く。
困惑の表情を浮かべた彼女は「アリシア様? アリシアお嬢様?」と何度も私に呼びかけてくる。さらにはベッドへ近づいて顔を覗き込んできて、
「あの、わたし、何か粗相をいたしましたでしょうか? いえ、自分で気づくべきだというのは重々承知しております。主人の意図を汲み取れないなどメイド失格です。……ですが、その、お嬢様が何も仰ってくださらないと、不安で」
だんだん可哀そうになってきた私は、仕方なくため息をついて無視を中断する。
代わりに軽く彼女を睨みつけて、
「ノワール? 二人きりの時は私のことをなんと呼べ、と命じましたか?」
「……あ」
ようやく思い至った、とばかりに口を開いたノワールは、さっと姿勢を正した。
「失礼いたしました。……アリスさま」
「わかってくれたならいいんです」
私は微笑みを浮かべて「無視してごめんなさい」と彼女へ謝る。
「でも、ノワールさんがいけないんですよ? 二人っきりの時は昔からの呼び方で、って、二人で決めたのに」
「申し訳ありません。その、少々、お客様のお話し相手をしていたものですから、つい意識がそちらの方に」
そんなことだろうとは思った。
呼び名を使い分けているのも大変ではあるし、ノワールだけが悪いわけではない。それでも、私はついつい甘えるように文句を言ってしまう。
「昨夜だって一緒に寝たのに、ノワールさんだけ先に起きてますし」
「それは仕方がありません。わたしはあくまでもメイド。主人と同じ時間まで眠っていたり、あまつさえ主人に起こされるようでは失格です」
「でも、夜更かしは私のせいでもあるわけですし……」
呟くように私が言うと、ノワールは「何のことかわからない」という風にそっぽを向いた。
言った私も、絡み合うお互いの髪やノワールの一糸纏わぬ肢体を思い出して赤面してしまう。淫らな意味合いで言ったつもりは全くなかったのだけれど、それを示した以上、そういう意味になってしまうのは当然のこと。
こほん、と咳ばらいをして話題を変える。
「やっぱり、私もメイドになれば良かったです」
すると今度はノワールが私を(可愛く)睨んでくる。
「いけません。何度もお話させていただいた通り、アリスさまがメイドをなさっては、お嬢様役の方が可哀想過ぎます」
「ラペーシュさんやシルビアさんなら十分いけると思うんですけど……」
「あの方々に主人役を任せるわけにはまいりません」
それはまあ、確かに。
お客様を片っ端から篭絡しそうな魔王と、お客様そっちのけで研究室に籠もりそうな錬金術師。どちらも役としてのお嬢様に向いているとは言えない。
まさかこんな話、本当のお嬢様である鈴香に持って行くわけにもいかないし。
私は仕方なく「納得しました」と答えた。
ノワールはそれに満足そうに微笑んで、
「では、アリシアお嬢様。まずは朝のお仕度をいたしましょう。それが済みましたら……」
「はい。皆さまへ朝のご挨拶に」
私たちは頷き合って、それぞれに行動を開始した。
朝のルーチンワークは大学を卒業した今も、高校生の頃とそう変わっていない。
洗顔。シャワーで身を清めたり、身嗜みを整えてから朝のお祈り。ただ、あの頃とは住む部屋というか、住む家自体が変わった。
なので、階段を下りてリビングに行き、ノワールに朝食のメニューを尋ねることはない。メニューが知りたければ起こしに来てくれた時に聞けばいいわけだし。
「おはようございます、皆さま」
私が今、住んでいるのはとある『お屋敷』だ。
映画やドラマでしか見ないような縦長の食堂に顔を出すと、そこには既に何人かの『お客様』がやってきていた。彼ら(割合で言うなら彼女らの方が多いが)は長方形のテーブルの長辺に座って歓談を楽しんだり、食堂内を見回したりしていた。
上品なドレスを着た私が座る席は屋敷の主人が座る位置──つまり、玄関から遠い方のテーブルの短辺。
私が席に近づくと、見習い用のメイド服を纏った女性が椅子を引いてくれる。少し緊張しているのか少しがたつく。焦った表情を浮かべる彼女に「大丈夫ですよ」というように微笑んでから、そっと椅子に腰かけた。
すると、別の見習いメイドが食前のお茶を持ってきてくれる。
「ありがとう」
それぞれに名前を呼んでお礼を言うと、見習いメイドたちは嬉しそうに笑顔を浮かべた。
メイドたちが若干足を弾ませながら離れていくと、待っていたようにお客様方が話しかけてくる。私はそれから朝食の用意が整うまで、そして朝食が始まってからも、彼らとの歓談を楽しんだ。
そして。
食事の後は何をするかといえば──その、正直大したことはしなかったりする。
大学は卒業してしまったし、あれから変身者も増えたので私が邪気祓いに駆り出されることも少ない。どうしてもやらないといけないことがないので、ある意味では暇を持て余している。
なので、私は神に祈ってみたり、(暗記していたのをPCに打ち出して印刷所に製本してもらった)聖典を手書きで写本してみたり、ごく普通に読書をしたり、映画鑑賞をしたり、メイドたちの淹れてくれたお茶を飲んだり、お客様と話をしたりといった程度だ。
ほとんど遊んでいるようなものなのだけれど、遊んでいるのか、と聞かれれば半分だけノーだったりする。
何故かと言うと、このお屋敷でお嬢様として過ごすことそのものが私の『お仕事』だからだ。
私、というか私たちがこのお屋敷を建て、このお仕事を始めたきっかけは二代目シェアハウスである屋敷での生活だった。
シルビア専用の研究室に私用の祭壇、舞いの練習にも使えるレッスンルーム、しっかりとした広さのある道場などを備えたその快適さにはメンバーの誰もが喜んだものの、中でも一番喜んでいたのはやっぱりノワールだった。
『このような広いお屋敷で働けるとは……感無量です』
仕事が増えて喜んでいるあたりがさすがノワールだが、彼女が楽しそうにしていると私も嬉しかった。幸い、シュヴァルツもいたので広い屋敷をノワール一人で切り盛りする必要もない。
時間のある時は私が手伝うこともできたし、なんならラペーシュが魔法で汚れを消し去ったり、スララが通路いっぱいに広がって散歩したりすることもできた。
掃除をしたり洗濯をしたり料理をしたり、思う存分、ちょうどいい具合に仕事に熱中できるようになった当時のノワールは本当に水を得た魚のようだった。
ただ、私にはそんな彼女の様子に不満なところもあった。
メンバー中で一番働いているのは間違いなくノワールだ。彼女はアニメの声優を始めた上、私のプロデュースまでしてくれていた。なのに、みんなから給料をもらうどころか生活費の一部を支払ってまでいた。しかし、お給料を払うと言っても本人は頑として受け取らない。
なんとかならないか、と、考えた時にふと、閃いたことがあった。
『ノワールさんが好きなことをしているだけでお金を稼げるシステムを作ればいいんです』
発想のヒントになったのは、昔、瑠璃と話したコンセプトカフェの構想だった。
あれを応用すればいいのでは、ということで考えたのが、お屋敷型の宿泊施設を作ってお客様に泊まってもらい、メイドとして『ご奉仕』することでお金をもらうというビジネスモデル。
『で、ですが、そんなことでお金をもらうなんてあまりにも都合が良すぎるのでは……?』
『そんなことはありません。私なんて、布教するだけでどんどんお金が入ってきているんですよ?』
聖職者が信者からお金をもらうのは当たり前では? なんてツッコミを入れられたりもしたものの、ノワールに幸せになって欲しい、と真摯に説得したら納得してくれた。
ただし、一つだけ条件を出されて、
『アリスさまがわたしのご主人様──お嬢様として共に過ごしてくださること。それを了承いただけるのであれば、喜んで』
私は、その条件を二つ返事で呑んだ。
ノワールからは「好きなお相手を見つけてくださって構いません」なんて言われたものの、そっちの話は即座に断った。
『ノワールさん。ご主人様と使用人の身分違いの恋、なんて、むしろ定番だと思いませんか?』
『それは……その、そうですけれど。いい、のでしょうか。わたしなんかのために、アリスさまの貴重な人生をいただいてしまって』
『ノワールさん? 私は、条件を出された時点で「そういうこと」だと思っていたんですけど……違いましたか?』
彼女は、最後には笑顔で私を受け入れてくれた。
そうして、私たちは自分たちが住むためプラス、お客様を迎えるための新しいお屋敷を建設した。
都内だと土地代がかかりすぎる上に広い土地を確保できない、ということで、やや都会から離れた場所に建てることになってしまったものの、結果的にはそのお陰で観光ついでに宿泊予約をしてくれるお客様なんかも出てくれるようになった。
土地代が安いとは言っても初期投資が明らかに多すぎるという問題に関しては私もノワールもお金には困っていないどころか貯金が有り余っていたこと、そして半ば趣味だから問題ない、ということで強引にスルー。
こうして出来上がったお屋敷は、私とノワール、それから一緒に来ることになったシュヴァルツ、それから「面白そうだから」だったり「心配だから」で首を突っ込んでくれたみんなのアドバイスもあって、単に宿泊するだけの施設ではなく体験型施設を兼ねることになった。
まず、屋敷の主人役は私──アリシア・ブライトネスが務め、宿泊客は私の招待客という設定に。
宿泊客は手入れの行き届いた部屋や美味しい食事でもてなされる他、私の日常生活を共有することもできる。メイド長のノワール、副メイド長のシュヴァルツを始めとするスタッフは全員メイドに扮している、というかメイド教育を受けた者が務める。
施設利用者は希望すれば『招待客』ではなく『見習いメイド』として屋敷に入り、一定期間、メイド業務を体験することもできる。もちろん、この場合もお給料を出すのではなく体験料金を徴収する。
メイド体験については「本当に利用してもらえるか」と恐る恐るのスタートだったものの、蓋を開けてみれば希望者がコンスタントに集まり、今では「知る人ぞ知るメイドの聖地」としてメイド好きに知られるようになった。
お金を払って働きたいという奇特な人が意外といる、という事実に驚いたものの、考えてみるとそもそもノワールがそういうタイプだった。
というわけで、大学の途中から始まったこの事業は私が大学を卒業してからも続き、今に至っている。
収支は黒字続きだし、見習い体験から正式雇用を希望する人も一定数いてくれるので、スタッフにも困っていない。
ノワールは屋敷の維持や見習いメイドへの教育で大忙し。私も私的な用で外出する時と夜、寝る時以外はお嬢様役としてお客様の目につくところにいる生活。なかなか気を遣うことも多いものの、なんだかんだで楽しんでいる。
「それはいいのですが、アリシア・ブライトネス。お姉様とはいつ結婚するのですか」
若い頃のノワールのような顔をしたロボメイドことシュヴァルツの「ごもっとも」な問いかけに、私は笑みを浮かべるとこう答えた。
「シュヴァルツ。主人を呼び捨てにするとはどういうことですか」
「誤魔化さないでください。結婚するならするで、式の予定を出してもらわなければ今後の展望が立てられないでしょう」
すっかり人間らしくなった仕草と表情でじろりと睨まれる。
いや、まあ、言っていることはもっともだし、私だってもちろん結婚したい気持ちはある。なんのしがらみもなければノワールだって一発OKしてくれると思うのだけれど。
「仕方ないでしょう。……さすがに結婚してしまうと、ノワールをメイドとして使うわけにはいきません」
「……はあ。お姉様にも困ったものですね」
うん、言いにくいけれど、正直同意したい気持ちもある。
私の返答にしばらく考えるようにしたシュヴァルツは「では」と続けて言ってきた。
「いっそのこと、お姉様との子を作ってしまったらどうです」
さすがにそれは最終手段だな、と思いつつ、ノワールならきっといいお母さんになるだろうな、とも思ってしまう私だった。
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