聖女、生徒指導室に行く

 ある雨の日の休み時間、廊下で吉野先生を見かけた

 会釈してすれ違おうとすると、向こうから声をかけられる。


「ブライトネスさん、調子はどう?」

「はい。お陰さまで毎日楽しく過ごしています。吉野先生は──」


 どうですか、と尋ねようとした俺は、先生の顔色があまり良くないことに気づいた。

 なにかあったのだろうか。

 さすがにここで魔法を使うわけにもいかないし、どうしたものかと考えて、


「そうだ。先生。たまには一緒にご飯を食べませんか?」


 幸い、先生はこれをOKしてくれた。

 昼休み、中庭が使えないのでちょうど良い。俺は「一緒に食べよう」と言うクラスメートに謝ると、弁当の包みを持って指定された場所へと向かった。

 『生徒指導室』。

 二人用のテーブルと椅子が置かれた狭い部屋。人目を避けられるのである意味、落ち着いて話をするにはうってつけだが、


「なんだか悪いことをしたような気分になります」

「良い話の時も使うんだから大丈夫」


 先生はそう言ってくれるが、やはりどうにもどうにも緊張してしまう。

 取調室を連想するせいだろうか。

 ともあれ、小さめのテーブルに向かい合って座る。俺が通路側で、先生が奥側。警察に捕まったのなら逆に座るだろうから少し安心だ。

 吉野先生がテーブルに載せたのはちょこん、としたお弁当。

 中身は玉子そぼろの載ったご飯に野菜とこんにゃくの煮物、肉団子らしきもの、間仕切りの代わりに投入されたレタス、それからプチトマト。


「先生の手作りですか?」


 美味しそうだと思いながら尋ねると「一応ね」と苦笑してくれる。


「花嫁修業をしないといけない立場だったから、当時は習慣になってて。せっかく覚えたのに鈍らせるのも嫌でしょう?」

「立派だと思います。私はノワールさんに作ってもらっているだけですし」


 というか、このお弁当もそろそろ自分で作るべきか。

 ノワールが外出する日だけでもそうできないか、相談してみよう……と思いながらお弁当の蓋を開けると、先生はそれをしげしげと覗き込んで「健啖ね」と呟いた。

 俺のお弁当もノワール作だけあって彩、味、栄養すべて文句のつけようがない。ただし、量は先生のものよりだいぶ多かった。

 なんとなく女子としては少し恥ずかしい。


「その、しっかり食べないとお腹が空いてしまって」

「いいんじゃない? 若い子はダイエットを考えるより、栄養バランスを整えてたくさん食べるべきだと思う」

「そうですね。健康な身体こそ全ての基本ですから」

「ブライトネスさんは全然、ダイエットとか必要なさそうだけどね」

「幸い、カロリーはきちんと消費されているみたいです」


 朱華たちに比べれば小食な方だが、それはシェアハウスのメンバーが揃いも揃ってよく食べるからだ。おそらく、魔法だの超能力だのといった力のせいで人よりエネルギーを使いやすいのだろう。

 箸を手に取り、それぞれのお弁当をしばし口に運んで、


「ねえ、ブライトネスさんは恋愛とか興味ある?」


 いきなりの速球に箸が止まった。

 いや、その、なんと答えたらいいものか。これがクラスメートや鈴香たち相手なら「私にはまだ早いです」とか言うところなのだが。


「ないわけじゃないんですが……その、私、少し特殊な事情でしょう?」

「……そうね」


 僅かな間を置いてから先生はこくんと頷く。


「こうして話していると普通の女の子だから、忘れそうになってたけど」

「そう言っていただけると嬉しいです」


 すっかり今の自分アリシア・ブライトネスが板についたつもりの俺だが、恋愛的な好みばかりはなかなか変わらない。

 男子と恋愛する自分の姿というのはどうにも想像ができない。小学生くらいの男の子相手なら可愛いと思えるが、それは慈愛的な意味なので話が別だ。

 それに、無理に男とくっつく必要性もそこまでない。


「ここだけの話、私の使える魔法には同性で子供を作るものもありまして」

「……それって他人にも使えるの?」

「使えます。身体への負担がないわけではないので、あまりお勧めはしませんが」


 男性同士の場合は特に負担が大きい。そもそも子供を育む器官がないからだ。

 女性同士の場合もそこまでとはいかないものの、多少疲労が大きくなったり、というのはある。


「あと、女性同士の場合は女の子しか生まれないので」

「あまり大勢に広めてしまうと支障が出るんだ」

「はい」


 それもあって、この魔法はあまり推奨されていない。使っていいのは聖職者本人が絡む場合と、後は「どうしても」と言う相手がせいぜいだ。


「先生。もしかして、好きな人が……?」


 尋ねると、先生は「ううん」と首を振った。


「ただ、世間の目がね。実家からもプレッシャーがかかるし……」


 心なしか目が虚ろになっている。

 特殊な環境とはいえお金は持っていただろうシルビアの実家。そことの縁談を勝手に断り、挙句、勤め先まで移ったのだから色々あるだろう。いっそのこと俺たちのように変身してしまった方がしがらみが切れる分、ある意味楽かもしれない。

 結婚。

 大学を出て数年程度で周囲から「しろ」と圧力が来るというのもなかなか大変な話である。

 それを言うとファンタジー世界では二十歳前の結婚が当たり前なわけだが……ああいう世界だと女はさっさと結婚するものだ。生まれてからずっと花嫁修業をしていると思えばむしろ猶予時間は長い。


「やることが多すぎるんですよね。それなのに、なるべく早く結婚するべきなんて言うからおかしいんです」

「まあね。適齢期っていうのがあるから仕方ないんだけど……」


 先生はそこまで言ってから「ごめんなさい」と苦笑した。


「高校生の女の子にこんな話、良くないよね」

「いえ。私も十年後くらいには直面する問題ですから」

「十年? ……十年か。十年かあ……」


 あ、先生がさらに遠い目をしてしまった。

 しまった。「自分はまだ若い」アピールのつもりはなかったのだ。いや、だからこそ無自覚アピールがきつかったのか。なかなかに難しい。

 ここは、なんとかして場を和ませなければ。


「政府に圧力をかけて法律を改正させましょうか」

「え、何言ってるの? できるの?」

「冗談です。たぶん、やろうと思えばできますけど」

「できるの!?」


 驚かれた。

 ちなみにもちろん、やるとなったら頼るのはラペーシュである。だから俺の力とは言えない。そういう問題ではない気もするが。


「先生のこと、シルビアさんも嫌ってはいないと思います」

「な、なんのこと? そういう話じゃないんだけど」


 話の終わり際に本題(だろう話題)を振ってみると、動揺気味にとぼけられた。

 なんというか、シルビアも先生も素直じゃないと思う。






《color:#ff0000》《キャロル様 心ばかりの寄進です。何かの足しにしてください》《/color》

《color:#ff0000》《キャロルちゃん様 祭壇の進捗マダー?》《/color》

《color:#ff0000》《これで甘い物でも食べてください》《/color》


 最近、コメント欄が赤い。

 もちろん赤だけじゃなくて緑とか他の色もあるのだが、そういう問題ではない。

 通常色(黒)以外の色はスパチャ、つまりお布施、課金を表している。赤はその中でも額が大きい場合の色なので、それが目立つということは推して知るべし。


「まずいです。これでは悪徳宗教待ったなしです」

「Atuberなんてどこも悪徳宗教みたいなもんじゃない」


 ※個人の感想です。

 あまりにも危険な気がするので注釈をつけておくが。

 配信終了後、労いがてら雑談をしに来た朱華に愚痴をこぼすと、返ってきたのはあっけらかんとした回答だった。

 確かに、Atuberに限らず何かしらのコンテンツの熱烈なファンを指して「信者」と呼ぶ文化はある。そういう意味では新興宗教なんてありふれているし、課金の存在するコンテンツではばんばんお金が飛ぶのが普通なのだが。

 半分以上素で喋っているだけの配信で万単位のお金がばんばん入ってくるのは心臓に悪い。


 祭壇を作るくらいのお金は余裕で貯まってしまったので、とりあえず作成の発注は飛ばした。シルビアと吉野先生に「どこか大きい石の加工ができるところ知りませんか」と尋ねたところ(後者からは「誰か亡くなったの……?」と心配された)いいところが見つかったのでそこにお願いしている。

 結構いい石でお願いしたのと、ある程度の丈夫かつ軽量化を図ったデザインにしたこと、そしてもちろんフルオーダーになることからかなりの額──車が買えるくらいの値段になってしまったが、俺自身の懐は痛んでいない。普通にやっていたらさすがに大きな出費だっただろうから、視聴者の皆さんさまさまである。

 聖職者というのは神の素晴らしさを説く役割ではあるのだが、一般信者やパトロンの方がいなければやっていけないわけで、皆さんには足を向けて眠れない。


「そんなに怖いなら何かしらで還元したら? プレゼント……は難しいだろうから、何かいい方法を考えないとだけど」

「はい。とりあえず、千歌さんからもアドバイスをもらって、リクエストサイトで格安のボイスを提供したりしてみています」


 目安としては一分間のボイスで500円くらい。

 受付は無理のない範囲で、と決めているのだが、募集を開始する度にリミットを軽く超える件数のリクエストが来ている。


「あー……あんたが演技に関して素人じゃなかったら物凄い価格破壊になってるわね、それ」

「こっちで頂いたお金は本当に甘い物食べたりするのに使うつもりなので、私としてはもうこの価格で十分すぎるくらいなんですが」


 ついでに言うと「ホーリーライトの詠唱してください」なんてリクエストもあった。

 応えるために魔法を発動せず魔法の詠唱を発動する必要があり、奇しくも神聖力を抑える訓練に役立ってしまった。


「これが宣伝になって配信の視聴者数も増えているので、なんというか、あらためて千歌さんは凄いなと」


 千歌さん的にはそのうち同人ボイス作品も作りたいと考えているようで、現在は台本をどこかに依頼中だとか。

 そういえば昨夜、シルビアが「久々に腱鞘炎になりそうだよー」なんて言っていた気がするが……まあ、関係ないだろう。


「あはは。まあ、信者が増えるわけだし何よりじゃない?」

「それはそれで、そのうち宗教活動でBANされそうで怖いんですよね……」


 と、そこで俺はあることを思い出した。


「そういえば、反響の割に神聖魔法の威力が上がってない気がするんですよね」

「瑠璃と二人でオロチ討伐しておいてそれ言う?」

「あれは向こうの性能も下がっていましたから……。それに、考えてみてください。今まで、私の祈りを伝わりやすくしただけで大きな効果があったんですよ? 信者が増えたのに『あ、強くなってるなー』くらいの効果では釣り合わないじゃないですか」

「いや、あんたほど真剣に祈らないでしょ、みんな」

「それを言われると……」


 信仰の質が与える影響についてはなんとも言えない。十分強くなっているのだからそれでいいのかもしれないが……。

 強くなりたいというよりは、みんなの想いが過小評価されているようで少し物足りない。

 と。


「あ。あれじゃない? アリシア・ブライトネスじゃなくてキャロル・スターライトに信仰が行ってるから、うまくパワーが受信できてないとか」

「じゃあ、キャロルの衣装に着替えたら威力が上がるんでしょうか」

「上がるかもよ。やってみたら?」

「一応、試してみましょうか」


 前に注文していたキャロルの衣装はもう届いている。

 例によって試着だけして大事に保存してあったそれをクローゼットから取り出す。


「外出てましょうか?」

「別にそのままでいいですよ。でも、あんまりじっと見ないでくださいね?」

「OK、見てくれってことね」

「《沈静化サニティ》」


 問答無用で精神を落ち着かせてやったら朱華はちゃんとそっぽを向いてくれた。


「これ、ベッドの上で男にやったらテロよね」

「何か言いました?」

「なんでも。……って、やたら似合うわね、あんた」

「だって、もともと私をベースに作ったキャラじゃないですか」


 着替えてウィッグを被るだけなので男装より格段にお手軽だ。

 せっかくなので錫杖も召喚して、


「さて、どうしましょうか。まさか《聖光ホーリーライト》を撃つわけにもいきませんし」

「さっきの魔法でいいんじゃない? ちょうどいい奴連れてくるから」

「?」


 首を傾げて待っていると、部屋の外に出て行った朱華が「アリスが押し倒して欲しいって」と誰かに伝えるのが聞こえた。

 数秒後、目をきらきらと輝かせてラペーシュと、それを追ってきた瑠璃が現れて、


「さ、《沈静化サニティ》!」


 一発で二人とも完璧に落ち着いた。


「うん、使えるわねその衣装」

「いえ、使えるのはいいんですが……」

「朱華?」

「朱華先輩?」


 朱華は怒った二人からこっぴどく叱られた。

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