聖女、拝まれる

「おかえりー、アリス。きょうはあそべるー?」

「すみません、スララさん。今日は行かないといけないところがあるんです」


 ある日。

 部屋に戻るなり寄ってきたスララに、俺はそう返した。

 人間の子供くらいのぷよぷよした塊の傍──白い羽毛を持ったうさぎのブランに視線を合わせると、彼女は「皆まで言わないで、任せなさい」とでも言うように鼻をすぴすぴと動かした。「ありがとうございます」と軽く撫でてから、急いで支度を始める。

 と、部屋のドアが開かれて、


「アリス、手伝いいる?」


 俺と同様、学校から帰ったばかりの朱華が入ってきた。


「いえ、大丈夫です。さすがにもう慣れましたし」

「にしちゃ慌ただしいけど……まあ、二件じゃ仕方ないか」

「はい、二件ですからね」


 今日、俺は帰りのHRが終わってすぐ帰路についた。

 園芸部にも寄らなかったし、クラスメートと雑談もしなかった。もちろん「帰りにどこか寄って行こう」という誘いも断った。

 宿題は休み時間中に無理矢理終わらせてある。

 普段ならもう少し余裕があるのだが、今日は治療の仕事がなんと二件も予定されている。

 連日は前にあったが、一日に二件は初めてのことだ。まあ、身バレ防止の着替えを考えると一度で済む方が気楽ではあるのだが──予定が詰まる分、スケジュールが慌ただしくなるのは避けられない。


 ぱぱっとシャワーを浴びて汗を流し、いつも使っているものとは違う無香料のシャンプー・ボディソープで洗う。

 髪と身体をしっかり乾かしたら胸にさらしを巻いて平に(前より苦しくなった)。逆に腰には男装用の補正下着を付けてラインをフラットに見せる。下着はショーツではなく男物のボクサーパンツ。上にはワイシャツ──だけだと肌に擦れて気になるので、透けにくい色のキャミソールを下に着ける。

 少しはしたないが、この格好の上からタオルで隠しつつ部屋に戻り、メンズのスーツを身に着ける。だいぶ伸びた髪は無理矢理まとめてウィッグを被り、シックなデザインの帽子で隠す。ごくごくナチュラルな化粧をし、目にはカラコン+伊達眼鏡、手には薄いグローブをはめる。


「どうですか、朱華さん? 変なところないですか?」

「手際は完璧じゃない? ……ただ、男装してる女の子感はかなり強いかな」

「うーん……まあ、女子ですからね」


 やっぱり、だいぶ無理が出てきている。

 体型は極力誤魔化しているし、アリシア・ブライトネスにも見えないが、男子に見えるかと言うと微妙なところ。これだけいろいろやってこれなのだから、後は諦めるしかないだろう。

 すると朱華は笑って、


「あんたもう、男に戻った方が苦労しそうよね」

「それはそうですよ。私と会った頃の朱華さんたちと今の私って、そんなに経過日数変わらないんですよ?」

「あー。……そう考えると早いもんよね、本当」


 持って行く鞄やハンカチ、財布もいつもとは違う男物。

 今のところ問題ない相手しか招いていないからいいものの、考えてみるとこの辺りのグッズを下手な相手に見られたら変な誤解をされそうだ。彼氏がいて、その人の服が部屋に置いてあるとか。

 ……そうなったら「縫子に無茶振りされてもいいように男装用の衣装を揃えてある」と言い訳しよう。たぶん納得してくれる。


「では、行ってきます」

「行ってらっしゃい。一応、気をつけるのよ」

「承知しています」


 シュヴァルツの教育を絶賛継続中のノワール(+扱かれているシュヴァルツ)、リビングでごろごろしていたアッシェらも見送りをしてくれた。

 なお、ラペーシュは小桃モードのままクラスメートと寄り道中。俺が一緒に行けない分を引き受けてくれているわけなのでとても有難い。

 その分、俺はしっかり務めを果たして来なければ。

 といっても、特に変なことは起こらないと思うのだが──。





「ありがとうございます! ありがとうございます!」


 と、思いきや。

 二件目の治療時にちょっとした事件が起こってしまった。


 一件目は無事に終了。

 俺はとある病院での治療を終え、政府関係の車で次の仕事場所──当人の家へと移動していた。治療相手は怪我人や重病人なので、必然的に向こうが来るのではなく俺が出向くことになる。すると、中には入院ではなく自宅療養をしている人もいるのだ。

 挨拶などは政府のスタッフがやってくれるし、可能な限りの人払いは必須条件になっているので、俺は変装+マスクをした状態で治療をすればいいだけ。小さな声で魔法を使えば何を言ったのかも聞き取れないはず。


 神聖魔法を駆使すれば大概の症状は治癒できる。

 怪我や一般的な病気、毒物ならそれぞれに対応した魔法があるし、ウイルスやがん細胞は浄化の魔法で無力化可能。

 今回もその要領で治療を済ませ、念のために治っているか検査を受けてもらうように指示。これで終わりだとほっとしたその時、


「ありがとうございます、アリシア様!」

「───」


 なんでバレてるんですか、と、そこで取り乱さなかった俺を褒めて欲しい。

 顔が半分隠れているのを良いことに無反応を貫いた俺はスタッフに対応を任せた上でその家を後にした。

 治療対象は見るからに弱ったお婆ちゃんで、依頼人はその娘だという中年女性だったのだが、


「あの、どうして私の名前が……?」

「申し訳ありません。こちら側の不手際が原因と思われます」


 ここでしらばっくれても無駄だと判断したのだろう。スタッフは素直に答えてくれた。

(俺から教授に伝わる→教授が殴りこんでくる、のパターンだと余計に話が面倒臭くなる)


「政府はアリシアさんをはじめとする変身者の存在を秘匿する方向で動いていますが──事情を知る限られた者の中にも『むしろ公表すべき』と考えている者がいるのです」

「それは、私たちの力が役に立つから、でしょうか」

「ええ。特にアリシアさんの能力はもっと広く活用されるべき、という考え方が根強く、これまではなんとか抑えてきたのですが──どうやら強硬策に出てきたようです」


 本人を担ぎ上げてしまえば隠しようもなくなる、という話。

 とりあえず俺がしらばっくれたことで最悪の事態は避けられたようだが、


「……ずっと隠し続ける、というのも無理がありますよね」

「……そうですね」


 俺の呟きに、やや躊躇いがちな肯定が返ってきた。


「皆様が我が国の所属である、と明確に示しておくことで未来のトラブルを避けられる、という意見もあるのです。残念ながら、その意見にも一理あるかと」


 俺なら各宗教。朱華なら各種研究機関。シルビアも薬学系の企業・機関がこぞって欲しがるだろう。シュヴァルツなんか手に入れた国の技術レベルが跳ね上がりかねないし、ノワールがFBIとかCIAには入るのもなかなかヤバイことになる。

 スララは国のゴミ問題を一人で解決しかねないし、アッシェだって絶滅危惧動物の発見とかに役立ちそうだ。ラペーシュは言うまでもないので割愛。

 そう考えると瑠璃は割と平和そうだが、


「早月瑠璃さんに関してはやんごとなき血統と婚姻を行っていただければ……などという、不敬になりかねない意見もあります」

「わ」


 霊力を扱える上、不思議な刀に認められている大和撫子だ。権威を重んじる派閥からすれば当然の流れなのかもしれない。


「加えて、変身者の出現パターンも掴めていませんから」

「皆さんが生み出しているわけではないんですね?」

「違います。……もし、そうだったとしても否定するしかない、というのが現状ではありますが」


 まあ、本当に違うのだろう。

 原因を作った人間が政府にいるのなら、もう少し俺たちをコントロールしているはず。未知の現状だからこそ彼らも困っているのだ。

 その上、ラペーシュみたいな存在まで現れるのだからたまったものではないだろう。


「仲間が増えたら楽になるとは思うんですけど、難しいですね」

「ええ。今のところ変身者は全員、和を重んじる方々ばかりですが、今後もそうとは限りません。そういう意味でも人数の急増は望むところではないと」


 邪気を祓えば世の中は良くなる。

 しかし、それだって実証しきれたわけではない。ラペーシュの証言もあるが、信じない者は信じないだろう。人の考え方というのは一つではないのだ。


「……暗くなってしまいましたね」


 車の窓から見上げた空は完全に暗くなって月が昇っている。

 二件治療をこなした上、現場も近いとは言えなかった。この分だと夕飯は先に食べてもらった方がいい。俺はノワールにメッセージを入れた。


「あの、どこかでトイレに行かせてもらえませんか? さすがに限界が近くて……」

「わかりました。確か、近くに公園があったはずです」


 公園には基本的に公衆トイレが設置されている。この時間ならそうそう利用者もいないだろうし、人目に触れるのを避ける意味ではちょうどいい。

 上手く発見できたので、俺は「すぐ戻ります」と言って車を降りた。

 人はいないようだが……この格好だと男子トイレに入った方がいいか。なんだか物凄く久しぶりな気分だ。男女で分かれている場所というのはなんだか結界でも張られているような入りにくさを感じる。


「……ふう」


 幸い、中は清潔に保たれていた。個室で用を済ませて外に出たところで──。


「え?」


 俺は、うぞぞぞ、と、嫌な気配が集まってくるのを感じた。

 振り返る。常夜灯に照らされた公園内に、尋常のものではない黒いモノが集まり始めている。量的には大したことないが──邪気だ。


「一人の時は大丈夫なはずでしたよね……!?」


 俺は迷った。このまま公園を出てしまえば邪気は散る。バイトのつもりで来たわけではないのだからそうしても構わないだろう。

 しかし、祓える機会を逃すのも気持ちが悪い。

 ここは、現象の意味を確かめるためにも。


「やりましょう」


 結界を張り、錫杖を召喚して敵と対峙する。

 実体化していく敵──なんだか戦隊ヒーローものの怪人のような姿をしたそれを見据えつつ、服の中から聖印を取り出して、


「《聖光ホーリーライト》!!」


 聖なる光を解き放った。





「アリスが成長した結果でしょうね」


 夕食は鱚と縞海老をメインとした天ぷらだった。

 俺の分を帰って来てからわざわざ揚げてくれたので、アツアツかつサクサク。なんとも贅沢すぎる食事に、ぺこぺこだった腹も歓喜の声を上げた。

 天ぷらを味わいつつ、早いペースで口に運びながら、俺は今回の出来事を仲間たちに話した。それについて見解を示したのはラペーシュだ。


「聖職者だもの。邪気を祓う能力は高いのは当然。以前からそういう傾向はあったんでしょう? なら、それが強化されただけじゃないかしら」

「あんたがアリスにけしかけたわけじゃないのね?」

「不意打ちで雑魚を出す理由がないもの。契約でアリスを殺すことはできないし、修行させるのが目的なら準備の上、もっと強い敵を出すでしょう?」


 仰々しく現れた怪人っぽい奴は《聖光》一発で吹き飛んでいった。巨大化して復活したりもしていない。なので俺は怪我をしていないどころか、汗一つかく暇もなかった。

 車で待っていた政府のスタッフも「さっき、何か光りましたか?」くらいの反応しかしてくれなかったくらいだ。


「ですが、これだとアリス先輩は深夜にコンビニへ行くのも難しくなってしまいますね……」


 いや、コンビニ行ってまで夜食を買うくらいなら我慢するが。

 少し前、突発的に買い出しを頼まれた時のようなことがないとも限らない。学校の友人と遊びに行って少し遅くなった結果、魔物を召喚してしまう、なんていうこともあるかもしれない。

 俺は箸を止めつつ首を傾げて、


「何時を門限にすればいいんでしょうか」

「わからん。日が落ちたらもう危ない可能性はある」

「それでは外でのディナーも難しいではありませんか」


 ノワールが「由々しき事態だ」と言うように眉を寄せる。その隣でシュヴァルツは「食事がそんなに大事か」という顔をしていた。


「まあ、そうですね。アリシア・ブライトネスは旅行の予定もあるのでしょう? 旅先で敵と出くわすのはまずいのでは?」

「あ」


 海水浴で遊び過ぎたら巨大イカタコが出現。

 テニスの帰りにダークエルフの群れから雨のように矢を射かけられる。

 バーベキューをしていたら巨大猪が突っ込んでくる。

 ……なんていう可能性も確かになくはない。


「教授、何かいい方法ないー?」


 シルビアが水を向けると、それまで我らがリーダーは「そう言われてもな」と渋面を作った。


「ひとまずはアリスの言った通り門限を設定して様子を見るしかないのではないか」

「まあ、さすがにアリシアさんに悪行をさせて聖職者としての格を落とす……などというわけにもいきませんしね」


 アッシェが頷き、話はまとまったとでも言うように席を立つ。

 魔物使いの主である魔王は部下の勝手を咎めるでもなく俺を見て、


「特訓して、邪気を集める能力をコントロールすればいいのよ。アリスならできるでしょう?」

「そんなこと、簡単にできたら苦労しませんよ」


 ラペーシュは時々、俺への期待が大きすぎるような気がする。

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