聖女、空を飛びたがる

「今年の夏休みはどこに行きましょうか」


 昼休み。

 小桃も同席して五人での昼食時、芽愛めいの何気ない言葉からその話は始まった。

 夏休みの話題。まだ早いのではないかという気もしたが、そうは言っても五月も終盤。あと二か月しかないと思えば、今からあれこれ考えておくのも良さそうだ。

 これに小桃が首を傾げて、


「去年はどこに行ったの?」

「高原の避暑地に海水浴、それとエステサロンですね」

「へえ、それはなかなか」


 指折り数えることもなく答える縫子ほうこ。俺としても新体験ばかりだったし、何よりとても楽しかったので、もちろんよく覚えている。

 感心するように答えた小桃は──心なしかラペーシュが表に現れているような、いないような。


「よく『海か山か』って言うらしいけど、両方制覇したようなものか」

「高原を山と言っていいかどうか難しいところですが、そうですね」

「なら、今年は本格的な登山でもしましょうか?」


 面白がるように鈴香すずか。すると縫子が眉をひそめて、


「女子高生がするようなことでしょうか。いえ、アウトドアファッションにも興味はありますが、あれは素材の問題が大きく条件が特殊なので」

「そこなんだ」


 ツッコミを入れるのはもはや小桃一人である。他のメンバーはお互いの性質について十分に知っている。


「山菜取りには興味がありますが……」

「私は登山、興味があります。恐山とか、富士山とか、いつか上ってみたいです」

「アリスは相変わらず独特な感性ね」


 うん、まあ、修行になりそうなところを選んだので、あまり女子高生が立ち入る場所ではない。

 鈴香はくすりと笑って、


「本格的な登山は理緒も辛いでしょうし、止めておきましょうか。そうすると、海や山に代わる目玉が欲しいところだけど」

「映画やショッピングではありきたりすぎますし」

「出先で美味しい物をいただくのは決まっているようなものですし」

「……うん、このメンバーの話は自由すぎて逆に落ち着くかも」


 小桃の中の人であるラペーシュはお嬢様どころか魔王様なので、さもありなん。

 それはともかく、俺も何かいいアイデアがないか考えて、


「海でも山でもない……あ、空とかどうでしょう? なんて」


 人は飛べない。飛行機に乗ることはできるが、あれは主目的にするものではなく、あくまでも移動手段だ。冗談は冗談として、他のアイデアを考えようと、


「スカイダイビングね。確かに一度やってみたいかも」

「ああ、それは楽しそうですね」

「高所からの景色……いいインスピレーションになりそうです」

「あれ?」


 なんか普通に可決されそうだった。


「なるほど。山よりももっと高い場所という発想ね。なら、海の方のダイビングもありかしら」

「今からなら海外も間に合うのでは?」

「外国の本場料理は是非味わってみたいですね」


 しかもさらにグレードアップし始めた。


「皆さんがお嬢様なのを久しぶりに実感しました」

「ああ、ごめんなさい、アリス。さすがに予算が厳しいかしら?」

「あ、いえ、お金の方は全然大丈夫です」

「……うん。アリスも割とすごいこと言ってるからね?」


 海外旅行に空と海のダイビングくらいなら一月の収入で十分足りるのだが──言われてみると絶対「普通の女子高生」の会話ではなかった。


「というか、小桃さんも来るんですか? ……来ませんよね?」

「え、なにそれアリス。私何か悪いことした?」

「そういうわけでは……ない、とも言い切れないような」


 明確な悪さはしていないが、とはいえ魔王である。

 あと、万が一小桃と同室なんていうことになった場合、ラペーシュに戻る可能性があるわけで、


「ほら。身の危険を感じるなあ、と」

「いや、それは私、恋愛対象は女の子だけど」

「……さらっとカミングアウトしないでくれないかしら」

「アリスちゃん、そこは危ないからこっち来て」

「同性に性的魅力を感じる女子はどのようなファッションを好むんでしょう。鴨間おうまさん、その辺りの意見、聞かせてもらえますか?」


 結局、なんかわちゃわちゃしたことになった挙句、小桃は「私は遠慮しておくよ」ということになった。予算的に足りなくはないけど他に欲しいものがあるし、友達と一緒では女の子も口説けない、と。

 なんだか出会った頃よりはっちゃけている気がするのは俺に正体がバレたせいなのか、それとも、ラペーシュの抱える邪気が強くなっているせいなのだろうか。





 放課後は園芸部に顔を出してから帰宅した。


「ブライトネスさんも土いじり、慣れてきたね」


 部の先輩方からはそんなことを言われた。

 普通の女の子はこういうの嫌がる子が多いから、とのこと。確かに、花とか植物が好きな子は多くても、本格的に世話したいと思う女子は少数派かもしれない。具体的に言うと手が汚れるとか、虫とか、その辺りの理由で。


「私は好きですよ、こういうの」

「じゃあ、将来は農家のお嫁さんとか?」

「うわ、全然想像できない」


 部員の声に笑顔を返しながら自分でも想像してみたところ、案外悪くない話に思えた。早起きして神に祈りを捧げ、田畑を耕し、家畜に餌をやる。自分で育てた作物を中心とした質素かつ堅実な食事。暇な時間は周りに困っている人がいたら助けたりする。

 ……うん、悪くない。

 神殿を建てられるほどお金が溜まったら検討してみようか、と少し思った。さすがに今すぐに、と言われると、そこまで煩悩を捨てられる自信がないが。


 帰宅したら、玄関のドアを開ける前に家庭菜園に寄って魔法をかけた。

 こまめに魔法をかけてやると目に見えて育ちが良くなる。頑張って育てる楽しみは減ってしまうものの、食材が美味しくなると仲間たちからは好評である。特にシルビアからは「素材の質は重要だからねー」と、彼女の薬草畑にも魔法をかけるように頼まれているくらいだ。

 となれば一度、錫杖も出して本格的な植物育成もしてみたいような。


『駄目ですよ、私。きちんとした儀式は痩せた土地を回復させるためのものです』

『そうですね』


 本格的に祈りを捧げた場合、土地に神聖力を満たして栄養を補充することができるらしい。そこまで行くと邪気を祓う効果もありそうだ。とはいえ各地への巡礼なんてそうそう行けない。高校、いや大学を卒業したら可能だろうか。いや、バレたら駄目なのだから、この体制が変わらない限り無理かもしれない。


「ただいま帰りました」

「お帰りなさいませ、アリスさま」

「……お帰りなさい、アリシア・ブライトネス」


 帰宅するとノワール、それからシュヴァルツが出迎えてくれる。

 揃いのメイド服を着た彼女たちは本当に姉妹のようである。シュヴァルツはメイド服が不本意らしいが、正直とても似合っている。人間と違って皮脂汚れとかないので一着を着続けていてもあまり問題がないし、なんだかんだシュヴァルツがそれを着ているのも見慣れてきている。


「ノワールさん。何かお手伝いすることはありますか?」

「いいえ、大丈夫です。シュヴァルツに基礎を仕込んでいる最中ですので、アリスさまはご自分のことを優先なさってください」

「わかりました。ありがとうございます」

「わかりましたではなく、助けなさい。アリシア・ブライトネス」

「頑張ってくださいね、シュヴァルツさん」


 シュヴァルツのメイド修行は微妙な進捗だ。

 決して勘は悪くないし、呑み込みも良い方なのだが、シュヴァルツが新しい身体に慣れ切っていないのと、ロボという性質上、本人に食事の必要がないのが足かせになっている。掃除や洗濯はまだマシなのだが、一番重要な料理が「レシピと手順を丸憶えする」しかなく、一つ一つチャレンジして覚えて行っている段階。


「あー、おかえりー、アリス」

「ただいまです、スララ。ブランも」


 部屋では一匹のスライムと一羽のうさぎが仲良くくつろいでいた。お互いすっかり打ち解けたようで、種族も全く違うというのに当然のようにじゃれ合っている。

 スララの身体はぷよぷよしているので触り心地がいいし、スララ的にも、もぐもぐするのは生でも食材でも大差ないので、敢えて小さなうさぎを吸収する必要はない模様。


「アリスはまたしゅくだいー?」

「はい。残った分をやっつけてしまわないといけません」

「根絶やしにしないからふえるんだよー?」

「残念ながら、宿題は根絶やしにしても生まれてくるんですよね……」


 何しろ『教師』という存在が生成する使い魔のようなものだ。なので先生を倒せば止まるのかもしれないが、そこはスララに告げると危険なので言わない。

 手早く着替えを済ませ、宿題の残りを片付ける。それが終わったら配信チャンネルについたコメントを確認したり、キャロル・スターライトのつぶやいたーアカウントをチェック・更新したりする。まあ、そうそうネタがあるわけでもないので、面白いことがあった時以外は「今日は何時から配信します」程度になってしまうのだが。

 ネタを作るためにも欠かせないのが、


「祭壇製作の続きです……!」


 現在は粘土をぺたぺたして小さな祭壇を作るのを目標にしている。

 最初は木材を使った神棚にチャレンジし、そちらは一応ちゃんと完成した。ただ、物凄くシンプルな構造にした結果、なんというか物置き棚とか本棚を作ったのと大差ない仕上がりになってしまった。一応、彫刻刀を使って装飾を施したりもしてみたものの、工作感の否めない出来となり、公開した結果もらったコメントは「可愛い」とか「中学生かな?」といったものだった。

 なので、現在はもう少し凝ったものを狙っている。焼くまで固まらない樹脂粘土というのを使い、装飾付きの祭壇を目指している。と言っても祭壇自体の構造は単純だ。要は上に物を置ける台であればいいので、大まかな形を作るのは難しくない。

 ただ、形を均等に整えた上に装飾を施そうとするとなかなか難しい。左右のバランスが崩れてしまったり、つま楊枝で溝を彫ろうとして勢い余ったり、何度も失敗を重ねている。なんかもう、ただの趣味として粘土をいじっているのでは? という気がしないでもない。


 配信の視聴者からも『外注しちゃいなよ』という声が寄せられているので、一応、ちゃんとした形のものができたところでそちらに移行しようと思っている。

 粘土で作ったミニ祭壇を公開し、その後、外注用の設計図を書き始めるといった具合だ。これはアリシアの記憶を呼び起こしながら定規なんかも使って書くことになるので、またしばらく進捗状況の報告ができるだろう。


「とりあえず、神棚に向けてお祈りできるようになりましたし」


 聖職者自ら作った祈り用の道具だ。多少は効果があると思いたい。

 その次はミニ祭壇、そして本格的な祭壇と徐々にグレードアップして行けばいい。あんまり早く大きな祭壇が出来上がっても置く場所に困る。

 教授やラペーシュが主張し、政府からもらえることになった新しい家は目下、建設の準備が進行中。人数が増えてもいいように部屋数を増やしたり、各メンバーが出した「こんな設備が欲しい!」という希望を取り入れたりした結果、規模はいい感じに膨れ上がっていて、完成するのにはまだだいぶかかりそうだ。

 目下の目標はレベルアップ。

 バイトは毎週のように継続中だし、配信と祭壇作成も順調(?)だ。瑠璃の刀の強化も一応続けているし、できることはやっているはずだ。


「ラペーシュさんから見て、私たちは勝てそうですか?」


 当の魔王に尋ねてみると、彼女は「さあ、どうかしら」と首を傾げた。


「言っておくけれど、誤魔化しているわけじゃないのよ? 実際問題、戦ってみなければわからない。特にアリス、あなたの底力はね」

「私、ですか?」

「他に誰がいるの?」


 桃色をした美しい瞳が俺を真っすぐに見据える。


「少なくとも、私はあなたを特に評価している。意中の相手だもの、当然でしょう?」

「……もう。そういうこと言われると、少しはドキドキするんですよ?」

「あら、それは好都合。……それにね。実を言えば、あなたたちに勝ってもらった方がいいのかもしれない、とも思うの」

「ラペーシュさん?」

「だって、そうでしょう? 私はあなたたちを殺すかもしれないけど、あなたたちは私を殺さないもの」

「私だって自分の命や仲間の命の方が大事です。いざとなったらわかりませんよ」

「それでも、ね。魔王より残酷な聖職者なんていないでしょう?」


 現実に照らし合わせると意外にいそうな気もしたが、そこは言わないことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る