【番外編】聖女、迷子を拾う

「……結構、量が多くなってしまいました」


 夕方。近所のコンビニにて買い物を済ませた俺は、猫柄の買い物袋をしっかりと握り直した。

 珍しくノワールが調味料を切らしたことによる突発的な買い物。最初は本人が「すぐに買ってまいります」と言ったのだが、そのためにはメイド服を着替えないといけない。


『わたしは気にしませんが……』

『ノワールさん。さすがにそれはどうかと……』


 瑠璃の窘めもあって、代わりに俺が行くことに。

(ちなみにそう言う瑠璃もコスプレっぽい格好で出かけたりするわけだが、台無しなのでツッコミは自重した)


『あれ、アリス。コンビニ行くの? だったらついでにチキン買ってきて。あとアイス』

『あ、アリスちゃん。私も頼んでいいー? たしかあそこはサプリ売ってたはずだから買って来て欲しいの。せっかく思いついた薬があるのに材料が足りないんだよ』

『あら、でしたら食べてみたいものがありますの。コンビニ総菜とやらの中には絶品のハンバーグがあるのでしょう?』


 そこへ朱華、シルビア、アッシェらが次々と欲しいものを言ってきて、買い物リストがずらずらと増えてしまった。こうなったら俺もファッション誌でも買ってやる、と無駄に対抗意識を燃やしてしまったのも良くなかった。

 まあ、さすがに持てないような量ではないし、たまにはこういうのもいいだろう……と、思っておくことにする。

 そうして少し歩いた時。


「ううっ、ぐすっ」


 俺は、誰かのすすり泣くような声を聞いた。

 声の主はすぐに見つかった。一人でとぼとぼと歩く、三年生か四年生くらいの男の子。今にも泣きそうというか、もう半分泣いているような状態だ。

 まあ、とはいえ男子だ。車の通りも多くないし、放っておいても大丈夫だろう。

 今はノワールに調味料を届けるのが先決。


「……っ、ひっく」

「どうしたんですか?」

「え……?」


 しかし、後で事故のニュースとか見たら寝覚めが悪いなんてものじゃない。男子相手に過保護だと思いつつ、結局声をかけてしまった。

 顔を上げた少年は驚いたような顔をする。金髪が珍しいのだろう。さっきからそこを普通に歩いていたのだが、いっぱいいっぱいで気づいていなかったか。

 俺はしゃがんで目線を合わせると、


「迷子ですか? 一緒の方は?」

「……いない」


 やっぱり迷子か。

 俺はさらに彼へ尋ねる。


「スマートフォンとか、携帯電話は持っていませんか? それか、お家の連絡先とか。迎えに来てくれる人に連絡が取れればいいんですが」

「……ない」


 駄目か。

 俺の親なんかは「私たちが子供の頃はこうやってた」と俺に家の電話番号のメモを持たせてくれていたのだが。公衆電話もめっきり見なくなってしまったし、悪い人間に悪用される可能性もあるとかでなかなかそうもいかなくなっているのだろう。

 しかし、いざこうして子供が一人になってしまうと逆に困る。セーフティをかけないなら目を離すなと言いたいが、文句を言っても始まらない。


「大丈夫ですよ」


 ひとまず微笑んで安心させる。こういう時はとても心細くなるものだ。世界に一人きりになってしまったような気がして、このまま死ぬんじゃないかとさえ思ってしまう。そんな時は誰かが声をかけてくれるだけでも心の支えになる。


「そうだ。アイス食べますか?」


 ちょうど手元には甘いお菓子がある。どうせならみんなの分をと人数分買ってきたので、俺の分をあげるのなら問題はない。

 コーンのついたアイス──というか冷凍保存可能なソフトクリームを差し出すと、少年は「いいの?」と尋ねてくれる。


「いいんですよ。お腹が減っていたらお家まで帰れないでしょう?」

「……ありがとう」


 おずおずと受け取った彼はぎこちない手つきで包装を剥がし始める。ゴミは俺が受け取った。後で捨てるとして、ひとまずはティッシュで汚れを拭き取り買い物袋に投入。

 甘い物を食べ始めるとだいぶ落ち着いたのか、彼は笑顔を浮かべた。

 さて、声をかけてしまった以上、この子を無事に帰らせないと俺も家に帰れない。とりあえず朱華とノワールに「迷子の子を家に届けたいので帰りが遅れます」とメッセージを入れて、


「お家の近くに何か目印とかありませんか? 住所がわかればそれが一番いいんですが」

「……えーっと」


 少年は目を彷徨わせ、何かを考えるようにしてから、


「薬局」


 薬局、薬局かあ。絞り込めるような絞り込めないような、微妙なラインの目印が来てしまった。とりあえず近隣の薬局を検索し、画像を表示して見せる。


「見覚えがあるのはこの中にありますか?」

「……あ、これ!」

「よかった」


 一枚の画像を指し示してくれたので目途が立った。場所さえわかればそこまでナビを起動すればいい。文明の利器さまさまである。……うん、少し遠いが歩けない距離じゃない。


「じゃあ、ここまで一緒に行きましょうか」

「いいの?」

「もちろんです。困った時はお互い様でしょう?」


 もう一度、安心させるように微笑んでから手を差しだせば、彼は恥ずかしそうに視線を彷徨わせてからおずおずと俺の手を取った。なお、もう一方の手にはしっかりとソフトクリームを握っている。

 可愛い、と思ってしまうのはどういうアレの作用なのか。

 男子高校生時代だったら、女の子ならともかく男子相手に保護欲なんて感じなかった。やったとしてもせいぜい、近くの交番に連れて行って「後は頑張ってな」くらいだろう。それが今となっては甲斐甲斐しく世話を焼いているのだからわからないものである。

 これも女子になった影響、あるいはアリシア・ブライトネスの影響だろう。ファンタジー世界における小さな子供というのは昔の日本同様、現代日本よりずっと死にやすい。それを助けて保護するということはとても大事だったのである。


「でも、お家の方が今も探していたらちょっと可哀そうですね?」

「大丈夫」


 答えた彼はアイスを食べながら、こうなった経緯を説明してくれた。

 友達と一緒に遊びに出かけ、少し遠出をした。友達は知っていて、彼は初めて来た公園。遊んでいる間は楽しかったので、終わった後「じゃあ現地解散な」と言われた時はあまり問題を意識していなかった。

 他の仲間がいなくなった後で初めて「やばい」と思った。記憶にある限りの道順を辿ろうとしてみたものの、一つ道を間違えるとどんどんわからなくなって、袋小路に嵌まってしまった。

 これはもう、どうしようもないと思ってつい泣いてしまったのだという。

 今日の夕飯は大好物だと聞いていたのに食べられないんだ、とか、きっと帰っても怒られるとか、怒られてもいいから家に帰りたいとか、見たいテレビがあったとか、聞いた時は笑い飛ばした怖い話とかが次々に頭へ浮かんできて、絶望しかけた時に俺が現れたらしい。

 その言い方だとまるで俺が救世主だが……泣いている子供がいればそのうち誰か声をかけただろう。特に大した話じゃない。


「っていうか、なんでそんなに日本語上手いの?」

「私、英語ほとんど喋れないんですよ」

「は? なにそれ?」


 なにそれと言われても、そもそも外国人ではなく異世界人だし、中身は生粋の日本人なので仕方ないのである。


「金髪だから外国語話せるとは限らないんですよ」

「いや、普通話せるでしょ」

「これは痛いところを……」


 しかしまあ、それだけ普通に話せるようになって良かった。


「ハンバーグ、私も好きですよ。我が家のハンバーグがまた絶品で」

「そんなに美味しいの? 何味?」

「色々です。スタンダードにデミグラスソースの時もあれば、和風おろしの時もありますし、チーズが載っていたり、玉ねぎベースのソースとか……あ、ちょっとお高い塩でいただいたこともありました」

「ねーちゃんちって金持ちなの?」

「えーっと……そうかもしれませんね」


 大学教授と薬師が住んでいて、学生組も月収何十万円ある家は金持ちと言っていい気がする。いわゆるお嬢様ではないんだが、家にメイドさんがいるとか言ったら絶対混乱するだろうし。鈴香たちのせいでちょっと高級な遊びスポットも結構知っている。


「じゃあ、お抱えの運転手とかいるの?」

「さすがにそこまでじゃないです」


 せいぜい魔王様がテレポートさせてくれるくらいだ。


「いいなー。金持ちならゲームとか買い放題じゃん」

「そんなにたくさん買っても遊びきれませんよ。それに、お金持ちはお稽古ごとが多かったりするんです」

「例えば?」

「お茶とか、お花とか、楽器とか、英会話とか」

「じゃあねーちゃん金持ちじゃないじゃん」


 英語話せないのはそんなに駄目か。

 ツッコミを入れそうになった俺はぐっと堪え、こほん、と咳ばらいをして、


「いいですか? お金持ちだからって無暗にお金を使うのは駄目なんです。そんなことをしていたら、お金の大切さを知らない大人になってしまいます」

「コンビニでいっぱい買い物してるのに?」

「う。いえ、これは家族の買い物を代わりにしただけで。私が自分で買ったのは本とアイスだけですし」


 本はそうそう安売りとかないのでコンビニで買っても損はしていない。電子書籍ならセールはよくあるが、雑誌は電子化されているものとされていないものがあるし、ベッドでぺらぺらめくる楽しみばかりは紙の本でないと味わえない。


「ねーちゃんゲームとかしないの?」

「たまにやりますよ。好きなゲームはありますか?」

「おれはソプラトーン!」

「そこですか……。将来はFPSにハマっちゃいそうですね」

「FP?」

「操作キャラの視点で遊ぶシューティングゲームのことですよ」


 調子に乗ってFPSとTPSの違いについて解説してしまう俺。配信をしているのと、後は朱華や瑠璃と話す機会が多いせいで、こういう知識は無駄にある。

 少年としてもゲームの話だから素直に聞いてくれる。お返しに、友達とこんなゲームをしてこんな活躍をした、みたいな話を聞かせてもらいながら歩いていると、


「あ!」

「あれですね」


 画像で見た薬局が俺たちの視界に入った。


「ここまで来れば道がわかりますか?」

「うん!」


 笑顔で頷く彼。これで一件落着である。とはいえ、せっかくここまで来たのだから家の前までは見送りたい。「じゃあ行きましょう」と歩き出す。

 すると、少年が俺と繋いでいた手を不意に離した。……ああ、なるほど。知り合いに見つかりそうな距離に来たので気恥ずかしくなったのか。かつて男子小学生をやっていた俺を舐めてもらっては困る。その程度では嫌な気分にならないどころか「そうか、お前もか」とほっこりする。

 アイスも食べ終わっていたのでゴミを回収する。


「証拠隠滅ですね。お家の人には内緒ですよ」

「わかった」


 神妙に頷くところもなんというか憎めない。

 やがて彼の家があるというマンションが見えてきて──。


「あ、お姉ちゃん!」


 マンションの前に一人の女の子が立っていた。駆け出す少年と、それに気づいてやってくる女の子。高校生くらいの子で、少年の名前を呼んで「遅かったじゃない」とか「遠くまで行かないようにって言ってるのに」とか言っている。

 というか、俺はその女の子に見覚えがあった。


「こんにちは」

「アリスちゃん!? もしかして、弟を連れてきてくれたの?」

「あはは……。はい、成り行きで」


 迷子になって泣いていたので、というのは彼の名誉のために黙っておこう。

 萌桜ほうおうのクラスメートである女の子は俺の答えに「そっか」と笑って、


「ほら、お姉ちゃんにありがとうは言ったの?」

「あ、ありがとう」


 頬を赤く染めながらおずおずと言う少年。わかる。ちゃんと感謝していても母親とかから促されると照れくさくていいづらいよな。


「気にしないでください。ハンバーグ、食べられそうですね」


 そう言って微笑むと、彼は「うん!」と頷いて、それからとっておきの名案を思い付いたような顔になって、


「お礼におれ、ねーちゃんと結婚してやってもいいよ」

「え」


 結婚とは。しかもお礼とは。なかなかに意外な発言である。道案内のお礼が人生、と考えるとすごい話ではあるが。


「あ、気にしないでアリスちゃん。この子、これ言うのマイブームなの」

「ふふっ。そうなんですね」


 大方、アニメか何かの台詞に影響されたのだろう。俺はくすりと笑って彼の前にしゃがみ込み、少し悪戯めいた口調で言った。


「じゃあ、大きくなってもし覚えていたらプロポーズしに来てくださいね」

「お、おう」


 そうして俺は二人と別れ、シェアハウスへの道を歩き出した。

 帰り着いた時には夕飯は既にできていた。調味料が足りないためメニューは急遽変更になったらしい。朱華たちの分のアイスは外気に触れにくい場所に入れていたのと、こっそり『食料保存』の魔法をかけておいたお陰で、ちょっと溶けかけている程度で済んだ。


「お帰りなさいませ、アリスさま。今日はハンバーグになりましたよ」

「ただいまです、ノワールさん。……ハンバーグ、ちょうど食べたかったんです」

「何よアリス。アッシェに影響されたわけ?」


 朱華が不思議そうな顔をするので、俺は夕食を食べながら迷子の男の子の話をした。

 全て話し終わると、瑠璃が神妙な顔をして、


「アリス先輩。まさか本気でその子と結婚するつもりで……?」

「まさか。あの子もすぐに忘れてしまうと思いますし。私は『プロポーズしてください』と言っただけで『待ってます』とは言いませんでしたから」


 その時にはもう、俺にも恋人がいる可能性はある。


「なるほど。それはつまり、私と結婚してくれるってこと──」

「違います」


 なお、ハンバーグはもちろんとても美味しかった。

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