聖女、超必殺技を放つ

「あ──」


 それは、一瞬の出来事だった。

 ぷよぷよとしたスララの身体がうねり、朱華の身体を覆いつくす。驚いたからか、あるいは何かを伝えようとしたのか、口を大きく開いた朱華は頭からつま先までをスライムに覆いつくされ、取り込まれた。

 淡いブルーに包まれた少女はなんとか抜け出そうともがくも、意外と圧がかかっているのか外周へは全く到達できない。どこかクリスタルに閉じ込められたお姫様のような光景は、少女が無力な囚われの身となったことを如実に示していた。

 それを為したスララはどう思っているのか。ただ「もぐもぐー」と呑気な声を上げながらふにょん、ふにょんと揺れて、


「朱華さん……!」

「朱華先輩!?」


 俺と瑠璃は咄嗟に行動した。神聖魔法の輝きが日本刀を包み込み、霊力と神聖力によって輝く刃が夜闇にきらめく。

 しかし、


「待て! 慌てるな、朱華まで傷つけたらどうする!」


 教授の声が俺たちを我に返らせた。

 ラペーシュとの契約によって命を奪うことを禁じられているのは「敵に対してだけ」だ。。瑠璃の攻撃へスララが咄嗟に「人質を盾にした」として、手を止めなかったのは瑠璃の責任──ということになってしまうかもしれない。

 唇を噛んで刀を下ろす瑠璃。足にうさぎが纏わりついたままの俺もどうするべきか迷う。そしてそうしている間にも、取り込まれた朱華をスライムの体液が襲っている。

 その気になれば金属さえ溶かす液体は、しゅわしゅわ、といった感じで少女の纏うチャイナドレスを溶かしていく。護身用のナイフやらあれこれがホルダーのベルトを溶かされたことで離れ、何も守るもののなくなった裸身が、月明かりとLEDライトに照らされるようにしてぽっかりと浮かび上がる。

 やっぱりこうして見ると朱華は綺麗だ。……って、そんなことを言っている場合じゃない。このままだと服だけじゃなく身体まで溶かされる。

 しかし、どういうわけか白い柔肌には傷ひとつ生まれず、スライムの中の朱華の顔は若干気持ちよさそうに赤らみながらも「かかったわね」とでも言いたげだった。


「問題ない。スライムに朱華を止められるわけがなかろう」


 教授の言葉は、その後程なくして証明された。

 意気揚々と「もぐもぐ」していたはずのスララが何やらぷるぷるし始めたかと思うと、


「あついー」


 彼女は「ぺっ」とでも言うかのように朱華の身体を吐き出した。ごろごろと転がるようにしてスライムから逃れた朱華に瑠璃がかけより、その肌に触れようとして「熱っ!?」と手を引っ込める。

 一糸まとわぬ姿となった紅髪の少女は「触らない方がいいわよ」と苦笑。


「力使いまくってほとんど暴走状態だし、あと、オリジナルの経験思い出して余計に熱くなってるから。今ならコンビニ弁当くらい触っただけで温められそう」

「……良かった。大丈夫そうですね」

「まあね。あんたも無事で良かった。……さて、迂闊に変なもの口に入れた子はどうかしら?」

「うー」


 スララは、うにょんうにょんと身体を揺すり、身体をかく拌するようにして体内の熱を逃がしていた。ダメージになっているかは謎だが、暑いのは辛いらしい。これはチャンスだ。俺は錫杖を構え、瑠璃もまた刀を握り直して立ち上がり、


「オオオオオオォォォッ!!」

「避けてください、瑠璃さまっ!」


 狼の声と、ノワールの警告。

 斬りかかろうとしていた瑠璃は咄嗟に制止。すぐさま跳びのけば、あちこちに火傷や裂傷、弾痕を作った巨大狼がスライムの前に飛び込んできた。

 一呼吸遅れてノワールも到着。彼女の方も無傷ではない。メイド服のあちこちが破れ、あるいは爪に因って裂かれている。慌てて朱華ともども回復するが、深刻な外傷はなさそうだ。


「むう。あれを相手に良く持ちこたえた、ノワール」

「いえ。シュヴァルツに比べれば戦いやすい相手でしたので」

「……うん。ノワールさんも割と化け物じみた性能してるよねー」


 しみじみ呟いたシルビアが保温機能付きの水筒を開けて、中の液体を朱華にかける。しゅうう、と、蒸発した液体が気化していくが、なんのことはない、キンキンに冷えた水をぶっかけただけである。しかし、今の朱華にはとても効果的。


「ありがと。だいぶ楽になった」

「なんのなんの。じゃあ、私の白衣でも着て後ろで休んでなよー」

「白衣はいいわ。暑いし」


 いや、なにも着けていない状態だと割と痴女なのだが。俺たちの視界には謎の光とか入っていないので丸見え。男子や小さい子がいたら目を隠さないといけないところだった。しかし、朱華はさすがエロゲ出身と言うべきか、平然としたまま後ろに下がって予備の水筒を開け始めている。

 一方、アッシェたちはといえば、


『仕方ありませんわね。奥の手を使いましょう、スララ』

「はーい」


 何をするつもりなのか。身構えつつ見守った俺たちは、ずもも、と盛り上がったスララの身体がとぷん、と巨大狼を呑み込むのを見た。


「何を……!?」

『半液状装甲。機動性こそ多少落ちますが、攻撃力が下がっているとは思わないことですわ』


 悠然と答えるアッシェ。スララのスライムボディが狼の全身をくまなく包み込み、発言通りの特殊装甲となっている。スライムの防御力に巨大な獣の攻撃力。これは、生半可なことでは突破できそうにない。

 と。


「ふはは……! いや、わかりやすくなったではないか」

「ええ。分散して食い止める必要がなくなりました。要はあれを倒せば終わりなのです」


 なんとも頼もしい発言が大人組から発せられる。確かにその通りだ。敵が一体になったのなら、そいつに火力を集中させればいいだけのこと。

 そこそこ消耗した今の状態からでは容易いことではない。

 《神威召喚コール・ゴッド》もこの状況では使えない。ラペーシュとの戦いが予定されている以上、ここで俺が脱落するわけにはいかない。というか、そんなことをしたら第一目標のなくなった魔王が本気で世界征服を始めかねない。

 ならば。

 一撃必殺になるかどうかはわからないが、持てる最大の攻撃力を今のうちに叩き込む。


「……今の私なら、十分使えるはずです」


 本来の衣装と錫杖を手に入れ、シルビアのポーションでドーピングを受けている。

 力と自信が漲っているのを感じながら、俺は、かつて不死鳥を退けた力を今一度行使する。

 神聖力の奔流が俺たちを包み込み、ラペーシュが頬を紅潮させて笑みを浮かべる。巨大狼は動揺するように唸り、


「な、なんですか、これは!?」


 仲間の中では唯一、これを知らない瑠璃が声を上げ、


「アリスちゃんの超必殺技だよー」

「瀕死にならないと撃てなかったはずだけど……二回目はなんか普通に撃とうとしてるとか、少年漫画の主人公かっての」


 なんか余計なことを言われた。

 ツッコミを入れたいのはやまやまだが、今はそんな場合じゃない。足元のうさぎたちが「なにごと?」という顔をしているが、彼ら(彼女ら)に害のあるものではないので安心して欲しい。

 これが打ち倒すのはあくまで、神の敵である悪しき者だけ。

 スララの防御力なら耐えられるはず。


「──《神光波撃ディバイン・ウェーブ》!!」


 神聖魔法の域を超えた究極的な光の奔流が夜の公園にひととき、清浄なる領域を作り出し、その中心に迎えられたスララが「なにこれー!?」と悲鳴を上げる。

 ぐずぐずと、外周から崩れるようにして小さくなっていくスライムの身体。やがて、アッシェの巨体を包み切れなくなった彼女は分離し、通常の人型に戻る。すると今度は巨大狼が悲鳴を上げながらスララを守るように抱きしめ、


「……やってくれましたわね」


 後には、全裸の褐色美女と等身大のスライム少女だけが残された。

 それを見た俺はがくん、と膝を折って尻もちをつく。危うくうさぎを潰しそうになったが、なんとか座り込むだけで済んだ。「だいじょうぶ?」という風に膝に乗ってくるうさぎがなんとも癒しだ。

 そんな俺を見た教授は「やれやれ」とため息をついて、


「まだやるか?」

「やる、に決まっているでしょう」


 どうやら敵はまだ戦意を失っていないらしい。虚空から鞭のようなものを取り出したアッシェは一歩、前へと進み出てくる。

 それに応じたのは瑠璃だった。真摯な瞳で敵を見据え、身構える。

 これにアッシェは眉をひそめて、


「なんのおつもり、ですかっ!?」


 ひゅん、と風を切る鞭。


「っ」


 次の瞬間、俺たちは月明かりを反射する美しい輝きを見た。

 霊力の輝きを讃え、鞭をあっさりと斬り飛ばしてみせたのは、いつの間にか少女の手に握られていた刀だ。居合い──ではない。瑠璃が高い金を出して買った刀は鞘に納められたまま。そして今、黒髪の少女剣士が握っているのは百万円程度では全く手が出ないであろう、拵えも何もかもが優美かつ繊細、それでいて強靭さも兼ね備える一級の業物だ。


「な、なんですの、その武器は」

「秘刀『俄雨』。早月瑠璃が受け継いだ、魔を退けるための刃です」


 後から聞いたところによると、それがオリジナルの瑠璃が使っていた刀らしい。ゲームデータ的には日本刀をやや強化しただけの「刀+2」くらいの代物らしいが、現実的に考えると+2もされていたら十分すぎるほど凄い武器だ。具体的に言うと現代にも名前が残っているあれこれの中では下位、くらいだろう。

 ちなみに名前は良いのが思いつかなかったので、同じ卓にいた先輩が「にわか雨でいいんじゃない? ほら、五月雨とかあるし」と決めてくれただけらしいが──漢字で書くとなんとなく格好いいのでそのまま使っていたのだとか。

 まあ、名前はともかく、


「アリス先輩をこれ以上、傷つけさせはしません」

「……降参しますわ」


 ここに来て現れた新たな力に、さすがのアッシェも両手を挙げた。

 スララは「えー」と身体を揺らすが、


「貴女ももう身体が限界でしょう。毒気もすっかり抜けてしまいましたし」

「……じゃあ」


 褐色美女の口元に苦笑めいた笑みが浮かび、


「ええ、貴女たちの勝利です」


 遠征先での戦いが無事に幕を下ろした瞬間だった。






「いえ、その。無我夢中だったので、自分でも驚いているのですが」


 戦いが終わった後、みんなの治療をしながら聞いたところによると、瑠璃があの時、刀を召喚したのは完全にぶっつけ本番だったらしい。俺が超必殺技(シルビア談)を放ったことで精神的なリミッターが外れ、召喚することができたのだとか。

 なお、もう刀は消えてしまっていて、


「なんというか、悪しき者との戦いの際のみ力を貸してくれるようです」

「すごく主人公っぽい設定ですね?」


 呑気に話をしてはいるものの、俺の疲労もなかなかに限界である。具体的に言うと座り込んだまま立ち上がれる気がしない。うさぎに癒されていなかったら致命傷だった。


「この子たち、一匹くらい連れて帰っちゃ駄目でしょうか」

「一匹と言わず全部連れて帰ってくださいな。どうせしばらく一緒なのですから」


 と、これはアッシェ。彼女にもシルビア謹製のポーションが与えられ、最低限の回復措置が行われている。スララは下手にポーション与えると変な反応を起こしかねないので、代わりに辺りへ散らばった空薬莢とかを「もぐもぐ」してもらっている。ついでに掃除になってとても便利だ。

 さて、彼女が言ったことは事実。

 家を用意するにしてもすぐには無理。いや、アパートとかならなんとかなるのだが、そんなところに魔王一行を住まわせるのは怖すぎるということで、しばらくの間は俺たちと一緒に住むことになっている。


「小桃さんの家はないんですか?」

「ないわ。鴨間小桃は用がある時だけ実体化させていたし、身をひそめる必要のある時は空き家とか空き部屋にするっと入り込んでいたから」

「スマホにメッセージとか着信がある度に実体化するわけ? 律儀というかなんというか」

「そうかしら? 得体の知れない感じがいいと思うけれど。……ところで朱華? スララに全身弄ばれた感想はどう? 肌を傷つけない優しい刺激で身体ぜんぶ愛撫されるの、とっても良かったでしょう?」

「おかげで余計に身体が熱くなったわよ、このエロ魔王。あたし、そういうの危ないんだからね」

「……そのままスララに溺れてくれて良かったのに」


 舌打ちするラペーシュが地味に怖い。


「あの、部屋割は話し合いましょうね? 私、ラペーシュさんと同室とか駄目ですよ?」

「アリスって一か月くらい『愛してる』って囁き続ければ落とせそうよね」

「落ちる自信があるので駄目です」


 我ながら、なんとも情けない自信があったものである。

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