聖女、魔王に求婚される

「小桃さん、なんですよね? ……どうして」


 魔王がどうこうよりもこっちが先だ。

 俺が率直に尋ねれば、少女──魔王はくすりと笑って意味ありげな沈黙を保つ。

 その間に朱華と瑠璃が口を開いた。


「小桃ってあいつよね? 確かに似てるっちゃ似てるけど……」

「アリス先輩。あの方はこんなあからさまに人外じゃありませんよ」

「それはそうですが……」

「むう、あれか。アリスの新しいクラスメート。にわかには信じがたいが……容姿の問題なら『化ければ』済む話だろう」


 教授の言葉に瑠璃たちが「あっ……」と声を上げた。

 俺たちだって魔法を使ったり、専用武器を召喚したりできるのだ。人間体に変身できる者がいたとしてもおかしくない。

 と、そこで朱華がため息を吐いた。

 彼女は紅の瞳でじっと魔王を見据えて、言葉を紡ぐ。


「っていうか、あたしこいつ知ってるのよね」

「え?」


 どうして朱華が? 彼女の出身はSF風の世界なので、こんなあからさまにファンタジー風のキャラはいないと思うのだが──。


「こいつが出てくるゲームやったことあるのよ。お手頃価格のエロゲらしいエロゲだけど」

「あ、そういうことですか。……って、小桃さん、エロゲ出身なんですか!?」

「あんたと同じ声帯したキャラもいるわよ?」

「ちょっと待ってください。理解が追いつかないです」


 魔王登場とかいう異常事態だと思ったらこれである。

 俺は深呼吸をしてから情報を整理する。

 敵側に特定作品のキャラが登場するのはシュヴァルツという例がある。なのでそれ自体は驚くことじゃない。元の作品がエロゲなら千歌ちかさんが声をやっていることもまあ、あるだろう。


「どんな作品なんですか? いえ、簡単にでいいので。さらっと。あらすじだけ」

「んーっと……男が絶滅して女だけで繁殖してるファンタジー世界で、人間の国が『魔王』のせいでピンチになるのね。で、異世界から召喚された勇者が女子を片っ端から嫁にしながらこき使って、最終的に魔王も嫁にしてハッピーエンド」

「バッドエンドの間違いじゃないですか……?」


 いやまあ、男性向けのエロゲなら男に都合のいい展開になるのは普通なんだろうが、その世界の人たちが困っていたのは魔王の存在であって、男がいないことじゃない。

 女同士で恋愛してなんとかなっていたのなら、異世界から来た勇者とやらは自分の都合で世界秩序を大きく塗り替えてしまったことになる。どっちが悪役だかわからない。

 これには他のメンバーも微妙な顔になった。

 そんな中、大きく反応を見せたのは──なんと、他ならぬ魔王だった。


「ええ、本当にね。全くもってその通りよ、

「私の名前を……?」


 やっぱりなのか。

 俺が複雑な思いで呟けば、蠱惑的な瞳が見返してきて、


「当然よ。あなたのことはずっと見ていたわ。だって、好きになってしまったんだもの」

「アリス先輩、彼女は危険です。下がってください」


 きゅっと唇を引き結んだ瑠璃が刀を構えて前に出る。

 いや、うん、なんか色々聞き捨てならない台詞があったのは確かだが、何も向こうが話し始めたタイミングで敵対行動を取らなくても。

 仲間たちを振り返れば、シルビアとノワールは微妙にわくわくした表情をしていた。それはそれで、そんな場合じゃないような気もする。

 こほん。

 教授が咳ばらいをして魔王を見据え、


「その口ぶりだと、お主はアリスの友人当人ではないということか?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。……なんて、ね。鴨間小桃あれは私と存在を同じくする端末よ。記憶は著しく制限されているものの、私であることには変わりない。あるいは、私の影響は受けているけれど、肉体的には一般人と変わりない」

「ファンタジーの住人なのに端末とか知ってるんだねー」

「一山いくらのエロゲがそんな細かい考証までしてるわけないじゃないですか」


 設定が適当なせいで話が通じるというのもなんというかアレな話である。

 ともあれ、俺としては少しほっとした。


「小桃さんが私たちを騙していたわけじゃないんですね?」

「ええ。あれは何も知らない。ただ、本能的にあなたへ惹かれて近づいたに過ぎない。あの子の記憶が曖昧なのはから。この連休中に用事があると言ったのは、私が出ている間は消えなくちゃいけないから。あれと私は同時に存在できないの」


 なるほど。食べ物の好みが妙に大人っぽかったのは彼女の影響なのだろう。魔族なら見たまま十六歳じゃないかもしれないし、ファンタジー世界なら「お酒は二十歳になってから」とは限らない。

 ここでノワールが口を開いて、


「それで、貴女はアリスさまに一目惚れなさったと……?」

「ええ、そうよ」


 くすりと妖艶に笑う魔王。

 彼女は真っすぐに俺を見据えたまま堂々と言い切った。


「アリシア・ブライトネス。あなたはこの私──ラペーシュ・デモンズロードの妻になりなさい」


 それは、男子高校生時代も含め、俺が生まれて初めて受けた「求婚」だった。






「あー、なるほどー。鴨間小桃、おうまこもも、魔王桃子ってことだねー」

「ただのダジャレじゃない!?」

「今までだってさんざん言霊に振り回されてきたんだから大して変わらないでしょう?」


 確かに。

 思わず頷いた俺は朱華に肩を抱かれ、瑠璃の背に隠される。


「で? 妻にするって具体的にどうする気?」

「アリス先輩に酷い事をするつもりなら、こちらにも考えがあります」

「心外ね。好きになった女にそんなことするはずないでしょう?」

「じゃあ」

「ええ。毎晩たっぷり可愛がって、私なしじゃ生きられない身体にして、たくさん子供を作って幸せに暮らしたいだけよ」

「却下します」

「さすがねこのエロ魔王」


 朱華には言われたくないんじゃないだろうか……。いやまあ、オリジナルの朱華は自分からエロ展開に持って行くようなヒロインではないはずだが。

 そんな朱華によると、原作エロゲにおける魔王──ラペーシュが人間の国に攻め込んだのも、その国のお姫様を自分の物にしたかったかららしい。

 するとラペーシュは心外だという風に首を傾げて、


「どうして? 夫婦が愛し合うのは当然でしょう?」

聖職者こいつをエロゲのエロ魔王なんかに渡せるわけないでしょうが!」

「そう? ねえ、アリス? あなたの女神様って恋愛禁止なのかしら?」

「いえ、結婚はむしろ推奨されています。子供を作れない同性愛は好ましくないとされていますが……」

「魔族は──っていうか、あの世界の女は同性同士で子供を作れるわ」


 ああ、さっきそんなことを言っていたか。


「じゃあ問題ないですね……?」

「問題ないらしいけど?」

「アリス?」

「先輩? 一体どっちの味方なんですか?」

「ええ……!? いえ、その、今のは一般論であって、ラペーシュさんと結婚したいという意味では」


 というか、どうしてこうなった。

 恨みがましくラペーシュを見つめれば、彼女は悲しそうに目を伏せる。


「アリスは男の方が好きなのかしら」

「いえ、男性との恋愛はちょっと」

「そうよね? 汚らわしい男なんかがアリスの身体に触れていいわけがないもの。わかっているじゃない」

「主人公の勇者にあっさり惚れてた癖に」

「由々しき失態だったわ。……私があんな軽薄な男に篭絡されるなんて。正直、記憶が残っていることさえも耐えがたい」


 件のゲームはなんちゃってRPGで、主人公の勇者は指揮官という立場。実際に戦闘を行うのは(お姫様を含む)女性ユニットだったらしい。


「つまり騎士くんや提督やトレーナーさんと同じということですか」

「あいつらは大事な仲間にほいほい手出したりしないけどね」

「あんなのは勇者ですらない。ただのクズよ」


 酷い言われようの主人公である。


「ふむ。ラペーシュだったか。お主、どうしてアリスに惚れたのだ?」

「は? 全部だけれど」


 人生で一度は言われてみたい台詞だった。


「あの、ラペーシュさま? 具体的には」

「さらさらの金髪にすべすべの白い肌、きらきらした瞳。心優しい性格と若干ドジなところ。なんにでも挑戦する頑張り屋なところも愛らしいし、何よりその声ね。いつまででも聞いていたくなるし、私相手にしか出さないような声を出させたくなるわ」

「ちなみにね、アリス。あの魔王が狙ってたお姫様はあんたと同じ声で、金髪で、かつ国を憂う心優しい性格の持ち主よ」

「……アリス先輩は魔王の好みにストライクだったわけですね」


 千歌さんは金髪清楚系がはまり役だったんだろうか。


「そのお姫様が魔王に身を差し出すという選択肢はなかったんでしょうか」

「ゲーム冒頭でその選択肢あるけど、主人公がそれ提案するとゲームオーバーよ」


 魔王とお姫様が結婚し、種族を問わない大国家が誕生。主人公は必要なくなったので元の世界に帰されました……めでたしめでたし。


「そっちの方が平和ですね……?」

「なら、アリス。あなたも私と結婚しましょう?」

「いえ、それはまた話が別と言いますか、さすがにいきなり結婚相手を決めろと言われても……」


 若干及び腰にならざるをえない。

 ラペーシュが嫌いというわけではないし、小桃と同じ人間ならある程度気も合うだろうが。それはそれとしてこれからの生活とか世間体とかもあるし、そもそも友人として付き合うのと結婚するのとでは全然違うはずだ。

 というわけで、やんわりお断りすると、


「そう。私とは夫婦になれない、と」

「はい。申し訳ありませんが、最低でも年単位で保留にさせていただければ……」

「きっぱり断っていいんですよ、アリス先輩」

「いやまあ、アリスが納得してて、しかもあいつに全く裏がないならあたしは見学させてもらってもいいくらいだけど」

「おい朱華。そこで話をややこしくするな」

「そうです朱華さま。わたしとしても、どうせなら何度もデートを重ねてから契りを交わしていただきたいです」


 なんか、どんどん話がややこしくなっているような……?

 と。


「そう。なら──仕方ないわね」

「っ」


 突然、弛緩していた空気が引き締まった。

 再び強烈なプレッシャーへとさらされた俺たちは、ラペーシュが魔王であること、そしてその傍に二人の側近が控えていることを思い出した。

 獣使いとスライム娘の二人はさっきまで「早く話おわらないかなー」という顔で黙って立っているだけだったのだが、話が終わった途端に悪役っぽい表情を浮かべ始めている。


「朱華! 魔王の能力は!?」

「契約魔法! 約束したことを絶対に守らせられる他に、世界へ魔力を捧げて契約することで疑似的な魔法能力が得られるの!」

「つまりどういうことー?」

「やろうと思えばどんな魔法でも使えるってことよ!」


 馬鹿なんじゃないのかと思うくらいハイスペックだった。

 ラペーシュが右腕を地面と水平まで上げ、ぱちんと指を鳴らす。すると彼女たちの周囲に無数の獣とスライムが生み出された。

 倒せることは既に証明済みの雑魚たちだが──同時に大量に出てこられたら話は別だ。


「うふふ。……魔王様、遠慮せずやってしまって構わないのですよね?」

「おっきーのやっつけられたうらみ、晴らしたい」

「ええ、いいわ」


 にやりと歪められる唇。そうしたラペーシュの表情は、紛うことなき魔王のそれだ。


「ただし、アリスと朱華、瑠璃、それからシルビアを殺すのは無し。『約束』よ」

「かしこまりました」

「はーい」


 そして、無数の魔物が俺たちへと殺到してきた。


「くそ、結局こうなるのか!」


 戦いになってしまったものは仕方ない。

 俺たちは全力をもって獣とスライムを掃討にかかる。無数の聖光が飛び、手榴弾とポーションが爆発し、抜けてきた奴らを日本刀と燃える拳、でかい魔導書が打ち払う。接近戦による防衛には俺も錫杖を振り回し、ノワールも拳銃で参加した。

 多勢に無勢だが、前回と異なるのは車という防衛対象がないことと、後方が空いていること。当然、俺たちは少しずつ後退することでスペースを確保しながら撤退の隙を伺う。

 しかし。


「逃がさないわ」


 《聖光連撃ホーリー・ファランクス》を多用したこともあってようやく隙が生まれたかと思えば、俺たちの背後へとラペーシュが音もなく転移してきた。


「このっ!?」


 瑠璃が素早く反応し、獣の肉体さえ両断する霊力つきの日本刀で斬りかかるも、不可視の壁がそれを阻んだ。かと思えば壁は衝撃波に変換されて少女の身体を吹き飛ばす。慌てて朱華が抱き留め、ノワールが舌打ちをしつつ拳銃を構えるも──。

 少女魔王の周囲に生まれた『無数の炎弾』が、ノワールだけでなく俺たちの身をも竦ませた。

 止まっていないでさっさと撃ってしまえばいい、などというわけにもいかない。その攻撃で相手を倒せる、あるいは魔法を中断させられるなら話は別だが、さっき瑠璃の斬撃が止まるのを見た後では望み薄。ならば機を窺ってしまうのも仕方ない。

 だが。

 あまりにも、魔王の力は圧倒的だった。

 唇を噛んだ俺は苦し紛れに叫ぶ。


「みなさんを傷つけたら許しませんから──!」


 もちろん、こんなので止まってくれるほど、魔王は甘くないのだろうが。

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