聖女、運命と出会う

「教授さま。先程のお話ですが、本当なのですか?」


 後始末を終えてホテルへと戻ってきた俺たち。シャワーを浴びたりした後、スイートルームに集合して話し合いの場を設けた。

 戦闘の疲れもあって眠い時間だが──まあ、毎日戦わないといけないわけじゃない。いざとなったら明日は休み、という手もある。それよりも今は教授の言葉を確かめる方が大事だ。

 ノワールの淹れてくれた紅茶(ティーセットは据え付けの物だが、道具が変わってもさすがの味だ)を一口飲んだ教授は「うむ」と頷く。その可愛らしい顔にはしっかりと眉間の皺が刻まれている。


「お主らも体験しただろう。あの獣ども、明らかな凶暴性を持っていた上、別種と協力して我らを狙ってきていた。特別なモンスターには見えん、ただの動物がだ。命令した者がいる、と見た方が自然だろう」

「普通の動物に見えるモンスターっていうセンはー?」

「もちろんその可能性もある。シュヴァルツの件から、敵は我らに敵意を抱く『ルール』らしいともわかっているしな。……しかし、アリスの《聖光ホーリーライト》で熊を殺しきれなかっただろう?」


 不意に名前を呼ばれた。みんなの視線が集中するのを感じながら、俺は「はい」と頷く。


「確かにそうでした。身体が大きいので体力があっても不思議ではないですが……」

「錫杖を手に入れたお主ならオークも一撃ではないか、という話だっただろう。なら、あの熊はオーク以上にタフだということになるぞ?」

「あ」


 もちろん、オーク相手に試したわけじゃない。身体の大きさとしてはどっちもどっちなので、なんとも言えないところではあるが、


「ここからの推測はこうだ。あの動物は何者かが操っていた。加えて、何らかの能力によって強化を施していた」

「で、でも、あそこには雑魚以外いなかったじゃない。ボスっぽいのがいたらさすがに気づくんじゃ──」

「照明があったとはいえ、夜闇を全て見通せていたわけではない。加えて、熊の身体に遮られて死角になっていた部分もある。後方にいた何者かがこっそり離脱していたとしても不思議はなかろう」

「それは、動物達へ指示を出したリーダーが『戦わずに戦場を抜けた』ということでしょうか……?」


 瑠璃が核心を突く。

 そういえば、前に似たような話をしたことがあった。戦闘終了前に敵が戦場から抜けた場合、どうなってしまうのか。

 幸いこれまではそうならずに済んでいた。大体の相手が俺達を狙ってきたからだ。だが、そうじゃない相手がいたら……?


「で、でも、どうしてそんなことを? それじゃまるで……」

「そうだ。我らに挑まれるのをわかっていて、それを、この世界へと受肉した。そしてそれを我らに知られないうちに、再び無に帰されないうちにさせた。そういう推測が成り立つのだ」


 しん、と、全員が静かになった。


「……シュヴァルツでさえ、自己を認識したのは実体化の瞬間でした。彼女も必要最低限の情報を本能的に察していたに過ぎなかったのですよ?」

「通常の仕様と、黒幕が介入した場合の仕様が異なるのは当然だろう」

「黒幕が本当にいるっての?」

「こうなったらもう、いると考えるしかなかろう。……次の戦いで更なる激戦が繰り広げられることも、な」


 それは、なんというか尋常じゃない。


「えっと、その、じゃあ、この地方から出れば問題ないんですか?」

「追いかけてくるか来ないか、で言えば来ないかもしれん。……ただし、我々が無視している間も邪気は溜まり続け、黒幕は力を付けることになるかもな」


 プレイ時間経過ごとに強くなるラスボスとか最悪である。下手なレベル上げは逆効果になってしまう。


「……では、ここで倒すしかありませんね」


 瑠璃が深いため息と共に言った。

 言いづらいことを言ってくれるのは有り難いが、今回ばかりは本当に気が進まない。俺たちだって死にたくはない。脱出を狙うにしても、意思を持った黒幕がそう簡単に逃がしてくれるかどうか。

 教授も渋面を作って、残った紅茶を一気に飲み干し、


「やるしかないだろうな。……少なくとも、この件は上に報告しなければならん」


 もし、本当に獣たちのリーダー(仮)が受肉してふらついているのなら、そいつが何か事件を引き起こすかもしれない。それについての対策は打つべきだ。

 そして、黒幕(仮)を倒さない限り、この地の邪気を払いきれないとしたら。そのまま放置しておけばもっと危険な状態──例えば天変地異が起こってしまうかもしれない。

 そうなったら、マグロが獲れにくい程度の話では済まない。

 多くの人に被害が出ることだけは避けないといけない。国は当然、そう判断するだろう。


「……いつにしますか?」

「アリス」

「やるしかないなら、やる方向で考えましょう。教授の予想が正しいなら、私は戦います」


 他の人の被害。それを考えてしまったら、俺には逃げることができそうにない。損な性分だが、こればかりはどうしようもなかった。

 はあ、と、息を吐いた朱華が俺の頭を叩いて、


「仲間が戦うってのに、あたしだけ逃げるわけにいかないじゃない。……それに、成功したら物凄いバイト代が貰えそうだしね」

「朱華さん」


 銀髪の錬金術師が「そうだねー」と頷いて、


「もし、黒幕が全ての原因なら、倒したらもうバイトに駆り出されなくて済むかもしれないし。そうしたら楽に暮らせるよ」


 我らがメイドさんが微笑んで、


「わたしたちの新しい家くらい、政府に希望してもいいかもしれませんね」


 ちっちゃいリーダーが「うむ」と答えて、


「今の家の倍、いや三倍はでかい家がいいな! 書斎にカラオケルームにシアタールーム付きだ」


 だったら俺はダンスの練習ができる防音室が欲しい……って、それはともかく。

 最後に、黒髪の少女剣士が力強く告げる。


「私も皆さんと一緒に戦います。一緒に勝って、帰りましょう」

「……みなさん」


 本当に、頼もしい仲間たちだ。

 原作におけるパーティとは似ても似つかない、別々の作品からやってきた寄せ集め。それでも、これが今の俺たちだ。

 今までどんなピンチも乗り越えてきた。なら、きっと今回だって乗り越えられる。


 決戦になるかもしれない次の戦いは、一日空けて十分な準備を整えてから、ということになった。





 翌日の朝。

 早起きした俺はシャワーで身を清め、長い祈りの時間を設けた。タイマーはセットせず、心の赴くままに任せる。祈るのは戦いの勝利とみんなの無事だ。

 錫杖を手に祈りを捧げるうち、身体の感覚がどんどん希薄になっていく。精神だけが浮遊しているような状態の中、俺は自分アリシアの声を聞いた。


『私。には最後の手段があります』

『わかっています。ゲームでも最後の最後でしたから』


 アリシア・ブライトネスには一度しか使えない奥の手が存在する。

 《神威召喚コール・ゴッド》。

 高位聖職者の魂と引き換えに神の力を引き出し、振るう。これはゲーム的には魔法でもスキルでもない。アドベンチャーパートで描かれただけで、プレイヤーが用いることができない力。しかしもちろん、アリシア自身である俺なら使うことができる。

 ゲーム中において、魔王に致命傷を与えた主人公パーティ。しかし魔王は完全に死んでおらず、絶体絶命の状況で主人公が打った起死回生の一手。聖職者キャラの場合はこの力になる。結果的に主人公は奇跡的に生き残るのだが、状況の全く違うここで同じ奇跡が起こる保証はない。

 正真正銘、最後の手段。

 使いたくはないが、本気でやばい状況の時は使うしかない。


『そうだ。肉食を断ったら魔法の威力が上がらないでしょうか』

『動物も植物も大地に生きる命に違いありません。私たちの場合には無意味です』


 残念。なら、せめて悔いのないようにと、時間を見つけてはお祈りを繰り返したり、シャワーで水浴びをしたりした。

 友人や妹に旅先での写真を送ったり、今日も普通に配信をしたり。

 こんな日々が明日で終わりになってしまうかもしれない。そう思うと、言いようのない恐怖と寂しさに襲われる。


「……そんなこと、絶対にありません」


 俺が今しているのは死んでもいい準備ではなく、勝つための準備だ。そうあらためて認識し、みんなで美味しいものを食べたり、どうでもいい会話を繰り広げたりもした。

 そうして。





 中一日。

 俺たちは三つ目の公園へとやってきた。車から降り立ったところで錫杖を召喚。その柄を握って気を引き締めれば、入り口を警備していたスタッフが敬礼した。


「いつも以上に気合い入ってるねー、アリスちゃん」

「皆さんだってそうじゃないですか」


 朱華はチャイナドレスのスリットからセクシーな黒下着が覗いているし、ノワールもトランク二つ分もの追加装備を携えている。シルビアもアタッシュケースにポーションを満載し、いつぞやのポーションシューターを装備。教授に至ってはいつもの便利アイテムではなく、ノワールから分けてもらった手榴弾等をメインに持参していた。

 瑠璃が一番オーソドックスだが、彼女にしても日本刀に短刀プラス、ノワールから分けてもらったナイフを複数本装備している。

 戦争でもしに行くのか、と言われそうな一団だが、ボス中のボスが出現するとすれば戦争と言っても過言ではない。

 ここが正念場。


「今日は車を外に置いていく」


 何故かと言えば、帰りのアシを破壊されないためだ。敵が自発的に外へ出られるとすればあまり意味はないかもしれないが、警備スタッフも警戒してくれているので多少はマシだろう。

 俺たちは頷きあって公園を進んでいく。そして広場の入り口へさしかかったところで、前方に二つの人影を発見した。


「……どちらさまでしょうか」


 ノワールが進み出て、自分の分のLEDランタンで相手を照らした。ファンタジーの聖職者にロリ大賢者、チャイナドレス着た高校生、白衣の銀髪美人、刀を持った和装メイドに比べればメイドさんの方がまだ、相手が一般人だった時に通りがいいだろう……たぶん。いや、うん、大差ないかもしれないが。

 幸い、そこにいたのはどこからどう見ても一般人ではなかった。


「あらあら。ようやくお出ましですのね。待ちくたびれてしまいましたわ」

「ほんとほんと。きのう来てくれればよかったのに」


 片方は二十歳前後とみられる美女だ。均質かつ滑らかな褐色の肌を持ち、長い白髪を金属製のリング的なもので一つに纏めている。服はごくごく最低限の箇所だけを覆う薄布だけで、そこを金属と宝石で構成されたアクセサリーで飾っている。

 これがコスプレなら「寒くないんだろうか」と言いたいところだ。

 そして、もう片方はコスプレどころの騒ぎではない。その姿は人にすら見えない。全身が半透明のゼリー的なもので構成されており、体色は淡いブルー。手足や顔立ち、髪の毛はが作られているにすぎず、どこから声が出ているのかもわかりにくい。


「……なるほどね。あんたたちがあの時のスライムと動物を操ってたってわけ」


 朱華がうなるように言えば、美女の方がくすりと笑ってそれを肯定した。


「話が早くて助かりますわ。では、歓迎の準備ができていることもおわかりで?」

「ほう? その割にスライムも獣も見当たらないが?」

「今回ホストを務めるのはわたくし達ではありませんもの。わたくし達はあくまでも従者。主は別におります」


 覚悟はしていたが、教授の予想が当たってしまった。


「では、貴女方のご主人様はどこに?」

「しんぱいしなくても、すぐに会えるよ」


 やや舌足らずなスライム娘による返答。二人は俺たちへ背を向けると、広場へと侵入していく。


「そもそも、この地に邪気が集中しているのは『あの方』との相性が良かったからなのです」

「あたしたちはついでで呼ばれただけなんだよ」


 あのスライムや獣をけしかけた奴らが「ついで」だというのか。

 本気でとんでもないものが出てきそうだ。身構えて待つ間に、邪気が顕在化して収束していく。しかし、その量が──。


「多い……!?」

「ふふっ。当然でしょう? これから現れるのはそこらの有象無象とは異なります。なにしろ」

「あたしたちのだもんね」


 そうして。

 突如発生したプレッシャーが俺たちの身体を硬直させる。いつもよりずっと大量の邪気は一点へと収束していき、凝縮されていく。

 やがて、とん、と、地面へ足を下ろしたのは、一人の少女だった。

 歳は十六、七。陶磁器のような白い肌に漆黒のドレスを纏い、美しい桃色の髪からは一対の小さな角が覗いている。耳はエルフのそれのようにぴんと尖り、髪の毛と同色の瞳はどこか爬虫類のそれに近いというか、宝石のような深みを持っている。

 ヒールの入った靴を履き、爪にはやはりピンクの色。異質な特徴を持ちながらも、全体としては美しい印象を放つ彼女が、すっと俺たちを見た。


「初めまして、正義の味方。

「……っ」


 声が出なかった。

 すっかり威圧されてしまったから、ではない。俺にとって彼女の容姿が、美しい以上の意味を持っていたからだ。


「どうして、あなたが」


 俺はようやくその時になってから、自分がもっと以前から運命の波の中にいたことを理解した。

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