聖女、誰もいない空間で一人で喋る
話は少しだけ前に遡る。
「ブライトネスさん」
入学から二週目の木曜日。朝のHRを終えたところで、俺は吉野先生から声をかけられた。
なんだろうと思いつつ歩み寄ると、先生が言ったのは選択科目の希望調査の件だった。
実際の授業は希望をまとめた上で五月から始まる。道具の発注もあるのでゆっくりめのスケジュールになっているのだが、さすがにそろそろリミットが迫ってきた。
「明日までだから、忘れずに出してね」
「はい」
どうしたものか。
そう思ったのが伝わったのか、先生は不思議そうな表情を浮かべて、
「ブライトネスさんはこういうの、すぐに決める方かと思ったけど」
「いえ、その。やりたい科目が多すぎて迷ってしまって」
「なるほど。それは良い悩み方かもね」
俺のことを「ブライトネスさん」と少々堅苦しく呼ぶ彼女は、表情を少し和らげてくれる。
「選択科目は必修よりは難しい内容になるけど、誰でもわかるように教えてくれるから、気軽に選んでもいいんじゃないかな?」
「そうですね……」
わかってはいるのだが、一年間変更できないと思うとなかなか悩ましい。
「そうだ。先生だったら何を選びますか?」
「私? 私だったらそうね。お茶とお花は捨てがたいし、高校一年生の頃だと家事もまだまだだったから、家庭科も……」
先生はそこまで言うとはっとした表情を浮かべて俺を見た。
俺とシルビア、朱華は先生の過去を知っている。彼女はお寺を継ぐかもしれない男性へ嫁ぐかもしれなかった。つまり、先生が挙げたのは花嫁修業のためのラインナップなのだと、俺にはなんとなくわかってしまう。
しかし、もちろんそこをからかうつもりはない。
「二つに絞れって言われたら先生も迷いますよね?」
「そうね」
ほっとした表情になった先生は「ギリギリまで悩んでもいいからね」と言ってくれた。
「そういえば、皆さんは選択科目どうしたんですか?」
切羽詰まってきた俺は、昼休み
俺のよく知らないジャンル──例えば茶道や華道についてはどんな感じかは前に尋ねていたのだが、友人たちがどれを選ぶのかは聞いていなかった。
「私は家庭科と英会話にするつもりです」
「私は家庭科と美術を」
その芽愛と縫子からの返答に、俺は目を丸くした。
「お二人は家庭科を選ばないと思ってました」
端的に言って二人の能力は並外れている。経験者にとっては退屈な授業になりそうな気がするのだが、
「私、裁縫はあまり得意ではないので」
「私も料理は鍛えておいて損にならないかと」
「なるほど」
スキルが料理と裁縫に特化されすぎているので、もう一方を学びたいということらしい。
なお、芽愛が英会話を選んだのは接客の役に立てるためと、料理以外でなるべく指を酷使しないように(裁縫は制服を繕うのにも使えるので可)。
縫子の美術はデザイン画にも絵心が必要なるのと、粘土などの立体物もアクセサリーを考える参考になるからだとか。
「ちなみに私は情報処理と美術よ」
「鈴香も不思議な選び方ですね……?」
「消去法だもの」
お茶やお花、歌や踊りは経験済み。英会話も今更初歩を教わる必要がないので、嗜む程度に他の分野を齧っておくことにしたそうだ。
「鈴香は料理を勉強した方がいいんじゃないですか?」
「いいのよ。必要になってから覚えてもいいし、なんならお手伝いさんを雇えばいいもの」
裁縫も趣味で刺繍でもするならともかく、繕ってまで服を着るなら新しいのを買えばいい。お嬢様らしい発想だが、お金持ちがお金を使うのは義務みたいなところもあるので一概に悪いとは言えない。
「じゃあ、鈴香と安芸さんは美術で、芽愛と安芸さんは家庭科で一緒なんですね」
「アリスも家庭科、選んでもいいんですよ?」
「芽愛。友達と一緒のところ、なんていう基準で選ばせるのは良くないわ」
「それはそうですけど、絞った中から決めるための材料としてならいいでしょう?」
ふむ、と俺は考える。
料理に関してはノワールにも教わっているので、最近はそこそこ自信がある。ただ裁縫はたまにやるくらいだし、コスプレ系の衣装を結構着ている関係上、繕いものにも慣れておきたい。
それから、配信をする上で美的センスを磨いておくのも悪くないだろう。
「じゃあ、家庭科と美術の方向で考えてみます」
「……そう。アリスがそうしたいのなら構わないけれど」
「そんなことを言いながら嬉しそうですけど」
「アキは余計なこと言わなくていいの」
芽愛と「鈴香は可愛いですよね」と言いあいながら、俺は一つの悩み解決したことに安堵した。
これで、残る問題は部活動に所属するかどうか、である。
「部活動?」
「はい。まだ悩んでまして……」
金曜日のHR後。
先生に希望用紙を提出したついでにまた話を聞いてみた。
「吉野先生は高校時代何部だったんですか?」
「残念ながら帰宅部だったの。……二年生から生徒会に所属したから、結局忙しかったんだけど」
「凄いじゃないですか」
「別に大したことじゃないわ。あんなの、やる気さえあれば誰でも入れるもの」
そう言った先生は、俺に好きなだけ悩めばいいと言ってくれた。部活動にも新歓期間が存在するものの、その期間中しか部員を受け付けていないわけではない。いざとなれば期間を過ぎてしまっても問題ないのだ。
さすが先生だと感心し、帰ってからその話をすると、シルビアは「それは上手く誤魔化されたかもねー」と笑った。
「誤魔化された、ですか?」
「うん。ほらあの人、アリスちゃんも読んだ女子校ものの小説にハマってたから」
主人公の少女が生徒会的なところに勧誘され、色んなことを経験していく物語。
なるほど、吉野先生は物語の中の生徒会活動に憧れて役員になったかもしれない、ということか。
「可愛いところあるよね、あの人」
「そっか、そういう決め方もあるんですね」
「アリスちゃんだって料理始めたの知り合いの影響だもんね」
「そうですね」
だから、別にそこまで気負う必要もない。真剣に考える必要はあるけど、本当にやりたいことなら動機は不純でもいいのだ。
「選択科目が決まったので、部活選びも少し楽になったんです」
「一時期テニスとか言ってたけど、それも候補にあるの?」
「いえ。さすがに運動部はちゃんと練習に出ないとついて行けませんし……」
土日にバイト(化け物退治)が入る時点で体力的に厳しい。今度の遠征みたいに泊りがけになると休日の練習にも参加できなくなってしまう。
となると文化部から選ぶことになる。
「一番心を惹かれるのは音楽なんですけど、合唱部とか吹奏楽部に入るのも少し違う気がするんですよね」
「ああ、アリスちゃんがやりたいのはみんなに可愛がられるパフォーマンスだもんね?」
「ちょっと癪ですけどその通りです」
俺が音楽に興味を持ったのは
とはいえ、現代の人々に訴えかける方法としてアイドルは向いているはずなので、決して趣味だけの話ではないはずだ。
「お姉さん的には新体操部とか入って欲しいんだけどな」
「ちょっと憧れますけど、運動部ですし、厳しい世界でしょうから……」
シルビアはレオタードが見たいんだろうな、と思ったけど口には出さない。
「合唱部だと独唱の練習にならないし、楽器を演奏するよりは自分で歌って踊りたい、かー。……うちってダンス部とかないんだっけ?」
「創作ダンス部というのはあるみたいなんですが、ちらっと見学してみたら、その、私の感覚だと少し前衛的すぎまして」
J-POPくらいで留めておいてくれればいいのだが、あそこで見たダンスがなんなのか俺にはジャンル名すらわからない。テクノとかヒップホップとかそういう系だと思うのだが、さすがにちょっとついていけなかった。
「アイドル部とかあったら良かったのにね」
「あったら見学してみたかったですね」
ここしばらく歌や踊りのことを考えていたら、だんだんとやりたい欲求も大きくなってきている。
オリジナルのアリシアも『聖女』としての務めで舞いや歌を披露する機会があったらしい。もう一人の自分に教えられるようにしてそのことを思い出した。
「いっそのこと
「そうすると場所が問題だねー」
さすがにこの家にもそこまでのスペースはない。和室はあるのでその気になればお茶やお花はできるのだが。
いっそ縫子に近場で貸レッスン室がないか聞いてみようか。
「とりあえず、一度通しでリハーサルして感覚を掴んでからですね」
「あ、ついにそこまで来たんだね。頑張れ、アリスちゃん」
「はい。ありがとうございます。頑張ります」
そして翌日。
瑠璃が突然グラデーションヘアーになった日の夜、俺は実際にアバターを動かしながら本格的な予行演習を行うことにした。
幸いこの家の壁は厚めなので多少大きな声を出しても問題ない。というか、ここの住人は夜中の爆発音に慣れているので普通の話し声程度はあまり気にしない。
「……よし」
座卓に載せたノートパソコンの前にパジャマで座った俺は一人、気合いを入れる。
部屋には他に誰もいない。今回はあくまで練習。実際にネットへ流すわけではない。アバターを動かして喋った様子を参考として保存するだけだ。
恥ずかしいので朱華や瑠璃の見学も遠慮してもらっている。
Webカメラとアバターを動かすソフトは性能が良く、パジャマを着ている程度なら問題なく認識してくれる。ソフトを起動した俺は「キャロル・スターライト」がぬるぬる動いていることを確認し、しばらく笑顔を作ったり手を振ってみたりした。
アバターはバストアップ。手を持ち上げればそこも映るが、通常状態では衣装の一部が見えている程度だ。なので下半身は楽な格好をしていても問題ない。といってもクッションを敷いてぺたんと座っているだけだが。
では、いざ。
何度か深呼吸を繰り返してから、俺はソフトを録画モードに切り替えて声を出す。
「初めまして! 今日から配信デビューします、キャロル・スターライトです」
俺が笑顔を作るとアバターのキャロルも笑顔になり、俺が声を出すとマイクが拾って音声が出力される。
二重に聞こえてしまわないよう、俺はノイズキャンセリング機能付きのワイヤレスヘッドホンを装着している。出力された音声はヘッドホンへ流れるようになっていて、どんな感じに聞こえるかリアルタイムで確認することもできる。
「まずは自己紹介をさせてください。実は、私が生まれ育ったのは地球ではありません。私は異世界──みなさんがファンタジーと呼ぶような世界で聖職者をしていました。そこから別の世界へ布教を行うため、単身この世界へと渡ってきたんです」
話の流れは事前に考えて練習した通り。
本番であれば視聴者からコメントが来るので、それに答えたりする必要が発生するかもしれないが、今はネットに流していないのでそういったことはない。
なので、ある意味では気楽なのだが……実際に喋り始めてみて気づいた。これ、他人からの反応が無いと「誰もいない空間で一人で喋っている変な人」なのではないだろうか。
どんな有名配信者でもマイナーな頃はある。
最初は視聴者もコメントも碌につかないだろうから、彼ら(彼女ら)はそういった時期を乗り越えて有名になっているのだ。そう考えるとあらためて尊敬する。
俺も頑張らないといけないが、できるだろうか。いや。反応がないから、見ている人が少ないから嫌だ、なんて言っていてはいけない。ネット配信という環境が独特なのは覚悟していたはずだ。ならば、例え見てくれる人が一人だとしても笑顔で話し続けるべきだ。そして、これは練習なんだから誰も見ていないのは当たり前。
「というわけで、今日はゲームで遊んでみたいと思います! なんでゲームかと言いますと、この世界ではそういうのが流行っていると聞いたからです。流行ってるんですよね? みなさん、嫌いではありませんよね? ……というわけで、遊ぶゲームはこれです!」
そんな風に自分に言い聞かせながら、俺は初めて最初から最後まで、通して喋り続けた。
羞恥心に耐えた甲斐があってか、動画は朱華たちにも、それから千歌さんにも割と好評だった。
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