聖女、卒業する

 朝起きて、いつもの日課を済ませてから制服に身を包む。

 密かに男性ファンも多いらしい臙脂色のブレザー。一年足らずとはいえ着続けてきたせいか、買った時よりは「こなれて」自分の物になったような気がする。制服を纏った自分の姿にも違和感はない。むしろ、こうして鏡に映すのも最後になるかと思うと寂しい気持ちになる。


「……今日で、中等部を卒業なんですね」


 本当にあっという間だった。

 目を閉じれば、初めて登校した日のことをありありと思い出せる。あの時はひどく緊張した。女ばかりの空間に溶け込めるのかと不安でしかたなかったし、早く男に戻りたいと思った。

 あの出来事も今では思い出の一つ。あんな風だった俺が今では名残惜しいとさえ思っているのだから、不思議なものである。

 苦笑を浮かべて、俺は鏡の前でくるりと一回転する。

 ひらりと舞うスカート。背中まで確認してみても変なところは無し。よし、と、一つ頷いて、


「行きましょう」


 ほとんど物の入っていない鞄を持ち上げ、自室を出る。

 勉強道具は前もって少しずつ持ち帰っていたので、帰りもこの鞄が膨れることはないだろう。朱華の荷物を持たされたりしなければ、だが。


「おはようございます」

「おはようございます、アリスさま」

「おはようございます、アリス先輩」


 リビングに行くと、いつものようにノワールさんが挨拶を返してくれる。それから今日はもう一人。


「瑠璃さん、早起きですね」

「はい。アリス先輩に『おめでとう』を言おうと思って早起きしました。……卒業、おめでとうございます、アリス先輩」

「ありがとうございます」


 嬉しい気持ちと気恥ずかしい気持ちから微笑を浮かべてお礼を言う。

 後輩からこんな風に言ってもらえるのは嬉しいものだ。俺の場合、三年生からの入学だったし、部活にも所属していないので下級生との繋がりが薄い。

 瑠璃とは入れ違いで卒業してしまうのが残念だが、少しでも先輩気分が味わえて良かった。


「……おはよー」


 朱華は卒業式当日もいつも通りだった。ゆっくりめに起きてきて、若干眠そうな表情。彼女の夜更かしはいつものことなので、みんな(瑠璃含む)慣れっこである。


「朱華先輩、卒業式で寝ないでくださいね」

「寝ないわよ。今日はあんまりエネルギー使わなくて済むんだから、そのくらい我慢するっての」


 つまり、低燃費で済むからって普通に夜更かししたわけだ。


「お二人とも、ご卒業おめでとうございます。次は高校生ですね」

「うむ。アリス達も花のJKというわけだ。めでたいな」

「うわ教授。ちょっと年寄りくさいよそれー」

「何だと!? 祝福と激励をしたら馬鹿にされたぞ……!?」


 中学を卒業するのはこれで二回目だが、やっぱり独特の感慨はあるな、と思う。


「それでは、行って来ます」

「行ってらっしゃいませ、アリスさま。朱華さま。シルビアさま」


 式はお昼前に十分帰れる程度で終了予定。しかし、俺たちはノワールに「昼食は食べてくる」と言い残した。既に式の終了後、クラスで「卒業おめでとう会」をすることが決まっていたからだ。






「ご卒業おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 校門を入ったところに設置された簡易受付で、中等部と高等部の三年生が制服に付ける花と記念品を受け取っている。受け渡しを担当しているのは二年生以下の生徒たちだ。

 現二年生であるシルビアは「私は教室に行くねー」とそのまま並木道を進んでいく。

 俺は朱華を見上げて「行きましょうか」と促すと、少女は肩を竦めて「そうね」と答えた。

 順番を守って列に並び、前の生徒が終わったのを見て進み出ると、係の生徒と目が合った。彼女は目を細め、はにかむように微笑む。


「ご卒業おめでとうございます、ブライトネス先輩」

「ありがとうございます」


 まさかの名ざしである。自分から名乗って名簿にチェックしてもらうのが正規の流れなのだが、直接面識のない下級生にも顔と名前を覚えられているらしい。金髪碧眼の力は絶大である。とはいえ、個人として祝福されるのはやはり嬉しい。

 自然と笑顔で答えると、彼女は更に言葉を続けてきた。


「先輩も高等部に進学なさるんですか?」

「はい」

「そうですか、良かった。……それじゃあ、また再来年、同じ学校になれますね」


 彼女の「頑張ってください」という締めの言葉に再び笑顔で答えて、俺はその場を離れた。


「アリス」


 式は中等部と高等部で別々に行われる。卒業生は直接体育館に向かう流れ(講堂は高等部が使う)なので、多くの生徒は教室に行かず校舎の前に思い思いに集まっていた。

 朱華が「じゃ、後で」と自然に離れていき、俺も適当に人混みの方へと向かっていくと、友人──緋桜ひおう鈴香すずかから呼びかけられる。彼女は少し離れたところで高等部の生徒二人と一緒に立っていた。

 邪魔しない方がいいのでは、と思いつつも近寄っていくと、高等部の先輩が「ちょうど良かった」と微笑む。


「卒業おめでとう、ブライトネスさん」

「ありがとうございます」


 相手の方は胸に花を付けていない。ということは現一年生か現二年生ということになる。


「先輩達から挨拶ついでにプレッシャーをかけられていたんですよ」

「失礼な。高等部では生徒会に、って勧誘していただけでしょう?」

「生徒会……」


 二人は次期生徒会の書記と庶務らしい。

 中等部でも生徒会に所属していたらしく、その時に勧誘して断られた鈴香を「今度こそ」と誘っていたのだそうだ。

 さすが鈴香、上に立つのが似合うとみんなから思われている。そして、その上で権力より自由を選ぶタイプでもある。いや、中等部の生徒会なんて大した権限ないし、とか思って断った可能性もあるか。


「私達、ブライトネスさんも一緒に誘おうと思っていたの」

「え」


 どうしてそこで俺の名前が出るのか。

 助けを求めるように鈴香を見れば、彼女はふっと笑って言った。


「友達と一緒なら勧誘できると思っているんですよ」


 それは、どっちがメインの勧誘なんだろうか。いや、俺を釣って本命の鈴香を誘い出すって話だと思うが。

 まあ、俺としては所属するにしても部活動の方に興味がある。四月から配信を始める以上、部活もやって生徒会選挙にも出て、なんてやっていたら確実に過労死するだろうから、ここはやんわりと「興味がない」ことをアピールしておくしか、


「緋桜さんったら。生徒会は学校を良くするための組織なんだから」

「みんなのために頑張ることは悪いことじゃないんだよ。ね、ブライトネスさん?」

「う」


 思わず興味を惹かれてしまう。偶然なのか、俺の弱いところを突かれた形だ。何度もお人好しと言われてきたので、さすがにもうそういう自覚はある。


「えっと、そうですね……。家の用事で忙しいこともあるので、手の空いている時にお手伝いをするくらいなら」

「本当? じゃあ、もし困ったらお願いしようかな」


 よし、なんとか話を逸らした。さすがに高一の小娘(生徒会未経験)の手を借りなきゃいけないほど忙しくはないだろう。

 と、思ったら、先輩達が上機嫌で去って行った後、鈴香に「もっときっぱり断らないと付け込まれるわ」と注意された。

 なら、これからは鋼の意志を持って抵抗することにしよう。


「アリスさん、鈴香さん、何のお話だったんですか?」

「これからアリスに仕事を振ろうとするなんて、あの先輩方は要注意ですね」


 芽愛めいたちと合流しながら、俺は新たな意気込みを胸に抱いた。







 いつものことだが、卒業式の内容自体はいたってシンプルだ。

 校長先生を始めとする偉い人の挨拶や、卒業生代表・在校生代表の挨拶など。代表は前生徒会長と現生徒会長が務めていた。


『続きまして本学校の理事長である緋桜寿々花様よりお言葉を頂きます』


 途中、どこかで聞いたような名前が聞こえて思わず親友の方を見てしまったが、席を立ったのはもちろん、中学三年生の彼女ではなく、高齢にさしかかった上品な女性だった。

 どういう関係なのか問いただしたいところだったが、式が終わりにさしかかるにつれてそれどころではなくなってしまった。

 あちこちからすすり泣くような声が聞こえだしたからだ。

 近くに座ったクラスメートの中にも泣くのを堪えるようにしている子がいるのを見て、俺は「ああ、そういえば卒業式ってそういうイベントだったな」と思う。何しろ今までの式では割と対岸の火事だった。男子にめそめそ泣く奴なんてほとんどいない。式が終わった後で盛大に男泣きしている奴の方がまだ多かった。

 今は俺も女子だから泣いて構わないのだが……。

 高校に進学する──新しいことへの期待と不安の方が大きい俺としては、この学校を離れる寂しさはあまり感じていなかった。在学期間が短いというのもあるし、何より校舎が変わるだけで後三年間、ここに通うことになるのだから。

 しかし。


「ふぇーん、アリスちゃーん!」

「……っ」


 式を終え、簡単なHRと共に担任の先生からの思い出話を聞かされ、これで本当に解散になった後。

 外部進学することになっている友人に泣きながら抱きつかれた俺は、さすがに鼻がうずいてくるのを感じた。

 肉体年齢だけならおそらく年上、変身前を加味した精神年齢なら年下な女の子を「よしよし」していると、ああ、この子とは離れ離れになるんだな、という感慨が湧いてきて、目元が潤む。いわゆるもらい泣きというやつである。

 別に、学校が別になってもたまにラーメン──もとい、甘い物でも食べに行ったりすればいいだろうに。

 女子の交友というのがそんな簡単なものでないのはもう、俺も知っている。距離の近さが友情の深さに大きく関係し、それを補うには交流の回数や共通の話題が必要になるのが女子。別の学校に行ってしまうというのは、徐々に疎遠になることを保証されているようなものだ。

 いずれそうなるのがほぼ確定なのだとしても。

 今、ここにいる友人と離れるのは寂しい。


「なんでもいいから電話したり、写真送ったりしましょうね」

「うん。うん……っ! 絶対する! 約束っ!」


 と、こんなやりとりがあちこちで行われ、校舎を出たら出たで待ち構えていた下級生たちを交えて更なる騒ぎが起きた。

 一体いつ終わるのやら。

 ……なんて、若干冷めた気持ちで見守ることになるかと思いきや、実際は、なかなか止まらない涙を枯れさせるので精一杯になってしまった。


「まったく、いつまで泣いてんのよあんた」


 ぽん、と頭を叩いてきたのは若干上ずった声の朱華。


「ぐすっ……。朱華さんだってちょっと泣いてるじゃないですか」

「うるさいわね」


 もう一度、今度は少し強めに頭を叩かれた。彼女は彼女で知り合いとの別れがあったのだろう。変身してからの期間が長い分、経験している行事も多いわけで。そういう意味では若干羨ましい。


「アリスちゃ……アリスさんに朱華さんも、一緒に写真を撮りませんか?」

「それって絶対、始めたら最後色んなところから誘われるやつよね……。まあいいけど、ほらアリス、泣き止みなさい」

「っ、はい……っ」


 念のためハンカチを多めに持ってきて良かった。

 涙を拭い、なんとか泣くのを止めた俺は、芽愛からのお誘いを皮切りに色んなクラスメートと写真を撮った。他の子のスマホで撮ってもらったこともあれば、自分のスマホを使ったこともある。自分で撮った分は後で参加者に送らないといけない。

 一枚一枚誰に送るか確認するのはなかなかに面倒くさい気がするが、それが楽しいと思えるのだから仕方ない。


 いつまでも続くかと思えた卒業式後の儀式は、しかし、昼が近づいてみんなのお腹が駄々をこねだしたことで強制的に中断させられた。


「それじゃあ、二次会の会場へ移動しましょうか」

「おー!」


 すました顔ながら、よく見ると目元が赤い気がする鈴香の号令でクラス一同、ぞろぞろと移動した。会場はとある個人経営のレストラン。芽愛の家……だと少し遠すぎるということで、彼女の両親の伝手で近くのお店に貸し切りをお願いしたのである。

 そこで俺たちは大いに飲んで(※ジュース)、食べて、騒いだ。お店の人も「そういう日だから」と大目に見てくれたので、さっき泣いた分だけ今度は明るく話した。

 この日のことも、きっと、一年も経てば大切な思い出として思い出すようになるのだろう。

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