聖女、決断する
「事務所所属のお話、辞退させてください」
「……そうですか。残念ですが仕方ありません。アリシアさんの今後のご活躍をお祈りいたします」
二度目の事務所訪問は短い時間で終わった。
断られる可能性も考慮していたのだろう。担当の女性は、少なくとも表面上は落ち着いたままで了承してくれた。
ビルを出た俺はノワールを見上げて、
「きっと、これで良かったんですよね」
「ええ。アリスさまにとって後悔のない選択であれば、これで良かったのではないかと」
俺は、
決断のきっかけはいくつかあるのだが──。
『私。これはまたとない機会なのではないでしょうか』
事務所に行った日の夜。
朱華たちとの話や夜のお祈りを終えた俺は眠りに落ち、そして、夢の中でもう一人の俺──オリジナルのアリシア・ブライトネスと出会った。
白を基調とする神殿のような場所。俺は祭壇に向かうように少し離れて立っており、その祭壇の前にはアリシアがいる。
見下ろせば、金髪な小柄な少女の身体。向こうが聖職者としての衣装なのに対してこちらは中等部の制服姿だが、俺たちの姿は鏡で映したかのようにそっくりだ。
今の状況は、おそらくはよくある「精神世界での対話」のようなものなのだろう。
それ自体は問題ないとして、
「私は、男だった頃の姿になるかと思いました」
『既に、あなたにとっての自分自身もその姿になっているのでしょう』
言われて「なるほど」と思った。今の身体はもう、自分のものとして馴染んでいる。自分のものなのだから当然と言えば当然だが。
自然にそう思えるようになったことが、この状況の原因だろうか。
『あなたが悩んでいることも理由です。私たちは同じ人間なのですから、これはいわば自問自答に過ぎません』
別の人格と会話をしているのではなく、あくまでも「スタンスが少しだけ違なる」同じ人間同士での対話。ならば、これは単に自分の中で考えを纏めるプロセスだと考えていいのかもしれない。
「それで、機会というのは?」
『はい。その配信系アイドルというものでお布施を──寄進を得られるのであれば、我が神の信仰を広めるためにも用いられるのではないでしょうか』
「信仰を?」
動画配信で布教活動をするということか。
生粋の日本人である俺としては、メジャーでない宗教全般に「なんか怪しい団体」というイメージがあるのだが。布教活動なんかして捕まったり、抗議を受けたりしないんだろうか。
いや。
配信を行うアイドルの中には、いわゆる
「なら、架空の女神様を信じる聖職者という『設定』なら……?」
『架空ではなく実在しているのですが……それはともかく。この世界の人々にも受け入れられる余地はあるでしょう?』
確かに。キャラ設定ということにしてしまえば痛々しく見える発言も穏便に見える。布教と言ってもアイドルとしてファンを集めるというだけなら他のアイドルとやっていることは変わらない。
『集めたお布施で祭壇を作るのもいいと思います。祈りはもちろんですが、神への供物もまた重要なものですからね。そしてゆくゆくは神殿を──!』
「そ、そこまでは無理だと思いますが……。でも、いいかもしれません」
うちの(というかアリシアの)女神様にはもう少し日の目を浴びて欲しい。
今は唯一の信者である俺がよその神様の聖印使っているレベルだ。このままではさすがに可哀そうだ。
毎日祈っているので、俺としても愛着はある。
本格的な信者を増やすのは無理にしても、もっと知名度を上げることくらいはしてもいいと思う。
「明日、皆さんに相談してみようと思います」
『そうしていただけると私としても嬉しいです』
精神世界で手を握り合った俺たちは笑顔で別れ──気づいたら朝だった。
そして。
「配信で信者を集める? あんた、何で急にそんな乗り気になってるのよ?」
「朱華さんが『お布施』のことを教えてくれたんじゃないですか」
思いついたことを朝食の席で話すと、さすがに仲間たちからも驚かれた。
「うーん……。アリスちゃんには似合ってるけど、響かない人には全く響かなさそうなキャラ付けだよね」
「私はアリス先輩らしくて良いと思いますが……」
「先方が許可してくださるかというと難しいかもしれませんね……」
事務所は当然、売る以上は売れる体制を整えようとする。キャラ付けにこちらから細かい指定をする、なんていうのは難しいだろう。
それに、そもそもあの事務所からの話は「受けるのが難しいかな」という見解だったわけで。
さすがにそう上手くはいかないか、と思った時、
「……いや。案外悪くないかもしれんぞ」
意外にも、うちのリーダーが乗り気になった。
「信仰心を集めるのだろう? つまりは神の力を強めるということだ。いかにもアリスの魔法がパワーアップしそうではないか」
「あ、いえ、そういう狙いはなかったんですが」
「さすがはアリス。装備のグレードアップが終わったと思えば、まだまだ強くなるつもりだったとは。そういうことなら政府も積極的に協力してくれるのではないか?」
「そういう狙いはなかったんですが」
しかし、聖印を磨いたりグレードアップすることでパワーアップしたのは事実。ならば信仰を稼ぐことで魔法が強くなることもあるかもしれない。
バイトが捗るなら願ってもない。
邪気払いがしやすくなれば、間接的に世のため人のためにもなる。
すると、色々調べてくれた瑠璃が頷いて、
「それなら、むしろ個人でやった方がいいかもしれませんね」
「そっか、個人でもできるんですよね」
千歌さんが実際やっているのだから不可能なはずがない。
登録型の動画配信サイトなんて幾つもあるので、そこを利用すれば自分でサイトを立ち上げなくても大丈夫だ。
「はい。ただ、動画編集などの技術は必要になりますし、売れるには自己プロデュース力なども必要になります。それから、どの程度稼げるかは人によって全然違うようで、初期投資をペイできないケースも多いそうです」
「苦労したのにマイナスとか罰ゲームじゃないの?」
「うむ。しかしアリスの場合、別に報酬額に拘りはないのだろう?」
「そうですね。ギャンブルに失敗したみたいな大損でなければ」
「いいと思うよー。事務所通すと中抜きとか増えそうだし。しがらみもなくて気楽じゃない?」
それなら個人でやる方が良さそうだ。
リスクがある代わりに大した責任もない。試しに少しやってみて、駄目ならやめてもいい。
やり方は調べるなりしないといけないだろうが……。果たして千歌さんに聞くのはアリだろうか。事務所入りを断った上でだと若干申し訳ないような気もする。
「では、アリスさま。わたしも一緒にお勉強しますねっ」
「ありがとうございます、ノワールさん。でも、無理しないでくださいね?」
ノワールのマネージャーとしての負担が減らせるんじゃないか、というのも一つのポイントなのだ。あまり頑張ってもらっては意味が半減する。
すると、我が家の頼れるメイドさんは笑顔で「お任せくださいませ」と言ってくれた。
「吾輩から『上』にも連絡を取ってみよう。もしかすると何かいいアイデアがあるかもしれん」
教授はその日のうちに政府と連絡を取ったらしい。
意外にも早い対応で、夜には「政府の命を受けた」という一人の人物が俺たちのシェアハウスを訪れていた。
その人物とはある意味で意外で、しかし、ある意味では適任の人物だった。
「お久しぶりです、皆さん。……あ、そちらの方は初めましてですね」
俺たち──瑠璃以外のメンバーにとっては旧知の相手。
「今日はアリスちゃんとの料理勝負が目的じゃないのが残念ですが……」
ノワールによって
俺としては意外だったのだが、教授は「全て予想通り」とでも言いたげに涼しい顔。もしかすると政府に連絡する時点で彼女のことを考えていたのかもしれない。
「どうして椎名さんが?」
「それはもちろん、こちらをお持ちしたからです」
言って彼女が取りだしたのはノートパソコン。くいっと俺たちへ向けられた画面には、俺にどことなく似た金髪美少女が映っていた。
立体的な3Dキャラクター。
しかも、ご丁寧に纏っている衣装までアリシアのものによく似ている。
これは、もしかして例の
「どうしてこんなものが……?」
「技術的な話をされているなら、シュヴァルツの容姿を再現するのに作ったものの応用です。アリスちゃんの衣装のデザインについては『上』から写真をもらいました」
下手したらプライバシーの侵害である。
いや、まあ、政府から椎名のところへ渡る分には別に構わないが。
そういえば、前に話した時にシュヴァルツの顔が画面に映るようになっていた。あれを更に進化させたということらしい。
どうして俺をモデルにしたのかと言えば、電脳世界でシュヴァルツと話ができるように……という配慮だそうだ。ノワールのアバターはぶっちゃけシュヴァルツのものをちょいちょい改造すればそれっぽくなるのでデザインの練習にもならない、というのもあったらしい。
「椎名よ。これはその、配信用のアバターとして動かせるのか?」
「もちろんです。カメラから取り込んだ人物の動きをマシン上で再現するシステムなので、配信にも応用が利くはずです。まあ、ある程度の調整は必要ですし、専用機器を用意する必要はありますが」
彼女がこんなものを持ってきた理由は明白だ。
「『上』が乗り気になったってこと?」
「ええ。アリスちゃんが強くなるかもしれないなら話は別ですからね。既にあるものを利用するなら費用も安く抑えられますし。ボス戦対策も兼ねて、実費プラスアルファくらいで我が社がバックアップする、という話が持ち上がりました」
椎名のところは形式上は民間企業だから、表向きはそことシステムの貸与等々で契約する形だ。企業側は企業側で、うまく行ったら本格的にそっち系の事業に乗り出すことも検討しているらしい。
「何しろうちには一体、遊ばせている人工知能がいますからね」
「え、それは危険なんじゃないのー?」
「まあ、そうですね。現状だとシュヴァルツを信用しきれないので難しいんですが。生配信じゃなければ収録データを別のマシンでネットにアップすることもできますし」
「アリスさまとわたしの妹分がアイドルに……」
「ノワール様もデビューしますかっ!? シュヴァルツと併せてクール系姉妹アイドルとかウケると──」
「遠慮しておきます」
しゅんとした椎名は「そうですか……」と本気で残念そうだった。
「どうですか、アリスちゃん、皆さん」
「私はやってみたいです。アバターを使えるなら正体も隠せますし」
「まあ、千秋和歌さんの動画に登場した『キャロルちゃん』との関係性は疑われると思いますが、隠さないよりはマシでしょうね」
費用的負担も少なく、機器やシステムも提供してもらえる。知り合いが窓口になってくれる上、肝心のアバターも出来が良い。
「椎名さんってすごく有能だったんですね……」
「こう見えて、家事以外は割とできる女なんですよ、私」
「……? この方の企業全体が努力した結果ですよね?」
「さすが瑠璃、さらっと痛いところを突いたわね」
「い、いいじゃないですか、少しくらい見栄張ったって……」
そうと決まれば話は早い。
俺は企業は千歌さんのところの事務所ではなく、椎名の会社と契約することにした。
結ぶ契約はあくまでも機器やシステムの利用に関するものだけなので、配信自体の方針には口を出されない。そのうえ、アバターについては希望があれば修正してくれるらしい。
「だったら、金髪じゃない方がいいんですが……」
このままのアバターだとヴァーチャルにした意味があまりない。
顔立ちをある程度変えてもらって、髪色も変えた方がいいだろう……と思って提案したら、仲間たちが乗ってきて、
「ならやっぱり銀色だよね、アリスちゃん?」
「アリス先輩。黒なら目立ちませんよ?」
「アリス。別に赤にしてもいいのよ?」
「わたしとしては、黒に近い別の色、というのも良いと思いますが……」
これには教授が呆れたようにため息を吐いた。
「アリスよ。どうせならもう少しロリキャラにすれば客が呼べるぞ」
教授も駄目だった。
というわけで。
俺は、個人で自由気ままに配信を始めることになった。
相談の結果、当初はスーパーチャージだのお布施だのといった名前で呼ばれる投げ銭機能は無しで始めることになった。例の「祭壇プロジェクト」はファンが増えてきた場合に新企画として導入しても遅くないだろう、という判断だ。
システムや機器の調整、アバターの修正にも時間がかかるので、実際の配信開始は四月以降ということになっている。
待っている間にこちら側がすることは喋りの練習と配信のネタを考えること、先人たちの動画を見て勉強することなど。半分は遊びみたいなものなので気楽に進めて行こうと思う。
「アリスちゃんがヴァーチャル配信者かあ。なんか雲の上の人になっちゃう感じだねー」
なんだかんだで三月の残り減ってきた頃。
桜が開花したお祝いも兼ねたちらし寿司(桜でんぶは好みがあるので別添え)を食べながらシルビアがぼやくと、俺は苦笑して答えた。
「そんなことありませんよ。部屋に籠もって配信する時は静かにしてもらえると嬉しいですけど、別にそれくらいです」
「そう? ……まあ、そのお願いは守れないかもだけどー」
ここに来た初日の夜に実験失敗の爆発を経験して以来、シルビアの実験の余波は何度も経験している。もはや当たり前すぎていちいち述べる気もならないくらいだ。
なのでまあ、静かにして欲しい時に限って爆発することもあるかもしれない。その時はもういっそのこと「知り合いの錬金術が実験に失敗した」と本当のことを言ってしまおうか。逆にネタにしか思われなくてスルーされるかもしれない。
「とにかく、私は私です。別に本格的なアイドルになる気もないですし、暇な時間にふらっと神様の話をしたりするだけですよ」
治療のバイトと似たようなものだ。
学校生活と通常のバイトが優先なのは当たり前。その上でやることが少し増える程度。これくらいなら、頑張れば部活に参加することも可能かもしれない。いや、さすがに配信を何度か経験してから判断するべきか。
「まあね。万が一大ヒットして有名人になっても、アリスの天然は変わらないだろうし」
「そう言われると汚名返上したくなりますけど……」
「できてから言いなさい」
桜でんぶ多めのちらし寿司を食べて「甘っ!?」とか言っている朱華を睨むと、紅髪の少女は巻き添え狙いで俺の分にまで多めにふりかけてくる。なんというテロ行為。俺は甘いものが好きだが、おはぎとか以外でお米が甘くなるのはまた別問題である。
「アリス先輩、それ、私が食べましょうか?」
「いいんですか、瑠璃さん?」
「甘いものは慣れていますので」
さすが和菓子屋の子。平然とちらし寿司on桜でんぶを口に運んでいく瑠璃に尊敬のまなざしを送ると、黒髪の少女は恥ずかしそうに目を伏せた。
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