第五章
聖女、悩む
あいにくそっち方面には詳しくない俺だが、ネットで調べた情報を朱華に見てもらったところ、有名な声優が何人も所属していることがわかった。また、タレント部門や俳優部門には俺でも知っているような有名人の名前がいくつもあった。
ざっと評判も検索してみたが、目立った悪い噂は無し。
大きなところなら待遇や給料等もあまり心配はいらないだろうし、何よりあの千歌さんが変なところを紹介するとも思えない。
で。
都内某所にある事務所──正確には事務所の入ったビルを見上げて、俺は感嘆のため息をついた。
「……大きいですね」
さすが大手。もちろん、事務所はビルの一部分だけなのだが、それでも十分に立派である。借りるのにいくらくらいかかるのか想像もできない。
そんなところに俺なんかが来ていいのかと不安を覚えていると、一緒に来てくれたノワールが穏やかな声で勇気づけてくれる。
「大丈夫ですよ、アリスさま。どんな展開になろうと相手は人間です。ロボットや化け物よりはずっと相手をしやすいかと」
「確かに、そうですね」
頷いて、深呼吸をひとつ。
気持ちを整えた俺は笑顔を浮かべて言った。
「行きましょう、ノワールさん」
「はい。アリスさまをしっかりサポートいたしますので、どうぞご安心ください」
俺とノワールが事務所にやってきたのは、とりあえず詳しい話をするためだ。
千歌さんから「事務所に登録しないか」というメッセージを受け取った後、俺は彼女と電話で話をした。
『どうして急に、そんな話が出たんですか?』
『ほら、ちょっと前に、アリスちゃんの写真を事務所の人に見せたじゃない? あれと配信の件で興味を持ってくれたみたいで』
『ああ、なるほど……』
例のクリスマスパーティの時の画像だ。相手が事務所の人間で、かつ既にネット上にあるものならとやかく言うこともないと、深く考えずにOKした覚えがある。
まさか、あれがスカウトに結び付くわけがないと思ったのだが。
『アリスちゃん可愛いし、素人にしては発声もいいじゃない? とりあえず配信メインのアイドルで売り出してみないかって』
確かに、アリシアの身体は意外に声量がある。神聖魔法を行使したり祝詞を紡ぐのに声を上げる必要があるからだろう。俺自身、男時代の部活経験から声を出すのには慣れているので、カラオケでも上手い下手はともかく堂々と歌い上げることはできている。
見る人が見れば気づくものだ、と言うべきか、そんなところまで見ているのかと言うべきか。
『どう? 詳しくは事務所と相談になるけど、私としても登録してくれれば動画に誘いやすくなるんだよね』
現状だと、動画への出演は友人としての善意での協力。しかし、事務所に登録して活動するようになれば給料が発生する。千歌さんの動画に出た場合にボーナスがあるかは謎だが、少なくとも宣伝にはなるのでお互い得をする。
『アリスちゃんがネットアイドルで稼いでくれれば、私の動画も仕事ってことにできるかもだし』
『今はプライベート扱いなんでしたっけ。千歌さんにも、ちゃんと得があるんですね』
『もちろん。だって、アリスちゃんと絡んで一番美味しいのは私だろうし』
この話に関して、俺はいったん「少し考えさせて欲しい」と返答した。
その後、シェアハウスの仲間に相談。
また、前もって「そういう時は教えて欲しい」と言われていたことから、政府関係者にも連絡を取った。結果は、バイト(化け物退治や治療)に支障が出ないのであれば構わない、そのためにスケジュール等々を管理する人間を用意したい、とのことだった。
とはいえ、来年度ようやく女子高生になるただの小娘がアイドル活動をするかも、という程度のために政府関連機関が事務所に接触するのも難しい。誰にどこまでの情報を流すか、という難しい問題が発生することも考慮した結果、
『では、しばらくの間、わたしがアリスさまのマネージャーをしましょう』
我が家のメイドさんがそう買って出てくれたのだった。
マネージャーと言っても大層なものではない。俺の保護者役でもある女性が俺個人のスケジュール管理を担い、事務所側に対する窓口にもなるというだけ。
要は、俺がノワールに逐一予定を教えておいて、ノワールは事務所から依頼が来たら「その日はOK」(もしくはNG)と返答するだけ。バイトの都合もあるので今までも予定はなるべく共有していたし、正直なところ大きく変わることはない。
ノワールの負担が地味に増えてしまうことだけがネックだったが、本人がやる気でいてくれること、他に適任者がいないことから、その方向でお願いすることになった。
「アリシアさんのプロデュースは
事務所へと赴いた俺たちは担当の女性に迎えられた。彼女は千歌さんの担当でもあるという。
応接室のような場所に通されたうえで提示されたのは、個人で配信を行いつつペアでの配信を織り交ぜ、互いの知名度を上げていくというもの。
「それって、顔出しをしないといけない……ってことですか?」
「はい。個人特定の可能性を懸念されている、と和歌からは聞いていますが、アリシアさんはとても稀有な容姿をお持ちです。当方といたしましては、これを隠すのは非常に勿体ないと考えております」
何しろ日本語堪能な金髪美少女である。
加えて千歌さんと同じ声となれば、事務所としては願ってもない人材である。俺を使って千歌さんをより大々的に売り出していくことができるし、その恩恵として俺も人気を得ることができる……と、そういう算段らしい。
うまくヒットすれば千歌さん同様に声優デビューしたり、二人でライブをすることだって夢じゃないという。
「つまり、御社の声優の力を借りる前提──アリシアにはそれほど期待をしていらっしゃらないということでしょうか」
ノワールが普段とは違う、仕事人モードに近い口調で言う。
彼女に呼び捨てられると若干ぞくっとするものがあったが、これは俺たちのことを良く知らない相手の前で「アリスさま」呼びをするわけにもいかないからだ。
「いいえ。我が社といたしましてもアリシアさんは是非とも欲しい人材です。その上で、より売れる方法を取るのは当然かと」
「売れる方法、ですか」
「はい。もちろん、叶えられるご希望については可能な限り叶えたいと考えておりますが、アリシアさんに有名になっていただくためにも従っていただくべき方針もございます」
だから、顔出しNGはできない。
企業として利益を出したいのは当然のこと。なので、彼女が言っていることは間違っていない。
間違ってはいないのだが、俺としては素顔を晒すのに抵抗がある。
バイトの件もあって正体バレ対策は必要だ。もちろん、きちんとした企業に所属することで法的に守られるという利点はあるが……。
その代わり、提示された細かい条件は決して悪いものではなかった。
ノワールを通すことも未成年であることを理由にあっさりと承諾されたし、提示された報酬も決して悪いものではない。
というか、高校生のバイトとしてははっきりと破格だ。俺の場合、金銭感覚が色々と変になっているため、ちゃんと相場を踏まえていないと「大した額じゃないな」と思ってしまいそうになるというだけの話。
「お話、ありがとうございました。では、何日か検討させていただいてからお返事、ということでよろしいでしょうか?」
「もちろんです。良いお返事がいただけることをお待ちしております」
俺たちは穏やかなまま話し合いを終え、事務所を後にした。
「で、アリス? あんたとしてはどうなの?」
「そうです。アリス先輩ならきっと人気になると思いますが、無理にやる必要はないと思います」
事務所へ行ってきた日の夜。
俺の部屋には紅と黒、二人の少女が集まっていた。朱華はいつも通りだらけた姿勢で、瑠璃はぴんと背筋を伸ばしながらもどこか不安そうに俺の方を見ている。
二人にクッションを渡してベッドに座った俺は「そうですね……」と間を取ってから答えた。
「期待されるのは嬉しいです。注目されるのは恥ずかしいですけど、嫌ではないです。動画に出るのも、クリスマスパーティで歌ったのも終わってみれば楽しかったと思います」
剣道の試合だって人前に出る機会には違いない。
耐性はまあ、一応あるし、アリシアになってからは人とコミュニケーションする機会が一気に増えた。色んな人と話をするのも悪いものではない、と、今なら思える。
お金の問題じゃない。幸いその手の心配事はないので、もし報酬が安かったとしても特に気にはならない。
向いていると言っていいかもしれない。
「ただ……」
「ただ?」
「なんでしょう、どういう風にどうすればいいのか、いまいち実感が湧かないんですよね」
千歌さんがやっているのを見て多少は理解しているつもりだが、いざ自分がやるとなったらまた話は別。売れるアイドルというビジョンが感覚的にしっくりは来ない。
これに瑠璃は首を傾げて、
「それなら、もうデビューしている人の動画を見てみたらどうですか?」
「え?」
なんともストレートかつ画期的な答えをくれた。
そうと決まれば早い方がいい。朱華が部屋からノートパソコンを持ってきてくれて、それをみんなで覗き込む。同じ事務所に先輩はいないらしいので、適当に検索して上の方に出てきた女性配信者の動画を再生。
何気に結構な長さのあるそれをしばらく眺めた感想は、
「なんか、特別なことをしているって感じはないですね」
「そうね。まあ、こういうのやってるのって半分素人だろうし」
専門的に勉強している人もいるだろうが、そうでない人も多い。だから個人の素質によって当たりはずれが大きい。ごく普通に話しているだけでヒットする人もいれば、あの手この手で盛り上げようとしてスベってしまう人もいる。
幾つか別の人の配信を見てみたところ、動画のネタは人それぞれ。同じ人でも回によって全く違ったことを話したりもするようだ。
ゲームの配信をする人もいれば、視聴者と(パーティの余興的な意味の)ゲームめいたことをする人もいるし、中には
というか、顔を出さない配信方法もあるのか。できるならそっちの方がいいのだが、はっきり「顔出しで」と言われてしまった以上、それは叶わないのだろう。無理に顔出しNGを主張すれば「この話はなかったことに」となりかねない。
「アリス先輩。中の人はこういうの使ったりするみたいですよ」
俺がヴァーチャル系に興味を持ったのを見て、瑠璃がスマホで検索して見せてくれる。いわゆるモーションキャプチャー用っぽい機器を装着して人の画像。
「ただ、方法はピンキリみたいで、簡単なものだとスマホにアプリを入れて、カメラで撮るだけなんていうのもあるみたいです」
「なるほど……」
配信自体の形式はリアル系でもヴァーチャル系でもあまり変わらない。自分が喋ると、それに対して視聴者からのコメントがつく。
文字だけでなく、スタンプのようなものを使える場合もあるし、熱心なファンは送金機能を用いてくれたりもする。事務所が考えているのもこうした送金機能を用いる集金方法だ。報酬は固定給+送金機能によって送られた額の一部という仕組み。
千歌さんの動画にもたくさんのコメントがついていた。
直接顔を合わせないからわかりにくいだけで、配信者たちは動画を通して多くの人と繋がっているのだ。ならば、それは剣道の試合や、あるいはオリジナルのアリシアが村を回って説法するようなことと、大して違いはないのかもしれない。
「配信してる奴に課金するの、スパチャとか投げ銭とか色々言い方あるけど、場合によってはお布施とも言うのよね」
「……お布施」
言われてみれば、応援している企業などにお金を使う時にもそういう言い方をすることがある。
要は寄付。治療などの代価に大金を受け取るのは抵抗があるが、俺を応援してくれる人が無理のない範囲で援助してくれることにはあまり抵抗がない。どう違うのか言葉にしづらいが、親戚のおじさんがお小遣いくれるのはOKみたいなものだろうか。
「うーん……でも、なんとなくしっくりこない気がします」
「どこがよ?」
「お金儲けのため、みたいに思えてしまうところでしょうか」
これには二人は顔を見合わせて困った顔をした。
「給料もらう時点で仕事なんだからそりゃそうでしょ」
「アリス先輩には、もしかすると事務所が合っていないのかもしれませんね」
もしかしたら、瑠璃の言う通りなのかもしれない。
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