聖女、進学へ歩み出す
「そうだ、アリス。両親が『うちにバイトに来てくれないか』って言ってるんだけど、どうですか?」
昼休みの中庭。
友人である
我がクラスが誇るトップカースト層の一人にして、地元で人気の洋食屋の娘。彼女はいつも通り猫被りモードで、にこにこと笑みを浮かべている。
彼女の実家でお昼を食べたのはつい先日のこと。
料理は美味しく、店内は綺麗で、制服も可愛かった。働かせてくれるというのなら心惹かれるものはあるが──。
「あら、いいじゃない。……アルバイトならうちでメイドを、と言いたいところだけど、アリスの家にはメイドがいるものね。よその家でメイドのアルバイトを始めたらよくわからないことになりそうだし」
「私としては、アリスと組んでコスプレイベントに参加、というのも心惹かれますが……収入になるかというと未知数ですし、難しいですね」
その前に、この状況に反応せざるをえなかった。
「あの、皆さん。恥ずかしいので今まで通りに戻してもらえませんか……!?」
「どうしてですか? アリスと私達は半年以上親しくしている仲です。呼び捨てくらい普通じゃないですか」
「ええ。一方的に呼ばれて悔しいなら、私達の事も呼び捨てにしていいのよ?」
「むしろ呼び捨てにしてください。さあ」
真面目な表情を装いつつ、微妙に口元をにやけさせながら言ってくる三人。
俺は「ぐぬぬ」と内心歯噛みして、
「め、芽愛」
「はいっ」
「
「ええ」
「
「……あ、すいません。私はやっぱり今まで通りで」
そういえば、縫子は名前で呼ばれるのが苦手だった。
かといって、鈴香がしているような「名字で呼び捨て」だと、場合によっては偉そうな感じになってしまう。それなら今まで通りの方が良さそうだが、
「じゃあ芽愛さんたちも前のままでいいじゃないですか!」
「だめ」
「だーめ」
二人とも笑顔で、きっぱりと否定してきた。
若干いじめられているような気分になりつつ、俺は「わかりました」と負けを認めた。
この後、縫子を含めた三人が歓声を上げたのは言うまでもない。
芽愛たちを呼び捨てにせざるをえなくなったきっかけはもちろん、バレンタインデーの一件のせいだ。
俺と芽愛が企画した「鈴香に本命チョコ作戦」は成功したというか、とりあえず達成はされたのだが、代わりに鈴香による仕返しを受け、俺たちはそれぞれにダメージを負った。
利用者が限られているとはいえ、それなりに人のいる中庭でチョコを「あーん」させられた芽愛もなかなかに可哀想だったが、俺も、話の流れで今後ずっと「アリス」呼びをされることになってしまった。
しかも、そこに芽愛と縫子まで乗ってきたからたまらない。
彼女たちが呼び捨てにするんだからこっちが「さん付け」のままなのもおかしい、ということで、なし崩しに呼び捨てすることに決まってしまったし、慣れるまではしばらく、友人の名前を呼ぶだけで赤面する日々が続きそうである。
まあ、もちろん、それだけ親しくなれたというのは嬉しいのだが。
女子を名前で呼び捨てるというのはどうにも「特別な関係」を意識してしまう。十分、女子に馴染んだつもりの俺だが、こういうところは男の感覚が抜けていないのかもしれない。
ちなみに。
鈴香の「アリス呼び」を見ていた朱華がシェアハウスでその話を披露したせいで、仲間たちにまで流れが広まりそうになったりもした。
『家族みたいなもんなんだし遠慮しなくていいのよ、アリス?』
『あ、アリス先輩。私はそもそも年下なわけですし、呼び捨てていただいても……』
『しません! 絶対にしません!』
そこまでさせられたら恥ずかしくて死んでしまうと、俺は断固拒否。
親しき中にも礼儀あり。一緒の家に住んでいるからこそ、変な風に意識するわけにはいかないのだ。
『ノワールさんからも何か言ってください……!』
『……ええと、アリスさま? 一度で構いませんので、お嬢様口調で呼び捨てて命令していただけませんか? その、とてもそそるものがあると思うのです』
『きょ、教授』
『いや、まあ、それでノワールの気が済むなら呼んでやればいいと思うが』
『教授!?』
もう誰にも頼れないと思いつつ、一縷の望みを籠めて最後の一人に視線をやると、
『あ、じゃあアリスちゃん。私と付き合っちゃおっか?』
『付き合いません!』
シルビアが一番危険だった。
政府によると、廃寺の一件における事後処理も無事に終わったらしい。
オロチが暴れてくれたおかげ+手榴弾やら爆発ポーションを投げまくったせいで建物はほぼ全壊。ついでにいくらかは火を付けられて焼けた状態。雨乞いの影響で延焼までしなかったのが不幸中の幸いで、結果、建物の残骸は大型の重機を入れなくても片付けられる程度の状態になっていた。
邪気払いをしたおかげで祟りだとかは気にしなくて良くなったし、壊れてしまったのなら片付けなくてはいけない、と、自治体が重い腰を上げるきっかけにもなったらしい。
痕跡だけ見ても激戦だったのがわかるということで、報酬もなかなかの額が出た。
そんな中、問題になったのが今回のドロップ品──シルビアの手に渡った賢者の石(不完全版)。
シルビアが持ったままでいいのか。政府に渡すべきなのか。それとも高値を吹っかけて売りつけるべきなのか。というか、そもそも報告していいのか。
悩んだ末、リーダーである教授が出した答えは、
『黙っておく。石については上には口外しないものとする』
バイトの際にドロップ品が手に入ることは今までもあった。
不死鳥の時のドロップは薬に変えられて政府にも一部還元されたし、機械人形の残骸はこちらから積極的に売りつけたようなものだが……使えばなくなってしまう薬や、いつかは人類が到達するであろう技術の先取りでしかない(構造の解明にも労力がかかる)機械と違い、今回のアイテムは影響が大きすぎる。
そのままでも薬品の効力を上げることができ、もしかすれば今まで夢物語とされてきた賢者の石(完全版)に手が届くかもしれない。
『考えてもみよ。石を用いた細菌兵器を他国に撒けば、それだけで大惨事だぞ』
本気で大きな被害が出かねない。まあ、俺の《
シルビアにしか扱えない、という体で報告するという方法もあるが、これはこれでシルビアの身が危ない。政府がやらなくとも、何かのルートで聞きつけた別の勢力が誘拐等々の暴挙に及ぶかもしれない。
なら、黙っておいた方がまだ気楽である。
シルビアならおそらく、きっと、たぶん、悪用はしないだろう。
俺の衣装はノワールの教えを乞いつつ修繕し、ぱっと見ではわからない程度にまで直すことができた。
瑠璃はオロチ戦で会得した霊力の使い方を、武器の扱いと併せて練習している。
霊力は妖怪などの『負』の存在に大きな効果のある『正』の力で、使い方によって物質的な効果を及ぼすことも、霊的・精神的な効果を及ぼすこともできるらしい。根拠がTRPGのルールブックに書かれたフレーバーテキストなので少々不安だが……。
少なくとも、武器に籠めることで威力や強度を上げたり、化け物への特効効果を与えることはできるようだ。
瑠璃はただの水に霊力を籠めたりして練習している。なお、俺が浄化した聖水に瑠璃が霊力を籠めた水はなかなかのご利益があるようで、ノワールが家庭菜園に撒いたところ、作物の育ちが良くなったうえに悪い虫が寄り付かなくなったらしい。
武器に安定して霊力を籠められるようになれば刀を保護することもできる。次のボス戦のためにきちんとした日本刀を購入することも考慮に入れ始めたようだ。
それから。
私立
周囲からわりと不安がられていた朱華もきちんと合格し、シェアハウスでは俺と朱華の進学祝い、それから瑠璃の入学祝いのパーティが執り行われた。
「新しい制服姿のアリスさま朱華さま、瑠璃さまが見られるのですね」
「四月からは瑠璃ちゃんが加わって四人で登校だねー」
制服等々は新しく購入することになる。
義務教育分の費用については政府がほとんどを負担してくれるし、幸いお金にも困っていないので問題ないが……二年近く着ているらしい朱華はともかく、半年ちょっとしか制服を着ていない俺の方は少々勿体ない気もしないでもない。
「もう着ないのであればいっそ瑠璃に譲ったらどうだ?」
「アリス先輩の制服を、ですか?」
「うむ。どうせ瑠璃も一年しか着ないのだ。ちょうど良かろう……と思ったが、サイズが合わんか」
瑠璃はスタイルが良いので、俺のサイズだと若干合わないかもしれない。
「じゃあ、あたしの着る? そんなに痛めつけた覚えはないし。瑠璃が着終わる頃にちょうど三年くらいでしょ」
「朱華先輩の制服を、ですか……?」
「……あんたね。その微妙なニュアンスの違いはなんなのか聞いてあげましょうか?」
ジト目になった朱華に瑠璃は慌てて手を振って、
「い、いえ。含むところがあるわけでは。……というか、せっかくの制服を頂いてしまうのは申し訳ないです」
「? なんでよ。もう着ないから別に──」
「いえ、まだ着る機会があるかもしれません。昔の制服なんて、恋人にねだられるコスプレの最たるものですから」
ああ、なるほど。確かに彼氏が彼女に「昔の制服を着てくれ」と頼む光景は(マンガとかで)よく見る気がする。大学生だった瑠璃なら実際に体験した友人がいてもおかしくない。
おかしくないが、
「ねえ、瑠璃。あんた時々、すごくダメな発言するわよね?」
「え!? いけませんでしたか!? 朱華先輩だって恋愛する時が来るかもしれませんし……」
「いや、完全否定はしないけど。エロゲ脳というかエロ漫画脳というか、ねえ?」
「朱華さんが言いますか」
「何か言った、アリス?」
「いひゃいれふ」
結局、どうせ政府が補助してくれるんだし……ということで、瑠璃には新しい制服を買ってもらうことになった。
「そういえば、制服は大きめのを買った方がいいんでしょうか?」
「んー。あたしはもう大して成長しないと思うから、あんまり余裕見ないつもりだけど」
「男子に比べると女子は成長が早いですから、一般的には大きく見積もる必要はないかもしれません。ただ、アリスさまの場合は多少、余裕を持った方がよろしいかと」
確かに、俺はもともと「一学年下でもいいかも?」という話だった。クラスメートたちや朱華と違って、中学時代の成長が終わっていない可能性がある。
「でも、私ってそんなに成長するんでしょうか?」
「ここに来られた時よりもアリスさまは成長されていますよ。身体測定を行えばよくお分かりになるのではないかと」
「本当ですか? ……そういえば、最近ちょっときついブラが出てきたんですが、もしかして気のせいじゃなかったんでしょうか」
「ほう。ブラがきつく、か。成長しているようで何よりだなアリス。酒でも飲むか?」
「アリスちゃんアリスちゃん。測ってあげるからこっちおいで」
「教授もシルビアさんも若干目が怖いんですが……!?」
なんていうこともありつつ。
だんだんと中三の三学期が残り少なくなり、進学の時期が近付いてきた。
高等部に入ったら色々なことが変わるだろう。
勉強については一度通った道なので心配していないが、鈴香たちと一緒のクラスになれるか。部活動をどうするか。どうなるかわからないことはいくつもある。
芽愛の両親から誘われたように普通のバイトを始めるのもいいだろう。お金には困っていないが、社会勉強としていい機会だと思う。
治療の臨時バイトのことを考えると、ある程度融通のきく必要があるのだが──。
俺がぼんやりとあれこれ考え始めたある日、
『ねえ、アリスちゃん。うちの事務所に登録しない?』
次の動画の話だと思っていた俺は、思わず「は……!?」と声を上げていた。
バイトどころじゃない話が舞い込んできてしまったのだが、果たして俺の高校生活はどうなってしまうのだろうか。
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