聖女、動画に出る
冬休みの残り日数が寂しくなってきたある日、俺はとある駅前広場にいた。
シェアハウスの最寄り駅からは都会側に数駅。
「……えっと、これで大丈夫ですよね?」
コートのポケットと、鞄の中。携帯用のICレコーダーが動作状態になっているのを確認して頷く。要らないとは思うのだが、朱華と瑠璃、特に瑠璃がやけに熱心に「持っていってください」と要望してきたので、念のために持っておくことにした。
屋内に入ってしまうと防犯ブザーでは力不足。ならばせめて、何かあった後でこちらの武器になるものを、ということらしい。
何かある前提で考えているあたり、本当は瑠璃も何かあるとは思っていないのだろう。何しろ相手は千歌さんだ。芸能活動に関しては真面目で、俺との動画を撮りたくて撮りたくて仕方ない、という人なのだから。
と。
「おはよ、アリスちゃん。待たせちゃった?」
「いいえ、少し早く着いてしまっただけなので」
噂をすれば、プライベート用っぽい地味めの服装で千歌さんがやってきた。
俺に笑顔を向けた彼女は、ちらっと周りを見て、何人かの視線がこちらへ向かっていることに苦笑してから、俺に移動を促してきた。
「お昼ご飯まだだよね? どっかで食べてく?」
「そうですね……その、配信? 収録? ってどれくらい時間がかかるのかよくわからないんですけど、時間は大丈夫なんですか?」
「あ、いいところに気がつくね。うん、そんなに遅くはならないと思うけど、余裕を残したいなら早めに始めた方がいいかも」
見れば、千歌さん自身の顔も少しうずうずしていた。なのにどうして、と尋ねると「私だってエスコートくらいできるんだよ?」と言われた。どうやら気を遣ってくれたらしい。
俺としては「遅くなりすぎてお泊まり」なんていうことになった方が大変なので、ハンバーガーショップでテイクアウトするということで合意した。
交通費やハンバーガーの代金等は全部千歌さん持ち。
じゃあ、せっかくだからと高めのバーガーにドリンクとポテト、チキンにデザートまでつけてもらった。千歌さんはフィッシュフライのバーガーのセットで、バンズをレタスに変更していた。
「それって美味しいんですか?」
「慣れれば結構美味しいよ。ハンバーガー食べてる気はしないけど」
「ですよね」
小麦は太りやすいので、我慢できる時は我慢しているらしい。声優さんとはいえ美容にもやっぱり気を遣っているようだ。
で、向かう先は千歌さんの自宅。
実家からは既に出て一人暮らしをしている彼女。都会というほど都会でもなく、けれど実家からは少し距離のある地域を選んだのは仕事と大学の兼ね合いだったり、あまり遠方になると実家からOKが出なかったりといったあれこれが影響したらしい。
到着した先は、関係者以外立ち入りできないタイプのマンションだった。
「ようこそ我が家へ。……って言ってもそんなに緊張しなくていいよ。男連れ込んだこともあるしね」
「え、と。もしかして彼氏ですか?」
「違う違う。大学の後輩。冗談でクローゼット見せたら遠慮せずジロジロ見てきたような変態だけど」
それは若干危険そうな人だ。平気そうにしているあたりストーカーとかではなかったんだろうが。
「それじゃあ、お邪魔します」
「はーい。お邪魔されます」
部屋の中は意外と……と言うと失礼だが、とにかく綺麗だった。
「そりゃあ配信に使ったりするし、SNSに写真上げたりもするんだから綺麗にするよ」
「あ、それもそうですね」
部屋を選んだ決め手は防音がしっかりしていることと、ウォークインクローゼットがついていること。職業柄欲しいところなのはわかるが、結構贅沢である。やっぱり根はお嬢様ということか。
「冷蔵庫にミネラルウォーター買ってあるし、のど飴も用意したから、遠慮なく使ってね」
「ありがとうございます」
とりあえず二人、向かい合って座ってハンバーガーを食べながら打ち合わせに入る。
「でね、今日はゲームを遊んでいるところを配信しようと思うんだ」
「なるほど。定番なんですよね?」
「うん。人が楽しそうに遊んでるのって見てても楽しいからね。あと、なにげにゲームの宣伝になったりもするし」
有名な配信者になるとメーカーの人からお礼を言われたりすることもあるらしい。……まあ、さすがにそれは俺が目指すラインじゃなさそうだが。
「アリスちゃん、FPSとか得意?」
「全然です。ゲームセンターにあるようなのを少し触ったことはありますけど」
「うん、だと思った」
「え」
というわけで、プレイするのは世にも有名な、愛らしいキャラクター達による格ゲー──もとい、対戦型アクションゲームということになった。
これなら主観的な操作がしやすいし、ガチ勢レベルにならなければ腕の差があっても一発逆転がありうる。何より見てる方も何が起こっているのかわかりやすい、といいことがいっぱいだ。
「あとお面はこっちに用意してあるから」
「あ、これ、ウサギのお面ですか?」
「そうそう」
ニュアンスとしては兎、と言った方がいいだろうか。基本的には狐面にも似た和風の兎面なのだが、多少デフォルメが施されており、顔の上半分だけを隠すようなデザインになっている。お面感が強すぎないので可愛らしさがあるし、息も苦しくなさそうだ。
もし顔が隠れた方がいいなら、と全面を覆う兎面なども別に用意されていた。俺はそれを見て「うーん」と悩む。
「よく考えると私の場合、金髪でバレませんか?」
「うん。だから顔隠すのに拘り過ぎなくてもいいかなって」
「バレる前提じゃないですか!」
「後ろで縛ってパーカーとか着てもいいけど、さらにお面までしたら絵面が怖いよ?」
「う」
お面で顔を隠してフードを目深に被った配信者。怪しい。そこまでして正体を隠す必要があるのか、と言いたくなる。
俺はしばらく考えてから、可愛いやつを使うことにした。
「衣装は今日は間に合わないから私服になるけど、大丈夫?」
「はい。そこは覚悟してきました」
今回のスケジュールは千歌さんが急遽ねじこんだもの。さすがに「衣装製作は順調」と言っていた縫子でも三が日から縫い物に熱中はできなかったようで、今回は衣装無しである。そうすると後一回くらいは最低出演しないといけないかもしれないが……まあ、今回の評判が振るわなければ断れるだろうし、後のことは後で考えるしかない。
「なのでここにちょうどいいものが……」
「あ、和メイドだ」
シックな黒地に白いエプロン、というメイド服の基礎を押さえつつも和の雰囲気を取り入れたデザイン。
これは、例によってノワールから借りたもの。私服を披露してしまうと特定に繋がる恐れがあるし、メイド服ならいかにも衣装だから見せるのには向いている。とはいえ、文化祭用に作ったメイド服や文化祭で着たメイド服などはまずいので、新しいメイド服に落ち着いたというわけだ。
かぶりものが兎の面ならテイストとしても合っている。
食事を終えた後で着替えると、
「なかなか悪くないですね……?」
「いや、似合ってる。めっちゃ可愛いよアリスちゃん!」
「あ、ありがとうございます」
和メイド服を着た兎面の金髪少女。正直絵としてはハマっている。ハマりすぎて逆に心配になるくらいだ。
そう言う千歌さんも着替えとメイクを済ませて撮影モードに変身済み。お陰でお互いに「可愛い」と言いあう羽目になった。
「あ、アリスちゃん。撮影中は私、
「はい。和歌さんですね。間違えないようにしないと」
「あはは。生配信じゃないから後で編集するよ。と、アリスちゃんの呼び名も決めないとね。何がいい?」
「えっと……」
そう言われても、ちょうどいい偽名なんてすっと出てこない。
本名から適度に遠くて、でも一応関係のある名前……不思議の国のアリス系?
「じゃあ、キャロルとかでどうでしょう?」
「おっけー。キャロちゃんね」
「キャロちゃん」
秒であだ名にされた。
「で、流れとしては挨拶して、自己紹介して、今回やるゲームの紹介。それが終わったら後はとりあえずゲームしてればOK。私が進行するから、アリスちゃん──じゃない、キャロちゃんは適当に相槌打ってね」
「わかりました」
物凄く大雑把だが、素人である俺に多くを求められても困る。せいぜい「黙らないこと」「適度にしゃべること」を肝に銘じておくくらいだ。
そうして、俺と千歌さん──もとい和歌さんの収録が始まった。
「……疲れました」
夕方、家に帰り着いた俺は、荷物だけ部屋に置いた後、リビングにぐでっとへたりこんだ。
「お疲れ。なに、なんか失敗したの?」
「相手の方に何かされたんですか? 討ち入りした方がいいですか?」
「いや、小さな失敗は数え切れないくらいしましたけど、大きな失敗は特に。ただ精神的にこう、来るものがあったというか……」
結果が気になっていたらしい朱華と瑠璃は「ああ」と同時に頷いた。
そう。前回のは歌ってるところをとりあえず収録しました、というだけだったが、今回は(顔を隠しているとはいえ)全身映っているし、前もって「撮りますよ」と簡単な打ち合わせまでしていたので、どうしても緊張してしまったのだ。
お陰で、撮られている間はわりと夢中だったのだが、終わってみるとどっと疲れた。
「で、楽しかった?」
「はい。それはもう、楽しかったです。千歌さんがちゃんとリードしてくれましたし……」
「リード……。アリス先輩、変な意味ではありませんよね?」
「そんなわけないじゃないですか」
くんくんと髪の匂いを嗅いでくる瑠璃に目で抗議すると、彼女は目が合った途端恥ずかしそうに「す、すみません」と視線を逸らした。
それを見た朱華がくすくす笑って、
「瑠璃。今の、女同士でも親しくなかったらアウトだから気をつけなさいよ」
「はい、肝に銘じておきます……」
ああ、なるほど、距離が近すぎたことにやってから気づいたのか。俺としては女同士だから気にしないのだが、自然体に見える瑠璃にも意外と男としての意識が残っているのだろうか。
そこで夕食の支度中だったノワールがやってきて、
「お疲れ様でした、アリスさま。……それで、動画はいつ頃見られるのでしょう?」
「ノワールさんまで見るんですか……? えっと、遅くても一週間以内くらいには編集して送るって言ってましたけど」
「じゃあ届いたらリビングで鑑賞会ね」
「絶対止めてください」
溜まった映像データ整理してた両親が「懐かしい」とか言いながら小学校の運動会の様子をテレビに映し始めた時と同じくらい恥ずかしい目に遭いそうだ。刺し違えてでも止める、という覚悟が伝わったのか、朱華は「冗談よ」と言って宣言を撤回した。
◇ ◇ ◇
《table:#c0c0c0》[[《left》《b》 千秋和歌@配信でも活動中♪《/b》 《gray》@XXXXX・1月12
新作動画UP
妹の友達(カラオケの時の子)と仲良くゲームしました
(/・ω・)/ヨロシクネ
https:XXXXXX...《/left》《/table》
「え、あれって一人二役じゃなかったのか」
SNSの新着通知から声優・千秋和歌の個人チャンネル更新告知を見た俺は、思わず呟いていた。
彼女の配信は一応、今のところ欠かさず見ている。アイドル系声優じゃないので本業だとそれほど顔出ししない声優。なのに顔が可愛い。なので、千秋和歌の熱狂的ファン、というわけではないものの、彼女の顔と声をたっぷり楽しめる配信はそれなりに楽しみにしている。
その分、カラオケ回は個人的に微妙だった。
いるかいないかわからない「同じ声の友人」を作り上げた上でやることが音声のみの配信、しかもカラオケルームの音をそのまま録って多少編集しただけ、というやっつけ感にげんなりしたのだが……それだけに今回の動画は気になった。
すかさずリンクをタップして動画を再生する。
『こんにちは~、千秋和歌です』
『こ、こんにちは』
流れ出す声。そして映像に、俺は「うお」と声を上げてしまった。
本当に二人いる。しかももう一人は小さい。更に金髪だ。兎のお面をつけて和メイド服? を着ている。なんというか現実感のなさが凄い。けど、人形ではなく動いていた。しかも喋っていた。流暢な日本語で。
「なんだこれ」
なんだこれと言いつつ、気づいたら最後まで見ていた。
キャロルちゃん──キャロちゃんと呼ばれていた相方はいかにも素人という感じでたどたどしく、それでいてどこかあざとい可愛さがあった。
ゲームに熱中し始めるとキャラの行きたい方向に身体が動く。攻撃を受けると声を上げる。攻撃しても声を上げる。千秋和歌と同じ声で。
「どこから連れてきたんだこんな子」
妹の友人ということだが、こんな都合のいい人材がそう簡単に転がっているだろうか。
とりあえずSNSで呟いてみる。少し経ってから見てみると、似たようなことを思った人は他にもいたようだ。
『実在はしてるんだろうけど素人じゃないって。事務所の新人とかだろ』
『いや、それにしちゃ下手すぎね?』
『だからこそ経験積ませるために、とかかもしれん』
なるほど、一理ある。
もしかしたら事務所的に、こうやって話題を作って売り出すつもりなのかもしれない。そうだとしたらまんまと思惑に嵌まっていることになるが。
「とりあえずこの子の素顔が見たい」
同じことを呟いたら、やたらと「いいね」がついた。
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