聖女、お正月を満喫する

 目が覚めたのは午後一時を過ぎたあたりだった。


「あれ、私……?」


 身を起こすと、すぐにノワールが寄ってきてくれる。


「アリスさま、気分はいかがですか?」

「えっと、軽い頭痛があります。あと身体がだるいような……」

「良かった。それほど重くはなさそうですね」


 微笑むノワール。実際、深刻なレベルの体調ではなかった。これくらいのバッドステータスなら生理の時と大して変わらない。

 コップに注いだ水が差しだされたので、ソファに腰かけて少しずつ飲む。胃に物を入れるのが辛い感覚があるが、同時に水分が身体に染みていくような爽快感もあった。


「……もしかして私、酔いつぶれたんですか?」

「もしかしなくても酔いつぶれたのよ」

「あいた」


 呆れ顔の朱華がやってきて頭を軽く叩いた。


「何するんですか」

「こっちの台詞。……あんたね、今後一切、誰かがついてない状態で酒飲むんじゃないわよ」

「そこまでですか……!? いえ、まあ、お正月以外、大学入るくらいまで飲まないと思いますが」

「あのね、大学の飲み会とか一番危ないでしょうが」

ひはいいたい


 今度は頬がぐにーっとつねられた。


「朱華さま。弱ってらっしゃる方にそれは少々……」

「ただの二日酔いじゃないですか。いや、一晩は経ってませんけど」

「二日酔いですか……。私、気をつけて飲んでたつもりなんですが」


 チェイサーは用意したし、空きっ腹で飲まないようにもした。ペースも守って少しずつ飲んでいたはずだ。

 しかし、思い返してみると、途中から記憶が怪しい。いやまあ、お正月料理と日本酒を楽しみながらテレビを眺めていただけなので、ストーリー性も何もあったものではないのだが。

 ノワールもこくりと頷いて、


「そうですね。決して乱飲ではありませんでした。わたしも問題ないと思っていたのですが……」

「結果的に一番性質悪いやつだったわね」

「いや、本当に何があったんですか……?」


 怖くなってきた俺に、二人は順を追って話してくれた。

 俺はペースを守って無理のない飲酒をしていた。少なくとも周りからはそう見えた。きちんと料理も楽しんでいたし、周りの会話にも応じていた。表情にも大きな変化はなく、酒に強いのだろうと自然に思えるような態度だったらしい。

 朱華は飲みすぎ注意、シルビアは一定以上飲まない。瑠璃は飲ませすぎるとやばいのが明らかとあって、教授は喜んだ。自分もかなりのペースで酒を進めながら、俺のグラスが空になる度に酒を注いだ。

 だから、俺の表情がほんのりと赤くなり、言動がだんだんと脳を使っていない感じになっていったのを見逃してしまった。


「今思い返すと最後の方は『すごい』『可愛い』『美味しい』とかそんなことしか言ってなかったわ」

「……普段の私とそんなに変わらないですね?」

「だからわかりづらいのよ」


 そう言われても、誰かの言動にツッコミ入れるのでもない限り、ネガティブなコメントなんてそうそう必要ないだろう。特にテレビの感想なんて過剰に褒めるくらいでちょうどいいと思う。


「ですので、アリスさまが突然『ふにゅう』とテーブルに突っ伏すまで気付けませんでした。不覚です」

「待ってください。私、本当に鳴いたんですか、『ふにゅう』って!?」

「いつものあんたと大して変わらないでしょ?」

「変わりますよ!?」


 しかし、なるほど。お陰で何が起こったのかわかった。

 普通に飲んでいたはずの俺が突然酔いつぶれた。みんなはそこに至ってようやく、徐々に酒が回っていたことに気づいたのだ。

 俺自身、状態の変化が緩やかすぎて気づかなかったのだろう。思考能力の低下と体調の変化がほぼ同じペースならそうなってもおかしくない。


「あんた聖女の癖に危なすぎでしょ。いや、聖女だからなのかもしれないけど」

「村を救った宴会の席で皆さまからお酒を飲まされるアリスさまの姿が目に浮かびました……」

「ああ、それで私、ほいほい受けていると思ったら急に酔いつぶれるわけですね……」


 そうなったとしても、全年齢時空ならば「寝床まで運んで差し上げよう」で終わりだろうが、鬼畜凌辱エロゲ時空なら村の男衆が「にやり」とするところである。

 それは誰かがついてないと危なくて仕方ない。


「……やっぱりお酒は大人になってから飲むものなんですよ」

「いや、大人になっても一人で飲むのは禁止だから」

「それじゃ一人暮らしなんて絶対できないじゃないですか」

「まず、する必要がほぼないでしょ?」

「アリスさま。わたしのご奉仕ではご不満ですか?」


 いや、ノワールの手際に不満なんてあるわけがない。一人暮らしと言ったのは例えばの話であって、そういう心づもりも特にあるわけではないのだが。

 ぽん、と頭に手が乗せられて、


「いいじゃない。あんたの面倒見るくらい大した手間じゃないわよ」

「この前、借りがどうとか言ってたじゃないですか」

「それはそれ、これはこれよ」


 堂々とそんなことを言ってのける胆力は正直見習いたい。


「……あの、ところで教授たちは?」

「教授さまと瑠璃さまは将棋を指していらっしゃいます。反省の一環として、三勝するまで部屋から出られないというルールで」

「? どっちかが三勝ってことですか?」

「ううん、合計三勝。シルビアさんが二面指しで叩きのめしてるから」


 シルビアがそんなに強いとは、完全に初耳である。

 あれか。瑠璃たちは所詮趣味でたまにやる程度。対してシルビアは檀家の老人たちの相手をする機会も多かったので、素人としては一段上の実力があるのだろう。寺生まれなのはバレてしまったので隠す必要もない、ということか。

 オリジナルのシルビアは将棋なんかできるわけないので、ある意味、オリジナル以上のスペックを発揮していることになる。発揮する場面があまりにもくだらなさすぎるが。


「アリスさま。お昼ご飯はどうされますか?」

「正直そんなに食欲はないんですが、できるだけお腹に入れておきたいです」

「かしこまりました。では、ご用意いたしますね」

「っても、雑煮とおせちだけどね」

「はい、ちょうどいいです」


 餅はそれ自体がほぼ無味だし、おせちは素朴な味の煮物が中心。雑煮はところによって味噌が入ったりもするようだが、うちのはシンプルな優しい味なので飽きにくく、食欲のない時でも食べやすい。

 俺はゆっくりと箸を進め、身体にエネルギーを取り込みながら、あらためて自制の必要性を自分に言い聞かせるのだった。






 将棋で三勝しないと出られない部屋(仮)から生還した教授と瑠璃からは謝られた。俺もみんなに迷惑をかけたことを謝って、正月のシェアハウスはまたのんびりとした空間に戻った。

 元日の午前中をだらーっとみんなで過ごしたこともあって、それからは思い思いの過ごし方に。朱華とシルビアはそれぞれ自室で趣味に耽っていたし、教授はなおもちびちび酒をやりつつ正月特番を眺めていた。

 ノワールは「シュヴァルツに気分だけでもおすそ分けを」と妹のところに出かけて行った……かと思えば、戻ってきた後は瑠璃と一緒に何やらパソコンの画面を睨めっこしていた。

 この正月はもう酒を飲まないと決めた俺は休養がてらソファで読書をしていたのだが、二人の様子が気になって尋ねてみた。


「何をしているんですか?」

「ノワールさんと一緒にコスプレ通販の福袋チェックを」

「アリスさまもせっかくですから何か買われますかっ?」


 言われてみれば、正月にはそういうイベントもあった。

 男だった頃は服なんて安いのでいい、という感覚だったので、何も中身ランダムの値引き品に群がらなくても……と、福袋にはあまり興味がなかった。

 女になった今は「高い服が安く買える」という点に興味が惹かれなくもないのだが、


「こういうのって売れ残り品だったりしないんですか?」

「確かにそういうショップもありますが……」

「いつものショップなら心配ありませんよ。トップクラスの人気ふつうにうれる商品が入らない傾向はありますし、内容物はランダムですが、どの品も質がいいので問題ありません。しかも、値段的にはかなりお得です」

「そうなんですね。……そういえば、瑠璃さんとも約束していましたっけ」


 一緒にゴスロリを着る、という話だ。

 なんだかんだと延び延びになっていたので、何か買うのもいいかもしれない。買えば買うほどポイントがついて(ノワールの)会員グレードが上がるし。


「ゴスロリの福袋もありますか?」

「ロリータ系というくくりでしたらこちらに。アリスさまでしたら、どの色でもお似合いになるので問題ないかと。……なんでしたら、わたしがゴスロリメイドをプレゼントいたしますが」

「ノワールさんも瑠璃さんも簡単にプレゼントしすぎです。むしろ、私が瑠璃さんにプレゼントしてあげたいくらいです」

「そんな。アリス先輩からプレゼントなんて申し訳ないです」

「気にしないでください。私、こう見えてもお金持ちなんですから」


 俺も変身したばかりの頃、ノワールたちからスマホをプレゼントされている。同じようなことを瑠璃にしてやらなければむしろ申し訳ない。


「そういえば瑠璃さん、スマホはまだ持っていませんよね?」

「はい。男だった頃に使っていた端末は電源を入れると身バレに繋がりかねないので……。そのうち契約しようとは思っていたんですけど」


 大学生らしくノートPCは持っていたし、知人が俺たちだけなので特に不自由はしていないらしい。


「でしたら、端末は私にプレゼントさせてくれませんか?」

「いいんですか? じゃあ、その、アリス先輩と同じ機種とか……」


 なるほど、それだとわかりやすく恩返しになりそうだ。問題は半年経ったので最新機種ではなくなっていること。俺としては機種代金が下がっていてお得だが、瑠璃はそれでいいのだろうか。念のために聞いてみると「構いません」とのこと。特にこだわりがなければ高性能機種に違いはないので問題ないだろう。


「でしたらわたしはケースをプレゼントしますねっ」

「あ、ありがとうございます。でも、そんなに貰ってしまっていいんですか?」

「いいんですよ。もし気になるようでしたら、瑠璃さまも後輩にプレゼントしてあげてください」

「ああ、そうですね。そうします」


 こういう伝統ならどんどん受け継がれていって欲しいと思う。


「じゃあ、福袋は自分用のものを……。ゴスロリと、メイド福袋も気になりますね。あ、アニメやゲーム系のコスプレ福袋もあるんですね」

「先輩、アニメコスにも興味あるんですか?」

「特別に、というわけではないんですが、念のために持っておいてもいいかな、と」


 主に千歌ちかさんの動画対策で、だ。縫子ほうこが作ってくれているらしいし、千歌さん自身も用意していそうな気がするが、用意されたものが無駄に露出度が高かった、なんていう可能性はなくはない。

 こっちでも何かしら持っておけば急遽そっちを使うこともできるだろう。必要なさそうならボス戦以外の通常バイト用にしてもいい。


「アリスさま。下着の福袋もありますよ」

「あ、そういうのもあるんですね。サイズは大丈夫なんでしょうか……?」

「はい、そちらは選べますので問題ありません。万が一サイズの合わない品が来た場合はわたしたちで引き取れるかと思いますし」

「あ、確かにそうですね」


 何しろ、シェアハウスには年齢の違う女性が揃っている。俺が着けられなくても誰かのサイズには合いそうだ。

 頷いた俺はなんの気なしに「じゃあそれも」と決断し──気づいたら結構な数の福袋を購入してしまっていた。

 いや、安いし、このくらいで金欠にはならないのだが。もしかしたらまだ少し酒が残っていたのかもしれない。


「あ、アリスさま。衣装、完成した旨のメールが来ていましたよ」

「本当ですか?」

「はい。年末年始は発送業務がお休みですので、届くのはもう少し先になるかと思いますが……」

「ありがとうございます。あれが届けば、さらに本領発揮できそうです」

「む。……私も、今のうちに着物を仕立てた方がいいでしょうか」


 それは流石に財布がやばいんじゃないだろうか。

 どうしても必要になったらシルビアのを借りるという手があるし、せめてバイトに慣れてからにした方が、と言って瑠璃を説得した。

 焦らされている形になる瑠璃は教授にあらためて「バイトを」と懇願し、それに押される形で、今年初のバイトは二週目の土曜日あたりで……と決まった。


「瑠璃はそれまでに鍛錬を積んでおくように」

「はいっ」


 それから、三日の夜に千歌さんからも連絡が来た。


『冬休み中に一回くらい収録したいなー』


 俺は苦笑して、了解した旨を返信したのだった。

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