聖女、初詣に行く

 着物なんて着るのはいつ以来だろうか。

 七五三の時以来? まあ、いつだったとしても、前に着たのは男物なんだが。


「結構動きづらいんですね……」


 帯で締め付けられているせいで苦しいし、袖や裾のせいで動きもかなり制限される。

 着付けを手伝ってくれたノワール、瑠璃も頷いて、


「そうですね。普段以上に気を遣うことになるかと」

「段差に気をつけてくださいね、アリス先輩」

「はい」


 縫子ほうこの姉、千歌ちかさんから借りた着物へ身を包んだ俺は、二人からの注意にしっかりと応えた。

 スマホとハンカチ、ティッシュくらいしか入らない巾着袋を手に、玄関で草履を履く。

 履物はブーツとか、場合によってはスニーカーとかでもいいらしいのだが、できるだけフォーマルな装いにしておいた方が神様に失礼がないだろうと草履にした。


「気をつけなさいよ。あたしがついて行ってもいいけど、逆にトラブル呼びかねないし」

「まあ、そうそう心配はないだろうがな。しつこいナンパ男に会ったらいっそぶちのめしてしまえ」


 朝早い時間だが、朱華と教授も起きて見送りをしてくれる。ちなみにシルビアは夜更かしがたたってまだ寝ている。この後、朱華は軽く二度寝。教授は一足早くおせちをつまみに一杯やるらしい。

 しかし、ぶちのめせって教授……。まあ、運動何もやってないモヤシ男の一人や二人ならこの格好でもKOできるだろうが。

 女子会の影響で眠そうな瑠璃はしゅんと肩を落として、


「せめて私が一緒に行ければ良かったんですが……」


 いくら適応力が高いとはいえ、変身してまだ一か月弱。さすがに初詣は難易度が高い。下手すると足手まといになりかねないからと断念した。


「大丈夫です。私だけじゃなくて友達と一緒ですし」

「それならいいのですが……なんとなく嫌な予感もするので、そういう意味でも私は出ない方がいいかと」

「嫌な予感、ですか?」

「はい。……あ、いえ。その。占いだとか風水の類ではないんです。ただ、私にとって面倒な人に会いそうだなと」

「?」


 良くわからなかったが、初詣に来そうな知人でもいるのかもしれない。俺に関しては問題ないのだろうと深く考えないことにした。


「では、アリスさま。くれぐれも軽はずみな行動は謹んでくださいませ。危険な場合は周りに助けを求めるか、皆さんで逃げてくださいね?」

「わかりました」


 いつもながら過保護な仲間たちの忠告を受けながら、俺は初詣へと出発した。






 さっきも言った通り、今はまだ一月一日の早い時間。

 餅やおせち料理は後のお楽しみとして、まずは初詣からだ。いったん食べ始めてしまうとやめ時が難しいし、酒を勧められでもしたら出かけられなくなりかねないのでこの方がいいだろう。

 鈴香すずかたちにはスマホを使って連絡済み。

 近くまで迎えに来てくれるということなので、慣れない草履でゆっくりと合流場所に向かえば、黒塗りの高級車が一台、ちょうどやってくるところだった。


「おはようございます、アリス様。あけましておめでとうございます」

「あけましておめでとう、アリスさん。着物、良く似合っているわ」

「あけましておめでとうございます。鈴香さん、理緒りおさん」


 車を運転していたのは鈴香のお付きである理緒さんだ。

 理緒さんはさすがにスーツ姿だったが、鈴香は俺合わせで着物に身を包んでいる。和装でも何の問題もなく着こなしていて、お嬢様っぷりに拍車がかかっている。

 鈴香の着物を褒めた後、芽愛めいたちはと尋ねると、縫子は先に芽愛と合流しているらしい。


「だから、二人まとめて回収していきましょう」

「わかりました。……でも安芸さん、まさか芽愛さんのところのおせちが目当てだったり?」

「それはないと思うわ。……きっと」


 疑惑の真相は明らかではなかったが、芽愛の家の前に着くと二人はタイムラグなく顔を出した。


「おはようございます。アリスさん、姉さんの着物とは思えないくらい似合っていますね」

「もう、いきなりそれなの? ……あけましておめでとう、アリスちゃん。鈴香」

「ええ、あけましておめでとう。二人の着物も似合っているわ」

「あけましておめでとうございます。結局みなさん着物になってしまいましたね」


 女の子が四人も着物で集まるとそれだけで華やかだ。早朝なので声量は抑え目だが、それにしてもわいわいと挨拶したり服を褒め合ったりするのはなんというか女子っぽい。昔の俺なら確実に気後れしていただろうな、と思う。

 と。


「うわ、何このお嬢様四人組。すっごく可愛い! 写真撮っていい?」


 コート姿の女性が一人、更に家の中から出てきて俺と鈴香に抱きついてきた。

 聞き覚えのあるこの声は、


「千歌さん!?」

「久しぶり、アリスちゃん。えへへ、来ちゃった」

「千歌さん……いえ、まあ、半々くらいの確率で来るだろうと思っていましたが」


 まとめて抱きしめられた鈴香がため息交じりに言う。嫌味を投げられた千歌さんはと言うと、気にした様子もなく笑って、


「さすが鈴香。というわけで、一緒に行ってもいいよねアリスちゃん?」

「アリスさん。この馬鹿の事は甘やかさなくても結構です」

「い、いえ。そういうわけにも。せっかくですから皆さんで行きましょう」

「やった! さっすがアリスちゃん。大好き!」

「あ、あの、千歌さん。この格好だと倒れたら起き上がりづらいので……」


 というか、さっさと車に乗らないとそれこそ近所迷惑では。


「芽愛。気を付けてね」

「みんなもあけましておめでとう。良ければお店にも食べに来て欲しいな」


 わいわいやっているうちに芽愛のご両親まで出てきて挨拶されてしまった。俺と鈴香、車を降りた理緒さんが挨拶をしたら、さすがにそろそろ……と初詣に出発した。


「ね、アリスちゃん。カラオケの音声動画もウケたし、また付き合ってくれるでしょ?」

「は、はい。顔出し無しなら構いませんけど……」

「やった! 顔出しの件は任せて。ちゃんとお面も用意するから」

「姉さん。アリスさんを酷使しないでくださいと何度も──」

「あ、縫子。衣装の方は進んでるの?」

「失礼な事を聞かないでください。ちゃんと間に合うように進めてます」


 姉に苦言を呈そうとした縫子は衣装の話題を振られた途端、あっさりと話を切り替えてしまう。うん、やっぱり二人は似た者姉妹だ。






 向かった先は地域で一番大きな神社。

 全国的に有名なあれやこれとは人気も知名度も違うものの、それでもなお、早朝から多くの人が参拝に訪れていた。さすが初詣。


「私は車を停めてきますので、どうぞ先にお並びください」

「ありがとう、理緒」

「千歌様。しばらくの間、皆様をお願いしますね」

「はいはい。それくらいは任せなさい。……じゃ、ほらほら四人ともそこに並んで記念写真撮ろっか!」

「……姉さん」

「あはは。千歌さんがいると本当賑やかだよねー」


 神社の入り口あたりで四人並んで写真を撮ってもらう。四人だけだったらなかなかできないので、そういう意味では千歌さんがいて良かったかもしれない。

 本人の写真はいいのかと言えば「私はいいの」とのこと。そこまではしゃぐ歳じゃないらしい。いや、十分はしゃいでいると思うのだが……。


「でも、せっかくですし安芸さんとツーショットとか」

「じゃあアリスちゃん一緒に撮ろ?」

「わっ」


 すかさず自撮り方式で撮られた。


「千歌さん。それ、SNSにアップしないでくださいね?」

「わかってるってば。……あ、目線入れたらOK?」

「それは逆にいかがわしいんじゃないかしら……?」


 などと言いつつ行列に並び、順番を待つ。


「アリスちゃん、作法とか大丈夫?」

「任せてください。私、事前に調べて練習もして来たんです。神様に失礼があってはいけませんからね」

「あはは、アリスちゃん気合い入り過ぎ!」


 気合い入れすぎなどということはない。

 聖職者の端くれとして二礼二拍手一礼とか御手水の仕方とか、祈る内容の基本とか、それくらいは押さえておかなければいけない。

 俺の神様パワーがどこから来ているのかは不明だが、無名の神様だからって舐められたりするのも困る。


「神聖な場所だと気分も引き締まりますし、全力で臨みます」

「それはさすがに力み過ぎだと思いますが……」

「パワースポットというやつかしら? そういうの、わかるものなの?」

「はい、なんとなく。心が洗われるというか、落ち着く感覚があります」

「アリスちゃん霊感強そうだもんねー」


 というわけで、作法に則って参拝。ちゃんと神様には住所と名前も伝えたし、うちの神様とも仲良くしてほしいとお願いもした。その上で、友人や仲間が健康でいられるようにと祈った。

 伝わったかどうかは定かでないが、その後引いたおみくじは全員大吉だった。







 忙しいメンバーもいるし、朝ごはんもまだなので、初詣をした後はおみくじを引いて、神社で配っていた甘酒を飲んで解散になった。


「鈴香さん、安芸さん。頑張ってくださいね」

「ええ。きちんと務めを果たしてくるわ」

「私なりに精一杯やってきます」

「うちは無理に挨拶回りしなくていいから楽だよー」


 なお、千歌さんは「もう一人暮らししてるし」と逃げ出そうとしたところを縫子に捕獲され、一緒に帰っていった。

 何事もなく無事に終わって良かった。

 家の鍵を開けた俺は「ただいま戻りました」と声をかけて、


「アリスせんぱ~いっ」

「えっ……!?」


 自分より大きな柔らかい身体に抱きつかれた。

 黒髪黒目の美少女。


「瑠璃さん?」


 瑠璃は真っ赤な顔をして「えへへぇ」と笑っていた。幸い露出度の低い普通の私服姿だが、しっかりしている彼女らしくないことに服の乱れは全く気にしていない。

 くんくんと嗅いでみると、アルコール特有のにおい。

 間違いない。どうやら彼女は酔っているようだ。


「あの、瑠璃さん、大丈夫ですか? 解毒した方が──」

「せんぱい、好きです」


 潤んだ瞳に見つめられ、思わずどきりとする。

 落ち着け。相手は酔っ払いだ。


「私も瑠璃さんのこと好きですよ。だから落ち着いて──」

「嬉しい。せんぱい、アリスせんぱいっ」


 あ、駄目だこれ。


「《解毒キュアー・ポイズン》」

「せんぱ……ふぇっ」


 聖なる光に照らされた瑠璃の表情がみるみるうちに元へ戻っていく。本来は「毎ターンダメージ」等の毒を解除する魔法だが、アルコールを分解するのにも効果がある。

 素面になった瑠璃は俺に抱きついた姿勢のまま「え?」と声を上げて、


「アリス先輩?」

「落ち着きましたか、瑠璃さん?」

「はい。あ、あの。……うあ、あああっ、すみませんっ!?」


 ばっと離れて逃げていった。恥ずかしくなったんだろう。今の出来事は蒸し返さないでおこうと思いつつ草履を脱いで家の中に上がる。

 そこへぱたぱたとノワールがやってきて、


「おかえりなさいませ、アリスさま。初詣、楽しかったですか?」

「はい、楽しかったです。あの、瑠璃さんはどうして……?」

「教授さまがお酒を飲ませまして。どうやら酔うと子供っぽくなってしまう体質だったようです」

「そんなマンガみたいな酔い方、本当にあるんですね」

「わたしたちは創作上の登場人物ですので、そういうこともあるのではないかと」


 確かに。ノワールなんてモロにマンガの登場人物である。そんな彼女は作中だと「酔うと妙に色っぽくなる」という設定だったはずだ。あいにくというか幸いにもというか、俺はまだ彼女がそうなったのを見たことがない。本人もわかっているからか、普段からセーブしているからだ。

 普段の時点で十分大人の魅力のあるノワールがこれ以上色っぽくなったらどうなるというのか。


「アリスさまもおせちにお雑煮、召し上がりますか?」

「はい、是非」


 着物を脱ごうか迷ったが、どうせなら着たままの方が正月っぽい気がする。借りものなので汚さないように気をつける必要はあるが。

 それから、教授に酒を勧められても飲まない方がいいのではないか──。


「ああ、アリス。お帰り」

「って、朱華さん。なんて格好してるんですか」

「シャワーよシャワー。気持ちいいのよ?」


 やってきた朱華は思いっきり下着姿だった。


「寝起きですか?」

「ううん。しばらく教授に付き合ってた。あたし、酔うと身体が火照る体質なのよ」

「ノワールさんと似てますね」

「ノワールさんは体温四十度とかにならないけどね」

「は?」


 要は、パイロキネシスの調整が甘くなって体温が急上昇するらしい。なので一杯やった後は水シャワーを浴びて身体を冷やすのだそうだ。サウナみたいなものだと思えば確かに気持ちよさそうではある。

 まあ、朱華が素面に戻っていてよかった。

 少しほっとしつつリビングへ移動すると、教授が上機嫌にグラスを傾けていた。


「おお、アリス。帰って来たか。先に始めているぞ」


 瑠璃も透明な液体の入ったグラスを手にしており、それをノワールが慌てて取り押さえている。


「離してくださいノワールさん。飲んで忘れてしまわないと耐えられません」

「落ち着いてください。それで正気を失ったら二の舞です」


 最後の一人はほんのり赤い顔で俺の腕を拘束し、


「アリスちゃーん。お姉さんと一緒に遊ぼ?」

「シルビアさん……正気ですね?」

「なんでわかったの!?」


 素面と行動が一緒だからです。

 なんだかひと騒動あったっぽいみんなの様子に苦笑しつつ、俺も手洗いうがいを済ませた後、一足遅れてお正月料理にありついた。


「ほら、ぐっと行け、アリス」

「あの、教授。ほんとに少しで。少しでいいですから」

「うむ、好きなだけ飲め」

「フリじゃないですからね!?」


 飲まないという選択肢はなさそうだったので、お雑煮やおせちである程度お腹を満たしてから恐る恐る酒を口に入れた。


「……あ、美味しい」


 すっきりとした口当たり。いわゆる辛口と言われる酒らしく、喉に刺激が来るのもいい。高い酒だから、というのもあるだろうが、日本酒、美味いじゃないか。

 一口飲んだ限りでは体調にも変化はなし。


「少しずつなら飲んでも大丈夫そうです」

「おお、アリスはいける口か。なら飲め飲め」

「あの、ノワールさん。お水いただけますか?」

「はい、ただいま」


 水と日本酒を交互にちびちび舐めながら教授に付き合う。事前に用意しておいたお陰でノワールもあまり忙しくないので、ノワールも一緒に食卓についた。

 きなこもちとあんころもちをつつく朱華と、自分で酒量を把握しているらしいシルビアも一緒だ。瑠璃は俺に「お餅は冷蔵庫に入っています」と囁いた後、頭を冷やすために風呂へ向かった。


「箱根駅伝は明日からか。あれも正月の楽しみなんだが」

「あーわかる。マラソンは難しいルールないもんね。早い奴が正義だから見ててわかりやすいわ」

「とりあえず自分の大学応援しとけばいい、っていうのもわかりやすいよねー」


 まあ私は応援しないけど、とシルビアが小さく続けたのはともかく。

 親戚のおっちゃんと父親が酒を酌み交わす横で、でなければあのマラソン番組も楽しいかもしれない。


「楽しみですね」

「皆さま、一日の番組表もこちらにありますので、ゆっくりいたしましょう」


 俺たちはのんびりと正月の雰囲気を楽しみ──気付いたら、俺はリビングのソファで伸びていた。

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