聖女、大晦日を迎える
十二月三十一日は昼間からおせち料理の仕込みをすることになった。
キッチンとリビングを使い、ノワールとの共同作業である。おせちなんて初めてなので教わりながら……と思ったら、ノワールも要所要所で本やネットを確認していた。
「ノワールさんでもわからないことがあるんですね」
「もちろんありますよ。おせち料理は普段作らない品もたくさん入っていますし」
なるほど、言われてみれば。
年に一回しか作らない料理。変身前は俺同様、料理をしない人だった可能性もあるわけで、もしそうだとするとまだこれで二、三回目ということになる。わからないことがあっても当たり前だ。
芽愛なんかはもう何回も作っていそうだが、そもそもあの家だとおせちも洋風だったりするのだろうか。ローストビーフが入っていたりとか? それはそれで美味しそうである。
「お、やってるな。どれ、一つ味見を……」
ひょっこりと顔を出した教授が煮物を一つつまんでいく。
こういう時、ノワールは意外とうるさくて「食事の時まで待ってください」とか言ったりするのだが、今日はにこにこしたままそれを見守っている。
「いいんですか、ノワールさん?」
「ええ。もともと多めに作っていますから。少しくらい味見されても問題ありません」
おせち料理というと大体、正月の朝から出て三が日まで食べ続けたりする。
つまり、それだけの量を用意するということだ。残るのは飽きるせいもあるだろうが……。そんなに食べたいならどうぞご自由に、という気分にもなろうというものである。ちなみに俺とノワールは味見のために食べているので罪にはならない。
珍しくOKが出た教授は上機嫌でもぐもぐして、
「うむ、いい味だ。寝かせれば更に美味くなるだろう。……日本酒が欲しくなるな」
「はい。教授さまが調達なさった上物を明日の朝、お出ししますね」
「頼む。……ああ、アリスも飲んでいいんだぞ? 正月は特別だ」
お屠蘇や甘酒を飲むのと日本酒を普通に空けるのは別物だと思うが──まあ、正月は特例、という家庭は実際、結構あったりする。
もちろん厳密に言うとアウトなんだろうが、いい意味で「バレなきゃ犯罪じゃない」というやつで、監督役である親が量を守って飲ませる分には基本的に問題にならない。大学生の新歓コンパを受け入れた店がいちいち全員分の身分証提示を求めないようなものだ。
男時代の友人の中にも「正月だから飲んだ」とか言ってる奴はいた。
俺としても、酔っ払いどもを見ていると「こうはなりたくないな」と思う反面、そんなに美味いものなのかという興味もある。
「教授がそう言うなら、明日は少しだけ……」
「おお、アリスがそう言うとは珍しいな。良い良い。どうせ朱華達も飲むだろうしな。……瑠璃はあの身体になる前に飲んだことがあるのか? その辺も楽しみにしておくか」
教授が去って行くと、入れ違うように瑠璃がやってきた。
「お疲れ様です、アリス先輩。ノワールさんも」
「ありがとうございます。瑠璃さんも煮物、味見されますか?」
「遠慮しておきます。明日の楽しみにしておいた方が喜びも大きいでしょうから」
俺とノワールの作業をどこか羨ましそうに見た彼女は、ノワールの問いかけに微笑んで答えた。こういう控えめなところは教授にも見習って欲しい。
「私はお手伝いできませんが、代わりにお餅は任せてください」
「助かります。さすがにお餅までは凝るのが難しいので」
例年は有名メーカーの切り餅をパックで買って来て使っていたらしい。一度、教授が「餅つきをしよう」と言い出したことはあったものの、当の本人が大きすぎる杵で腰をやりかけて以来、餅づくりをするのも自粛ムードだったとか。
しかし、今年は和菓子に強い瑠璃がいる。
クリスマスの時にも使っていた餅つき機は(変身する前に)複数メーカーから厳選したおススメの品らしいし、市販品の美味い切り餅も買い込んでくれているそうだ。もちろん、味付けにつかうきな粉やあんこも。
「……う。美味しいお餅を想像したら食べたくなってきました」
こうなる前は雑煮か、焼き餅に醤油を垂らして食べるのがシンプルイズベストだと思っていたのだが、今なら色んな味付けを美味しくいただけそうだ。砂糖醤油もいいし、あんころ餅とか、きなこもち、洋風ならフルーツを散らしても美味しいのではないだろうか。
と、俺の情けない呟きに瑠璃は嬉しそうな顔をして、
「一晩だけ我慢してくださいね。そうしたらお餅も食べ放題ですから」
「年末年始が太る時期なのがよくわかりますね……」
クリスマスにチキンだのケーキだの食べまくったというのに、今度は餅である。おせち料理は野菜も多いからまだいいとしても、炭水化物をばんばん食べていたら太るに決まっている。
これには瑠璃も「む」という表情になって、
「栄養バランスはともかく、カロリーは本格的に気にしたことがなかったんですが、この身体だと油断が命取りになりそうですね……」
「瑠璃さんは運動もしていますから、そんなに心配なさそうですが」
そういう俺も未だに自分が太るのか太らないのか良くわかっていない。
「いいえ、アリス先輩。こういうのは日頃から気をつけて行かなければ」
「瑠璃さんは甘い物の恐ろしさを真に理解していないから言えるんです」
「え。……なんですか、それ。怖いのですが」
俺は「ふふふ」と笑って誤魔化した。
いや、味覚の変化も個人差があるだろうし、もともと和菓子食べてた瑠璃の場合はそんなに変わらないかもだが。女子の身で甘い物を我慢するのは想像以上に辛いのだということを是非、彼女にも知って欲しい。
そこへやってきたのは朱華。
「あ、やってるやってる。瑠璃もここにいたんだ」
「朱華先輩。はい。少しアリス先輩たちとお話を」
「ふーん。……あ、美味しそうな煮物。ん、美味しい」
当然のように一つをつまんで口に運ぶあたり、旧メンバーは「今日はつまみ食い可」だと把握しているようだ。
朱華はもぐもぐしながら俺たちを見て、
「そうそう。あんた達、今日は日付変わるまで起きてるでしょ?」
当然のように言われた俺は瑠璃と顔を見合わせる。
「私は初詣もあるので早めに寝ようかと思ったんですが」
「私も、大晦日だからって喜ぶような歳ではないですし」
「はっ。何言ってんのよ。合法的に夜更かしできる日に早く寝るとかありえないでしょ」
平気で徹夜する人間が何を言っているのか。
「考えてみなさいアリス。年の変わり目ってのは神聖なタイミングよ。初詣のために寝る、なんて言ってたらあんた、毎年タイミング逃しそうじゃない」
「……確かに」
詭弁だとわかっていても思わず納得してしまう俺。
鈴香たちとの友達付き合いが続いていくのなら初詣が恒例行事になる可能性は割とあるし、そうでなくともグループチャットしながら年越しとか、そういうイベントが起こる可能性は高い。
となれば多少、眠いのを我慢してでも起きているべきか。
「納得したわね? じゃあ、女子会しようじゃない」
「女子会って、私も瑠璃さんも元男ですけど」
「午前零時って、子供の頃は遠かったですけど、意外にすぐですよね」
「二人して夢がなさすぎでしょ。いいじゃない。日付変わるまで駄弁ったりゲームしたりお菓子食べる会。シルビアさんはいつも通り薬作ってたから、去年はできなかったのよ」
シルビアは平常運転か。らしいと言えばらしい。
ノワールは忙しいから寝ないとだし、教授は普段から早寝早起きだ。
「アリス先輩と女子会……わかりました。そういうことなら」
「決まりね。アリス、あんたも何か暇をつぶすもの用意しておきなさいよね」
「わかりました」
俺は観念して頷く。暇つぶしと言っても、みんなでできるものの必要はないだろう。どうせ朱華はエロゲするつもりだろうし、俺もラノベか何か読んでいれば問題ない。いや、映画か何か見繕っておくという手もあるか?
「眠気覚ましの栄養ドリンクなら提供できるよー」
「あ、シルビアさん。お疲れ」
「あはは。私はいつものことだからねー。ご飯はちゃんと食べてるし。カロリーは胸に行くし」
胸の大きさに悩んでいる女子が聞いたら刺されそうなことを言いながら、シルビアが白衣を羽織ってのそっとやってきた。飲み物が切れたのか、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出してコップに注いでいる。
ちなみに俺は、ノワールやシルビアのスタイルの良さが羨ましいとは思っているが、胸で誘惑したい対象がいるわけでもないので殺意までは抱かない。若干イラっとしたが。
「……あの、アリス先輩。シルビア先輩、いつも通りですね?」
「そう、ですね」
瑠璃に耳うちされた俺は何と答えるべきか悩みながら曖昧に頷いた。
吉野さんの件。あの場にいなかった朱華達にも大まかな話は伝えてある。変身前の知り合いが来て話をしていった、程度のことだ。
まあ、それだけ聞けば、似たような境遇にある瑠璃には大事だとわかる。
俺としても気になってはいたのだが、
「あの、シルビアさん。大丈夫ですか?」
恐る恐る尋ねると、シルビアは「んー?」と首を傾げて、
「大丈夫大丈夫。……むしろ、来たのがあの人で良かったよ。違うのが来てたらさすがにきつかったかも」
実家の父親や弟のことだろう。彼らはシルビアの住所を知らないはずである。吉野さんは知っているが、政府から口止めされたのでバラすことはないはず。守秘義務に反したシルビアの家族は政府から怒られるなりなんなりしているはずだが、それに懲りたらもう干渉して来ない……と思いたい。
「それなら良かったです」
「もう、心配性だなあアリスちゃんは。それとも、私があの人とくっつくとでも思った?」
「ええ!? い、いえ、そこまでは」
「たしか女性の方なんですよね? 私としてはむしろくっついていただいても一向に構わないのですが」
「なんで瑠璃ちゃんが食いつくの……。むしろお姉さん、瑠璃ちゃんにはもうちょっと嫉妬して欲しいなー?」
「え? い、いえ、私はそんな……。ですからくっつかないでください!」
悲鳴を上げて逃げる瑠璃。面白がったシルビアはゾンビみたいな動きで追いかけ始める。朱華は苦笑して肩を竦める。
そんな俺達を、ノワールはにこにこと見守っていた。
夕飯は温かい天ぷらそばと味噌田楽を中心とするメニューだった。
海老天が贅沢に二本載ったそばに舌鼓を打ちつつ、紅白歌合戦をみんなで眺めたりする。教授は演歌歌手が出てくるとノリが良くなり、朱華はアニソン歌手にしか興味がなさそうな様子。瑠璃は意外と守備範囲が広いようで色んな歌手を知っていた。
みんなが食事を終え、デザートのみかんを剥き始めた頃、教授がしみじみと言った。
「今年も無事に終えられることを嬉しく思う」
「教授、去年もそんなこと言ってたよー?」
シルビアが茶々を入れるも、教授は「うむ」と言うだけで、
「今年も色々なことがあったからな。感慨深くもなろうというものだ」
「そうですね。この家も、随分と賑やかになりましたし」
「そうね。六月にアリスが来て、この子と色々やってたら瑠璃が来て。来年もこの調子で増えるのかしらね」
「私が来てからは半年くらいですが、本当に色々ありましたね」
「私は来たばかりですが、ここに来てからの日々は充実していたと思います」
俺は、自分がここに来る前の朱華達を知らない。しかしそれでも楽しく充実していたし、それは十二月になってから来た瑠璃も同じだったらしい。
「学校に通うようになったら、もっと楽しいですよ」
「そうですね。……アリス先輩たちと同じ学年だったら、もっと良かったんですが」
瑠璃なら来年高一でも問題なかったかもしれないが、妹を知る者が減るという意味でも、来年中三が無難だろう。
「ま、あたしも残念よ。瑠璃がいればアリスの世話を任せられそうだし」
「む。私も結構、朱華さんの世話をしてると思うんですけど」
「ふ。まだまだ、最初の頃の貯金があるわよ」
それは確かに。ぼちぼちそれも返していかなければと思いつつ、俺は言った。
「来年も、良い一年になるといいですね」
それから俺は朱華と瑠璃とごろごろ女子会をして、日付が変わるまで起きていた。
別に盛大なイベントが起こるわけでもなし。ゆく年くる年を見ながら「あ、変わったね」でおしまいだと思っていたのだが──日付が変わる少し前になったら、自然と錫杖を召喚していた。
「あの。今日はお祈りをしていなかったので、少し祈ってもいいですか?」
「いいんじゃない? あんまり鳴らすと教授がキレるかもだけど」
「アリス先輩のお好きなように」
「ありがとうございます。……では」
目を瞑って祈っている間に時計が「0:00」を示して、
「ん、ハッピーニューイヤー」
「新年あけましておめでとうございます」
「なんかもう、なんなのかよくわからないですね」
俺たちらしい感じで新年がやってきた。
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