聖女、マスコット役をする

「どうぞ」

「……ありがとうございます」


 衝撃の発言から数分後。

 俺は、吉野と名乗った女性と一緒にリビングにいた。紅茶の淹れ方はまだまだ自信がないのだが、ティーカップに軽く口を付けても、吉野さんは特に何も言わなかった。

 微妙な緊張感。

 今、ノワールはシルビアを呼びに行っている。俺が代わりにお茶を淹れたのはそういう理由だ。逆でも良かったのだが、こういう微妙な話の時はノワールの方が良いだろう。


「あの、もうすぐ来ると思うので」

「……はい」


 こくりと頷く吉野。来ると言っても、ノワールが一人で戻ってくる可能性はもちろんある。

 色んな意味で緊張しながら二人、向かい合っていると、


「お待たせしました」


 果たして、ノワールは銀髪の少女を連れて戻ってきた。

 シルビアの方はというと、ノースリーブのシャツにカーディガンを一枚羽織っただけ、というラフな格好。若干、来るのが遅かったのは着替えているのかと思いきや、思いっきり部屋着だ。むしろ、より部屋着っぽいのに着替えたんじゃないかと思ってしまうくらい。

 そう思ってしまったのは、シルビアがすごく面倒くさそうな顔をしていたせいもあるだろう。


「わざわざ家まで調べるなんて、さすがにやりすぎなんじゃないですか?」

「………」


 あのシルビアが敬語を使っている。

 しかし、いきなりの塩対応にも吉野さんは怒らなかった。むしろ、それが当然というように粛々と受け止めていた。


「……前とは、まるで別人のようですね」

「ある意味、別人ですからね」


 俺たちはある日突然、変身してしまった。肉体的には実際、別の人間なのだから間違ってはいない。

 そして、別人として振る舞っている以上、中身だって同じとはいかない。


「あの、それじゃあ私は席を外しますね」


 これ以上、話を聞くのは野暮だろう。そう思って席を立つと、シルビアが「いいよ」と微笑んだ。吉野さんに対するよりずいぶんと声色も優しい。


「アリスちゃんもここにいて。少しは空気も和むかもだし」

「……わかりました」


 和むか? と思いつつもこくりと頷き、一つずれて座り直す。俺の体温で温まった席で申し訳ないが、シルビアは特に文句も言わずにそこへ座った。

 向かい合う両者。

 表情だけではどういう知り合いなのかは想像できない。あまりいい関係ではなかったようだが、


「あの。吉野さまはシルビアさまとどういったご関係か、伺ってもよろしいですか?」


 ノワールは吉野さんの隣に腰をかけた。

 おずおずとした質問に、吉野さんは迷うような表情を浮かべ、シルビアは逆に淡々と答えた。


「婚約者だよ。私の弟の」


 弟の婚約者。一瞬、ドロドロした三角関係を思い浮かべてから、そのイメージを慌てて追い出す。

 と、吉野さんは若干表情を硬くして、


「正確には彼女──彼と彼の弟、どちらかの婚約者です。でした、と言った方が正確ですが」

「それは、どういうことでしょう……?」

「うちの親はちょっと面倒臭い人でね。家を継ぐ人間がその子と結婚するって話だったんだよ」


 彼、という吉野さんの台詞からして、シルビアの変身前は男だったらしい。二人兄弟だとするとシルビアの方が長男ということになる。

 少しだけ瑠璃の話を思い出した。彼女の場合、下が妹なのでそもそも話が違ってくるが。

 ……というか、少しおかしくないだろうか。


「そういう場合って、長男が継ぐことが多くないですか?」

「そうだね。でも、うちは弟が継ぎたがってた。それから、私は乗り気じゃなかった」

「でも、お父様はあなたに継がせたがってた」

「そのせいで高校も男子校に入れられたっけね」


 ああ、それは思春期の男子には辛いだろう。いやまあ、男子校は男子校で楽しいのかもしれないが、俺が今、萌桜で感じているような楽しさとは違うもののはずだ。

 女の子をやって心底から「楽しい」と感じている俺としては少し同情してしまう。

 それから、今の話でなんとなく、シルビアの家業もわかった。


「もしかして、仏教系の学校ですか?」

「さすがアリスちゃん。よくわかったね」

「あはは……その、前に読んだ本に書いてあったので」

「そういえばそうだっけ。なら、その人と気が合うかもね。同じ本読んで十字架のアクセサリー買ってたから」

「む、昔の話です」


 そう言いながら胸元を押さえる吉野さん。そこに今も着けているのか。それは、なんだかシンパシーを感じてしまう。

 こほん、と、話を戻すように小さな咳ばらい。


「私は当時、小学校で教師を始めたばかりでした。シルビアさんのお父様から打診を受け、教師を続けさせてもらえることを条件に了承したんです」

「物好きだよね。私だったら絶対嫌だな」

「家を継ぐのも嫌がっていたものね」

「うん。私は本を読んでる方が好きだったからね。大学だって文学部に入りたかった。もしくは研究者かな。理系は全然駄目だったからどっちにしろ無理だっただろうけど」


 ああ、だからか。

 だから、シルビアは小説を書いたのだ。男のしがらみに囚われる必要がなく、好きな研究に没頭する自由な錬金術師を想像し、創造した。


「彼が大学三年生の時、私は突然、彼が亡くなったと告げられました。海に身投げをしたということで、葬儀の席でさえ遺体の顔を見ることもできませんでした」

「本当のことを言ってもどうしようもないからね。……その辺の話も聞いたんでしょ?」

「……ええ。どうしても納得できなかった私はあなたの弟とお父様を何度も問い詰めました。そしてある日、彼らはとうとう観念したように本当のことを話してくれました」


 あなたの婚約者候補はある日突然美少女になりました。

 意味がわからない。実際、知らされてもどうしようもなかっただろう。変身の事実は公表しない方針だし、女が寺を継ぐわけにはいかないし、女になった以上は女性と結婚することもできない。

 いっそ「死んだ」と言われて納得していた方が諦めやすかったはずだ。


「聞かなければ良かったのに。もう弟が継ぐしかないんだし、その方が好都合でしょ?」


 シルビアの中ではもう終わった話なのだろう。彼女は終始淡々としている。

 対して、吉野さんの中ではようやく話が始まったところなのか、きっとシルビアを強く見つめて、


「どうして? どうして何も言ってくれなかったの? せめて教えて欲しかった……!」

「だから、言っても仕方ないじゃない。それとも、女になった私と添い遂げるとでも?」

「私は、あなたが継ぐと思ってたの!」


 少し聞いただけでは意味のわからない返答。

 実際、シルビアは「は?」と苛立ったような表情を浮かべた。内心、冷静ではなかったんだろう。

 第三者である俺とノワールには吉野さんの言った意味がわかった。彼女がどうしてわざわざシルビアを追ってきたのかも。

 弟さんは吉野さんのことが好きだったのだろう。けれど、吉野さんが好きだったのは。


「家は、どうなったの?」

「弟さんが継ぐことになってる。でも、私は婚約者を辞退した。小学校も辞めた。担任していた子達の卒業を見届けられたから、いい機会だったの」

「どうして。あんなに続けたがってたのに」

「あの小学校じゃなくても教師はできるでしょう? 小中高の資格は全部持っているし、それに、その方が身軽になれるから」


 地元が同じだったんだろうし、その地域にいたままでは弟さんからも離れられない。関係をリセットする意味もあったんだろう。

 ……本当にドロドロした三角関係っぽいんだけど、どうしよう。

 理解できないというように首を振ったシルビアは「もういいや」とため息を吐いた。


「どうやってここを突き止めたの? それだけは教えて」

「……あなたの容姿だけはご家族から聞き出せたから、後は色んな地域の高校を回ったり、自分なりの似顔絵を描いて知り合いに見せたり、インターネットで銀髪の女の子の目撃情報を募ったりしてた」


 でも、そう簡単には突き止められなかったはずだ。

 シルビアはこの通りのインドア派だし、萌桜は女子校だからその手の情報は出回りにくいはず。


「なかなか見つからなくて諦めかけていた時、偶然、次の就職先の生徒会のHPで見つけたの。銀髪の可愛い女の子が歌っている写真を。それで、来年度の相談という体で職員室に入って、名簿を盗み見たわ」


 かなりの執念である。ノワールも困った顔で「犯罪ですね……」と呟いている。


「申し訳ありませんが、政府に連絡を取らせていただきます。おそらく、何らかの形で口止めされることになるかと」

「わかっています。……私は、こうしてもう一度会えただけで十分です」

「会ってもどうにもならないよ。私はシルビア。元には戻れない」

「ええ。……それでも、もう一度仲良くなりたいと思うのは我が儘かしら?」


 シルビアは少しだけ間を置いてから「我が儘だよ」と言った。


「でも、どうせ会うんでしょ? 話をするくらいならいいよ。先生」

「……ありがとう」


 少しだけ、ほんの少しだけ微笑んだ吉野さんは席を立った。


「皆さんにもご迷惑をおかけしました」

「いいえ。……その、お気を落とさないでくださいね?」

「ありがとうございます」


 ノワールの言葉に頷いた彼女は俺を見て、


「アリスさん、でしたか?」

「はい。アリシア・ブライトネス。萌桜学園中等部三年生です」

「そうですか。……その、あなたも、シルビアさんと同じなんですよね?」

「はい。でも、私は今、すごく楽しいです」


 笑って答えると、彼女はもう一度「……そうですか」と言った。

 吉野さんが帰っていくと、リビングには妙な静けさが残された。そういえば、朱華たちは乱入して来なかった。また盗み聞きでもしようとしていたのか、それとも、気を利かせて引っ込んでいてくれたのか。

 シルビアは座ったまま「あーもう」と言った。


「ごめんね、二人とも。変な話聞かせちゃって」

「いいえ、シルビアさま。お気になさらず」

「はい。気にしないでください。……シルビアさんの話が聞けて、少し嬉しかったです」

「あはは、そっか。……ほんと、二人とも優しいよね」


 目を細めたシルビアは、遠くを見るようにそっぽを向いた。


「あの。もしかして着物作ったのって」

「うん。万が一、実家から呼び出された時用。未練があるからじゃなくて、今の私は昔と全然違うんだぞって見せつけるため」


 なるほど。

 綺麗な着物を身に着けて会いに行けば、元に戻る余地などないと明確にわかる。和の趣が強い家だからこそ特にそうだろう。

 シルビアが戻りたくない理由もわかった。

 そんな彼女が、男に戻りたかった俺のために「元に戻る薬」を完成させてくれたのか。

 その時、一体どんな気持ちだったんだろう。


「お疲れ様でした、シルビアさん」

「もう、どうしたのアリスちゃん」


 ありがとう、と言いたいのを堪えて少女の腕を抱きしめると、柔らかい手のひらで頭を撫でられた。

 と、思ったら床に押し倒された。


「アリスちゃんから来てくれたってことはOKってことだよね?」

「違います! 違いますから! 助けてくださいノワールさん!」

「ああ、今日のシルビアさまはいつになく積極的ですね。元婚約者とあんなことがあった後だというのに……」


 駄目だ。ノワールが変なモードに入っている。だとすると誰に助けを求めればいいのか。朱華か、瑠璃か。教授はなんか駄目な気がする。

 というか、もしかして本格的に貞操の危機なのか。

 と思ったら、くすりと笑ったシルビアに抱きしめられた。


「冗談だよ。ありがとね、アリスちゃん」

「いや、冗談なら離れてください!」


 しかし、シルビアはそのまましばらく離れてくれなかった。


 後日、政府から連絡があったところによると、吉野は見知ったことを誰にも話さないことを条件に今回のことを見逃されることになったらしい。

 彼女は素直に誓約書にサインし、その上で、何かあった際は協力することも約束してくれたらしい。

 新しい職場。

 萌桜学園高等部の先生になるのであれば、必然的に俺とも顔を合わせることになる。彼女とシルビアの今後の関係も気になるところだ。

 ……と、ノワールに言ったら「気になりますよねっ」ときらきらした目で言われた。

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