聖女、心配する
三学期初日の朝、久しぶりに全員揃っての朝食(休日はだいたい朱華かシルビアか教授の時間がズレる)──と思ったら、食べ始める時間になっても瑠璃が起きてこなかった。
「どうしたんでしょう?」
「夜更かしして寝こけてるだけじゃないの?」
「朱華さんじゃないんですから」
「確かに」
否定しろよ。
と、それはどうでもいいとして、瑠璃の寝坊は本当に珍しい。健康に悪いからと早寝を心がけている子だし、基本的に真面目なので時間にはきっちりしている。
だとすると……。
「もしかして病気とか?」
「心配ですし、わたしが様子を見てきましょうか」
「んー、多分大丈夫だと思うけど、万が一もあるもんねー」
心配になってきた俺たち。ノワールが食事を中断して腰を浮かしたところで、リビングの入り口から物音がした。もこもこした白いパジャマ姿の瑠璃だ。着替えていないのも珍しいが、足元もふらついていて表情も良くない。
これには俺も立ち上がってノワールと一緒に歩み寄った。
「瑠璃さん? どうしたんですか、風邪とか……?」
「おはようございます。心配かけてしまってすみません。なかなか起き上がる気力が出なかったもので……」
申し訳なさそうに言う彼女を左右から支える。身体に力が入っていない。やはり体調は良くないのだろう。
「一度、熱を測った方が良さそうですね」
「あはは、大丈夫だと思います。これ、病気じゃないので。……あれ? 病気としては扱わないんですよね?」
「何を言っているのかわかりませんけど、とりあえず座ってください」
空いている席に瑠璃を座らせると、彼女は安堵したように深い息を吐いた。それを見ていたシルビアが「あ」と声を上げて、
「もしかしてアレじゃない? 瑠璃ちゃんは初めてだよね?」
「初めて? ……あ、もしかしてアレですか」
言われてみれば、清潔感のある瑠璃の香りとほんのりとした汗の匂いに混じって鉄のような匂いを感じる。
瑠璃が来てからだいたい一か月くらい。女子ならば誰もが通る洗礼に彼女も当たってしまったようだ。ぐったりとした様子もアレなら納得だ。
「処置は大丈夫でしたか?」
初めてのアレで苦労した同士として尋ねると、瑠璃はあまり余裕がなさそうな様子でこくんと頷いて、
「一応は。……でも、苦労しました。こればっかりは男の時に練習できなかったので」
「ふむ。予習ばっちりな瑠璃の意外な盲点ということか」
「教授さま。弱っている方をいじめるのはよくありませんよ」
そう。瑠璃はとても弱っている。普段の様子が嘘のような憔悴っぷりだ。
「これ、アリスの時より酷いんじゃない?」
「まあ、アリスちゃんってそんなに重い方じゃないもんね」
「そうですね。……最初の時は辛かったですけど、精神的ダメージが大きかったのもありますし」
回数を重ねる度に慣れたし、女として生きて行くことを決めてからは素直に受け入れられるようになった分、症状も軽くなった。もちろん来るたびに憂鬱にはなるのだが、来るものは来るんだから仕方ないと思っている。
それに比べると、瑠璃は症状自体が重そうだ。
とりあえず市販の薬を飲んでもらうことにする。栄養を取るのも大切なので、瑠璃は食欲がなさそうにしながらも箸を取って緩慢に朝食を口に運び始める。そんな彼女が、こくん、と軽く飲みこんで唇から漏らしたのは、
「想像以上に辛いんですね。こうなる前、辛いって言ってる人に『羨ましい』って言ったことがあるんですけど……罰が当たったかもしれません」
「あー。それは軽率だったかもね」
「朱華さん、完全に追い打ちです」
「いいんです、アリス先輩。……先輩にも一言、謝りたいですね」
口ぶりからすると、二度目の『先輩』は俺のことではないのだろう。件の会話を交わした女性のことだろうか。そんな話までできる相手ということはかなり親しかったのだろう。お互い、会えなくなってしまって寂しい気持ちもあるかもしれない。
俺が代わりにはなってやれないが、何かしてやりたい。
「治癒魔法をかければ少しは楽になると思います。よければ今日、学校を休んで看病しましょうか?」
「いえ、病気ではありませんし。それに、アリス先輩も学校、楽しみでしょう?」
それはまあ、もちろん楽しみだが。とはいえ冬休みは短かったし、今日は始業式とHRで終わりなので無理に行く必要もない。
と、ノワールが微笑んで、
「大丈夫ですよ、アリスさま。瑠璃さまにはわたしがついております」
「あ……そうですね。ノワールさんがいれば安心です」
一人では大変では、という思いもなくはないが、俺が学校に通い始める前だって彼女に世話をしてもらっていたのだ。ある意味、ノワールにとっては慣れっこのはずだ。
安心して笑顔を浮かべる俺。すると瑠璃は何かを言いたげに俺をじっと見つめて、
「あの、アリス先輩。やっぱり心細いのでついていて頂いても──」
「アリスよ。瑠璃は大丈夫そうだぞ」
教授が少女の発言をばっさりとぶった切った。
「瑠璃は三学期デビューとかにしなくて本当良かったわね。結果論だけど」
「そうですね。危なかったです」
「あはは。登校初日にお休みじゃ、せっかくの馴染むチャンスが台無しだもんね。病弱キャラってことで逆に注目されるかもだけど」
学校に向かう道中はそんな話になった。病弱キャラうんぬん、という話を聞いて朱華が「その手があったか」みたいな顔をしたが、多分、彼女の場合は誰も信じてくれないと思う。髪色的に元気キャラのイメージが強すぎるし、どこかで絶対ボロが出る。
「おはよー、アリスちゃん。あけおめー」
「おはようございます、皆さん。あけましておめでとうございます」
教室に着いた後は休み明け恒例、みんなに挨拶をして回った。
今回は特に遠出もしていないのでこちらからのお土産はなかったのだが、親の実家に帰った子なんかもいるので、幾つもお土産をもらってしまった。お返しのために何か用意しておくべきだったか、と今更ながらに思ったが「気にしなくていいよ」とのこと。
担任からは中三の三学期ということで進学、受験に関する話があった。
また、中には外部受験をする子もいるのでそのあたりの配慮も含め「頑張ろう」という雰囲気になった。
授業に関してはあまり新しいことを教えず、受験対策や高等部の内容の予習に絞ってくる先生もいるらしい。自習にしないあたりは真面目だが、三学期のテストはこれまでに比べると難易度が低めになるかもしれない。その分、受験に力を入れられるというわけだ。
昼前にシェアハウスへ帰ると、瑠璃も薬と休息のお陰かだいぶ落ち着いていた。
「ご心配をおかけしました」
「気にしないでください。私も通った道ですから」
「……これを経験した上で女子の道を選んだアリス先輩は本当に偉大ですね」
遠い目をしてしみじみと尊敬された。なんというか、こんなところでそう言われても複雑な気分にしかならないのだが。
シルビアはくすくすと笑って、
「男に戻る薬はまだ作れるから、欲しくなったら言ってねー。私も実験台が欲しい……じゃなかった。自分の薬で喜んでくれる人がいると嬉しいし」
「いえ、さすがにそれは。……彼女でもいたら考えたかもしれませんが」
やっぱり、件の先輩は彼女ではないのか。女の子と付き合ったことはなさそうな感じだったからそうだとは思ったが、ひょっとして瑠璃の変身前は結構モテたんじゃないだろうか。
「でも、瑠璃さん。週末のバイトは大丈夫そうですか? もし長引くようなら日程はズラせますから言ってくださいね?」
「ありがとうございます、アリス先輩」
微笑んで頷く瑠璃。幸い日数はそこそこあるので回復してくれるとは思うが、病み上がりで無理をさせるのもアレだし、弱ったところに今度こそ風邪をひく可能性もある。初陣だからこそ無理は禁物だ。
すると朱華が肩を竦めて、
「ま、その場合、二週続けてバイトになりそうな気もするけどね。アリスも錫杖の試し振りとかしたいでしょ?」
「せめて新装備のテストとか言ってください。錫杖は金属バットじゃないんですから」
破壊力は金属バットよりも高いが。
確かにテストはしておきたいところだ。錫杖の効果も本格的には試していないし、衣装と聖印も先日届いた。こちらは試着だけしてバイトのためにとっておいてある。お楽しみというわけではないが、今使っている十字架も全く壊れていないので急いで替える必要がないのだ。
とはいえ。
「知らない神様のしるしを学校に持って行ったら没収されるんでしょうか」
「いや、あたしにそんなこと聞かれても」
教授以外のメンバーで昼食を食べた後、自室に朱華を呼んで相談してみる。内容はふと浮かんだ疑問だ。特殊過ぎて「知らん」としか言いようがないのももっともだが、俺としては割と重要な問題である。
クッションを抱きつつ俺のベッドに腰かけた朱華は「あー」と呻いて、
「まあ、コスプレグッズ扱いはされそうよね」
「ですよね」
だとすると一回目は注意、二回続いたら没収といったところだろう。
これは私が信仰する神様のしるしです、と、懇切丁寧に説明すれば話は別かもしれないが、それはそれで「じゃあなんで今まで十字架持ってたの?」という話になるだろうし、そもそも情報が断片的すぎて「どんな神様なの?」という質問にさえ答えられない。
「あれ、新しい聖印、学校には持っていけないんじゃないですか……?」
「今のが無駄にならなくてよかったじゃない」
その通りだ。その通りだが、そういうことじゃない。
「……日本には信教の自由があるんじゃなかったんですか」
「それはそれとして危ない奴は取り締まるでしょうよ」
そりゃそうだ。
「っていうか、正体バレちゃいけないんだから神様の件も駄目でしょ」
「ですね」
仕方ないので、学校では十字架、家で朝晩祈る時やバイトの時はちゃんとした聖印を使うことになりそうだ。だったら聖印はもう下ろしてしまっても良い気もするが、せっかくなのであと数日は取っておくことにする。
「バレるといえば、アリスの動画デビューの方は大丈夫なんだっけ?」
「はい。そっちは一応、上の人にも確認取ってあります」
受け取った回答は「変身前の自分の情報を匂わせたり、能力に関連する内容を流さなければOK」というものだった。でないと教授が大学で講義したり、講演したり、研究発表したりするのも場合によってはアウトになりかねない。
ただし、もし万が一、芸能活動をするようなことになった場合はまた相談するように、とのことである。例えば「グラビア撮影が入っているのでVIPの治療に行けません」とかいう事態になったら困るからだ。そうならないよう、息のかかったマネージャーを送り込むとか、事務所の社長にだけある程度の事情を説明するとか、何かしらの対処が必要になってくる。
いやまあ、さすがにそんなことはないと思うのだが。
「本当楽しみだわ、あんたがどれだけテンパってるか」
「そこを楽しみにしないでください!」
千歌さんによって編集された動画が送られてきたのは二日後のことだった。
朱華たちと一緒に確認してみたところ、みんなからはおおむね好評だったものの、やっぱり俺としては「穴があったら入りたい」という感じの代物だった。
「私って傍から見るとこんななんですね……」
あざとい。ゲームに夢中になるのは仕方ないが、いちいち「あっ」とか「あうっ」とか「ううっ」とか言ってる上にいちいち無駄に動く。そのくせ演技とか発声の部分に関しては駄目駄目。素人なんだから当たり前といえば当たり前だが、もし次があるなら少しでも改善したいところである。
そして。
俺の予想を大きく超える反響を得た上、「お面取って」というコメントがSNSや動画ページ上で殺到した結果、千歌さんの所属する芸能事務所から千歌さん経由で連絡が来ることになったりするのだが、それもまた、もう少し先の話である。
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