聖女、カラオケに行く

「やっほー、アリスちゃん! 会いたかったー!」


 十二月中旬のとある水曜日。

 中庭メンバーの一人である安芸あき縫子ほうこの姉、千歌ちかさんは、放課後、待ち合わせへとやってきた俺を歓声と共に歓迎してくれた。

 出会い頭に抱きつかれたのは初めてではない(シルビアなんて初対面でやってきた)が、さすがに珍しい。女性の良い匂いがするのを感じつつも慌てて身を離した。


「ご無沙汰してます、千歌さん」


 ぺこりと頭を下げれば、彼女はにこりと笑って「うん」と言った。


「会えて良かったよー。今日を逃したら今年中には無理そうだったし」


 まだ十二月は五割弱近く残ってるんだが。

 芸術大好き家系の子らしく、千歌さんは声優の仕事をしている。本業の大学生もあるのでそれはもう忙しいのだろう。一般人が休みの時期は芸能人にとってかき入れ時、イベントなんかも多くなるだろうし。

 伊達眼鏡とニット帽で誰だかわかりにくく変装した彼女を見て「凄い人なんだよな……」としみじみ思う。

 ちなみに俺は制服の上から、鈴香達と選んで買った白いコートを身に着けている。結構奮発した買い物だったが、ふわふわしていたあったかい上、クラスメートからも「可愛い」と評判が良い。

 千歌さんも「そのコート似合ってるね」と褒めてくれる。


「で、朱華ちゃんと縫子は……」

「予定通りといいますか、不参加です」

「やっぱりそう来ましたか」


 千歌さんはかねてから俺に会いたがっていた。

 縫子や朱華経由で連絡が来て、こうして会う算段がついたのだが──俺と一緒に誘われた縫子達が揃って不参加を表明したのだった。

 一応、俺からも誘ってはみたのだが、


『姉による姉のための会とか、絶対に行きたくありません』

『あたしが行くと二人で盛り上がって終わっちゃうでしょ』


 と、二人の意思は固かった。

 朱華の方は例のジンクスを気にしていた節もある。さすがに千歌さんは大丈夫だと思うが、思っても無いことをさせるのは無理な反面、もとからある願望を増幅することはあるのが朱華のアレだ。千歌さんに「可愛い女の子を押し倒したい」みたいな性癖があった場合は危険かもしれない。

 女子同士だと朱華の存在が歯止めにはならないし。シルビアという前例もあるし。……うん、俺一人で来て正解だったかもしれない。


「あの、それでどこへ行きますか?」

「うん。いいところがあるからそこへ行こっか」


 言われて連れて行かれたのは、とあるチェーン店のカラオケボックスだった。


「アリスちゃん、時間どのくらい大丈夫?」

「遅くなりそうなら迎えに来てくれるそうなので、深夜にならなければ大丈夫です」

「わ、結構いけるねー。じゃあとりあえず三時間くらい取っておこっか」


 お金は全部千歌さんが持ってくれるらしい。カラオケくらいで揺らぐ経済状況ではないが、年上相手に「私の方が稼いでますから!」とか張り合うのもアレなのでお言葉に甘えさせてもらう。しかし、フリータイムじゃないのにとりあえずで三時間取るとかさすがである。

 部屋のチョイスは千歌さん任せで「奥の方の部屋」ということになった。機種とかで選ばないあたり、歌うのがメインじゃないようだ。


「こういうところの方が、喫茶店とか行くより気にせず話せるでしょ?」

「あ、確かにそうですね」


 もともと大きな声を出すところなので、他の部屋に音が伝わりづらい構造になっている。千歌さんも職業柄目立ちたくないだろうし納得である。


「さ、何でも好きな物頼んでねー。お姉さんはお酒飲んじゃおうかなー?」

「ありがとうございます。でも、私は勧められても飲みませんからね?」

「あはは、アリスちゃん。そこはお酒飲むのを止めるところだよー?」

「あ」


 教授に毒されているのか、そういう発想は出てこなかった。でもまあ、二十歳は超えてるんだろうし、運転しないんなら別にいいんじゃないかと思う。未成年に勧めるならともかく、自分が遠慮する必要はない。


「へー。アリスちゃん真面目かと思ったら、意外と融通きく方?」

「周りに適当な人が多いので、だいぶ慣れました」

「あはは。朱華ちゃんとは私も話が合うんだよねー」


 朱華とはちょくちょく連絡を取り合っているらしい。たまに電話したりもしているので、実際、無理に会う必要もなかったのだとか。


「可愛がってた後輩が一人連絡取れなくなっちゃったし、朱華ちゃんやアリスちゃんがいてくれて助かったよ」

「その人、何かあったんですか?」

「大したことじゃない……かどうかはわからないんだけどね。珍しい病気で大きな病院に入院しちゃってさ。連絡も取れなくなっちゃったの」

「それは……悲しいですね」


 どこの病院のなんていう人なのか、それとなく聞き出そうかと考えて止める。

 さすがに俺が訪ねて行って病気を治すのは怪しすぎる。変装すれば? いや、それでも奇病が急に治ったら何かの原因を疑う。俺が治したとバレた時に対処できない以上、あまり深入りするのは止めておくべきだ。


「ほんとにね。ま、いくら弄ってもへこたれないような奴だったし、そのうちひょっこり戻ってくると思うんだけど」

「そうですね。私もそう願います」


 可愛がってたってそっちの意味かよ、と思いつつ、俺はフードメニューを持ち上げて話題を逸らした。

 最近のカラオケは食べ物もなかなか侮れない。お酒のつまみになりそうなもの≒若者がおやつにしても良さげなものや、単純に主食として美味しそうなもの、更には甘味まで揃っている。

 結局、少しだけ飲むことにしたらしい千歌さんが景気よくぽんぽん頼んでいくので、釣られて俺も注文した。飲み物はドリンクバーからアイスティーをもらってくる。三時間となると食事時に食い込みそうな勢いなので、今日はここでお腹を満たすつもりの方が良さそうだ。

 そうして、テーブルにはフライドポテト&唐揚げの盛り合わせ、ミックスピザ、たこ焼きにシーザーサラダ、焼きおにぎりにチョコレートパフェという、なかなかに豪華な品々が並んだ。


「うん、いい感じ。やっぱりこういう時はぱーっと行かないとねー」

「声優さんって、普段は食事に気を遣うんですか?」

「まあねー。人によるけど、イベントとかで顔出すようになるとある程度は気を遣うかな。幸い私はそこそこ可愛いけど、肌荒れした状態で見られたくないし」

「人気の声優さんってアイドルみたいなところありますもんね」

「そうそう。実質的に恋愛禁止だったりとかねー。私はスタンダードな声優に売り方寄せてるからそんなでもないけど──」


 ポテトを三本くらいつまみ、レモンサワーを一口流し込んだ千歌さんはぴっと指を立てた。


「問題はそこなの、アリスちゃん」

「え、ええと……?」

「割とストイックにやらさせてもらえてるのはありがたいし、そのお陰で自由も利いてるんだけどさ。逆にそのせいで中途半端になっちゃってるとこがあるんだよねー」

「いっそアイドルに寄せた方が人気が出るんじゃないか、とか?」

「そうそう」


 男子というのは結局、可愛い女の子に弱い。

 声が可愛い、演技が上手いというだけで評価してくれるのは声優、あるいはアニメといったジャンル自体が好きだったりする、ややディープな層が中心だ。

 しかし、顔の可愛さなんかを打ち出していけば、容姿に釣られるファンも多くなる。一部は女子に恋するような感覚で「推し」に認定してくれるかもしれない。


「まあ、事務所の方針も関わってくるし、何かきっかけがないと難しいんだけどね」

「きっかけって?」

「アイドルアニメで良い感じの役をもらうとか」

「わかりやすいですね」

「後は、話題になるようなコンビを組むとかね」

「……?」


 言いながら意味ありげに見つめてくる千歌さん。

 話題になるようなコンビ? そこでどう俺が関係してくるのか……って。


「まさか私ですか……!?」

「私と同じ声の美少女とか、絶対話題になると思わない?」


 思います。思いますが、認めたくないです。

 俺はチョコレートをつつき、甘い味わいに笑みをこぼしそうになるのを堪えつつ、


「私、歌も演技もほとんど経験ないんですよ?」

「でも、今度クリスマス会でお友達と歌うんでしょ?」


 喋ったのは朱華か。


「ちょっとしたパーティで歌うのとはわけが違うじゃないですか」

「うん、それはわかってる」


 あれ? 意外に押しが強くない?

 首を傾げる俺。千歌さんは真面目な顔でうんうんと頷いて、


「さすがにいきなり声優デビューしろとか、ライブで歌えとか言わないってば。そもそもそういうのは事務所に所属しないといけないから、私が勝手に決められないし」

「あ、そっか。そうですよね?」

「うん。だから、私がお願いしたいのは、私が個人的にやってる配信で話し相手をしてくれないかなーってこと」


 声優以外の芸能人なんかでもそうだが、この時代、大手動画サイトに自分用のチャンネルを開設して、半プライベートで自主的な動画配信をする人は多くいる。

 事務所を通していない場合がほとんどだからリスクもあるし、直接的な収入にはならなかったりもするらしいが、それでも知名度を上げられるという意味でそこそこ重要な活動である。


「そういえば配信の話、前にしてましたね」

「でしょ? 動画配信って言っても、テレビみたいにかしこまった奴じゃないしね。だらだら雑談したり、ゲームで遊んでるところを映したりとか、そんな感じ」

「雑談って、面白いこと言おうとしなくてもいいんですか?」

「いいのいいの。だって仕事でやってるわけじゃないし。下手に狙ったコメントより、友達同士の冗談の方が面白かったりするし」

「……なるほど」


 それくらいならまあ、確かにあんまり恥ずかしくない気がする……?

 いや、待った。

 こうやって言いくるめられて、気づいたら結構凄い事してるのがいつものパターンだ。ここは少し慎重になった方がいい。俺だってさすがに学習するのだ。


「で、でも私、事情があって顔出しは避けたいんです」

「じゃあお面とか被る? もしくは画面にはぬいぐるみだけ映しておいて、私達はカメラの外で喋るとか」

「そんなのでいいんですか?」

「いいんだってば。むしろ会話を聞くのに集中できるからその方がいいって人もいるくらい」


 意外なほどユルいらしい。

 顔出しも必要ないならまあ、特定される心配もないだろう。どうしても駄目、と言い張るのはむしろ千歌さんに悪い気がする。


「わかりました。そういうことなら、少しくらいは」

「本当!? じゃあ、ちょっと練習に歌ってみよっか」


 すかさず荷物の中から現れる録音用マイク等々の機材。って、いきなりなのか。


「心の準備も何もないんですが……!?」

「大丈夫。生配信じゃなくて後で編集するし、アップする前にアリスちゃんに見てもらうし、NGならお蔵入りにするから」

「ほ、本当ですね?」

「もちろん。嘘ついたりしないよー」


 なら、別に構わない。

 現役の声優さんに歌を聞いてもらえるなら練習になるかもしれない。クリスマスパーティで歌うのはただの余興だが、どうせなら上手く歌える方がいいのだ。

 というわけで、フードメニューでお腹を満たしながら突発のカラオケ会が開催された。


「なんでも好きなの歌っていいよー」


 と、千歌さんが言うので本当に好きなように歌った。男子高校生だった時もそこまで歌に興味がなかったので、歌える歌というのは多くないのだ。

 もちろん千歌さんも曲を入れる。アニソンが中心だが、J-POPの曲なんかも歌っていた。本業ではないとはいえ、さすがに上手い。

 あのSRPGで主題歌を担当したのは残念ながらプロの歌手で、千歌さんじゃなかったんだよな……。

 でも、せっかくだから、


「千歌さん。これ、二人で歌いませんか?」

「あ、いいね! じゃあ、ちょっとキャラっぽく歌おうかなー」


 というわけで、二人で主題歌を熱唱してカラオケ大会はシメとなった。

 その後はお腹に溜まるものを追加しつつ、注文の品を食べつくして解散。千歌さんも「楽しかった」と言ってくれたが、正直俺も楽しかった。

 録音した音声は後日編集されて送られてきた。

 個人情報保護のため、お互いの名前なんかはきちんと伏せられ、そのうえ冗長な部分もカットされて楽しげな仕上がり。それでも自分の声を自分で聞くのは恥ずかしいものがあったのだが、朱華やシルビアに聞かせたところ、


「いいじゃない。せっかくだからアップしてもらえば?」

「きっと人気出ると思うよー」


 と、特に問題がありそうな反応でもなかったので、アップしてもらうことになった。

 すると後日、最後に歌ったゲームの主題歌が「主人公と成長した主人公のデュエットっぽい」と一部で話題になり、俺のことを「千秋ちあき和歌のどか(千歌さんの芸名)のドッペルゲンガー」などと呼ぶ人間が登場した。

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