とある青年と文化祭

 ……はあ。


 大事な荷物を車に積み終えると、青年は深いため息をついた。

 午前三時半に起きて延々続けてきた作業がようやく終わったからだ。そして、その作業終了が更なる長丁場への始まりだからだ。


(全く、親父も余計なことをする)


 何度も思ったことをあらためて思っていると、当の父親がやってきた。


「終わったか?」

「ああ。『萌桜ほうおうまん』八百個に『鳳凰まん』七百個。合計千五百個、確かに積んだ」


 彼の家は代々、和菓子屋を営んでいる。

 決して派手ではないものの、地域に根差した商売で人々から愛される隠れた名店──というのが客観的な評価だろうか。それ自体は彼も妥当だと思っているし、心の中では誇りに思っている。


 しかし、店の三代目であり、昔気質の職人である父とは仲が良くない。

 だから、ついついぶっきらぼうな口調になってしまう。


「着替えてきていいか? 作業終わったしじゃなくてもいいだろ」

「着替えるのは構わない。しかし、作務衣の替えにしなさい。いつもと違う場所で売るにせよ、食品を扱うことに変わりはないのだから」

「……わかったよ」


 嘆息。

 部屋に戻って作務衣を着替える。作業場は一定温度に保たれていたが、集中して作業していたせいで汗をかいた。下着を替え、作務衣自体も洗濯済みのものへ替える。

 店で使っている作務衣は紺色の、ごくごく一般的なそれ。

 新しいものが必ずしも優れているとは思わないが、彼の感性からすると地味すぎる。結局これをまた着るのかと憂鬱な気分になりつつも、好みの服が入ったクローゼットにはちらりと視線を向けただけで触らなかった。


 父に言わせれば、若者らしいファッションは「ちゃらちゃらした服」である。

 別にプライベートで着る分には(渋い顔をしつつも)何も言って来ないが、これから行くのは仕事。バイト代も出るので手を抜くと父の心証だけでなく、懐事情にもダメージがある。


(臨時収入があれば新しい服だって買える)


 自分に言い聞かせて気分を切り替え、着替えた服で店舗の方へ移動。

 店では母が開店準備をしていた。彼女はちらりと視線を向けてくると苦笑を浮かべて、


「またお父さんと喧嘩したの?」

「別に喧嘩じゃねえよ」


 苛立ちを抑えながら答えた。

 父はもう作業場の方に戻っているらしい。店の責任者である父はメインの店舗から離れられないので、青年と一緒に車で出かけるのは母だ。あの堅物とでは気が滅入ってしまうので、これは正直助かる。

 接客上手の母が不在になる今日の店はバイトの女子大生と、職人見習い扱いの男子大学生が父と一緒に回してくれる。

 非常時に戦力として扱われる家族はもう一人いるが、彼女はというと、


「お兄ちゃん。恥ずかしいから向こうでナンパとかしないでよ」


 高校の制服姿でやってきて余計なことを言ってくる。


「しねぇよ」

萌桜うちで販売するって聞いたときちょっと喜んでた癖に」


 そんなことはないはずだと、心の中だけで反論する。


「ま、来年からは私のチケットもないし、最後に楽しんで来れば?」

「楽しんでる暇があればな」

「売れ行き次第だけど、人が落ち着いていれば私一人でも大丈夫じゃない?」


 と、母。

 彼は「ふうん」と気のないフリをして答えると、妹に尋ねた。


「なんかおススメあるか?」

「んー……演劇部の劇は時間かかるから駄目だよね。じゃあチョコバナナとか……あ、中等部のメイド喫茶が気合入ってて良かったよ。お菓子も美味しかったし」

「へえ」


 家の稼業的におやつといえば和菓子になりがちなので、洋菓子の類には心惹かれるものがある。

 彼と同じく甘味にはうるさい妹が美味しいと言うのだからなかなかのものなのだろう。

 暇があれば行ってみようと心の予定表に書き込んだ。







 私立萌桜学園文化祭への出店は三年ぶりのことだ。

 一昨年は長男が受験生、去年は大学一年目でレポート等で仕込みを手伝えなかったために出店を見合わせていた。今年は彼が大学二年になって暇ができたこと、家族以外の従業員にシフトを入れてもらえたことでの出店である。

 今年は「夏に桜が咲く」という珍事があったことも加味し、きっと売れると踏んだこともある。

 饅頭が売れれば店の宣伝にもなる。それに、若年層が和菓子に興味を持ってくれるのは売り上げ以上の価値がある、という考えだ。


 移動中の車内で朝食のおにぎりを平らげ、到着後は自分のクラスに向かう妹と別れて商品の運び込み。

 彼は協賛店の従業員扱いなので、男子でも問題なく中に入れる。まあ、そうでなくとも妹のコネで入れるし、その方法で何度か文化祭へも来たことがあるのだが。


「久しぶりだな、ここに来るの」


 何気なく呟いたら、母に変な顔をされた。


「本当にナンパする気じゃないでしょうね?」

「する気ならとっくにやってるっての」


 母に力仕事を押し付けるわけにもいかないので、開店まで慌ただしく動くことになった。

 彼らが借りたのは屋外に設置されたテント。周りには生徒や他の協賛店の出した食品系の出し物が軒を連ねている。

 女子校なので当然、開場前のこの時間はほぼ女子ばかりであり、明るく高い声が辺りに響いている。


(いいもんだよな、こういうの)


 思わず口元が綻ぶ。

 もちろん、変に思われないよう、あまりジロジロは見られなかったが。


「それでは、文化祭二日目、開催しまーす!」


 文化祭が始まってからは別の意味でよそ見している暇がなくなった。


「お饅頭、二つずつください」

「こっちは三つずつ」

「萌桜まん二つと鳳凰まん一つお願いします」

「ありがとうございます」


 開始からちらほらと客が来始めたかと思うと、売れ行きがどんどん良くなっていったからだ。

 学校に許可を取って校名を冠したお陰か、あるいは饅頭に焼き印した桜のマークと鳥の羽根のマークが良かったのか。

 一口サイズの饅頭は甘味好きの若い女子が多いこともあって飛ぶように売れた。お陰で彼も母も対応に大わらわだった。

 中には一組で大量に買っていく客までいたくらいだ。


「饅頭を六個もらえるか? 割合は半分ずつで」

「すみません、それからそれとは別に七個いただけますか?」

「かしこまりました」


 妙に落ち着いた色合いの服を着た小学生くらいの女の子と、品のある雰囲気の若い女性のペア。

 後者の女性については一度、彼が店番をしている時に店に来たことがある。柔らかな物腰と日本人離れした美貌、光の加減で茶色っぽく見える髪のせいで強く印象に残っていた。

 母も憶えていたようですぐに微笑み、


「こんにちは。こちらでお会いするとは思いませんでした」

「ご無沙汰しております。実は家族がこちらへ通わせていただいておりまして、それでこちらに」

「あら、そうだったんですか。うちの娘もここへ通っているんですよ。今年で卒業なんですけどね」

「それはそれは」


 どうやら常連、とまではいかないまでも、定期的に買いに来る客らしい。

 是非本店の方も御贔屓に、という方向に話を持って行く母の様子を頼もしく思うのが半分、いいから手を動かせよ、と思うのが半分。

 とりあえず饅頭六個をパックに詰め、袋に入れて女の子に渡した。


「はい。落とさないように気をつけてね」

「む。……余計なお世話と言いたいところだが、ここは素直に礼を言っておこう」


 素直か? と思ったが、口には出さなかった。

 続いて女性の方にもう半分の饅頭を渡す。すると、七個の方の饅頭のうち二つはすぐさま女の子の口に入った。

 もぐもぐ、ごくん。


「美味いな。しまった、先に茶を買っておくべきだったな。……まあいい。すまぬがあと十個饅頭をくれ」

「はい、かしこまりました……って、十個ぉ!?」

「そんなに驚かなくても良かろう。心配せずともちゃんと食いきれるぞ」


 まあ、一個があまり大きくないので、彼自身、やろうと思えば十個くらいは余裕だろうが──男子としては甘党とはいえ、想像しただけで若干胸やけする。やるのなら、それこそ緑茶と一緒に味わいたいところだ。


「で、でも、まだ十個以上残ってますよね?」

「ご心配なく。こちらはお土産用です」

「あ、ああなるほど……。まあ、それなら……?」


 それでも十分凄いが、深く考えるのは止めた。







 あの小学生さまさまと言うべきか、その後、饅頭の売れ行きは更に伸び、気づけば余裕で完売のペースになっていた。

 午後一時を回ると食べ物系を買い求める客も減り出し、彼らの店もひと息つけるように。


「後は私だけでも大丈夫だから、少し回ってきてもいいわよ」

「大丈夫か? 油断してるとまたすごいの来そうな気もするけど」

「うちは詰めて渡すだけだから余裕があるもの」

「そっか。んじゃ、少し頼んだ」


 本格的な着替えは持ってきていないので、帽子を脱いでジャケットだけ羽織る。

 若干不格好ではあるが、地味な作務衣姿よりは幾分かマシだ。


「確か、チョコバナナとメイド喫茶だったか」


 とりあえず、近いのでチョコバナナの方から当たってみた。

 高校生らしき女子から品を受け取って口に運ぶと、想像通りの味が口に広がる。


(美味いけど、こういうところで食べるから美味い系だな)


 とはいえチョコレートの温度管理やフレーバーの散らし方には見るべきところがあるか……と、菓子職人の息子らしい感想を抱きつつ完食。

 適当に軽いものを幾つか買い食いしつつ、メイド喫茶があるという中等部の校舎へ向かうと──。


「あ、あの人。お饅頭屋さんの店員さんじゃない?」

「ほんとだ。あの人、結構格好いいよね」


 なんていう声が耳に入ってくる。

 自慢ではないが、顔は決して悪い方ではない。恋愛経験はないが、女子の扱いは妹で多少慣れているし、接客をやっているので愛想もそれなりに使える。ナンパをせずとも向こうから声をかけられることはあったりする。まあ、結局、妹の通っている学校で変なことをする度胸はないのだが。


 それに──。

 彼が萌桜ここに来たかったのは女の子とお近づきになりたかったからじゃない。

 制服や思い思いの衣装に身を包み、精一杯に文化祭を楽しむ少女達を見たかったからだ。彼女達が楽しそうにしているのを見るだけで心が和むし癒される。

 身内の制服姿ではこうはいかない。

 文化祭に来ると、普段、心の内で溜まっているフラストレーションを解消できる。だからだ。


(でも、今年で最後か)


 やろうと思えば、OGになる妹経由でチケットを入手できるだろうが、そこまですると高確率でキモがられる。それはさすがに彼としても本意ではない。

 まあ、仕方ない。

 ストレス解消は他の方法でなんとかしよう。いっそのこと何か理由をつけて一人暮らしを──。


「と、ここか」


 何度か受けた客引きを丁重に断りつつ、目的地に到着。

 メイド喫茶と聞いていたのでもっと派手な感じかと思えば、意外とシックな印象。これには思わず「へえ」と感心した。好みの雰囲気だ。

 中から聞こえてくる声も無駄にはしゃいだ感じではなかったし、衣装もノリでメイド服を着る輩にありがちなミニ丈ではなかった。


「こんにちは。よろしければ休憩して行かれませんか?」


 ウェイターのような服装をした女子に声をかけられた。

 言葉だけ聞くと若干いかがわしい気もするが、彼女の纏う清潔感がそんな印象を抱かせない。彼は「それじゃあ」と頷いて店をくぐった。

 そして、


「お帰りなさいませ、ご主人様」


 彼は、金髪の妖精を見つけた。


 中学三年生にしては小柄な女の子。一目で天然とわかるきらきらした金髪と碧眼を持ち、他の少女達とは異なる、シスター服とメイド服の中間のような美しい衣装を身に纏っている。

 他のメイドは手製だが、このシスターメイド服は明らかにプロによる作品だ。

 ともすれば衣装の印象に負けてしまいそうだが、少女の愛らしい容姿がそれを許さない。更に、恭しい一礼も接客用の笑顔も、店内を歩く姿勢や仕草も、しっかりと様になっている。

 レベルが違う。

 まるで、わざわざ本物のメイドからノウハウを学んできたかのようだ。


 憧憬と羨望、嫉妬といった感情がないまぜになるのを感じながら、少女の案内で席につき、水出し紅茶をアイスで注文。

 紅茶と、セットになったお菓子も確かに美味しかった。

 職人の域には到底達していないが、ちょっとお菓子作りをする程度の素人でもない。向上心を持って学んでいる者の作品に違いない。


「……来てよかったな」


 ぽつりと呟く。

 完全に独り言だったのだが、思わぬところから反応があった。


「ありがとうございます」


 あの子だ。

 顔が熱くなるのを感じながら見つめると、彼女は不思議そうに首を傾げ、それからにっこり微笑むと彼から離れていった。

 ほっとしたような、残念なような。


(あんな子が、いるんだな)


 物語の中から抜け出してきたかのような少女。

 神様というのは不公平だ。

 きっと自分とは住む世界が違うのだろうと、諦めに似た感情と共に店を出た。


 数時間後。


 閉店作業中に「あなた方の店が一番です」と文化祭実行委員から知らされた彼は、二位が「あの店」であることを聞くやいなや、母に「賞品は辞退しよう」と主張した。


「もしかして、好きな子でも出来たの?」


 言われなくてもそうするつもりだった、という母に、彼はぶっきらぼうに答えた。


「そんなんじゃないっての」


 この感情は恋などという言葉で片付けられるものではない。

 一目惚れといえば、確かにそれはそうなのだが。

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