聖女、惜敗する

 声優にして縫子ほうこの姉の安芸あき千歌ちかさん。

 彼女はなんと、俺ことアリシア・ブライトネスのボイスを担当した人物だった。今は全年齢の作品をメインにしているが、成人指定の作品への出演経験もあるらしい。


「あれ? ちょっと待ってください。朱華さん」


 俺はそこであることに思い至り、紅髪の少女を振り返った。

 若干背伸びをして耳うちするようにして尋ねる。


「じゃあ、まさか今まで、私の声のこと『エロゲで聞いた声』だって認識してたんですか?」

「うん」


 なんということだ。

 妙な疲労感が肩にのしかかってくる。いや、まあ、声優にとっては全年齢だろうと成人向けだろうと仕事に変わりはないわけだし、あまり変な目で見るのもアレなのだが。

 俺に良く似たキャラクターが艶声を出しているゲームを、知り合いが普通にプレイしていたというのはこう、心にクるものがある。

 と、ぽん、と肩を叩かれて。


「安心しなさい。あたしの声だって一緒だから」

「……私、朱華さんの声も綺麗で好きだったんですけど」


 彼女が出ているエロゲをプレイするのはまだまだ先にしよう、と、俺はあらためて誓った。

 内緒話終了。

 千歌さんを振り返ると、彼女は俺達のやり取りが聞こえていたのかいないのか、のほほんとした笑顔を浮かべて、


「えっと、朱華ちゃん? あなたも良い声してるよねー。よく似た声の人、一人知ってるよ」

「あはは。あの人も十分全年齢行けると思うんですけどねー」

「うん。でも残念ながら無理かな。結婚して引退しちゃったから」

「そうだったんですか。それは残念です」


 って、普通に成人向け作品の声優トークが始まってしまった。

 明確なワードは使われていないので周りの人にはわからないはずだが……男もいる場所でそういうこと言うのは色々危ない。

 とりあえず止めておこうと俺は口を開いて、


「姉さん。営業の邪魔はしないでって言っておいたのに」


 物凄く嫌そうな顔をした縫子がテーブルに近寄ってきて、千歌さんを睨みつけた。


「あ、縫子。やっほー」

「ここで名前を呼ばないで」

「……もう、つれないなあ。あんた、学校でもそんな感じなわけ?」

「お願いだからちょっと黙って」


 うん。

 友人の前で家族と話す、というのは意外に恥ずかしい。テンションをどっちに合わせていいかわからなくなるからだ。

 これが先輩と後輩と同級生が同時、とかなら問題ないんだが、家族というのはこっちにも体面があるのをまるで無視してからかってくるから困る。

 せめてこの一幕のことは今後触れないようにしよう。


「千歌さん、お久しぶりです。相変わらずお元気そうで」

鈴香すずかちゃん。久しぶりー。何その格好。アリスちゃんと並ぶと滅茶苦茶絵になるんだけど」


 今度は鈴香が寄ってきた。

 きっと彼女が縫子を連れてきてくれたのだろう。笑顔を浮かべつつも半眼になって、


「お話は店以外でお願いします。朱華さん」

「ん?」

「そろそろ交代の時間です。上がったら千歌さんの相手をしてあげてくれませんか?」


 なるほど、それはいい手かもしれない。

 朱華とならエロゲ話で盛り上がれるだろう。間に挟まれることになりそうな縫子が不憫だが。

 もちろん、朱華はにっこりと笑顔を浮かべて。


「わかった。あたしで良ければ」


 その後、二人がどんな会話を交わしたのか、詳しくは聞かなかった。

 ただ、千歌さんは俺のことがいたく気に入ったようで、「一緒に配信とかしたい」と言っていたらしい。朱華と連絡先を交換したそうなので、また会う機会がありそうだ。







「そんなことがあったのですか」


 教授を連れてメイド喫茶へ顔を出したノワールは、俺の話を聞くと、ゆったり紅茶を傾けながら微笑んだ。

 今日の彼女は私服姿。

 ロングスカートがメインの上品なコーデで、お金持ちのお嬢様か若奥様といった雰囲気だ。入店した瞬間、居合わせた男性客はもちろん、接客していたクラスメートまで「何この綺麗な人!?」という反応をした。

 ノワールは正直、俺達とは女子力が桁外れなので、そうなるのも当然である。


「初めまして。わたしはアリスさまや朱華さまの身の周りのお世話をさせていただいております、ノワールと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「……ど、どうしようアリスちゃん。この人の見ちゃったら、私達のお店ってメイドごっこにしか見えないよ!」

「仕方ないですよ。メイドは奥が深いので、少し練習したくらいじゃプロには絶対に敵いません」


 自信喪失しかけたクラスメートはしっかり勇気づけておく。

 そもそも、付け焼刃でノワールや緋桜ひおう家のメイドさんに勝とうと思うのが間違いなのである。俺達はメイドごっこがしたくてメイド喫茶を選んだのだから、存分にメイドごっこをすればいいのだ。

 なお、普段からメイドさんを見慣れている鈴香はというと、


「彼女に手伝って貰えたら百人力なんですが」

「さすがに生徒でもなんでもない人は……。というか、たぶん伝説になっちゃいますから」


 ノワールに恋する男性がダース単位で量産されたとしても驚かない。

 実際、帰ってから聞いたところによると、ノワールは文化祭を見て回っている間に片手では足りない回数、男から声をかけられたらしい。

 それを当然のように全部切って捨てたというのだから、さすが、としか言いようがない。


「えっと……それで、教授はなんでぐったりしてるんですか?」


 ここまで教授が喋らなかったのは、その妙に憔悴した様子のせいだ。

 椅子に腰かけるなり「ふう……」と息を吐き、腹をさすりながら、絶対安静とばかりに動かない姿は──。


「ええ、少々食べ過ぎたようでして」

「だと思いました……」


 なんでも、目に入った端から買いあさる勢いだったそうだ。

 そりゃ苦しくもなるというか、ぶっちゃけ暴挙である。


「む。勘違いするなよ? どちらかというとこれは、甘い物が多すぎて胸やけしたせいだ。焼きそばやポップコーン、イカ焼きなんかがもっと多ければまだ入った」

「弁解するのはそこじゃないと思います」


 思わずツッコみを入れたところで、背中をつんつんと突かれて、


「ね、アリスちゃん。この子って妹さん? それとも……ノワールさん? の娘さんだったりとか?」

「可愛いよねー。何歳なのかな?」

「失礼な! 吾輩はとっくに成人しているぞ!」

「嘘!?」

「どう見ても小学──中学一年生くらいなのに!」


 まあ、いつものことというか、なんというか。

 教授の見た目と年齢のギャップにみんなが驚いた。客の誰かが「合法ロリだと……!?」とか呟いていたので、一応ノワールに気を付けるよう目配せをしておいた。


 なお。

 ノワールのCVはどうなっているのかと後日尋ねたところ「不明」ということだった。ノワール当人どころか朱華でさえ知らなかったので本当に不明なのだろう。

 もしかしたら現在はまだ無名すぎて知られていない声優だったりするのかもしれない。

 原作漫画はまだアニメ化されていないので、真相はメディアミックス展開が進んだ時のお楽しみである。







「いや、千歌さんと話すのほんと楽しかった」


 もう少し文化祭を見て回ってから帰るというノワールたちを見送った後、ほくほく顔の朱華と交代して控え室に戻った。

 教授が「みやげだ」と言って食べ物を幾つか置いていったので、昼食代わりにそれをいただこうと思う。

 すると、


「……ひどいです、アリスさん」


 口では猫を被りつつ、目では「ひどいよ、アリスちゃん!」と全力で主張しながら、芽愛が腰に手を当てて俺を待っていた。


「芽愛さん、疲れは取れましたか? まだ眠いなら寝ていた方が──」

「私だけ寝ているわけにはいきません。皆さんが頑張っているんですから」

「芽愛さんはもう十分すぎるほど頑張ったじゃないですか」


 別に当日頑張るだけが貢献ではない。

 むしろ当日頑張るだけの俺の方が気楽なくらいだ。それに、みんなも芽愛が休むことに賛成なのだから問題ない。


「とりあえず、一緒にご飯食べませんか?」

「……はい」


 こくんと頷いた芽愛は素直に隣に座ってくれた。

 飲み物を買ってくるのを忘れた……と思ったが、幸いこの部屋には大量にあった。常識的な量なら休憩中に飲んでいい、ということになっているので、ありがたく紙コップと一緒にもらう。

 教授が置いていったのはチュロス、パンの耳を揚げて砂糖をまぶしたもの、手作りサンドイッチというチョイス。それから地元の和菓子屋さんが協賛で販売している饅頭。

 こんなものがあったのかと驚く一方、微妙に主食っぽいものばかりなことでなんとも言えない気持ちに。サンドイッチに野菜が入っているのが有難い。


 冷めたら美味しくないというメニューでもないので、二人でもそもそと頬張って、


「パンの耳は思いつかなかったな。原価すごく安そうなのに美味しい」

「おやつにいいですよね、これ」


 どうやって大量のパンの耳を集めたのか気になるところだが──あれか、それぞれ自宅付近にあるパン屋と交渉して全部もらってきたのか。

 百円二百円で売っても儲けが出るレベルだろうし、多少焦げていたりするのも逆に香ばしくていい。どーんと売れる商品ではないが、堅実に売れる商品って感じだ。


「逆にサンドイッチは拘りが感じられる。良いものを作りたかった感じ」

「そうですね。たくさん作るのは大変でしょうに……」


 自分達もメイド喫茶のために色々準備してきたので、ついつい営業する側の目線になってしまう。

 美味しく平らげながら思うことは、


「どうせなら一番になりたいですね」

「うん」


 食べ終わった芽愛はすっと立ち上がると、決然とした顔で言った。


「もうちょっと寝ることにします。それで、ラスト一時間は私も手伝います」

「……わかりました」


 ラストスパート。

 もう一度攻勢をかけるのはアリかもしれない。


「鈴香さんに伝えておきますね」

「ありがとうございます、アリスさん」

「いいえ。頑張りましょう、芽愛さん」

「はいっ」


 俺達は文化祭終了の時間になるまで、ドリンクとお菓子を売り続けた。

 そして──。







 俺達のクラスは文化祭の全出し物中──『第二位』という惜しい結果に終わった。


「なんでー!?」

「あれだけ頑張ったのに!」


 ちなみに競合店である料理部は第四位。

 なら、一体どこが一位を取ったのかといえば、


「『萌桜ほうおうまん』および『鳳凰ほうおうまん』を一日で合計千五百個販売、すべて完売させた地元の和菓子店、ですか」

「プロ!?」

「ちょっと待って、そんなのアリなんだ!?」


 アリかナシかといえばルール上はアリらしい。

 もちろん、文化祭に出店する手続きがいるし、当日店からスタッフを出す必要もある。店で売る分とは別に大量の商品を用意するのも大変だ。そういった問題があるため、例年はプロがトップを奪取していく、なんていうことが起こっていなかったのだが。

 俺も食べたが、単純に饅頭が美味しかったこと──それから、学園内の桜が夏に咲くという珍事があったのになぞらえ、桜の花びらを焼き印した饅頭を販売したこと、もう一つの語呂合わせの饅頭も面白がって一緒に買われたこと、一人で十個ぐらい平らげた小学生(?)がいたことなどが重なってこの結果になった。


 なんというか、あの不死鳥のせいで負けたような気がする。


「なお、和菓子さんは売り上げだけで十分だそうなので、記念品については辞退……二位の私達に権利を譲ってくださるそうです」

「それは嬉しいですけど……なんか、微妙に悔しいですね」


 なまじ二位を取れたのもあって、どうせならきちんと一位を取りたかった。

 睡眠時間を削ってまで頑張っていた芽愛や縫子はどうか、と視線を向ければ、意外にも彼女達はすっきりした顔をしていた。


「お二人は悔しくないんですか?」

「悔しくないといえば嘘になりますが、皆さんが生き生きと動いている姿だけで十分満足です」

「私も。料理部には勝てましたし、楽しかったので悔いはありません」

「そうですか。……それなら、良かったです」


 芽愛たちが満足しているのなら、俺もそれで十分だ。

 すとんと胸のつかえがとれた感じで微笑むと、芽愛たちも微笑んでくれる。

 と、鈴香がそんな俺たちを見て、


「ちなみに私は悔しいです」

「鈴香さん。大人気ないです」

「ふふっ。仕方ないでしょう? 私は負けず嫌いなんです。ですから、いつか何らかの形でリベンジします」


 ただし、このクラスのメンバーで再チャレンジする機会はない。

 大部分が高等部に上がるとはいえ、別の学校に行く子もゼロではないし、クラス替えだってあるからだ。

 だから、


「十分な売り上げが出たので、盛大に打ち上げをやりましょう。皆さんの意見も聞いた上で、いいところを探さないといけませんね」

「はいっ」


 こうして、文化祭は終わった。

 下校までの残り時間を使い、可能な限りの片づけをして(本格的な片付けは後日になる)、家に帰って、人数分の饅頭がテーブルに積まれていることに驚いた後、ノワール特製の夕飯を食べながら、話しきれなかった文化祭の話をした。

 あまり校内を回っている時間はなかったが、次はもう少しのんびり散策してみたい。

 次は周囲の共謀に振り回されないように注意しなければ。


 俺は、事の発端へと視線を向けて、


「朱華さんもお疲れ様でした。きっと、これで人気急上昇ですよ」

「ありがと。あんたもね。……いやでも、これでようやくのんびり夜更かしできるわ」


 するのか。

 寝て欲しいところだが、朱華も我慢していたんだろうし言いづらい。代わりに、俺はふと思いついたことを言った。


「千歌さんが出てるエロゲだけ封印させてもらえませんか?」

「駄目に決まってるでしょ。あたしのコレクションに手をつける気なら戦争よ」

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