聖女、ナンパされる

「皆さんのおかげで初日は大成功でした」


 十五時半の学園祭終了後、店舗に集まったスタッフ一同は、笑顔の鈴香から嬉しい知らせを受けた。


「今日の分として用意していたお菓子は完売し、二日目の分に食い込む結果です。この調子なら明日はもっと売り上げが伸びるでしょう」

「帰ったらお菓子の追加を作りますね」


 芽愛のお菓子も大好評だった。

 量としては初日四割、二日目六割くらいの計算でお菓子を配分していたのだが、二日目分まで割り込んだ以上、残っているお菓子では足りない可能性が高い。

 手作りお菓子がなくなったらなくなったで市販のお菓子オンリーに切り替えればいいのだが──当の芽愛が嬉しそうで、かつやる気満々なので水を差すのも悪い。

 とりあえず、彼女の明日のシフトは減らせないか鈴香に相談しておこう。


「盛況の理由としては、やはりアリスさんと朱華さんの存在も大きいと思います。お二人とも、明日もよろしくお願いします」


 縫子が言うと、クラスメート達がうんうんと一斉に頷く。


「二人とも大活躍だったもんねー」

「アリスちゃんたち目当てのお客さん絶対いたもん」


 俺たちは交代制でシフトに入り、接客をこなした。

 朱華は高等部の生徒や先生方を含む女性からきゃーきゃー言われていたし、俺は俺で、何人もの先輩方から挨拶を受けた。「あなたがあのブライトネスさん」みたいなことを言われ、その度に笑顔を返したのだが、内心、どこまでどういった噂が広がっているのかと思わずにいられなかった。


 鈴香の家で受けた講習さまさまだ。

 あそこでしっかり練習したお陰で背筋を伸ばして笑顔で対応ができたし、動きを身体に覚えさせていた分だけ疲れずに済んだ。

 講習に参加していなかった朱華もさすがというか、最後までしっかり接客をこなした。中華娘は少しくらい乱暴でも愛敬になるし、それも個性だ。

 ……その分、終わった途端にぐったりしているが。


「朱華さん。今度こそ早く寝てくださいね」

「わかってるわよ。もう腹は括ったからテンション上げなくても平気だしね」


 そう言った彼女は帰ってシャワーを浴び、夕食を平らげるなり「おやすみ」と部屋に戻っていった。

 こっそり覗いてみると室内は暗く、聞こえてくるのは寝息だけだった。

 これでエロゲやってたら頬でもつねってやろうと思ったのだが……俺はほっと息を吐いて、《小治癒マイナー・ヒーリング》を朱華にかけてから部屋を出た。







 二日目。


 朝からわくわくした様子のノワールと、「休みが取れたから買い食いに行くぞ!」と言う教授に見送られて家を出た。

 朱華もぐっすり寝たお陰か今日は元気そうだ。


「今日は私もアリスちゃんたちのところ行こうかなー」

「シルビアさんのところは展示なんですよね? 時間がたっぷりあるなら、あちこち回るのも楽しそうです」

「なんなら手伝ってくれてもいいのよ?」

「あはは。私まで手伝ったらお店がパンクしちゃうよー」


 割と冗談じゃなくそうなりそうなのが怖いところである。

 学校に着いて荷物置き場であり更衣室であり控え室でもある空き教室に着くと、隅で芽愛が寝息を立てていた。


「安芸さん。芽愛さんは……?」

「起こさないでおいてあげてください。昨夜、思いのほかお菓子作りに没頭してしまったそうです」

「それは、嬉しいですけど……」


 売り上げよりも芽愛の体調の方が心配だ。

 音を立てないように近寄った俺は、芽愛にかけられたブランケットを直すフリをしながら治癒魔法を使った。光もブランケットのお陰で隠れたはず。頑張りすぎなくらい頑張ってくれたのだから、これくらいはさせてもらわないと俺の気も済まない。

 それにしても、俺の周りにはのめり込むと自分を顧みなくなるタイプが本当に多い。治癒魔法が使えて本当に良かったと思う。


「鈴香からは芽愛のシフト変更についてOKが出てますから、後は私達でなんとかしましょう」

「はい。芽愛さんのお陰でお菓子の量は十分ですから」


 昨日と同じようにシスターメイド服へ着替えた俺は、「よし」と気合いを入れると自分達の教室へ向かった。







 開店直後は昨日と同じく俺と朱華、二人とも出ることになった。

 芽愛の分は他の子が入る形だが、昨日の経験がある分だけみんな成長している。今日は一段といい接客ができるに違いない。


「では、開店します」

「はーい!」


 開場時間と同時に開店。

 まあ、これからお客さんが入ってくるわけだし、わき目も振らず突撃してくる人なんてそうそういないだろうから、しばらくは暇だろう。

 一日は長いのだから、今はリラックスして最初のお客さんを待っておこう。

 と、思っていたら、開場から僅か数分で店外の廊下が賑やかになり始めた。


「なんだか、昨日と活気が違いませんか……?」

「まあ、そりゃそうでしょ。昨日は身内だけだったんだし」


 朱華に耳うちしたところ、肩を竦めて言われた。


「うちはレース編みのカーテンで窓隠してるから、外が良く見えないのよね」

「ちょっとめくって覗いてみましょうか」

「やめときなさい。そろそろお客さん来そうだし」


 確かに、外が活気づいているということはお客さんが来ていて、呼び込みが始まっているということだ。

 生徒の高い声に交じって、普段は聞かない声も聞こえてくる。


「男の人の声がしますよ……?」

「ん。なんか変な感じよね」


 朱華の言う通り、なんともいえない違和感がある。

 普段、同性だけで気安く過ごしている空間が侵食されているような、不安と居心地の悪さが入り混じった感覚。

 いや、元男の俺が男の介入を毛嫌いするのも変な話なのだが。


 などと思っていたら、外から「お、ここじゃね?」なんていう声が。

 鈴香が応対する声が続けて響いたかと思うと、二名様の来店となった。


「お帰りなさいませ、ご主人様」


 思えば、ご主人様呼びの挨拶はこれが初めてだと、恭しく一礼をしながら俺は思った。







 一番テーブルは紅茶のアイスとホットが一つずつ。二番テーブルはアイスコーヒーとレモンティー。五番テーブルが緑茶と烏龍茶とアイスティー二つ。

 気を抜くとわからなくなりそうなのが困る。

 テーブル番号と注文内容が書けるメモ用紙があるので、最悪覚えなくても構わないのだが、自分でも憶えた方が何かと便利だ。

 特に、注文を受けた順番だけは憶えておかないとクレームになりかねない。


「すみませーん」

「はい、ただいまお伺いいたします」


 忙しくても慌ててはいけない。あくまでも動きは優雅に。思考は冷静に。講習での教えを思い出しつつ、手を挙げている客のところへ赴く。

 既に注文は受けているテーブルだが、追加注文だろうか。


「お待たせいたしました。いかがなさいましたか、ご主人様?」

「あー、えっと」


 高校生くらいの男子二人組だ。

 俺を呼んだ方の男子が「ほら、言えよ」ともう一人を促し、促された方は「いや、でも」と躊躇うような反応を見せる。

 こうやって無駄に待たされるのは割と困るのだが、どの程度のタイミングでこちらから聞き返すべきか。あまり早すぎると急かしている感じになるし、いつまでも待っているのも辛い。

 と、控えめな方の男子(仮称)が意を決したように俺を見て、


「れ、連絡先を教えてくださいっ!」


 俺は、内心で「……あー」と呻いた。

 表には出さないように気を付けながら笑みを作って、


「申し訳ございません、ご主人様。そういった行為は規則で禁じられております」

「あ、そ、そうですよね。すみませ──」

「あ、じゃあ、これ俺らの連絡先だから。気が向いたら連絡してよ。それならいいっしょ?」


 引こうとする相棒を見てすかさず押してくる積極的な方(仮称)。いや、駄目だって言っただろアホか、と言いたいのを堪えて「すみません、そういうのもちょっと……」と濁す。


「えー。もったいない。今時中学生でも彼氏いるの普通だよ? こんな可愛いのにもったいないって。ね?」

「お客様。申し訳ございませんが、メイドの過度な拘束はご遠慮ください」


 ゴネられているのを見た鈴香が寄ってきて助け船を出してくれる。男装というほどではないものの、きちっとした服装の彼女に「お客様」と呼ばれて、二人はようやく我に返って静かになった。

 小声で「ありがとうございます」と言うと、鈴香は黙ってウインクを返してくれた。

 これ、絶対、鈴香のファンも生まれてるだろうな。


 ちなみに朱華はこういうのナンパをどうかわしているのか……と、しばらく気にして見ていたら、


「あ、すみません。あたし女の子にしか興味ないんですよー」


 お客さんと軽く談笑するそのままのノリでさらっと言っていた。







「お帰りなさいませ、お嬢様」


 客の男女比は四:六といったところだった。

 文化祭自体の来客で見ると三:七くらいらしいので、うちの店は男に興味を持たれる率が高いことになる。いいことなのかは微妙なところだが……。

 とはいえ、もちろん女性客もいる。

 今回は女性の一人客だった。キャスケット帽を被り、色付きの伊達眼鏡をかけている。大学生くらいだろうか。眼鏡のせいで顔がわかりにくいが、結構整った顔立ちに見える。ついでに、どこか見覚えがあるような気もするのだが……どこだったかは思い出せない。

 彼女は俺の胸──というか、胸に付けた「アリシア」の名札を見て「うん」と頷いてから、俺の案内に従って席に移動を始めた。


「こちらがメニューです。ドリンクメニューには全て、ちょっとしたお菓子がセットになっております」


 定型の説明をして「何かご不明な点はございますか?」と尋ねるのがいつもの流れ。大抵のお客さんは「大丈夫です」と言ってくれるので、「お決まりになりましたらお呼びください」と言って下がる。

 しかし、このお客さんは違った。


「ねえ。あなたが『アリスちゃん』でしょう?」

「っ」


 衝撃が胸を打った。

 愛称で呼ばれたから──ではない。驚いたのは彼女のだ。彼女の声には、さっきの俺の台詞をそっくりそのまま再現できそうな響きがあった。

 要は、俺と同じ声。

 俺ことアリシア・ブライトネスの声は、自分で言うのもなんだがかなりの美声だ。演技力さえあれば声優にだってなれるだろう。

 まあ、CVを担当した声優さんの声がそのままコピーされているので当然なのだが。


「あ……っ。もしかして、安芸さんが言っていたお客様って……?」


 脳裏に閃いたのは昨日の出来事。

 縫子の意味ありげな発言も今の状況を鑑みれば納得がいく。

 俺の推測は正しかったようで、女性は笑みを浮かべて頷いた。


縫子ほうこから聞いてるんだ。そう。あなたに会いに文化祭に顔を出す、ってあの子には言っておいたの」


 呼び方。

 縫子は名前で呼ばれるのが苦手らしく、俺達にも苗字で呼ばせている。それを無視できるとなるとかなり親しいか、あるいは近しい間柄だろう。

 確か、安芸家は芸術関係に秀でた血筋だったはず。

 推測が立ったところで、彼女が自己紹介をしてくれる。


「初めまして。縫子の姉の千歌ちかです」


 やっぱり。

 サングラスを取って微笑むと、縫子によく似ていることがはっきりわかった。でも、姉の千歌さんは若干派手というか、人目を惹きやすい顔立ちをしている。

 確か、お姉さんは芸能関係の仕事をしていると前に言っていただろうか。


「どうしたの、アリス?」


 驚きもあってつい、千歌さんと話し込んでしまっていたせいだろう。

 朱華が寄ってきて首を傾げる。誰よこの人、とでも思っているのだろう。せっかくなので彼女にも驚いてもらおうか。


「朱華さん。この方の声、凄いんです」

「声?」

「あはは。別にすごくはないよ。ええと、初めまして。


 朱華を呼ぶ声だけ、完璧に俺とトーンが同じだった。

 さすがだ。

 俺にはもう、彼女──千歌さんのもう一つの肩書きも見当がついている。


「あの、もしかして」


 芸能関係とは聞いていたが、正確にはおそらく声優だ。

 芸名は、


千秋ちあき和歌のどかさんですか?」

「高嶺エリスさんですよね?」


 は? と、俺は声に出しそうになった。

 千歌さんのことを前者の名前で呼んだのが俺。後者の名前で呼んだのが朱華だ。

 俺が口に出したのは当然、アリシア・ブライトネスのCV(というか例のSRPGにおける主人公用ボイスの一つ)を担当した声優の名前。

 なので、朱華が誰かと勘違いしたのかと思えば、千歌さんは嬉しそうな恥ずかしそうな表情になって、


「うわ。中学生の子がそっちの名前知ってるとは思わなかったな。お願いだから人の多いところではあんまり呼ばないでね」

「あ、すみません、つい」


 素直に謝る朱華の脇を突いて「どういうことですか?」と尋ねると、彼女は小声で教えてくれた。


「高嶺エリスっていうのはエロゲ声優の名前よ。出てたのマイナーなゲームが多いし、割とすぐ表に行っちゃったからあんまり有名じゃないけど」

「……あー」


 声優は全年齢作品、つまり表の作品と十八禁作品、つまり裏の作品とで芸名を使い分けることが多い。

 要はどちらも千歌さんの芸名なのだ。


 俺の知らなかった、知らなくていい事実が無駄に一つ明かされてしまった瞬間だった。

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