聖女、バナナを食べる
遂に文化祭当日がやってきた。
普段通りに起きた俺はシャワーを浴び、聖職者衣装の代わりに白いパジャマに袖を通してから日課の祈りを捧げた。
無事にこの日を迎えられたことを感謝した上で、出し物がうまく行きますようにと願う。
気持ちが入ると集中具合も違うのか、今日はセットした五分のアラームが鳴るまでそわそわしたりしなかった。
「おはようございます、ノワールさん」
「おはようございます、アリスさま。いよいよですね?」
「はい。精いっぱい頑張ってきたいと思います」
俺の返事にノワールはにこりと笑って、
「わたしも明日は顔を出しますねっ」
「は、はい」
文化祭は初日が学内だけでの開催、二日目が外部への開放ありでの開催になる。
今日、雰囲気に慣れたうえで明日に臨む、という形なのだが──せっかくなので遊びに来て欲しいという気持ちと、保護者に来られるのがこそばゆいという気持ちが心中でせめぎ合う。
しかし、来ないでくれなんて言ったら絶対に悲しむので、選択肢はないに等しかった。
「はよー……」
「あら。おはようございます、朱華さま」
「早いですね、朱華さん。まだご飯には余裕が──って、なんですかその顔!?」
普段よりもだいぶ早く顔を出した紅髪の少女は、なんというか、目が半分開いてなかった。
「いや、そのね。テンション上げるために徹夜しようと思って、珍しくホラー系のエロゲなんか始めたんだけどさ。思いのほか体力使っちゃったというか、逆にテンション下がったというか」
で、回復が欲しくなって早めにやってきたらしい。
言わんこっちゃないと思いつつ、俺は朱華に《
「体力は戻りますけど、眠気にはあまり効かないので注意してくださいね?」
その点、シルビアの栄養ドリンクは疲れや眠気を誤魔化す方が得意なので良し悪しである。
「大丈夫。適度に眠くないとマズいんだし。ありがとね、アリス」
朱華はそう言って俺に笑いかけてくれる。
ついでに頭を撫でられたので、憮然とした顔で彼女を見上げて、
「うちのメイド喫茶は全年齢の健全なやつですからね?」
「あんた、あたしをなんだと思ってるのよ」
もちろん、筋金入りのエロゲ好きである。
元気になった朱華と、いつも通り眠そうなシルビアと一緒に登校する。
学校前に到着すると、文化祭用の大きな看板がすぐに目に入った。校舎を見れば、各教室のベランダも思い思いに飾り付けがされている。外から見えるこのスペースは重要な宣伝ポイントだ。
屋台用のコンロなどが立ち並ぶ中を歩いて教室へ。
「おはようございます、みなさん」
「はよー」
「おはようアリスちゃん」
「朱華さんも、今日はよろしくね」
既に登校していた生徒に挨拶してから、控え室用の空き教室の方へと移動して荷物を置く。
空き教室でそれぞれの作業していた縫子と芽愛にも挨拶。
「たしか、開会式があるんですよね?」
「はい。といっても、体育館や講堂も使えないので、各教室で放送を聞く形になります」
「だから着替えはしてしまって大丈夫ですよ、アリスさん」
「わかりました。じゃあ、今のうちに着替えてしまった方がいいですね」
後で慌てることになっても困る。
念のためにトイレだけ済ませてから、パーティションとカーテンで仕切られた簡易更衣室で着替えを済ませる。
「さ、朱華さんも」
「はいはい」
俺と入れ替わりで更衣室に入った朱華は短時間で着替えを済ませ、生まれ変わったような姿で姿を現した。
「わ……!」
「すごい……!」
自然と歓声が上がった。
少女が身に纏うのは赤地に金糸のチャイナドレス。アジア人には真似できない鮮やかな紅の髪が衣装の赤と合わさって非常に映える。
タイトな仕立てもスタイルのいい彼女にぴったりだし、ホワイトブリムを意識した白いシニョンキャップが良いアクセントになっている。
手はシックな薄い黒手袋で隠し、足には同じく黒のタイツを穿いている。
小さな白エプロンを付けようという案もあったのだが、試してみたら安っぽい風俗店みたいな絵面になったのでシェアハウス内で却下した。
その上で露出は最小限に抑えたが……これでおそらく正解だっただろう。
隠したら隠したでチャイナドレス+バニーガールみたいなフェチ感が生まれている。見る人が見たら「エロい」と判断するだろう。
まあ、これに関してはぶっちゃけ、女性的なボディラインを強調している時点でエロくないわけがないという話だ。
それに、男の視点と女の視点は違う。
同性から見た場合どうなるかというと、
「綺麗!」
「格好いい!」
強い羨望の眼差しが朱華に集まった。
俺としてもおおむね同意見である。朱華は普段から「男? 興味ないけど?」という態度を貫いているので、多少派手な格好をしても男漁り目的には見えない。
メイド喫茶なので接客スタッフ全員人目を惹く格好なわけだし。
「そういえば、学校でこういう格好するのって初めてなのよね」
若干恥ずかしそうに「ありがとう」を返した後、朱華は俺の方に寄ってきて言った。
「そうですよね。普通、そんな機会なかなかないですし」
「あんたの場合は
確かに。
『それでは、ただいまより第〇〇回、
俺達は担任教師による簡易HRや最終ミーティングなどを終えた後、クラス全員で教室に集まり、じっと「その時」を待っていた。
校長先生のありがたい話が放送される間中、みんな(俺含む)がそわそわしていたのはご愛敬。
その分、開始が宣言された時にはクラス中、どころか校内が一斉に「わっ!」と盛り上がった。
「では、皆さん。優勝目指して頑張りましょう」
歓声が収まったのを見計らい、リーダーである
ちなみに彼女はレディースのタキシード姿。
基本的に接客はしないし恥ずかしいのでメイド服は着ないが、支配人だかマネージャーみたいな設定で着飾っておく、とのことである。
優雅なドレスが似合うかと思えば、こういうぴしっとした格好まで無理なく似合っていて、お嬢様恐るべしである。
そんな鈴香は声と共に握り拳を高く掲げた。
お祭りムードに盛り上がっている俺達がそれに乗ったのは言うまでもない。
「おー!」
こうして、我がクラスのメイド喫茶は開店となった。
「開店しまーす!」
裏方の子たちが空き教室に引っ込み、ビラ配り担当が散って行った後、廊下に向けて接客スタッフが声をかける。
オープニングスタッフは俺、朱華、そして芽愛が勢揃いだ。
『出だしのインパクトは重要でしょう?』
という鈴香のアイデアである。短い時間だが、目玉総動員で一気に注目を集める。なお、鈴香自身も目立つ格好をしているので、店の前で呼び込みに回ってくれた。
まあ、とはいえ、関係者だけしかいない以上、そうそうすぐにお客さんは来ないのだが。
「……うう、なんだか緊張してきました」
「いや、あんたさっきまで大丈夫そうだったじゃない」
胃を押さえて呟けば、朱華に呆れたように言われた。
「だって、この『いつ出番が来るかわからない』みたいな空気って辛くないですか?」
「まあ、わからないでもないけど。あたしはむしろ、もう逃げられないところまで来ちゃった方が気が楽かな」
肩を竦めた朱華は、確かに傍目にも泰然としている。とても昨日「お帰りなさいませご主人様♪ なんて言えるわけない」と言っていた少女には思えない。
若干羨ましい。
これが剣道の試合なら、試合中の二人の動きを参考にしたり、いくらでもやることがあるのだが──。
「アリスちゃん」
「ひゃっ」
ぴと、と、首の後ろに手が当てられて、思わずびくっとした。
悪戯をした張本人である芽愛は俺の緊張を和らげるように柔らかく笑って、
「リラックスしてた方がいいよ。お店は劇とは違うんだから。百点を一回取るより、営業している間、八十点を取り続ける方が大事」
「芽愛さん……。はい、ありがとうございます」
お陰で少し肩の力が抜けた。
深呼吸をして聖印に触れる。それだけで心が落ち着いて、これからの接客にしっかり臨めそうな気がしてきた。
などとやっている間に、外の鈴香から「二名様ご案内します」との声。
俺達は顔を見合わせて、せーので来店第一号様を出迎えた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
看板娘勢揃いは三十分ほどで終了した。
「じゃ、開店早々の暇な時間は任せなさい」
という朱華を残し、俺と芽愛はいったん休憩&自由時間に入る。
実際は一人目のお客さん以降、少しずつ客足が伸びているので暇というほどでもないのだが、今のうちに休んでおけという心遣いだろう。
代わりのクラスメートとバトンタッチして空き教室に戻ると、縫子が労ってくれた。
「お疲れ様です、二人とも。客入りの方はどうですか?」
「上々ですよ。ね、アリスさん?」
「はい。芽愛さんのお菓子も好評みたいです」
衣装につられて入った結果、お茶やお菓子が美味しいとなれば印象にも残るはず。明日来るお客さんも父兄や友人が多いのだから口コミは大事だ。
縫子は「それは良かったです」と頷いて、
「そういえば、言い忘れていたのですが、明日、とある人物がアリスさんに会いに来る可能性があります」
「? ある人物、ですか?」
衣装を脱ぐか悩んで結局脱ぎつつ、俺は首を傾げた。
全く見当がつかない。実は椎名と知り合いとかじゃないだろうし、単なる他校の友人とかなら意味ありげな言い方をしない気がする。
「どんな人なんですか?」
「……ええと」
珍しく言いよどむ縫子。
「いえ、言わないでおきます。先入観なく会ってもらった方がいいかもしれませんし、実害のある人間ではありませんから。ただ、心の準備だけしておいてください」
「えっと……わかりました。ありがとうございます」
よくわからないが、誰か会いに来るかもしれない、と思っておけばいいらしい。
縫子がわざわざ警告する人物、逆に少し興味が湧いてしまった。
着替え終わったところで芽愛に袖を引かれて、
「アリスさん、アリスさん。少し時間ありますよね? 何か食べに行きませんか?」
「そうですね、行きましょうか」
敵情視察も大事だ。
飲食系は基本、校舎内ではなく屋外に集まっている。うちのような喫茶店系は例外だが、その筆頭である料理部と芽愛は仲が微妙だ。
ということで、校門前に移動した俺達は、高等部と中等部の制服が入り乱れている光景に目を奪われた。
「結構人いますね」
若干素の出かかった様子で言う芽愛に「はい」と頷く。みんな、本番は明日だと理解しているので、今日のうちに羽を伸ばそうとしているのかもしれない。
全部のクラスがうちのように手間のかかる出し物をしているわけでもない。展示系なら案内役に二人くらい残して他は自由時間というのもありえる。
逆に飲食系などの手間がかかる出し物をしているところは割とガチなところ。明日のための練習も兼ねて元気に活動している。
「アリスさんは何か気になるものありますか?」
「そうですね……」
これが縁日なら真っ先にじゃがバターをチェックするのだが、生憎、文化祭のパンフを見る限り存在しなさそうだ。
やってるのが女子なので甘味が多い。
となるとあんず飴とか……? って、それも見当たらない。ならば、
「あ、チョコバナナを食べてみたいです」
「いいですね」
一人一本ずつ購入してさっそく口に運んでみる。
半分にカットしたバナナをチョコレートでコーディングし、カラフルなフレーバーをまぶした甘味。これもまた縁日の定番だ。
バナナとチョコ、種類の違う甘さのダブルパンチに、トッピングの舌触りがアクセントを加え──俺は小さく呻りながら「そうそうこれこれ」という思いを抱いた。
隣の少女はというと、
「うん、美味しいですね」
芽愛さん、「私が作った方が美味しいけど」って思ってますよね?
一応フォローしておこうと、俺は「でも」と言って、
「お昼にはまだ間があるので、これくらいがちょうどいいと思います」
「ふふっ。確かにそうですね」
くすりと笑った芽愛は、気を良くしたのかぱくぱくとチョコバナナを食べきった。
「それじゃあ、次は……あ、あのミニドーナツなんてどうです?」
「あ、美味しそうです」
冷静に考えると「お腹減ってないんじゃなかったのか」という話なのだが、甘味の誘惑に俺はあっさり思考を放棄した。
男の頃なら胸やけしていそうな連続甘味も今なら美味しく食べられる。女子の身体さまさまである。
サーターアンダギー風のミニドーナツを一袋買って芽愛と分けた後、更にクレープを平らげてから、俺は交代に備えるために来た道を戻った。
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