聖女、豚退治をする(後編)

「……むう。これは死んだかもしれんな」

「縁起でもないこと言ってんじゃないわよ!?」


 いつになく弱気で呟いた教授に、朱華がすかさず声を上げた。

 しかし、言いたくなる気持ちもわかる。

 二百か三百か、はたまたそれ以上かのオークを殲滅した後の俺達は、シルビア謹製の回復ポーションを飲み干し多少元気になったものの、それでもかなり疲労した状態。


 対するボスオーク(仮)は傷ひとつない状態。

 筋力量やリーチの差から言って接近戦などできるわけがないし、巨体の分だけ防御力、耐久力も他のオークより高いはず。

 逃げるにしても歩幅が違う。果たして森の入り口までたどり着けるものか。


 判断に費やせる時間はせいぜい一分。


「……ええい、仕方あるまい!」


 数秒の後に首を振った教授は全員に向けて指示を出した。


「シルビア、回復ポーションの残りを全員に配れ! アリス、ノワールは残りの魔法と弾をとにかく奴に叩き込め! せめて消耗させねば逃げることもできん! 朱華、いざとなったら吾輩と一緒に攪乱に回るぞ!」

「了解。ま、しゃーないわね」


 結論は、抗戦。

 他に方法がないための消去法と言っていいが、誰も文句は言わなかった。

 戦わなければやられる。あるいは、死ぬより辛い目に遭わされるのが予想できたからだ。

 朱華が、お団子がほどけて乱れた髪を払いながら笑う。


「とりあえず、後で突っ込まれないように股間のアレだけでも千切っときましょうか」

「朱華さんも、自分からエロい方向に持って行かないでくださいね?」


 ツッコミを入れつつ、俺は残った力を集中させていく。

 ポーションのお陰で眠気は吹き飛んだ。棒のようだった足もちゃんと動いてくれそうだが、回復プラス、疲れを一時的に忘れさせられているからだ。

 後から反動が来るだろうし、多少なりともインターバルを置かないと二本目の服用はできない。


「……別に、倒してしまっても問題ないのですよね?」


 ノワールは拳銃をホルスターに収納すると、背負っていたマシンガン(系の何か)を手にした。

 流れ弾を避けるために温存していたのだろうが、敵が一匹だけなら危険は少ない。


「ノワールさん、それ負けフラグだよ。……まあ、倒しちゃった方が楽なのは賛成だけど」


 ぽいぽいと残ったポーションを整理・分配しながらシルビアが言って。


「行きましょう!」


 ゆっくりと、しかし確実に近づいてくるボスを相手に──開戦した。








「──ォォォォォォォォォォ!!」


 びりびりと空気が震える。

 俺達に抗戦の意思があるのを見て取ったボスオークは、手にした剣をしっかり握り直すと、ひときわ強く地面を踏みしめた。

 足場の振動にたたらを踏む俺、朱華、シルビア、教授。

 しかし、幅広い戦場で問題なく戦えるよう訓練されたノワールは、ふらつくこともなく迅速に駆けた。


 向かって左側へ回り込むようにしながら、マシンガンのトリガーを引く。

 叩きつけるような轟音が断続的に響き、無数の弾が飛ぶ。


 ボスオークは足を止め、振り返ると大きく剣を振るった。

 巨大な金属の塊が銃弾の幾らかを弾き飛ばす。更に、残りの弾も空気の乱れによって勢いを失うか、あるいは軌道を逸らされた。

 数十、数百の矢の雨に匹敵する攻撃を剣の一振りで。

 奴が一騎当千の力を持っていることは今の流れだけでも十分にわかった。


 ただし、マシンガンは弓矢と違い、矢をつがえる時間も射手が位置を交換する時間も存在しない。

 風の収まった後、ボスが剣を引き戻す前にも弾は容赦なく降り注いだ。


 腕に、足に、胴体に。

 次々と着弾していく弾。無数の殴打に等しい衝撃。それが全身を襲えば、いわゆるノックバック効果だって相当なものになる。

 これなら。

 相手に何もさせずに重傷を負わせられるのでは、と思った俺は、ボスオークに命中した銃弾が次々とのを見た。

 効いていないわけではない。

 無数の打撃痕のようなものは残っているし、ボス自身も怒りの声を上げたが──奴の身体が持つ防御力によって弾の貫通は妨げられた。


 人間なら、十発も食らえば死ねる攻撃だろうに。


「《聖光ホーリーライト》!」


 銃弾が降り注ぐ中、再び剣が構えられるのを見た俺は、右回りに走りながら聖なる光を解き放った。

 光は相手の顔あたりに着弾。大きな目の片方がぎょろりとこっちを向く。


「《聖光》! 《聖光》!」


 本能的な恐怖を振り払うように魔法を連発。

 雑魚ならとっくに倒れているダメージを受けても、ボスオークは当然のようにぴんぴんしている。

 奴は「どっちを狙おうか」とでも言うように俺とノワールを睨んで──剣を手近な地面へ思い切り叩きつけた。


「……くっ」

「っ」


 先程よりも大きな揺れに、さすがのノワールも銃撃を中断。

 そして俺は、立っていることができず、その場に尻もちをついた。

 膝が笑って言うことを聞かない。


「──でも、構いません!」


 《聖光連撃ホーリー・ファランクス》。

 全力全開。全身全霊。ギリギリの状態からつもりで先に小技を連打したので、これで打ち止めのつもりの大魔法。

 《聖光》と同等の光が次々にボスオークへと着弾。周囲を明るく照らしながら、敵に苦痛の悲鳴を上げさせた。

 光が収まる。

 剣が持ち上げられ、ボスの視線がこっちに。


 そこへ。


「ふっ。正面をガン無視とはいい度胸ではないか!」

「食らいなさい!」

「在庫ありったけだよ!」


 教授、朱華、シルビアから次々と試験管が飛んだ。

 相手がでかいのをいいことに「当たればヨシ」とばかりに飛距離優先、コントロールは二の次で放たれたそれらは、容器が割れて空気に触れるなり

 次々に響く爆音。

 生まれた熱と衝撃は手榴弾のそれにも匹敵する──と。


「ちょうどいいので、便乗しましょう」


 本物の手榴弾がまとめて三つ、ノワールの手から投げ放たれた。

 一秒あるかないかの間。

 宙を飛んだそれらは狙い違わず命中し、再度、強烈な爆音。

 いい加減耳がやばい状態になっているのを感じながら、俺は二本目のポーションを開栓しつつ、立ち込めた煙の先を注視して。


 べしゃ。


「……え?」


 俺のすぐ脇に、俺がすっぽり埋もれる量の土が叩きつけられた。

 ボスが、空いている手で投げたのだ。

 当たらなかったのはただの幸運。


「ガァァァァァァァァァァァッッ!!」


 ボスオーク、なおも健在。

 全身に火傷をつくり、見るからにボロボロになりながらも、しっかりと立っている。

 どんな頑丈さだ。

 こいつなら不死鳥と一騎打ちできるんじゃないだろうか。


 手が震える。両手で容器を支えて少しずつ口に流し込みながら「逃げないと」と本能的に思う。足は手よりもずっとがくがく震えていてどうしようもない。


「死んでくださいっ!」


 悲鳴のようなノワールの声。銃撃が再開。しかし、都合よくすぐに相手が死んでくれるわけではない。

 剣が、大きく振りかぶられる。

 斬撃? 違う。投げる気だ。標的は──僅かに迷った後で、こちらを向いた。

 逃げられない人間から狙う、か。


「駄目えええぇぇぇっっ!!」


 果たして、それは誰の悲鳴だったのか。

 時間の流れがスローモーションのように感じられる中、俺は柔らかいものに抱きしめられた。シルビアだ。俺を抱きあげるようにして持ち上げようとしている。


「このデカブツが! 我が魔導書の錆にしてくれるっ!」


 大声を上げながら駆けた教授が本を投げつけ、ボスオークの腹に一撃を入れる。

 お返しの攻撃は無造作な蹴り。もろに喰らった小さな身体は何メートルも吹き飛んでバウンド、動かなくなる。


 そして、剣が。


「──なんとかしなさい、アリス!」


 直前、無茶な指示。

 なんとかってなんだよ、と思いながら、俺は空になったポーション容器を捨てて右手を持ち上げる。左手はロザリオへ。握る力がないので触れるだけで。


「《聖光》」


 光が、敵の顔面へ。

 直後にはとんでもない衝撃が来た。思考が揺れて何もわからなくなる。剣が投擲されたのだ。これは死んだ。シルビアまで巻き込んでしまったのは申し訳ない……と思いながら、俺は反射的に瞑っていた目を開ける。

 剣は、俺とシルビアのいるすぐ脇に突き刺さったらしい。

 抱き合った状態で二人まとめて吹き飛ばされたものの、鈍器のような刃に傷つけられることはなかった。俺はシルビアの身体をクッションにして倒れた状態。


 首だけを動かして敵を見ると。


 チャイナドレスを着た紅の髪の少女が、丸腰になったとはいえ太い四肢を備えた魔物のすぐ前に立っていた。

 両手で握っているのは──ノワールのコンバットナイフ?

 いつ渡したのか。いや、そもそも別の一本なのか。太腿あたりに鞘ごと留めておけば邪魔にはならない。慣れてなくても最後の手段にはなる。

 最後の手段。


「……よくもやってくれたじゃない」


 ナイフが深く、ボスオークの足に突き立てられる。

 敵が万全なら刃は通らなかったかもしれない。さんざんみんなで攻撃して傷をつけたお陰だ。剣を投げるという大技の直後、敵の意識が逸れた時を狙った荒業でもある。

 気づいたボスは足を振って朱華を離そうとするも、少女はナイフの柄を握ったまましがみつく。


「あたしの発火能力パイロキネシスって面倒なのよね。遠くなれば遠くなるほど効率が落ちるし、可燃物がないと大した火にならないし」


 その呟きが何を意味するのかといえば。


「でもね。あんた、さんざん爆発喰らって身体あったまってるじゃない? しかも、こうやって近くにいて──体内に直接力を注ぎこめるなら、話は別になるのよっ!」


 すぐには、目に見える変化は起こらなかった。

 ただ、ボスオークは一瞬ぴたりと動きを止めた。止めてから、今までに一番の絶叫を上げた。


「グォアアアアアアアアアァァァァァァッッ!!!」


 蹴りでは埒が明かないと察したのか、腕が直接、少女の身体を掴み上げにくる。


「──させません」


 太く大きな指で掴まれそうになる直前、朱華を救出したのは白と黒のシルエット──ノワールだった。彼女は朱華を抱きかかえるなり全速で離脱。

 後を追おうとしたボスオークが硬直し、その全身が炎に包まれた。


 俺が認識できたのはここまで。

 疲労がとうとう限界に達したのか、意識は「待った」をかける間もなく深い闇へと落ちていった。








「ん……っ」


 目が覚めたら朝だった。

 外で小鳥が鳴く声を聞きながらうっすらと目を開ける。気分はすっきりしている。風邪を引いていたり、ということはなさそうだ。

 寝ていたのはシェアハウスの自分の部屋、使い慣れたベッドの上。服はきちんとパジャマに着替えさせられている。

 寝落ちというか気絶というかをした俺はそのまま運ばれて帰ってきたらしい。


 身体を動かそうとすると、反応が鈍い。

 疲れはある程度取れていると思うのだが、なんというか、そもそもエネルギーが足りていない感覚。夕食は食べていたとはいえ、あれだけ動けばそれはそうかもしれない。


「っていうか、身体も洗ってもらったのかな」


 身体には泥汚れなどは全くみられない。

 おそらくノワールがしてくれたのだろうが……さすがに気恥ずかしいような。意識が完全にない状態というのは格別である。それならまだ一緒に風呂に入る方がマシだ。

 お礼がてら何か食べ物をもらおうと思いつつベッドを下りて、ケーブルに接続された状態のスマホを手に取る。

 食事とシャワーとお祈りの順番をどうしようか考えながらスリープを解除し──俺は、表示された日付と曜日に目を見開いた。


「……月曜日!? 七時四十分!?」


 一晩ぐっすりどころか、丸一日以上眠っていたらしい。

 それは気分もすっきりするし、お腹も空くはずだ……と納得しつつ、今からルーチンをこなして間に合うものか? と頭の中で計算する。

 うん、全力出してギリギリ。

 とりあえずお腹に何か入れようと部屋を出て、階下にあるリビングへと急ぐ。時間がないので早足で。


「あ」


 残り三分の一くらいのところで足が滑った。

 どがべしゃ。

 高度の割に結構いい音で落下。鼻が痛いと思いながら顔を上げると、


「アリスさま!?」


 リビングから飛び出してきたノワールが血相を変えて駆け寄ってきて、


「……ねえ、アリス? やっと起きたと思ったらあんた、何やってるわけ?」


 珍しく本気で怒ってるっぽい朱華が、やたらと怖い笑顔を浮かべていた。


「あの、その。急げば学校に間に合うかな、と」

「休みなさい」

「え、でも」

「駄目です」

「……はい」


 二人がかりで止められた俺はしゅんとしながら、微妙に体調がいい(でも万全ではない)状態で学校を休むという、微妙にどうしていいかわからない一日を過ごすことを決めた。

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