聖女、デートする(後編)

「さて、お腹もいっぱいになったし、どうしよっか?」

「そうですね……。服もある程度買い込みましたし、特に必要な買い物はないんですが」


 大満足でラーメン屋を離れた俺達。

 駅の方に歩きながらそんな風に話していると、朱華はおもむろにスマホを取り出して、


「あ。あれの新刊もう出てるんだ」


 どうやらラノベ・マンガの刊行情報をチェックしていたらしい。


「ねえ、アリス。ちょっとショップ寄っていい?」


 結局行くんじゃないか、とはわざわざ言わない。

 俺は軽く「いいですよ」と頷いて、少し離れたところにある店へ向かった。







 到着したのは「いかにも」な雰囲気の店。

 外観は配色だけなら今時珍しくもないのだが、壁やガラスに貼り出されたポスターや立てられたのぼりは独特。これだけ自己主張していれば一般客が間違って入ってきたりはしないだろうし、ある意味ちょうどいいのかもしれない。

 この店で取り扱っているのはアニメグッズにマンガ・ラノベ・ゲームなど。

 その手の趣味アイテムを一通り取り扱っている、いわば専門店的なところである。


「こういう店って案外貴重よね」

「大きい書店でも、ラノベやマンガに力を入れてないところとかありますもんね……」


 今だと書店で探さなくてもネット通販で買えるわけだが、出先でふらっと寄って買い物ができないのもそれはそれで不便だ。


「じゃ、行きましょうか」

「はい」


 店の外観に全く臆する様子がない──それどころか水を得た魚のような朱華に続いて自動ドアを通り抜ける。

 思えば、こういうところに来るのは初めてだ。

 さっきもちらっと言ったが、俺は主に普通の書店を利用していた。専門店でグッズを集めるほどどっぷり嵌まっていたわけではなかったし、近くにこういう店がなかったからだ。


「へえ、こんなふうになってるんですね……」


 しみじみ呟くと、朱華がちらりと振り返って笑った。


「別に普通でしょ?」

「そうですね」


 雰囲気としてはチェーン店のゲーム屋に近い。

 派手な表紙やパッケージの商品が並び、デモ映像はアニメ中心。店内を流れる音楽はアニメのOPやEDメインと、ある意味統一感がある。

 下手にお洒落感を出されるよりは落ち着くかもしれない。


「あたしも久しぶりに来たかも。さすがに友達とは来づらいし」

「私はいいんですか?」

「あんたはあたしの趣味全部知ってるじゃない」


 確かに、部屋にも何度か入っているのでその辺りは把握済みだ。


 と、不意に視線を感じた。

 店員さんやお客さんがこっちをちらちら見ている。どうやらここでも目立っているらしい。


「あれ、すごくね?」

「ああ。……コスプレか?」

「地毛だろ。めっちゃ日本語上手いけど」


 なんか恥ずかしいので、俺は慌てて朱華の服を引っ張った。


「朱華さん。早く回りましょう」

「ん、おっけ。じゃ、後は適当に」

「え」


 置いていかれた。

 一緒に奥へ行こう、というつもりだったのだが──朱華は一人ですたすたとラノベコーナーに向かっていく。

 あれだ。解散して各自適当に興味あるコーナーを巡り、買いたいものを買ったら流れで合流するという、ある意味合理的なスタイル。

 男友達と本屋に行くとだいたいこんな感じだ。雑誌を立ち読みする奴がいたり、迷わずマンガの新刊コーナーに行くやつがいたり、興味ないのに専門書を物色する奴がいたり。


「……いや、いいんですけど」


 せっかくなので俺も適当に見て回ることにした。


 最近の新作ゲームをチェックして「今ってこうなってるのか」と浦島太郎のような感想を抱いたり。

 マンガコーナーで印刷された金髪美少女と目が合い、あらためて自分の髪色に苦笑したり。

 比較的一般人向けっぽいラノベを二、三種類、一巻だけカゴに入れてみたり。


 周りの客のことはなるべく意識しないよう努めつつ、気の向くままふらふらと回った。

 そのうちに目が行ったのは上階への案内表示。

 上の階は乙女ゲーム、BL、ティーンラブ等々、主に女性向けの商品を取り扱っているらしい。すごいラインナップだな……と頬をひくつかせながら、俺はとある表示に目を留めた。

 『コスプレ用品もあります』。


「むう……」


 若干、心惹かれる。

 しかし、上階への階段およびエレベーターからは圧を感じる。ゲームで言うと侵入前に警告メッセージが出る類だ。

 と。


「上行くなら、会計済ませてからにしなさいよ」


 ぽん、と、朱華に肩を叩かれた。

 振り返った俺は苦笑して、


「いえ、私が行くのは場違いかな、と思っていただけで」

「は? 何が場違いだって?」


 首の十字架を持ち上げられた俺は「……あー」と目を細めた。そういえば、今の俺は上にいた方がまだ馴染むのか。その、色んな意味で。


「……とりあえず会計してきます」

「んー」


 その後、朱華と二人で上も見て回ったものの、店に置かれているコスプレ衣装には食指が動かなかった。


「買わないの?」

「いえ、その。値段はお手頃なんですが、質も値段相応かな、と」


 安物では満足できない。

 どうやらいつの間にか、ノワールの基準に慣らされてしまっているらしい。







「ここまで来たら、駅戻るのは帰る時でいいわよね」

「そうですね。後一件くらい寄って帰りましょうか」


 結構色々やった気がするが、時刻はまだ十四時を回ったところ。

 遊ぼうと思えばまだまだ遊べる時間である。

 候補に挙がっていたカラオケか、あるいはどこかで甘いものでも食べるか、マンガ喫茶にでも入って買った本を読むという手もあるが──。


「あ。どうせならあそこに行きませんか?」

「あそこ?」

「はい。ノワールさんも喜ぶんじゃないかと」

「ああ。いいわよ、せっかく来たんだしね」


 というわけで、件のメイド喫茶へ移動した。


「あんた経験あんの?」

「ないですよ。朱華さんは?」

「ないわよ。生身の人間にお金使えるほど余裕なかったし」


 裕福ではなかったという意味か、それとも散財が激しすぎたのか。

 しばらく歩いて辿り着いたのは、


「へー。こっち系かあ」


 レンガ造り風に装飾が施されたシックな外観のお店だった。

 入り口も自動ドアではなく取っ手を引くタイプ。小さなベルが付いているので、中に入ると自然に来客が伝わる仕組みになっている。

 朱華が意外そうに呟いた通り、いわゆる『メイド喫茶』のイメージとは少し違った。


「ちょっと、普通の喫茶店っぽいですね」

「そうね。ここらへんは別に激戦区でもなんでもないから逆になのかな」


 競合店がないのでコテコテアピールしなくても客の奪い合いは起こりにくい。

 だったら逆に一般客でも入りやすい店の方がいいかもしれない。


「写真撮っても大丈夫でしょうか」

「人の顔が写らなきゃ平気だと思うけど」


 ならばと、店の外観を何枚かスマホに収めてからドアを引いた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 甘ったるい高い声ではなく、恭しく落ち着いた声音。

 俺達を出迎えてくれたのは、ブラウンを基調とした店内にもマッチする、清楚な黒のロングメイド服。纏っている女性にもどことなく品が感じられる。

 目が合うと、彼女はにこりと優しく微笑んでくれた。


「こちらへどうぞ」


 通された席へ朱華と二人腰かけて、ほう、とため息をつく。

 店内を流れるのは落ち着いたクラシック。

 お客さんも見るからにメイド目当てって感じの人ばかりではなくて、普通に寛ぎに来たっぽい人やカップルっぽいペアもいる。


「……うちにノワールさんがいなかったら常連になってたかも」

「ちょっとわかります……」


 想像以上の拘りっぷりである。

 実は、現代社会には結構な数のメイド好きが紛れていて、ノワールの趣味もそんなに珍しいものじゃなかったりとかするんだろうか……?

 少なくとも、この店の制服はさっき見たコスプレ衣装よりずっと質が良いし、店員さん自身も楽しんでいる雰囲気がある。


 メニューは飲み物類と軽食、それからデザートといったところ。

 値段は正直、高めの設定だった。場代と人件費が主な理由だろうが、この店なら「やってくれる」んじゃないかと若干期待もしてしまう。

 俺は若干悩んでからレモンティーとチーズケーキを注文。朱華はアイスコーヒーとナポリタンを頼んだ。


「朱華さん? 甘い物食べるんじゃなかったんですか……?」

「だって、喫茶店に来たらナポリタン食べたくなるじゃない」


 そんな理由か。


「気持ちはわかりますけど、カレーという手もあるんじゃないかと」

「アリスがそっち頼んでくれれば両方食べられたのに」

「私のせいですか……?」


 興味はあるが、夕食に響くのでさすがに無理だ。


「お待たせいたしました」

「わ……!」


 思った通り、運ばれてきた品は見た目からして美味しそうだった。


「あの、お店の中を撮っても大丈夫ですか?」

「他の方の迷惑にならないように配慮していただければ構いませんよ」

「ありがとうございます」


 せっかくなので店内のインテリアや料理なども撮影させてもらう。メイド好きなノワールのことなのできっと喜んでくれるに違いない。それとも案外、この店もチェック済みだったりするのだろうか。


「はい、アリス。あーんしなさい」

「くれるんですか? じゃあ……」


 小さく巻き取ったナポリタンを朱華が差し出してくれたので、口を開いて受け取る。

 具材は輪切りのウインナーに玉ねぎ、ピーマン。口に入れると、ややもちっとしたパスタと具材の食感、トマトの酸味、たっぷりかけられた粉チーズの味わいがいっぺんに広がる。


「美味しいですね、これ」

「なかなかやるわね。ウインナー使ってるあたりとかポイント高いわ。ベーコンで意識高いアピールするとか、ナポリタンには必要ないのよ」

「こういうのでいいんだよってやつですか」


 何かの役に立つかもしれないし覚えておこう。

 朱華の台詞に頷きつつレモンティーを口にする。ふわりと鼻を抜ける香りが心地いい。チーズケーキを小さく切って口に入れると、こちらも程よい甘さと酸味がたまらない。


「そういえば、あんたがチーズケーキって珍しい?」

「杏仁豆腐も食べたので甘さ控えめのケーキにしてみたんですが、今日はチーズ多めになっちゃいましたね」


 まあ、美味しいから問題はない。


「……うーん。このケーキはさすがに真似できませんよね」

「中学生の文化祭でこのクオリティは無理でしょ。できたとしても馬鹿みたいな値段設定になるわよ」

「ですよね」


 ドリンクに関しては水出し紅茶をメインに据えるつもりでいる。作り置きが可能だし、市販のティーバッグを使うよりは本格的な味になるだろう。

 季節的にホットが好まれそうなことと、そのホットはティーバッグを使うしかないのが難しいところだ。


「あ、チーズケーキ一口残しといてね」

「もちろんです。だからゆっくり食べてくださいね」


 ナポリタンを完食し、コーヒーで喉を潤した朱華に「あーん」をやり返してやった。








「なんだかんだ結構遊んだわねー」

「そうですね。カラオケは行けませんでしたけど」

「いいわよ別に。あれは他の友達とも行けるし」

「でもアニソン歌えませんよ?」

「日曜だと部屋埋まってて、使いたい機種が使えなかったりもするから微妙なのよね……」

「ああ、そういうのもありましたね」


 メイド喫茶を後にしたら、後は駅を目指すだけだ。

 今から移動すれば帰る頃にはちょうどいい時間になっているだろう。着替えて荷物を片付けたら風呂の時間。上がって少しのんびりしたら夕食である。

 文化祭の準備も本格的になってくるはずなので気合いを入れないといけない。


「……あ、例のバイトももうすぐなんですね」

「そうね。っていうか、そのためにあんたを誘ったんだし」


 バイトまでに少しでも体質改善できれば楽になる、ということだ。


「効果、あったんですかね?」

「……どうだろ。何も起こってないんだから効果あったんだろうけど、何も起こってないからよくわからないのよね」

「ですよね」


 ゲームと違って成否が表示されるわけではない。

 そもそも、デートと言っても買い物して駄弁って美味しいもの食べただけだし。百合を演出するという目的を果たせかも微妙だ。

 すると朱華はくすりと笑って、


「まあ、いいわよ。一回で体質改善できるとも思ってないし。楽しかったから」

「……朱華さん」

「また暇があったら付き合ってくれる、アリス?」

「はい」


 もちろんです、と、俺は続けようとして、


「ね、そこの二人。これから暇ある?」


 チャラい感じの男二人組に後ろから声をかけられた。

 狙う気満々なのか。朱華に「逃げましょう」と呼びかけようとした時には男の片方が回り込んで行く手を塞いでいた。


「良かったらカラオケでも行って、その後ご飯でもどう?」


 男達の視線はどうやら朱華の方に偏っている。ぱっと見、高校生くらいには余裕で見える容姿なので当然だが、もしかすると体質のせいもあるかもしれない。

 最後の最後でこれとはついてない。

 朱華は、ふん、と鼻で笑って、


「悪いけど、もう帰るところだったから」

「まあそう言わずにさ」

「俺達車持ってっから、なんなら帰り送ってあげるし」


 穏便には終わりそうにない。

 俺は片手で十字架を握りしめるとチャラい男達を見上げて、


「ん?」

「あ?」

「《沈静化サニティ》」


 小さな光を包み、消える。

 何が起こったのか、という顔できょとんとする奴らに「ソーリィ」と下手な英語で微笑みかけ、念のために鞄に入れていた防犯ブザーを示すと、俺は朱華の手を引いてその場を離れた。

 ナンパ男達は幸い、追ってはこなかった。

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