聖女、初デートを終える

「ありがとね、アリス。あんたのお陰で助かったわ」


 帰りの電車に乗るまで、特別なことは何も起きなかった。

 朱華が小さく囁いてきたのは、隣り合って座り、電車が動きだした後だった。


「あんたに付き合ってもらって正解だったかも」

「別に、大したことじゃありません」


 俺は首を振って答える。


 あの時使ったのは《沈静化サニティ》という魔法だ。

 名前通り、対象を落ち着かせる効果がある。あのチャラ男達の場合は「エロイことをしたい」という欲求を失ったせいでナンパを続けられなくなったわけだ。

 ゲームだと一部状態異常を回復するくらいで物凄く地味だったが、取っておいて良かった。


 ただ、あの魔法でできるのはあくまで気持ちを落ち着かせることだけ。

 冷静なまま人を騙すようなタイプには効果がないので、あいつらがごく一般的なチャラ男で良かった。


「人通りもそれなりにありましたし、大声出すだけでも助かったんじゃないかと」

「まあそうだけど、一歩間違ったら暴力沙汰だったし」

「いや、しないでくださいね?」


 往来で人体発火現象とか、下手すれば新聞の一面に載ってしまう。

 朱華が燃やすくらいなら《聖光ホーリーライト》でぶっ飛ばす方がまだ目立たないだろう。


「もちろんそれは最後の手段よ。でも、ガチで危ないやつだったらそれくらいしないと逃げられなかったかも」

「どんな世紀末世界ですか」


 俺のツッコミへの返答はすぐには訪れなかった。

 朱華が答えてくれたのは電車を降りて話がしやすくなった後のことだ。


「前にもちらっと言ったでしょ? エロゲ時空ってのはその辺のチンピラが超能力封じとか違法改造スタンガンとか、ヤバいドラッグとか普通に持ち出してくるのよ」

「普通の相手で良かったですね……」


 しみじみ言えば、朱華は何故か優しげな笑みを浮かべて、


「だから、あんたのお陰よ。百合体質さまさまって感じ?」

「いえ、あのゲームはごく普通のファンタジーであって、百合ゲーじゃないですからね?」

「はいはい、そうね。女の子主人公で女の子とエンディング迎えられるだけよね」

「……恋愛エンドはごく一部のキャラだけですし。他は普通に友情エンドですし」


 俺達のデート(?)は、終わってみれば普通に楽しく幕を下ろしたのだった。


 帰った後、ノワールがにこにこしながら土産話をねだってきたり、シルビアが俺達からシャンプーの匂いがしないかしきりに嗅いできたり、教授が「若いというのはいいことだ」とよくわからないことを言いだしたりしたのはまた別の話である。







「冬服にもだいぶ慣れてきましたね……」


 月曜日。

 俺はいつもの荷物の他に、買い出しで調達した物資を持って登校することになった。

 文化祭の衣装担当は縫子ほうこだが、彼女一人に生地を「どん!」と任せる、なんていうことはもちろんできない。分担しないと持てない量だったのだから分担して運ぶしかないということで、俺と芽愛めい鈴香すずかも含めた四人で分けたのだ。


 制服は十月の頭から移行期間を経て冬服へ変わっている。

 深い臙脂色のブレザーに黒のスカート。校則で定められたスカート丈は今時の学校としては少し長め。

 夏服は他の学校と大差なかったが、冬服は「お嬢様学校」感がぐっと強いデザインだ。初登校の日に間違って身に着けて以来、初めて着た時はそれだけで気後れしてしまいそうになったものの、毎日着て、同じ制服姿の中に身を置いているとさすがに慣れてくる。


「アリスちゃんは中等部の制服、半年くらいしか着られないんだからちょっと勿体ないよねえ」


 隣を歩くシルビアの格好──高等部の制服は白いブレザーだ。清楚さ、エレガントさで言えば中等部の制服とかなりいい勝負をしている。順当に行けばそれを俺達も着ることになる。

 全校生徒の中でトップクラスに制服が似合っているだろうシルビアに負けず劣らず、臙脂色の制服を着こなした朱華は紅の髪を揺らしながら肩を竦めて、


「写真付きで売ったらもと取れるんじゃない?」

「駄目だよ朱華ちゃん。高等部行ってる間にバレたら何かしらお仕置きされるよ」

「む。じゃあ高等部卒業してから……って、それだとプレミア分が微妙になりそうね」


 そういう問題か……?







「あ、おはようアリスちゃん」

「おはようございます、みなさん」


 教室に着くと、室内がいつもより賑わっていた。

 俺達は(主に朱華とシルビアが原因で)かなりゆっくりめの登校になることが多いのだが、それでも、登校している生徒がいつもより多く感じる。

 しかも、ほとんどみんな既に鞄を置いて歓談中。紙とペンを持っているグループや、食べ物の名前を次々挙げているグループもある。


「すっかり文化祭ムードね」

「いよいよ、って感じですね」


 高まり始めたお祭りムードにわくわくしながら鞄を置くと、俺のところにも何人かの生徒が集まってきた。


「ね、アリスちゃん。それが買ってきた生地でしょ?」

「見せて見せてー」

「はい、どうぞ」


 芽愛達の姿も既にあるので、彼女達の分と中身は大差ないが、おそらく、生地の確認を口実にして盛り上がりたいのだろう。

 実際、少女達は取り出した生地を広げ、触ったり撫でたりしながら明るい声を上げ始める。


「あ、手触りいいかも」

「いくらぐらいしたの?」

「えっとですね……」


 縫子が吟味した生地なので、値段の割に質が良いもののはずだ。

 俺には目利きができないし、嘘をついても仕方ないので素直に答えていると、


「縫う前に汚さないようにしてくださいね」

「安芸さん。おはようございます」

「おはようございます、アリスさん。持ってきていただいてすみません」

「いえ。私はそのためにお手伝いに行ったので」


 縫子がやってきて、女子達に釘を刺しつつ挨拶してくれた。

 いつも通りのポーカーフェイス──というか、素の表情のまま、彼女は声音だけをかすかに弾ませて、


「今日から衣装作りを始めるので、頑張りましょう」

「はい。ご指導お願いします」


 頭を下げて答えると、少女の唇の端が笑みの形に歪んだ。

 去っていく縫子を見送る俺の肩をクラスメートの一人がつんつんと突いて、


「ね、アリスちゃん? 安芸さん、ちょっと怖くなかった?」

「教え方が容赦なかったりするのかな?」

「えっと、たぶん大丈夫だと思いますが……」


 結論から言うと、若干大丈夫ではなかった。







「私の方であらかじめ、ある程度の準備は済ませてきました」


 朝のHRが終わった後、縫子は担任に代わって壇上へ進むと、おもむろに宣言した。


 具体的に縫子が準備してきたのは型紙のコピー(数人分)。そして同じく数人分の裁断された生地。自分が持ち帰った分を使ったらしい。

 裁縫道具は家庭科の授業のために購入したものがあるのでみんな持っている。


「早い者勝ちですが、使いたい方はこれを使ってください」

「……なるほど。これは至れり尽くせりね」


 鈴香が呟いた通り、裁断の終わった生地を使えば時短になる。型紙が複数枚あることも考えれば裁断で手間取る可能性が大きく減るだろう。

 しかし、これが不満な生徒もいたようで、


「安芸さん。私はアレンジしたいんだけど」


 といった声が何人かから上がる。

 これに縫子は頷いて、


「そう思ったのであまり多くは作りませんでした。アレンジする場合は型紙から変えないといけませんし、体型によってサイズも変わりますから」


 縫子が裁断してきた生地はいわゆるMサイズ相当なので、極端に背が高い(あるいは低い)場合や胸が大きい場合などは使えない。

 十着分も二十着分も作っていたら無駄が出かねないところだった。


「型紙ってどうやって作るのー?」

「簡単に言えば、作りたい服の展開図を描きます。私が描いたものを参考にしてください。曲線用の定規も用意してあります。描けたら私がチェックします。何度かはNGが出ると思ってください」

「どうして?」

「裁断に移ってから『型紙が間違っていた』となっても困るからです。生地は余裕を持って用意してありますが、失敗する度に無駄が出ます。足りなくなって買い足すようなことになれば、最悪、他の部分の予算を削らなければいけません」


 内装の予算が削られれば店の雰囲気に関わるし、飲み物や食べ物用の予算を削ればメニューのクオリティ、あるいは提供できる量に影響がある。

 これには裏方担当の生徒が息を呑んだ。

 表情こそ変わらないものの真剣な様子の縫子に、芽愛がくすりと笑みをこぼして、


「安芸さん、燃えていますね」

「当然です。やるからには可愛い衣装を作りたいでしょう?」


 そう。

 縫子だって悪意から言っているわけではない。単に良いものを作りたいだけだ。これには俺だけでなく、クラス内の複数人が「頑張ろう」と頷いて、


「ですから、妥協はしません。真面目にやらない方には容赦なく駄目出しをしますので、そのつもりでいてください」


 何人かから悲鳴が上がった。


「朱華。なんか平然としてるけど、大丈夫?」

「ああ。あたしは自前の着るから裁縫はなしで」

「裏切り者!」


 大過なく衣装作りを終えられるか心配になり始めた俺だった。







「安芸さんが脅かすからどうなることかと思いました」

「すみません、アリスさん。少し熱くなってしまいました」

「ふふっ。アキは表情があまり変わらないからわかりにくいのよね」


 昼食時に愚痴をこぼせば、縫子は若干しゅんとして謝ってくれた。


「大丈夫だよアリスちゃん。こう見えて面倒見はいいんだから」

「はい。少し安心しました」


 ノワールお手製の弁当(バリエーション豊富な上、栄養バランスも整っていて、もちろん美味しい)を口に運びつつ、俺は縫子を安心させるように笑った。


 蓋を開けてみれば、縫子のサポートは手厚かった。

 授業が普通にある以上、使える時間は休み時間の短い間と放課後だけ。実働時間はまだ三十分にも満たないのだが、縫子は休み時間の度にクラス内を飛び回っていた。

 型紙の見方、特殊な形の定規の使い方などなど、あちこちから飛んでくる質問やら悲鳴やらに可能な限り答えるためだ。

 型紙だけ用意して裁断することにした俺は、縫子が持ってきた布の切れ端(裁断で出た余りだ)でちくちく縫い物の練習をしつつ、口の割に優しい縫子に感心していた。


 早めにクラスに戻るため、いつもより早いペースでサンドイッチを食べている縫子は若干照れくさそうに目を逸らして、


「……アリスさんも何かあったら言ってください。協力します」

「はい、ありがとうございます」


 彼女の負担を少しでも減らすためにも、できれば俺は手のかからない生徒でいたいところだった。








「なるほど。それでおうちで作業することになったんですね」

「はい。ノワールさんには迷惑かけてしまうと思うんですが……」


 帰宅次第、事情を説明すると、ノワールは微笑んで首を振った。


「とんでもありません。アリスさまに頼っていただけるなら、わたしはなんだっていたします」


 と、濃い茶色の瞳に悪戯っぽい色が浮かんで、


「本当はその安芸さんだってわたしと同じ気持ちだと思いますが、ここはわたしの役得ということにさせていただきましょう」

「ありがとうございます、ノワールさん」


 本当にノワールは優しくて、しかも頼りになる。

 我がシェアハウスが誇るお姉さんだと思いつつ、口にすると「お姉ちゃんと呼んで」と言われそうなのでぐっと堪えた。

 代わりに軽く頭を下げてから「着替えてきます」とリビングを後にする。

 過ごしやすい部屋着に着替えて戻ってくると、ノワールは俺の置いていった型紙や生地を広げてふんふんと何やら確認していた。


「ノワールさん?」

「ああ、アリスさま。これはよくできていますね。少し感心してしまいました」

「はい。安芸さんは凄いんです」


 縫子がコピーしてきた型紙は、正確に言うと「普通の紙に型紙の各パーツの原寸大で描いたもの」だ。実際にはこの紙を元に厚紙か何かをカットして生地に印をつけるのに使うのだが──その型紙には衣装のデザイン画と、裁断した生地を実際に縫う場合の簡単な順番までが書かれていた。

 ある程度の心得がある人間なら迷わず作業ができそうなレベルだ。

 生憎、俺は授業でしか裁縫をしたことがない人間で、かつ、男子高校生だった頃は大して真面目にやっていなかったので、おっかなびっくりの作業になってしまうのだが。


「いかがいたしましょう、アリスさま。ご用命とあらば明日の朝までに完成させてみせますが」

「すみません、ノワールさん。私の練習も兼ねているので、わからないところだけ手伝ってもらえると助かります」


 危ない。全部ノワールにやってもらって終わりになってしまうところだった。

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