聖女、寸止めされる
森の邪気祓いは約二週間後、十月末の土曜の夜に行うことになった。
施設周辺の人払いに事前告知等がいるため日取りは変更できない。こちらとしても準備できるのは有り難いしそこは了承した。
文化祭が十一月上旬なのでイベント前の景気づけといったところ。
ただ、オーダーメイドの衣装と聖印はどうやっても間に合わない。ああいうのは月単位で待たされるのが普通。アクセサリーとなれば尚更だ。
注文自体はノワール、鈴香、縫子の教えてくれた候補から選んで済ませた。
どこに注文するかは悩んだが、衣装はノワールの利用しているメイド服、ロリータ服、コスプレ衣装の店。アクセサリーの方は縫子が紹介してくれたデザイナーの店にした。
決め手はノワールが会員なのでポイントが付いたり、会員グレードで割引が利くこと。安芸家御用達の店は職人気質な感じで、細部のデザインまで拘ってくれそうだったことだ。
鈴香には「私の負けですか……」と若干拗ねられてしまったが、別にそういうわけではない。今回は聖職者としてのアイテムなので、お嬢様御用達のゴージャスな店は微妙にそぐわなかっただけだ。
なので「ごめんなさい」と丁重に謝ったうえで、下着を注文することにした。
気軽に注文しようとしたところ、ブラだけで軽く万を超える価格設定で、思わず目を擦って確認してしまったが。衣装が割り引かれた分があるので予算的には問題なかった。
「届いたら、大事な時に着ける用にとっておきます」
「あら。でも成長期ですし、胸がきつくなってしまう可能性もあるのでは?」
「う」
俺ことアリシアの身体が正確に中学三年生だったかどうかは神様にしかわからない。
実際には二年生が相応だった可能性が高く、また女子は男子より成長が早いというのが定説だ。これからどんどん成長することもありうる。
ちなみに朱華はゲームのエンディングで未来の姿が描かれたことがあるらしく「順当に行けばワンカップくらいしか上がらないわね」とのこと。いや、ワンカップで十分だと思う。
ノワールは成人だし、シルビアも成長期は終わっている(ぶっちゃけ今より育つ必要もない。特に胸)し、教授は……うん。
「ま、間に合ったら文化祭で着けようと思います」
戦闘に着けていくとダメになるかもしれないし、そもそも激しい運動する時はスポーツブラの方が動きやすいし。
「それがいいと思います」
すっかり上機嫌になった鈴香は「今週末、注文用の採寸も兼ねてうちに来てください」と言ってきた。
「併せてメイド講習会を実施すればちょうどいいかと」
「わかりました。……芽愛さんと安芸さんはどうしますか?」
「やめておきます。衣装のデザインを仕上げたいので」
さっと答えたのは縫子。
彼女はメイド喫茶の制服デザインを任されており、かなり張り切っている。毎日のようにラフスケッチを描いてきてはクラスの意見を受けて微調整を加えている。
安く、作るのも難しくなく、かつ可愛い衣装というのはなかなかに難題らしく、だからこそ燃えているらしい。
同じくお菓子担当の芽愛は「私も……」と言いかけてから「……メイドさんの接客講習」と呟いた。
彼女の反応がお気に召したらしい鈴香はにやりと笑って、
「方向性は違いますが、将来飲食店をするつもりなら役に立つのではないかしら?」
「行く。行きます」
そういうことになった。
「そういえば、アリスさんの注文はメイド服ではなかったんですよね」
「はい。文化祭にはオーダーメイドでは間に合いませんし、メイド服なら持っているので」
「持ってる!?」
「あれ、言ってませんでしたか?」
「聞いていません」
家では周知の事実なので忘れていたかもしれない。
「アリスさん」
「は、はい」
「当日はその服を持ってきて頂いても?」
「……わかりました」
そういうことになった。
なお、縫子はメイド講習会に参加するかどうかあらためて悩みだしたが、結局、鈴香達に写真を送ってもらうという妥協案を取っていた。
「そういえば、朱華さんは文化祭で何を着るんですか?」
衣装のことを考えていたら思い出したので、夜の自由時間に尋ねてみる。
ワイヤレスイヤホンでエロゲをしていた紅髪の少女は片耳からイヤホンを外すと「あー」と呻った。
俺の部屋のカーペットの上に白い素足が投げ出され、スウェット生地の短パン的ボトムスとトップスの間から白い肌と臍が覗く。
「作るのは大変だし買おうかとも思ってたのよね」
「早めに注文しないと間に合いませんよ?」
「ん。今、注文するのも面倒だなって思ったところ」
「朱華さん……」
この人は、とジト目を作ると、紅の瞳が返ってきて、
「いや、待ちなさい。ちゃんとした理由もあるんだってば」
「理由ですか?」
「そ。あたしといったら中華じゃない? ならチャイナドレスでいいわけよ」
「なるほど」
道理である。
俺と言えば神聖魔法であるように、朱華にもチャイナドレスが期待されている。
であればキャライメージに則るのは悪くない手だ。
たとえ「チャイナドレスならいっぱい持ってるし」というものぐさ精神から出た発想だとしても。
「でも、メイド喫茶ですよ?」
「チャイナメイドってジャンルもあんのよ。メイド系の小道具ならノワールさんがいっぱい持ってるでしょ?」
ああ、ノワールなら間違いなく色々持っている。
チャイナドレスにシニョンをつけた朱華へ更にメイド風の装飾を加える……うん、ちょっとした暴力だと思う。男だった頃の俺なら内心喜びつつ「何の店だよ」とツッコミを入れただろう。
当日はタイツか何かで足を隠すようにしてもらおうと強く思う。
「思えば、朱華さんってその髪と肌の白さでチャイナドレスが似合うんだから反則ですよね」
「ラノベとかゲームならよくある話よ。っていうか肌ならあんた達の方が白いし」
「私達は白くなかったら偽物っぽいじゃないですか」
「でも、日本人も同じくらい肌白いのが定番だし、あんたがアジア人並みの肌色だったとしてもおかしくないわよね?」
「確かにそんな気も……?」
首を傾げる俺。
すると朱華はくすりと笑ってカーペットに手をつき、
「なんだかんだ、あたしの話に付き合ってくれるわよねあんた」
「まあ、前は男子の端くれでしたからね……」
別にオタクだったというほどではないが、ラノベやエロゲに忌避感があったわけでもない。
ゲームは趣味だったし、マンガの延長でラノベもいくつか読んでいた。アニメなんて誰しも子供の頃は見ていたわけで、有名どころのアニメくらいは高校生になっても時間があれば見ていた。
「最近は読んでないわけ?」
「最近はもっぱら少女マンガですね」
前に朱華が言っていたように必須教養の類だ。
幸い鈴香達はあまりこの手の話題を出さないが、芽愛は案外少女趣味だし、縫子も服のデザインの参考に読むらしいし、鈴香も「私だって年頃の女の子なんですよ?」とマンガを読むことを告白してくれた。
有名どころくらいは押さえておいて損はなかろうと、朱華が持っていないタイトルをちまちま買って本棚に並べている。
「買えばいいのに。お金はあるでしょ?」
「だって、私が教室でラノベ読んでたら大事件じゃないですか」
しかも「誰からの悪影響だ」という話になった場合、朱華を挙げるしかない。
「そう? 大丈夫じゃない? ジャパニーズカルチャーの勉強です、とか言っておけばみんな納得すると思うけど」
「そんなことは……あるかもしれませんね」
まあ、マンガやゲームの時間が減ったのには、単にそんな暇がなくなった、というのもあるのだが。
女子生活に慣れてくるにつれてヘアケアやスキンケア等々に使う時間は減少傾向にあるし、お祈りするようになってから安眠できることが増えたので睡眠時間は短めでも問題がない。
「ちょっとくらいならいいかも……?」
「よし。とりあえずあたしが持ってるの貸すから、あんたはあたしが持ってないの買いなさい」
いいように使われている気もしたが、彼女の持つ圧倒的量の蔵書が開放されるのは悪くない。
じゃあとりあえず、誰かに見咎められても恥ずかしくないように、と、女子向けレーベルのライトノベルを借りてみた。
タイトルくらいは俺でも聞いたことのある有名作品で、お嬢様学校が舞台のやつだ。マンガも読むが小説の方が好きらしい鈴香からそれとなくオススメされたこともある。
学校でカバーをかけて読んでいたら案の定、クラスメートに見咎められたものの、中身を見せたら普通に微笑ましく受け止められた。
「アリスさんが興味を持ってくださって嬉しいです」
特に鈴香は喜んでくれて、どこまで読んだのかと聞いてきた。
今読んでいる巻と、朱華からキリのいい巻まで借りたことを伝えると、何故かいい笑顔と共に妙なことを言われた。
「ご武運をお祈りします」
意味は割とすぐにわかった。
一気読みすると止まらなくなるからとなるべく少しずつ読んでいたのだが、遂に我慢がきかなくなって夜ふかししつつ読破した夜。
俺は「キリのいいところ」が「最高にキリの悪いところ」であることを知った。
おそらく鈴香もうすうす気づいていたのだろう。
なんということだと天を仰いだ俺は、時計が午前二時をさしているのを承知で「どうせ起きてるだろ」と朱華の部屋に行った。
こういうときに限って彼女は寝ていた。
叩き起こしてでも続きをもぎ取りたい衝動を必死に抑えて眠りについた俺は、翌日の夜になってようやく念願の続きを手にした。
リアルタイムで追っていた人は何ヶ月も待たされたのだから、まったくもって「次巻に続く」とは恐ろしいシステムである。
「アリスさま、昨夜はきちんと眠られましたか?」
「はい、大丈夫です」
休日も、俺はなるべく普段通りに起きるようにしている。
なので予定がある日でも(早朝集合で旅行に行くとかでない限りは)焦ることはない。
シャワーやお祈りを済ませて食卓につくとノワールから心配そうに言われたが、微笑んで頷く。
「あの反省から、本は一日一冊までに決めたので」
二時まで起きていた翌日こそ回復魔法のお世話にならないと我慢できないほど眠かったものの、今日はもう調子が戻っている。
これにノワールは心底ほっとしたのか、にっこりと笑顔を浮かべた。
「安心しました。アリスさまは不規則な生活に慣れていらっしゃいませんから」
「あはは、そうですね……。ライトノベルに嵌まってドロップアウト、なんていうことになったら洒落になりません」
こういうのはえてして感染源より影響を受けた二次感染者の方がどっぷり浸かってしまうものだ。
行き着く先はジャンクフード片手にマンガやラノベ、アニメに明け暮れる生活。そんなことをしていたら神の加護もなくなるに違いない。
更に、金があるからってソシャゲの課金沼にハマったりしたら……。
恐ろしい想像に俺はぶるっと身を震わせた。
「気をつけます」
「そうしてくださいませ。でないとわたし、朱華さまに『お仕置き』してしまいそうです」
「お仕置き……って、例えば?」
「ええと、ソフトなものもありますしハードなものも心得ております。肉体的なものもあれば精神的なものもございます」
怖い。
あの椎名なら喜ぶかもしれないが、普通の人間にとっては普通に拷問に違いない。
ノワールが実行者なのを考えれば新しい扉が開けるのだろうか? いやいや。
「でも、読書も悪いことばかりではないんですよ? お陰でノワールさんの気持ちが少しわかりました」
「? わたしの気持ち、ですか?」
「はい。その本は女子校で、後輩が先輩を『お姉様』って呼ぶんです。恥ずかしいですけど、呼ばれた方は嬉しいんだろうなって」
お姉ちゃんと呼ばれたがったノワールの気持ちもわかるな、と思った。
「では、アリスさま。もう一度呼んでいただけますかっ?」
「恥ずかしいから駄目です」
「いいではありませんか、ね?」
しばし問答を続けた後でノワールは引き下がってくれたものの、あとひと押しされていたら断りきれない、というタイミングだった。
次の機会に伸びただけのような気がしつつも、俺はほっと息を吐いて、
「そうだ。ノワールさんも読んでみませんか、あの本」
「そうですね。寝る前にちょうどいいかもしれません」
こくりと頷いたノワールはにっこりと笑って、
「でも、わたしも一日一冊を心がけないといけませんね?」
これには俺も声を出して笑ってしまった。
「今日は頑張ってきてくださいね、アリスさま」
「はい。頑張ります」
今日は鈴香との約束の日。
食事を終えた俺は準備を整え、友人の家へと出発するのだった。
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