聖女、学ぶ

 最寄り駅から電車に乗り込む。

 土曜日ということもあって、車内はそれなりに混んでいた。

 とはいえ満員電車には程遠いし、今回の目的地は僅か二駅先。俺はドア前に立つと手すりに掴まった。


「おい、あの子」

「あ、可愛い。どこの国の子だろ」


 小さな声が聞こえてきたのは、電車が動き始めたあたりだった。

 誰かが噂されている。

 可愛い外国人とあらばひと目くらいは見ておきたい──なんて、以前の俺だったら思っただろう。

 まだ「可愛い」で終わっていれば振り返る気になったかもしれないが、黒以外の天然の髪は日本だとどうしても珍しい。

 自意識過剰と思われるのも嫌だし、何より恥ずかしいので気づかない振りをする。


 それでも、あるいは「だからこそ」、周囲の人間からの視線はいくつも突き刺さってきた。

 一人だとこんなに気になるものなのか。

 登下校の際は朱華やシルビア、友達が一緒だし、遊びに出た際も誰かがいることが殆どなので、今まではあまり気にならなかった。

 実家に帰省した時は精神状態が特殊だったし……。


 後は、周りを気にする余裕が出てきた、ということかもしれない。

 女物の服やスカートにも慣れてきたので、立ち居振る舞いに割く心理的リソースは減っている。この調子で見られることにも「慣れ」ていければいいのだが。


 などと思いつつ、あっという間に到着。

 改札を抜け、噴水のある駅前ロータリーに出るとすぐ明るい声に呼びかけられた。


「アリスちゃーん!」


 可愛らしくもカジュアルな私服姿の芽愛がこちらへ手を振っている。

 小走りで駆け寄ると、俺は「おはようございます」と挨拶をした。


「おはよ。その荷物がもしかしてアレ?」

「はい。アレです」


 こくりと頷く。

 俺は仰々しくもトランクケース持参。中に入っているのは当然、自前のメイド服である。


「えっと、ここからは迎えに来てもらえるんですよね?」

「うん。鈴香のうちはちょっと微妙な場所にあるから」


 この場合の微妙は駅から遠いということだ。

 寂れた場所というよりは「閑静な住宅街」と呼ぶべき立地。最寄り駅的にも二つの駅のどちらに近いかは微妙なライン。

 移動に自家用車を惜しげもなく使えるお金持ち仕様の家らしい。


「聞くだけですごそうなんですが……」

「実際すごいよ? あ、来たみたい」


 俺達の傍に黒塗りの高級車が停まり、窓が開いて理緒さんが顔を出した。


「お待たせして申し訳ありません。どうぞお乗り下さい」


 車のドアはまるでタクシーのごとく自動で開いた。






「大きい……!」

「だよね? 私も初めて見たときはびっくりしたよ」


 雑談をしながら車に揺られることしばし。

 到着した緋桜家は想像以上のお屋敷だった。

 我らがシェアハウスだって十分贅沢な家だが──「あの別荘」に毎年通う芽愛が驚いたと言うあたりで察して欲しい。

 庭だけで庶民の家がひとつふたつ建ってしまいそうな広さがあり、これならメイドさんも当然必要だよな、と納得してしまった。


 自動で開閉する門を抜け、何台も停められる専用駐車場に車は停まった。


「正門はこちらです」


 案内を受けつつ中に入ると──。


「いらっしゃい、アリスさん。芽愛」


 メイドさんを従えた鈴香が、いかにもお嬢様といった優雅な衣装を纏って出迎えてくれた。

 さすが本物のお金持ち、住む世界が違う。

 呆然としつつメイドさん達の一礼を受け、それに礼を返すと、芽愛が苦笑を浮かべて、


「鈴香。気合い入れ過ぎじゃない? 接客の練習するんでしょ?」


 どうやらこの、ドレスめいたお嬢様ルックが普段着なわけではないらしい。言うならばおもてなし用の普段着といったところか。

 鈴香も動じることなくくすりと笑い、


「私は裏方に徹するわ。必要ならいつでも練習できるし、アリスさんを迎える方が重要でしょう?」

「あー、ずるい。私と違って当日は暇な癖に」


 お菓子担当の芽愛には当日も盛り付け等々の大事な役目がある。俺も本番が一番の出番だが、後の二人は当日暇な部類に入る。

 とはいえ、家の使用人に通常業務以外を課す時点でコストはかかっているはず。好きでプロメイドをしているノワールが特殊なわけで、あまり無茶も言えない。

 俺は笑顔を作ると鈴香に尋ねた。


「あの。先に着替えてきた方がいいでしょうか?」






 更衣室代わりに貸してもらった部屋は、案内してくれた理緒さんによると「客間」だった。

 俺の自室より広く、家具も一通り揃った部屋はしっかりと掃除されていた。利用機会がそこそこあると同時、まめに手入れされていることがわかる。


「まるでホテルの部屋みたいです」

「ありがとうございます。よろしければ今晩、泊まっていかれても構いませんよ?」

「あはは……。いえ、そこまで遅くはならないと思いますし」


 ならないよな? と不安になりつつ服を脱ぐ。

 芽愛は自前のメイド服がないので私服のまま講習を受けるらしい。

 なので着替えを理緒さんが手伝ってくれた。

 ブラも外してショーツ一枚になったところで下着注文用の採寸も済ませる。


「そういえば、今日は私と芽愛だけなんですね?」

「はい。クラスの皆様への講習会は別途行うそうです。必要な指導レベルが異なりますから」


 いや、俺もみんなと一緒の講習でいいんだが。看板娘だからってみっちり教育するつもりなのか。


「こちらがアリス様のメイド服、ですか」

「はい」


 料理の練習などで使っているノーマルタイプのメイド服ではなく、聖職者要素の入ったシスターメイド服の方だ。

 どうせならこっちの方が俺っぽいだろう、ということで、試着しただけで保管しまままだったこっちを持ってきた。


 シスターと付いてはいるものの、デザインのベースはメイド服。

 スカートがふくらはぎのあたりまであるロングタイプで、エプロン一体型。普通のメイド服あるいはシスター服と違うのは黒と白の割合。

 大体黒白が半分くらいずつ使われており、シスター服としては明るくファンシー、メイド服としては清楚さが強調されたイメージ。

 各所に十字架の模様が描かれているのも大きな特徴である。


 理緒さんはじっと衣装を見つめて頷き、


「なるほど。良い品ですね」

「ありがとうございます」


 ノワールの見立ては確かだったらしい。お値段もなかなか張るだけあって理緒さんのお眼鏡にもかなったらしい。


「でもこれだと、首からロザリオを下げるのはやりすぎですね」

「衣装の中に入れておけば良いのでは? 胸元が白いので外に出していても目立ちませんし」

「そうですね」


 付属のガーターベルトとストッキングと合わせて身に纏うと、俺の白い肌や金髪に良く似合った。

 パーツの中には白手袋もあったのだが、薄手のものでも作業をする時は意外と邪魔になる。今回は着けないでおくことにした。

 衣装のバランスや髪を整え、講習会の準備がされた応接間へ移動すると、芽愛と鈴香にこれでもかと写真を撮られた。




   ◇    ◇    ◇




 応接間に移動するなり、鈴香と芽愛は歓声を上げた。


「良く似合っているわ、アリスさん。これなら否応なく人目を惹くでしょうね」

「本当、すっごく可愛いよアリスちゃん!」

「あ、ありがとうございます。……でも、恥ずかしいですね」


 照れるアリスだったが、理緒も主人やその友人に同感だった。

 一山いくらの安物とは一線を画す良質の衣装に身を包んだアリシア・ブライトネスは文句なしに可愛らしかった。

 白と黒のシックな装いに、きらきらした金髪がよく映える。もともとが西洋の衣装であるのだから相性が悪いはずもなく、コスプレではなく本物なのではないか、という錯覚さえ覚えてしまう。

 自他(他は同僚や鈴香)共に認める可愛いもの好きである理緒としては、着替えを手伝っている間も感嘆の吐息を堪えるのが大変だった。

 恥ずかしそうにしながらも写真撮影に応じるあたりもポイントが高い。

 自分のスマートフォンを取り出して撮影に参加したいのをぐっと堪え、仕事仲間であるメイドと手分けをして講習の準備を進めた。


「では、これからメイド講習を始めたいと思います」


 講習のメイン担当はメイドであり、理緒はサポート役だ。

 理緒も鈴香の世話係ではあるのだが、移動時の運転手やスケジュール管理等の業務もこなすため、メイドというよりは執事に近い。

 お茶を淹れたりといった作法については不得手でこそないもののより適任がいるのだ。


「文化祭の練習ということですので、今回は立ち居振る舞いと給仕の仕方にポイントを絞ってレクチャーさせていただきたいと思います」

「はい」


 鈴香の要望もあり、講習内容はわりと本格的な形で組んだ。

 飲食店の新人研修や新社会人向けのマナー講習のようなもの、と言えばわかりやすいだろうか。

 やることは単純。メイドによる実演の後、ひたすら反復練習を行ってもらう。立ち方、歩き方、お辞儀の仕方、笑顔の作り方、お茶の淹れ方、物の載ったトレイの運び方等々を、だ。

 一朝一夕で覚えるのはなかなか難しいだろう。

 こういったものはどうしても慣れが必要だ。普段とは違うことをするのだから最初はできなくて当たり前。繰り返し身体に覚え込ませていくしかない。


 もちろん、中学生の文化祭に上流家庭の使用人と同等の作法はいらない。

 合格ラインは相応に設定するつもりではあったが、それでも苦戦することは必至。それこそ、長引けば本当に泊まっていってもらうつもりだったが──。


(すごい)


 理緒は息を呑むことになった。


 実家が飲食店を営んでいる芽愛が苦戦しないのはある程度織り込み済みだった。

 レストランの店員とメイドでは方向性がやや異なるものの、精神に似通った部分がかなりある。物の運び方や立ち方、礼の仕方などは実際、年齢以上に堂に入っており、並の店なら即戦力としてバイトに採用されるだろう。


 問題はアリスの方。

 日本語の扱いや日本文化への慣れこそあれど、こういう仕事には不慣れと聞いていた。実際、動きに経験者めいた印象はあまりなかったのだが──。


「えっと……こう、でしょうか?」


 筋がいい。

 メイドによる実演や芽愛の振る舞いをじっと観察し、できる限り自分の身体で再現しようとする。一度行うごとに自分なりの問題点を洗い出し、直そうと努める。そうして一歩ずつ着実に上手くなっていく。

 まるで、礼儀作法を学んだ経験ではなく、があるかのような振る舞い。

 身体への意識の向け方が上手い。

 容姿が整っている上に珍しい髪色であることが細かいミスに注意を向けさせない役に立っているのも事実だが、アリスの魅力は決してそこだけではない。


 同時に、気質的に作法を学ぶ適性があるのも感じた。普段から敬語を使って礼儀正しくしている少女なので、この辺りは意外ではない。


(あるいは、アリス様をさせた教育が原因なのでしょうか)


 外国に親戚がいるだけだと聞いているので、彼女にも色々あるのだろう。

 かすかな同情を覚えつつ、理緒は担当のメイドと目配せをする。彼女も驚きと共に瞳へ期待を浮かべていた。思ったよりも覚えがいいので、もっと上を目指してもらいたくなってしまう。

 そっと主人に視線を向ければ、彼女もお客様(ご主人様)役を続けながら意味ありげに微笑んでくれる。


(この子達の可愛い姿をもっと見たいわ)


 とでも思っているのだろう。

 許可を得た理緒達は講習の合格ラインをそっと引き上げた。中学生レベルから高校生レベル程度に。大した違いではないと思うかもしれないが、そもそも一日で覚えるのは難しい難易度だったのだ。アリス達の基礎性能スペックの高さをあらためて思い知る。


 昼食(中にもテーブルマナー講習)を経て、おやつの時間になる頃には、アリス達は一通りの練習内容をクリアしていた。


「お二人ともよくできました。あとは、これをどれだけ覚えていられるか、ですね」


 付け焼き刃の技術ほど抜けるのも早い。

 なので、覚えがいい者であっても反復練習はするに越したことはないのだが、


「私は家の手伝いで使う機会があるので大丈夫です」

「私も、ノワールさんと家で練習します」


 そういえば、アリスの家にもメイドがいるのだった。

 服のセンスも含め、あのメイドもただものではなかった。少女がメイドの作法に長けていた理由の一端には「見慣れているから」というのもあったのかもしれない。

 中学生時代からメイドに触れている金髪美少女。

 彼女が将来、メイド喫茶でアルバイトするようなことがあれば、ついつい通ってしまいそうだと思いつつ、理緒はアリス達へのご褒美も兼ねたおやつのデザートを準備するのだった。

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