聖女、大金を稼ぐ

「……なんだか大事おおごとになってしまった気がします」


 朱華の手にされるがまま弄ばれながら、俺は呟いた。


「大事なんだから仕方ないでしょうが」


 髪は丁寧に梳いた上で纏めてウィッグの中へ。瞳にはカラーコンタクト。ボディラインを平たくするためにウエスト辺りへタオルを巻いて固定。

 ブラウスではなくワイシャツ、ショーツではなくトランクスを穿いて、衣装は男物のスーツ。ウィッグも黒髪かつ男性的なショートヘアだ。ボタンの合わせが逆だから違和感がある……と思えるあたり、いつの間にやら「普通」が逆転している。慣れというのは恐ろしい。

 しかし、こんな形で男装することになるとは。


「もう男物は着ないんだろうな、って思ってたんですが」

「意外とあっさり着ることになったわね。似合わないけど」

「そうですか? 意外と似合ってません?」


 貧乳気味なのが幸いしたのか、ちょっとしたサポートだけでも案外男っぽく見える。

 トドメに軽い化粧を施してもらい、肌色を濃く調節してもらいながら言うと、朱華は苦笑して、


「似合う似合わない以前に変装だから、あんたには見えないのよね」

「そういえばそうですね」


 目の色も髪の色も違う上に体型も隠した状態。手袋をして首から下は出ないようにするので、傍目からは人種も判断しにくいだろう。


「でも、朱華さんもこういうのできるんですね」

「こう見えてもあんたより女子歴長いんだからね? ノワールさんだけの特権じゃないわよ」

「失礼しました」


 メイクも完成。

 鏡に映してみると、うん、これはアリシア・ブライトネスには見えない。変装としては十分だ。

 コーディネート担当の朱華も満足そうに頷いて、俺の肩に手を置く。


「こっちこそ悪かったわね」

「? 何がですか?」

「最近冷たくないかって言われた話。あんたがノワールさんばっかり頼るから、ちょっと嫉妬してたかも」

「……そんなこと」


 わざわざ謝られるようなことではない。


「私こそ、朱華さんが止めてくれなかったら大変なことになってました。ありがとうございます」

「……そんなの、それこそ気にしなくていいってば。あんたが困ると、あたしだって気分悪いんだから」


 ツンデレみたいな言い方に俺は苦笑して、もう一度「ありがとうございます」を言った。








 冷静になって考えてみれば朱華達の言う通りだった。

 給料も勤務地も不明なバイトに応募する奴がいるかという話。政府からの依頼だというのと人助けだというので目が曇っていたらしい。

 自分では「詐欺には引っかからないタイプ」だと思っていたのだが──俺とアリシアの魂は根っこの部分では同じ、みたいな話を笑い飛ばせなくなってきた。


『……反省します』

『事前に止まることができたのですから問題ありません、アリスさま。それよりも、大事なのはこれからどうするかです』

『もちろん、本気で騙しに来るつもりはないと思うけど、向こうとこっちじゃ事情が違うもんねー』


 国家機密に関わる人間とはいえ、というかそういう人間だからこそ、向こうにとって一番大事なのは国益である。

 怪我を治して欲しい相手が政治家なのか大企業の社長なのかスポーツ選手なのかは知らないが、そういった人物を安価に、一人でも多く治せる方が得に決まっている。

 そのためなら、聞こえのいい言葉を多用して俺達を騙す──とまではいかなくとも、自分達にとって有利な条件に持って行くくらいはやってもおかしくないという話。


『だいたいさ、こんな大事な話を電話でするのがおかしいのよ。まあ、できるだけ早く返事が欲しかったんでしょうけど』

『呼び出しをかけると我々が付いてくると考えたのかもしれん。アリスと一対一で話した方が好条件で話を纏められるだろうからな』


 やってくれる、と教授がため息をついて。


『良かろう。向こうがそういう手に出るならこちらにも考えがある』

『え、あの。教授? 暴力は駄目ですよ?』

『暴れるわけではない。ただ単にクレームをつけるだけだ。あくまでも正当な主張の範囲でな』


 というわけで。

 当日中に電話を折り返した俺は、結論を急いでくる担当者をよそに教授に代わった。


『もしもし? 吾輩だ。アリスに仕事を依頼したいそうだが、そういう話は先にこちらを通してもらわないと困るのだが。通常業務のスケジュール管理にも関わるだろう。いや、ヒーラーなしでの業務になる代わり危険手当を増やしてくれるというのなら考えなくもないが』


 憎まれ役を買って出てもらうのは気が引けたのだが「こういう話は大人の出番」とのこと。こういうのは役割分担らしい。ヒーラーといういかにも善良そうな役割の人間には善良なイメージのままでいてもらった方があとあと役に立つこともあるのだという。

 教授と担当者の話は三十分以上にも及んだ。

 結論としては「電話では話にならん、今から行くから茶と茶菓子を用意して待っていろ」。

 非効率的というか前時代的というか、とにかくかなり回りくどいが、時にはこういうやり方も必要らしい。こっちとしても「早く結論を」という先方に合わせて日曜の間に動いているのだから感謝して欲しい、とかなんとか。


 で、俺と教授の他に朱華も連れて話をしに行った。

 ノワールが不参加なのは「何をするかわからない面子」に見えた方が脅しになるからという理由。俺とノワールが揃うと「事を穏便に済ませよう」と動いてしまうのでこういう時は不向きらしい。

 その点、朱華ならちょっとキレただけでその辺の物を燃やしかねない(少なくとも能力的にはそう)ので適任だった。


 着いてからの話は意外と早かった。

 向こうも「ここまでこじれたら素直に話すしかない」と思ったのかもしれない。教授も見た目こそ鷹揚だが一歩も引かない態度で話をした結果、いくつかのことがわかった。


・今回、政府は仲介者に過ぎず、謝礼金は依頼人から出る

・依頼人の素性は明かせないが悪人ではない、とある大人物

・今後も別の依頼人が同様の依頼をする可能性がある


 ならばと、教授はスケジュール調整について俺の学校生活や私生活を最優先にすること、俺の素性が依頼人に漏れないように細心の注意を払うこと、など幾つかの条件を取り付けた。

 その上で謝礼の値上げを要求。

 最初は「先方に聞いてみないと」などと言っていた担当者も結局は折れて、なんと最低百万円から(!?)という報酬額が設定された。


 回復魔法一回で百万とかもはや意味がわからないが、ある意味これは当然の措置だ。

 シルビア製のポーションだって法外な値段で取引されている現状、即効性があり、かつ絶対に副作用が出ない俺の魔法はより慎重に用いられるべきものである。

 でないと依頼が殺到して学校に行ってる暇がなくなったり、俺の素性がバレて誘拐されたりしかねない。

 百万程度なら下手に入院して手術するより安かったりするわけで、むしろこれでもまだ良心的な価格設定だ。


 ここまで決まると向こうは「では明日さっそく」と言ってきた。どうやら本当に急いでいるらしい。そういうことなら仕方ない。


『うむ。では明日、アリスが学校から帰宅しだい準備を整えて出発ということで頼む』


 いつも通りの態度のままに教授が告げて、今に至る。







「よくお似合いです、アリスさま。……できればわたしがお仕度を手伝いたかったのですが」


 リビングに移動すると、ノワールがそう言って褒めてくれた。


「ありがとうございます、ノワールさん」

「ごめんね。でもさ、ノワールさんがやると絶対『この方が可愛いから』とか言い出すでしょ?」

「それは……まあ、そうですね。アリスさまの可愛らしさを引き出すには髪や体型を隠すのは悪手です」


 うん、可愛さ優先は変装として悪手だ。

 目で朱華にもお礼を送ると、紅髪の少女は「ふふん」とばかりに胸を張った。それから、どこからともなく黒いサングラスを出してきて俺に装着させる。

 ノワールと朱華が同時にぷっと吹き出して、


「うん、滅茶苦茶怪しいわよアリス」

「これならアリスさまだとは絶対バレませんね」


 褒められているのかけなされているのか。

 トドメにマスクを着ければ色んな意味で完成。目や声でバレないようにするのは重要なので重要な装備である。もちろん、現地ではなるべく喋らない配慮も必要。

 ノワール達が付いてくると意味がないので、ここからは俺の腕の見せ所だ。


「アリスさま。間違って女子トイレに入らないように気を付けてくださいね」

「はい、気を付けます」

「アリス。男子トイレの使い方わかる?」

「いえ、あの、朱華さん? 私、元は男子ですからね?」

「冗談よ。……んじゃ、行って来なさい」


 肩を叩かれ、背中を押されて、焦れるレベルで準備万端待機していた送迎の車に乗り込む。

 結論から言うと、仕事は何事もなくスムーズに終わった。







 帰宅した俺はいつものようにみんなと夕食を食べた。


「で、アリスよ。報酬は手渡しだったのか?」

「いえ、さすがに後日振り込まれるそうです」


 正直、札束どーんと渡されても困るのでこっちとしても助かる。いや、一生に一度くらいは味わってみたい気もするが、もしそれで落としたり盗まれたりしたら一生後悔する。


「それにしても、単発のバイトであんなお金……まだ実感が湧きません」

「いいじゃない、貰っときなさいよ」

「そうそう。お金はいくらあってもいいんだしねー」


 無事に済んでほっとしたのか、どこか気楽そうなシルビアと朱華。

 ノワールもいつも以上にニコニコして、


「ええ、本当に。……それで、何に使うんですか、アリスさま?」

「はい。私としては皆さんで五等分すればいいかなと──」

「駄目」

「だーめ」

「却下です」

「アホかお主は」


 良いアイデアだと思ったのだが、みんな即答で駄目出ししてきた。


「でも、私がしたのはちょっと出かけて回復魔法かけただけですよ? 交渉した教授とか、メイクしてくれた朱華さんの方がよっぽど活躍してるじゃないですか」

「うん、アリスちゃん。そう言って自分の妹分が二十万差し出してきたとして、素直に受け取れる?」

「……う」


 キツい。受け取ったらなんか、自分が凄く鬼畜な人間になった気分になるだろう。


「でも、そんな大金要りませんよ? 結局、今回の件も料金表的に百万円じゃ済みませんでしたし」

「貯金しときゃいいじゃない。別にパソコン買うとかでもいいし」

「アイス専用冷凍庫とか買ってもいいんだよー? 私も使うから」

「ふむ。各地の美味い物を取り寄せた上で味見させてくれる、というのは悪くないな」

「アリスさま。服はいくらあっても困りませんよっ?」


 みんな自分の欲望丸出しで俺に金を使わせようとしてきた。

 いや、そんなに欲しい物があるんなら素直に分けさせてくれればいいのに。

 別に俺が買った物をお裾分けするのでもいいのだが、もう少し長期的な方法はないものか、と俺はしばらく考えて、


「わかりました。では、こうしましょう」


 みんなでお金を山分けする代わりに一つの提案をした。


「アリス金融(仮)です」


 シェアハウスのメンバーに限り無利子・無担保でお金を貸すという制度である。

 金融機関に頼るほど資金が切迫することもないとは思うが、シルビアの進学費用のように纏まったお金が必要になることもある。そういう時に役に立てばいいという考えだ。

 返って来なかったら来なかったで、もともと山分けするつもりだったお金なのであんまり困らない、というわけである。

 幸い、これは特別反対されなかった。


「ま、いいんじゃない? 借りないけど」

「そうだねー。借りないけど」

「それこそ、最年少に金を借りるほど落ちぶれてはおらぬ」


 こんな感じだったが。


「……悪くありませんね。アリスさまからお金を借りて、アリスさまにプレゼント。そして何食わぬ顔をしてお金を返せば……」

「ノワールさん? それはお金を返されても受け取りませんからね?」


 こんな人もいたが。

 というかそれ、単なる遠回しなプレゼントである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る