聖女、テニスをする
気持ち良く眠れたせいか、翌朝は自然に目が覚めた。
「ん……っ」
ベッドの上に座って軽く伸びをする。
泊まらせてもらった部屋はお客様用ということだったが、シェアハウスの俺の部屋より広いし、ベッドも寝心地が良かった。
これで窓を開けられたら最高だったかもしれないが、夏場、しかも緑が多い場所の虫を舐めるな、ということで昨夜は無難にエアコン使用である。
一緒に寝ていたもう一人が虫さされにでもなったら大変である。
その『もう一人』はというと──。
「う……ん」
薄手の掛布団を半分はだけさせ、ごろんと身を横たえながら、悩ましげな声を上げていた。
身に着けているのはキャミソールとショーツだけ。
肩紐も半分外れてしまっているので、なんというか、異性に見せてはいけないところが色々隠しきれていない。
まあ、中学三年生である彼女に欲情した場合、ロリコンという扱いになるのだろうが、ぶっちゃけ白い素肌も身体のラインも声も匂いも十分すぎるほどに男とは違うわけで、こういうのを見せられて「興奮しない」と言い切れるのは漫画の登場人物くらいだろう。
俺が感じるのは男だった頃の感覚の残滓と、自分よりも大人びている少女への羨ましさだが。
それにしても綺麗だ、と、思わず隣のベッドに腰かけたまましばらく寝顔を見守ってしまう。
食べてるものやケア用品の質が良いのもあるだろうが、素材も良いとつくづく感じる。
高校生の三年間に彼女は大きく花開いて、多くの男が憧れる高嶺の華へと変貌するだろう。今の段階でもそれはもう十分すぎるほどに予感することができる。
しばらくすると少女──鈴香も目を覚まし、ぼんやりと薄目を開けて「……もう朝?」と呟いた。
「はい。朝ですよ、鈴香さん」
答えながら、俺は昨夜のことを思い出した。
鈴香は寝る前、俺に「私は寝起きが悪いんです」としきりに言っていた。「でも、嫌いにならないでくださいね?」とも。
なるほど、寝起きの彼女はいつもよりも子供っぽい感じがする。しかし、この程度ならむしろ可愛らしいというか、前に教えてもらった弱点とぶっちゃけ大差ないと思うのだが。
「……そう」
呑気に思う俺をよそに、鈴香はどこか満足そうに笑むと──瞼を閉じて規則正しい呼吸を始めた。
「鈴香さん?」
「すぅ、すぅ」
「え、あれ。もう一回眠っちゃいました……?」
「そう」とか言っていたが、全然わかってない。
別に予定が詰まっているわけでもないので多少の二度寝は問題ないのだが、なんとなく「放っておくといつまでも起きないのでは?」という気がしたので俺は慌てて呼びかける。
「鈴香さん。鈴香さん?」
結論から言うと、鈴香は声をかけたくらいでは起きなかった。
起こそうとしているうちに妙な使命感にかられた俺は近づいてみたり、頬をぷにっと突いてみたり、ぺちぺちと叩いてみたり、軽く引っ張ってみたり、腕を撫でてみたりと、少しずつ強硬手段に出た。
冷静に考えると結構凄いことをしてしまったような気もするが、まあ、朱華やシルビアも急に抱きついてきたり押し倒そうとしてきたりするし、多分問題ないだろう。
最終的には背中をくすぐってやることで目を覚まさせることに成功した。
「ふぁっ、ん……っ。アリスさん……?」
「おはようございます、鈴香さん。朝ですよ」
達成感から微笑んで呼びかけると、鈴香は何故かむっと頬を膨らませて、
「お返しです」
まだ寝ぼけた状態が多少残っているのか、俺に掴みかかってくると「ギブアップ! ギブアップです!」と降参するまで脇をくすぐってきた。
正直、俺もそこまではしなかったのだが──寝汗と寝起きの運動によって汗をかいてしまった俺達は、揃ってシャワーを浴びることになった。
鈴香の寝起きの悪さと下着姿で眠る件は「芽愛達以外には言わないでくださいね」と念を押された。
言っても「可愛い」で通る気がするが、話してみると意外なほど親しみやすいお嬢様は周囲から完璧超人と思われたいらしく「絶対駄目ですからね」と俺に言うのだった。
芽愛と理緒さんによる美味しい朝食を御馳走になった後は、みんなで散歩をすることになった。
取りに戻るのも面倒だから、と、テニスウェアや鈴香のマイラケットも持っていく。
この分だと散歩をして、テニスをして、昼食をとって、また散歩をしながらショッピング、的な流れになりそうだ。
昼は「お弁当作ろうか?」という芽愛の申し出があったが、避暑地のレストランというのも気になるし、材料の都合もあるし、夜はバーベキューで大変だからと外食で済ませようと決定。
「アリス様は昨日もお散歩されたんですよね?」
「はい、少しだけですけど。でも、朝と夕方だと表情が違うのでまた楽しいと思います」
「お散歩本当に好きだね。滝行とか言ってたし、アリスちゃんって意外に野生児?」
「芽愛さん。さすがに野生児は勘弁してください」
「あはは、ごめんごめん」
日本フリーク程度ならまだしも、野生児は外聞が悪そうだ。
無人島で獣や魚を獲って暮らすような生活に憧れはなくもないが……無理か。アリスの身体だと傷つきやすいから回復魔法がいくらあっても足りなさそうだ。
「いつもと違う場所だと新しいアイデアが閃きそうです」
「あ、わかる。いつものご飯と旅行のご飯だと食べたい物も変わるもんね」
「私の兄はどこに行ってもまずハンバーガーを探しますが」
「ふふっ。男性はそういう傾向があるのかもね。うちの父もお気に入りの料理ばかりリピートしたがるわ。栄養が偏るから駄目だと止められているけど」
わかる。
勿論好みはあるが、食べ慣れた好物ならだいたいいつでも美味しく食べられる。カップ麺や牛丼、ハンバーガーなんかはその点最強だ。
そんなことを思っていた俺も最近は限定メニューとデザートの欄を真っ先にチェックするようになっているが。
緑が多くて和むせいか話も弾む。
都会だと人の気配が気になったりもするが、ここは木々のざわめきや風の音が話し声を和らげてくれるのか、普段よりは人目を気にせず話ができる。
大まかなルートだけは前もって決めておいて、細かな道は足の向くまま気の向くまま、のんびりと歩いた。
「どう、アリスちゃん? 滝行の代わりになる?」
「はい、とっても。……滝行もいつか挑戦してみたいですけど」
「そこは諦めないのね……」
何が俺をそうさせるのかとみんなから驚かれた。
一回くらいなら試しに体験してみたくないか? と尋ねたら「寒いから嫌」とのことだった。
「こういうところでお昼寝したら気持ちいいでしょうね」
「アリス様。お気持ちはわかりますが、私達の目がない所ではお止めください」
「観光地ですけど、危ない人がいないわけじゃないですからね」
「スカート捲られてスマホで撮られたりとかするかもよ」
「……それは嫌です」
やけに具体的に言われて鳥肌が立った。
世知辛い世の中になったものだ、と教授のような台詞を内心で呟きつつ、俺は面倒なことは忘れることにする。
こういう時はストレス解消に限る。
芽愛も何度か利用したことがあるというテニスコートに到着し、ラケット付きでコートを借りる。
一面にするか二面借りるかと聞かれて、
「どっちがいいんでしょう……?」
「一面でいいんじゃないかな? 二面使おうとすると休憩時間がなくなりそうだし」
「別に常時二面埋めている必要はないのですし、多い分には困らないでしょう?」
俺と芽愛と縫子は揃って「さすがお嬢様」と言い、鈴香は恥ずかしそうに「間違っていないでしょう」と言った。
「ウェアは用意してきているから、借りるのはラケットとボールだけで十分よ」
件のウェアを見ることになったのは更衣室に移動していざ着替えをする、という段階になってのことだった。
「……白いですね」
「ええ、可愛いでしょう?」
俺と、それから鈴香の分のウェアはお揃いで、上下共に白さが際立つデザインだった。
定番のお嬢様スタイルをテニスウェアに落とし込んだ感じというか。清楚さと活動的なイメージが同居していて確かに可愛い。
自分で着るとなると正直恥ずかしいが。
「まあまあ、アリスちゃん」
「鈴香さんも同じものを着るわけですし」
そう言う芽愛と縫子はもっと大人しいデザインだった。
まあ、スカートが短くてアンスコ必須なのは変わらないようだったし、白は好きな色なのでありがたく使わせてもらうことにする。恥ずかしいが。
「アリスさんの腕前、見せてくださいね?」
「む。こうなったら鈴香さんに『ごめんなさい』って言わせてみせます」
「ふふっ。できるかしら。こう見えても結構得意なのよ?」
とりあえずシングルスで対戦して、終わったら次は負けた者同士、勝った者同士で対戦しようということになった。
俺の初戦は鈴香が相手。
テニスはほぼ素人とはいえ運動の経験は十分ある。鈴香もたまにやっている程度で本格的に学んでいるわけではないので勝機はあると思ったのだが、
「筋がいいですが、経験が足りませんねっ」
「ああっ……!?」
前半はいい勝負だったのに、後半に行くに従って得点のペースが落ち、終わってみれば鈴香の快勝。
わりと悔しい。
次に当たったら一矢報いてやる、と思っていると鈴香が笑顔で歩み寄ってきて、
「いい勝負だったわ、アリスさん。本当にテニス部、向いているんじゃないかしら?」
「お疲れ様でした。……でも、向いてるでしょうか?」
プレイして思ったのは、テニスには柔軟さが必要だということ。
身体の柔らかさだけじゃなく、緩急織り交ぜる思考の柔軟性も含めてだ。前後左右に相手を揺さぶって勝つゲームなので、揺さぶられてもへこたれない心が必要。
女子だからというのももちろんあるだろう。男子のテニスは「ダァン!」とボールを叩きつけあう競技だったりするのかもしれないが、この過酷な個人競技に果たして向いていると言えるのか。
すると少女は微笑んで、
「ええ、アリスさんならきっとエースを狙えますわ」
「古い漫画じゃないですか」
「あら。さすがはアリスさん。よくご存じですね」
微妙にからかわれたような気分になりつつも、俺は「考えておきますね」と返答した。
身体を動かすのは好きだし、テニスをやってみるのも悪くはない。しかし、家庭科部だか料理部だかに入るのも良い気がするし、この分だと進学までに挑戦したいものが増えそうな気がする。
彩も遊びも無く一辺倒なのが俺の高校生活だったはずなのに、変われば変わるものである。
「アリスさん。お手柔らかに」
「こちらこそ」
案の定、もう一つのコートの勝者は芽愛だったらしく、俺と縫子は頂上決戦を横目で見ながらのんびりとボールを打ち合った。
せめて芽愛が一矢報いてくれれば、と思ったのだが、結局四人の中で一番上手いのは鈴香だった。
とはいえ全く敵わないと言う程でもなく、ダブルスにして俺と芽愛、鈴香と縫子のチームを組むと割とちょうど良かった。
「うーん、もうちょっと練習しないと来年にはアリスちゃんに抜かれてそう」
「そんなことはないと思いますけど……」
朱華かシルビア辺りが乗ってきたら少し練習してみてもいいかな、と思った。
シャワーを浴びて汗を流し、コートに併設された小さなカフェで冷たい飲み物を味わった後、散歩しながら昼食をとる場所を探した。
スマホも駆使して最終的に決定したのはお洒落なレストラン。
牛肉やワインが有名な地域ということでボロネーゼ(ミートソース)を頼んでみたところ絶品だった。サラダに使われている野菜も新鮮で、なかなかのお値段を取るだけはあるなと感心してしまった。
芽愛も「隠し味はアレで、下味の段階でアレを……」と真剣に分析しながら食べていたし、舌の肥えている鈴香も満足そうな顔をして味わっていた。縫子は割となんでも美味しく食べるタイプなので当然のように満足そうだった。
「お待たせいたしました。こちらはデザートのシャーベットでございます」
「わぁ……!」
ただ、恥ずかしながら一番感動したのはいつも通りにデザートだった。
パスタの濃厚さを余韻として楽しむのも悪くなかったが、程よい甘さと共にさっぱり口の中が洗い流されていくと極上の幸せを感じた。
また食べに来たいくらいだ。
どうにかして転移魔法を使えないだろうか、と益体もないことを考えながら歩いていると、芽愛が寄ってきて耳打ちしてくる。
「アリスちゃん。お散歩して帰ったら今度はお料理の時間だからね?」
「はい。頑張りますね」
あの美味しさの後だと、俺なんかが頑張っても無駄なのでは、とか思ってしまうが、どうせならほんの少しでも近づけるように頑張ってみよう。
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