聖女、別荘に着く
「涼しい……!」
室内は気密性高めで、窓を開けて風を感じるのには適さなかったので、俺達が避暑地の空気を思いっきり吸い込んだのは到着してからになった。
新鮮な空気。
人形公園の中もそうだったが、やはり緑が多い場所は空気が良い。排気ガスなど無いファンタジー世界から来たアリシアの身体だからか、自然を感じると心が安らぐ。
「ええ。実際の気温も約2℃異なりますので、体感温度はそれ以上になるかと思います」
「これは過ごしやすくていいですね」
降り立った
エアコンなんかがメジャーでない時代から避暑に使われていたというのも頷ける。これだけ涼しさが違えば、病弱な令嬢なんかが療養のために移り住む……なんていうのもあながち空想の話とは言い切れないだろう。
縫子もあまり表情は変わっていないが、口元を綻ばせており、
「ふふん、いいでしょー?」
「それで、あれがうちの別荘ね」
「わ……!」
木立に囲まれた、二階建ての白い建物。
「大きいですね」
「……はい。海水浴の時のコテージより大きいです」
「だって、あっちは宿で、こっちは別荘だもん。比べられたら困るよ」
数日程度の滞在だけでなく、なんなら年中住むことも可能なように設計されているということだ。
いや、あの時のコテージも十分住めるレベルだったのだが、別荘となるとどうしても広く造ってしまうのが人の性なのか。
別荘地なので土地代が安いということもないはずだし、庶民にはなかなか理解しがたい話である。
「芽愛の家が別荘を持っているのは知っていたけれど、実際に来るのは初めてね」
「それはそうだよ。私だって、アリスちゃんが滝行とか言い出さなかったら提案しなかったもん」
「あれ、私のせいですか?」
「アリスさん。お陰、でいいと思います」
微妙に納得行かないが、俺の失言もたまには役に立つということか。
「なんてね。本当はそれだけじゃないんだけど」
悪戯っぽくぺろりと舌を出して白状する芽愛。
単に子供だけで行かせるには少女達がまだ幼かった、などの事情もあったようだ。
契機としては高校生になってから、とするのがぴったりではあるのだが、芽愛と鈴香達の付き合いも長くなってきて「信用できる」という実績ができたこと、理緒さんが同行して移動手段も確保できることなどが決めてになったとか。
「あと、単純にパパ達が今年は来られそうにないから、っていうのもあるかな」
「え。何かあったんですか?」
「違う違う。お店が忙しすぎるだけ」
芽愛の家のレストランは客入りもよく、それこそ別荘が買えるくらいには儲かっているのだが、客商売というのはみんなが休んでいる時がかき入れ時。
夏休みに何日も休んで別荘に遊びに行く、というのがなかなか難しいと気付いたのは別荘を買ってしまってからのことだったらしい。
お陰で芽愛もここに来るのは年一回、多くて二回程度だったらしい。
「なるほど。嬉しい悲鳴なんですね」
「そうそう。まあ、老後は私に店を任せてこっちで過ごそうか、なんて気の早いこと言ってるけどねー」
それはなかなか優雅な老後だろう。
芽愛が跡継ぎになるというのもしっくりくる。もちろん、芽愛の結婚相手でもいいだろうし、芽愛が別の店を持ちたくなったら優秀なスタッフの誰かが継いだりとかもあるかもしれないが。
「いつか食べに行ってみたいです」
「いつかと言わず、いつでも来てくれていいよ? 日によっては予約しないと入れないかもだけど」
「大人気じゃないですか」
それは別荘に行っている暇がないだろう。だからこそ行きたかったかもしれないが。
「せっかくだから友達と行って来なさい、って」
両親から預かったという別荘の鍵を使い、芽愛が入り口のドアを開け放ち──。
「あと、ついでに掃除をしてきてって」
半年分か一年分か、積もった埃の匂いが中からふわっと漂ってきた。
まあ、しばらく使ってなかったとは言っても年一回以上は使っていたわけで、入った瞬間に感じた「うわぁ」という感想ほどはアレな状況ではなかった。
『お嬢様は車でお待ちいただければ──』
『嫌よ。私だって掃除くらいできるわ』
私立
箸より重い物を持ったことがない、などと我が儘を言うことなく(掃除する、というのもある種の我が儘だが)鈴香も参加しみんなで掃除をした。
大体二、三時間といったところだろうか。
一番活躍したのは理緒さん。次は「毎回やってるから」という芽愛。その次は自慢じゃないが俺、という結果になった。
「アリス様は筋が良いですね」
「本当。掃除が上手いなんて思わなかった」
「わ、私だってやればできるんですよ?」
男子高校生だった頃は週一くらいで教室の掃除をしていたし、部活でも道場の掃除を良くさせられていた。
昔取った杵柄という奴か、覚えたやり方は頭から消えていなかったようで中々役に立ってくれたようだ。まあ、身長や筋力の問題で昔同様にとはいかなかったのだが。
縫子はまあ、ほどほどに。
鈴香は、
「……理緒。帰ったら掃除の練習を」
「駄目です」
悔しそうに唇を噛んで宣言しようとしたが、さすがにこれはきっぱりと止められていた。
掃除の後は理緒さんと芽愛が協力してお茶を淹れてくれて、ほっと一息。
気づけば外の空はオレンジ色に染まり始めている。
「これは、本格的な散策は明日にお預けですね」
「ね? 二泊三日くらいは必要だって言ったでしょ?」
目を細めた鈴香の感想に芽愛が笑う。
掃除の時間を織り込んだ上での日数だったか。まあ、今からでも散歩するくらいならできなくはないだろうが──。
うん、せっかくだしもう少しくらい外の空気を吸ってこようか。
「あの、私、少しその辺りを散歩してきても」
「じゃあ私も行く」
「え。一人でも大丈夫ですが」
「アリスちゃん。この辺、急に暗くなるよ?」
「う」
お化けの心配をしているわけではないのはわかったので、芽愛についてきてもらって暗くなるまで散歩した。
特に何があるというわけではなかったが、特有の空気と見たことのない景色はそれだけで飽きないものだった。
「そんな顔してくれるなら来てもらった甲斐があったよー」
「? 私、そんなに楽しそうな顔してますか?」
「うん、すごく。気づいてないあたりが可愛いよね、アリスちゃん」
にこにこしながら芽愛に言われて、なんだか俺は恥ずかしくなった。
◇ ◇ ◇
「アキ、何をしているんですか?」
「今日撮った写真を整理しているんです」
集合場所で撮った写真と、途中のSAで撮った写真。それから移動中の車内でも撮った。
鈴香は「ふうん?」と言って後ろから覗き込んでくる。別に見られて困る写真はないので、縫子はそのまま作業を続けた。
写真は気の向くままに撮ったものだが、キャンピングカーや風景の写真の他は、
「アリスさんの写真が多いのね」
「はい」
特に隠すことなく認める。
実際、人物写真の多くにはアリシア・ブライトネスが映っている。旅行が楽しいのか、あるいはキャンピングカーがそんなにお気に召したのか、かなりはしゃいだ様子だったが、基本的には大人しい少女である。
アクティブ度で言えば表情がころころ変わる芽愛や、お嬢様の癖にわりと「いい性格」をしている鈴香の方なのだが──それでもアリスの写真が多くなってしまうのは、人目を惹く容姿のせいと、
「アリスさん、どんどん可愛らしくなるものね」
「はい」
はいしか言っていないが、実際その通りなので頷くしかない。
鈴香がこんな話を持ち出してきたのは、アリス本人がこの場にいないからだ。今は芽愛と一緒に外へ散歩に出ている。
緑が多いということは虫もいるだろうし、縫子としては屋内でじっとしている方が好ましいのだが、アリスは「空気が綺麗なので」と外に出たがっていた。
なお、理緒はキッチンの状態を確認したり、風呂の準備をしたりと作業中。芽愛が戻ってきたら二人で料理を始める予定だそうだ。アリスも「料理を勉強している」とか言っていたので多少手伝いたがるかもしれない。一朝一夕の技術では本当に野菜の皮むきくらいしかすることがなさそうだが──二日目の夜に予定されているバーベキューの準備では、せっかくなので活躍してもらおうと思う。
話が逸れたが、アリスの可愛さは日に日に増している。
「正直、アリスさんは最高の素材です」
「正直すぎるけれど、その通りね」
否定しないあたり鈴香もなかなかのものである。
令嬢は笑みを浮かべつつも軽くため息をつき、遠くを見るように窓を見て、
「……あんな子、なかなかいないわ」
「ほいほい居ても困りますね」
アリスの一番の魅力はあの容姿ではなく、驚くほどの無防備さだ。
無邪気と言ってもいい。決して馬鹿ではなく、むしろ意外と物を知っていたりはするのだが、にも関わらず善良を絵に描いたような言動をするのだ。
例えば、縫子が撮った写真を悪用するなどとは微塵も思っていないし、料理の勉強を始めたのにも芽愛に気に入られてグループに居続けようとかそういう意図が全く見えない。
現実に生きるお嬢様として、人の汚い部分を色々と見ている鈴香が、アリスのことを「お嬢様みたいだ」と言うのはそういう「本物の箱入り」に見えてしまう部分のせいだろう。
要は嫌味がなく、真摯で、それでいて付け入る隙が多い。
多くのことに興味を持ってそれを取り入れようとするので、ついつい教えたくなってしまう。アリシア・ブライトネスとはそういう少女だ。
彼女を見ていると色々なインスピレーションが湧いてくるし、自分もまた多方面から知識を取り入れたくなってしまう。
もちろん可愛い容姿も忘れてはいけない。
服飾の道を志す者としてルックスは重要だ。純正の日本人では似合わない服もアリスなら似合うので、彼女には是非、色々な服を着て色々な表情を見せてもらいたい。
「お風呂にカメラを持ち込んだら怒られるでしょうか」
「それは私も怒るわ」
鈴香はくすくすと笑って、それから首を傾げた。
「アキ。もしかしてアリスさんに惚れちゃった?」
「それは鈴香さんの方だと思います」
縫子はアリスに着飾らせたいのであって、中身には興味がない。
いや、彼女の全裸はまたそれはそれである種の造形美であるので、是非あらゆる角度から写真を撮っておきたいところだが。
「じゃあ、アリスさんから告白されたら?」
「……特に断る理由がないですね」
恋人同士なら少し過激なお願いをしても許されるだろう。
さすがに怒られるだろうが、むっとしたアリスも可愛いので問題ない。むしろどうやっても縫子の勝利である。あれ? もうそれでいいのではなかろうか。
いや、そもそも前提条件がありえないと思い直し、
「まあ、一番喜んでいるのは芽愛かもしれませんね」
「よりによって料理だものね。……まあ、お洒落は女の子なら多かれ少なかれ興味があるものだしね」
「あのメイドさんが良いアシストをしてくれているものと確信しました」
少しずつ着飾る楽しさに染めていって、作った衣装の試着を頼める仲に持っていきたいところだ。
そのためにもこのまま関係を深めていきたい。
ぶっちゃけた話、アリスがグループを外される可能性は現段階でほぼゼロなのである。
本人も縫子達ともっと仲良くしたいと思ってくれているようなので、その希望に応えて、こちらもできる限りの方法で「可愛がって」やりたいと思う。
「鈴香さんがモデルになってくれればもっと話が早いんですが」
「嫌よ。縫子って拘り始めると長いんだもの」
「鈴香さんだって、お茶会を始めると長いじゃないですか」
「貴女と芽愛が好きなことばかり喋るのも原因でしょう」
要は縫子達は全員、我が強すぎるのである。
人が良い上になんにでも興味を持つアリスはそういう意味でもいい緩衝材だ。アリスが付いてこれなくなった話題は終了、という基本を押さえておけばヒートアップしすぎても大丈夫。
と、言っているうちに玄関の方で人の気配。
二人は何食わぬ顔のまま、目線だけで話題は終了と共有し、
「今日の夕食は何かしら」
「明日は肉がメインなので今日は魚だと聞きました」
「へえ。お刺身とかかしら」
なんて言っていたら白身魚のカルパッチョやサーモンのホイル焼きが出てきて二人は大変驚いた。
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